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田村弥太郎⑧

「遅くなってごめんね」


 後藤くんの家まで全力で走った、時間を決めていたわけじゃないけど、とにかく急いだ。こんなに走ったのは金魚を口に入れて以来で、肩で息をする僕は大量の汗をかいていた。


「おう、開いてっから入れよ」


 インターホン越しに聞こえてきた声色に、怒気が含まれていなくて安心する。アプローチを渡り重厚な扉を開いて中に入った。広い玄関はピンと空気が張り詰めているような気がして思わず姿勢を正した。一呼吸した後に靴を脱いで階段を登る。途端に緊張してくる、上手く出来るだろうか、何をやってもダメな自分に二人は愛想を尽くすんじゃないだろうか。嫌な想像を振り払ってリビングに入った。


「弥太郎、準備はばっちりだ」


 すぐに鎌田くんが親指を立てて僕に言った。予習はバッチリ、僕は「イエッサー」と敬礼した。


「じゃあ俺の部屋にいくぞ」

「御意」


 軍人から殿様の家臣、キャラクターが定らないのは緊張からだと思う。

 三階にある後藤くんの部屋にはパイプベッドに勉強机、ソファにテレビも備わっている。いつもリビングでゲームをするのは、この部屋のテレビよりも大きいからだろうと察した。それでも薄型のテレビは充分なサイズ感がある。


「まずはコイツを見てくれ」


 後藤くんがタッチパネルのような物を操作すると、テレビ画面に女の子が現れた。パチくりと目の焦点を合わせて見ると、その女の子は先ほど話した橋本さんで、着ている洋服も同じだった。つまり二人は今日、橋本さんを隠し撮りしたのだろう。僕のオカズの為に。


「画面をスワイプすれば次の画像になるからな、好きなとこでフィニッシュしてくれ」


 タッチパネルを渡されて、指示通りに画面に指を滑らせる。先ほどは誰かに向けていた笑顔が、今度はカメラ目線とまではいかないがこちらを見ていた。一瞬、目が合ったみたいでドキリとする。そしてやっぱり可愛い。

 次の写真は思い切りカメラ目線だ、しかし服装が全く違う。ひらひらの白いスカートを履いて華奢な肩が露出している。大人っぽい雰囲気にまたドキッとした。


「それはネットから引っ張ったんだよ」

 と鎌田くん。

「隠し撮りも限界があったからな」

 後藤くんが頭を掻いた、僕は首を横に振りながら「ありがとう、頑張るよ」と決意表明した。


「母ちゃんが帰って来るのが八時過ぎだから、タイムリミットは七時半てところだな、あと三時間はある、ゆっくりと初体験を堪能してくれ」

 ティッシュの箱と「念のため」と言って後藤くんは薄い雑誌を手渡してきた。見るからに如何わしい本だ。

「初体験は好きな人が良いから、あくまでも念のためだからな」

 と鎌田くんが付け加える。

「うん、分かった」

 僕が神妙に応えると「健闘を祈る」と言い残して二人は出て行った。静まり返った部屋のテレビには、笑顔を僕に向ける橋本さんがいる。途端に臆病風に吹かれた。


 彼女の前で下半身を晒すのか?


 散々ネットで調べた結果、オナニーをするには下半身を露出しなければならないらしい。上級者には脱がないまま床に擦り付けるなどして射精をするなんて情報もあったが、素人の僕には不可能だろう。やはりオーソドックスに下半身を晒して勃起させ、利き手で握り上下に運動させる。これだ。


 しかし、静止画とはいえ好きな女の子の前で下半身を晒す行為は、自分が考えていた以上の抵抗感がある。僕はタブレットを操作して、せめてコチラを向いていない隠し撮りの写真をテレビに表示させた。まだコチラの方がマシだ。それから何とか羞恥心を跳ね退けて、僕は履いていたズボンとブリーフを脱いだ。几帳面に畳んでソファの横に置く。だめだ、死ぬほど恥ずかしい。僕は思わずテレビのリモコンを取り、消した。その場に立ち尽くす、このままでは失敗する、それは二人の期待を裏切る事になる、それは友達を失う事を意味する。


 ダメだ。僕はテーブルに投げ出された如何わしい本を手に取った。開いていくと裸の女性がポーズを取っていてコチラを挑発するように見つめていた。

 下半身が疼くような不思議な感覚があった、ページを捲る手が速くなる。裸の男性と抱き合う、キスをする。そんな初めて見る写真に興奮してくる。大人はこんな事をしているのか。俄かに信じられなかったが、気がつくと僕は勃起状態になっていた。


 コレだ。僕はチャンスとばかりにソファに座り直すと、ネットで調べた通り自分の陰部を握り上下に刺激してみた。生まれて初めての快感が全身を支配していく、なんだコレは。戸惑いとは裏腹に硬くなった陰部はどんどん気持ち良くなってくる。すでに羞恥心はどこかに消し飛んでいた、興奮が押し寄せてくる、綺麗な女性の裸を見ながら右手を忙しなく動かしていく。


 初体験は好きな人だぞ――。


 不意に我に返って鎌田くんの言葉が蘇る、そうだった、この本はあくまでも念のため、最終兵器。二人の期待に完璧に応えるには橋本さんでフィニッシュしなければならない。僕は本を手閉じてテーブルに置き、代わりにテレビを付けた。すぐに隠し撮りされた橋本さんが映し出される。するとどうだろう、先程まであれほど恥ずかしかったのに今はまったく平気だった。いや、それ以上に興奮していた、エロ本よりも、大人な裸よりも、目の前で微笑む橋本さんに興奮していた。


 僕は我を忘れて一心不乱に手を動かした、他の写真に切り替える、もうコチラを見られても平気だった。大人びた服装に大人びた笑顔、でも僕は隠し撮りされた写真が一番興奮した。さっきまで僕の隣にいた橋本さん、橋本瑠璃菜さんの甘い香りが蘇る。

 

 僕は生まれて初めて射精した、好きな女の子で――。 

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