第17話 狙撃
「ぐべぇ!」
殴り飛ばした盗賊のリーダーが地面に叩き付けられて潰れた悲鳴を漏らした。一応、意識を失わない程度に手加減してある。
「ひいぃぃ!」
さっきまではあれだけ威勢が良かったのに、自分よりも強いと判った途端、まるで怯える女の子のように竦んで地面を這いずる様は、本当に無様としか言いようがない。こんな目に遭うのが嫌なら、盗賊なんかやらなければいいものを。
地面を這いつくばって少しでもオレから逃げようとするリーダーの前に、立ち塞がる影が。見上げた先には、怒り心頭の表情をしたラティナが鬼のような目でリーダーを見下ろしていた。
「……言い残すことはあるか?」
薄い唇から紡がれた声には、オレでも背筋が冷たくなるような殺意が込められていた。たぶん、さっき盗賊が「女は好きにして構わない」とか言っていたのが聞こえたんだろう。
「ひぃ!」
真っ直ぐ銃を向けるラティナに、盗賊のリーダーがまたしても情けない声を上げた。
「待ってください、ラティナさん。そいつには聞かなければならないことがあります」
このままでは本当に撃ち殺しそうなので、ひとまず制止するとラティナはしばし逡巡した後、無言で銃を下ろした。
「凄いですシンさん! 盗賊たちをあっという間に倒してしまうなんて!」
その後ろから、モコを抱いたままのアリエルまで興奮した様子で車から降りてきてしまった。ラティナから「危ないから戻ってください」と注意されると「むー」っと不満げな様子でふくれっ面を造ってそっぽを向いてしまった。子供か。胸元のモコが「わうん……」と呆れている。
「さて、と……」
オレは地面でガタガタ震える盗賊のリーダーの側まで歩いていき、その首筋に《リンドヴルム》を突き付けると、一層激しく震えだした。
「お前、さっき「情報通り」とか言ってたよな?」
「……」
震えながらも無言で盗賊のリーダーは何度も頷いた。
「つまり、オレたちがここを通ることをお前たちに教えた奴がいるってことだ。誰だ?」
「わ、判らねぇ!」
「はぁ? 判らないだと?」
「け、今朝、アジトの前に大金が入ったカバンと、手紙が置いてあって……今日、ここを子供1人と女2人の3人連れが通るから、橋の手前辺りでそいつらを襲って殺してくれれば、報酬として同じ額を支払うって……」
「なんだと?」
眉を顰めたのはラティナだった。いまの話が事実なら、こいつらは黒幕から頼まれただけの送り狼だ。ただ気になるのは、オレたちのルートが黒幕に知られていることだ。そもそも今日、ここを通るという情報は当事者であるオレたち以外は誰も知らないはずなのだ。
強いて挙げるとすれば、フィジーの市長くらいだ。昨日、アリエルたちがここを通してくれるように直訴していたはずだから……まさか、な。
あと心当たりがあるとすれば、昨日からずっとオレたちを見張っていた監視者だ。
出発前のラティナの話では、事情は判らないがアリエルは大急ぎで実家に戻る必要があるらしい。そうしなければエスタール伯爵家に不幸な事態が起こる。そしてそれによって利益を得られる人間が、自分たちを狙ってくるかもしれない、と。
フィジーでオレたちを見張ってた奴がそいつの回し者であり、こいつらを嗾けた張本人であるなら辻褄が合う。一刻も早く領都に戻らなければならないアリエルが、領都への最短ルートであるこの道を通るであろうことは容易に予想できるだろうから。
だがそれにしても、盗賊なんかに大金を渡してまでオレたち――いや、アリエルの殺害を企てたということか? いったい誰が、なんの為にそんなことを……いや、ちょっと待て。いまこいつ、妙な事言わなかったか?
「橋の手前辺りで襲え、って言われたのか?」
「あ、ああ……」
どうして襲う場所なんか指定するんだ? どうせ殺してしまうんなら、場所なんてどこでも良いはずだ。それなのに、わざわざ襲う場所を指定したのは何故だ?
刹那――
心臓を鷲掴みにされたかのような悪寒がオレの全身を駆け抜けた。
<危機感知>がけたたましい警報を発してオレの本能に叫びかけてくる。
危ない――と。
オレは衝動に突き動かされるがまま、半ば反射的に魔法を発動させていた。
【竜宮天蓋】。
<真竜魔法>スキルLV90で覚えられる防御魔法。自身、もしくは仲間の周囲に球状の防御結界を展開する。
元々<真竜魔法>は最終天職である『ジークフリート』専用の魔法。そのレベルを90まで上げないと覚えられないという事実が物語る様に、【竜宮天蓋】は生半可な魔法ではない。
効果は「絶対防御」。
『シン・ジークフリート』に存在するいかなる攻撃――例え貫通属性を持った攻撃であろうと決して通さない。ただし展開している間はこちらもなにも出来ず、その場から動くことが出来ないという欠点があるが。
幾何学的な魔法文字が描かれた不可侵の障壁がオレたちを包み込んだ一瞬後――その表面で甲高い音を立てて小さな爆発が生じた。激しい火花と共に無数の金属片が飛び散った。
「きゃあ!」
突然の轟音にアリエルが可愛らしい悲鳴を上げて耳を塞ぎ、その場にしゃがみこんだ。
「これは!?」
さすがにラティナの方はそんな醜態をさらすことは無かったが、それでもいきなりの出来事に狼狽し、困惑した様子でオレに問いかけた。
「狙撃されてます!」
間違いない。いまのは超高速の飛翔物が激突した衝撃だった。しかもアリエルに向かって飛んできた。もしも【竜宮天蓋】を展開するのが一瞬遅ければ、彼女の頭はスイカの如く爆裂していただろう。
ここに至ってオレはようやく敵の意図を悟る。
盗賊たちは噛ませ犬だったのだ。こいつらを嗾けた奴の本当の目的は、オレたちをこの場所に足止めすること。ここは渓谷沿いに造られた細い間道。対岸からは丸見えで障害物も少ない。加えて峡谷を挟んだ向こう側は鬱蒼とした森林で、身を隠す場所はいくらでもある。
狙撃には絶好の場所だ。
「!? チッ!」
ラティナも状況を悟ったらしく、地面に座り込んでいた盗賊のリーダーに蹴りを見舞って失神させた。正直、助かった。この状況で暴れられたら面倒だ。
だがこの状況はかなりまずい。【竜宮天蓋】は銃弾如きで貫通されはしないが、それだけではジリ貧だ。どうにかしてスナイパーを排除しないと、動くことも出来ない。
(どうする?)
そう思っていた矢先、対岸の森の向こうからなにかが飛んでくるのが見えた。その速度は盗賊の使っていた銃とは比較にならないほど速い。明らかになにかの魔法処置が施されているであろう弾丸が、刹那の合間に空を駆け――再度、【竜宮天蓋】の表面を直撃した。
だが結果は先ほどと同じ。大口径の弾丸は【竜宮天蓋】を撃ち抜くことが出来ず、虚しく表面で砕けただけだった。
数秒遅れてオレの耳に発砲音らしきものが届く。弾の速度が音速を超えている証拠だ。しかもかなり遠くから撃ってやがる。そしておそらく、狙撃手は一人だ。
続け様に3度目の発砲。何度撃とうがオレの【竜宮天蓋】は……いや、違う!
3度目の狙撃のターゲットはオレたちではなく、防御障壁の外にあったアリエルたちの送迎車だった。ボンネットを撃ち抜かれた結果、燃料系統を損傷したのか盛大に爆発を起こして炎上してしまう。
「車が……」
ラティナが絶望的な表情で愕然としている。
しまった。敵の目的はアリエルの殺害であると同時に、足止めでもある。事情は知らないが、彼女が時間内に領都へ戻らないとエスタール伯爵家にまずいことが起こる。敵はそれを望んでいる。つまり敵としては最悪、アリエルを殺せなくても時間稼ぎに徹して足止めするだけで目的は達成できる。
殺せれば最善。足止めできれば次善。だったら、移動手段である車を奪うのは当然だ。
となるとオレのドライグも狙らわれる!? いや、大丈夫だ。幸運にもドライグは敵から見てオレの後ろ――【竜宮天蓋】の内側にあるから破壊される心配はない。
とはいえ、いつまでもこのまま篭城している訳にはいかない。向こうはオレが魔法を解除するのをじっと待っているはずだ。
【竜宮天蓋】を展開し続けなければならないオレと、ただ待っているだけの狙撃手。どっちが先に限界を迎えるかは火を見るより明らかだ。
だが、3度に渡る狙撃によって、弾が飛んできたおおよその方向は判った。オレは【竜宮天蓋】を展開したまま<竜眼>を発動させる。
<竜眼>は視覚系の複数のスキルを合一させた複合スキル。<暗視>、<千里眼>、<魔力視>、<精霊視>、<鑑定>、<看破>等の多くの効果を有する。方角さえ判ればどんなに上手く隠れようと絶対に見逃さない。
肉眼距離500メートル――反応なし。1km――まだ見えない。2km――確認できず。
おいおい、どんだけ離れてんだよ!
さらにズームアップさせると……いた! およそ3Km。鬱蒼とした木立の向こう。岩陰に隠れるようにして大型のライフルを構える狙撃手の姿が。黒いマントを身に纏い、岩の上にライフルを乗せ、じっとスコープ越しにこちらを見ている。
あんな距離から撃ってたのか!? ゴ〇ゴも真っ青な狙撃能力。相当な腕前のスナイパーだ。かなり高レベルの<狙撃>と<射撃>スキルを持っているな。おまけに<千里眼>も。
しかもオレの<竜眼>でも姿がはっきり視えない。たぶん隠蔽系のスキルと隠形の魔法を重ね掛けして姿を隠している。オレじゃなきゃ絶対に見つけられなかっただろう。
おっと、向こうもオレに見られていることに気付いたな。ビックリしているのが動きで判るよ。
そして、スナイパーが位置を晒したらお終いだ。
オレは腰に下げていた《リンドヴルム》を引き抜いた。接近戦用の剣では3km先のスナイパーに対してはなんの役にも立たない。あの距離ではさすがに魔法も届かない。しかし――
「ライフル・モード」
オレの声に応えるように《リンドヴルム》が形態を変え、長大なライフルに変化した。それを見ていたアリエルやラティナが驚いているが、いまは構っていられない。
ライフル・モードの《リンドヴルム》であれば、あの距離ならおそらく狙える。それに加えてオレには<射撃LV100>と<狙撃LV99>がある。行けるはずだ。
だが、問題はアリエルとラティナだ。【竜宮天蓋】を発動中はこちらも障壁の外への攻撃が不可能。なので狙撃するとなると一旦、解除しなければならない。そうなると当然、2人は敵スナイパーに対して無防備になる。
「オレの後ろに伏せてください!」
オレ自身も緊張からか声に力が入ってしまい、自分でもビックリするくらい冷たい声を出してしまった。だがそのおかげで、2人は即座に、大人しく指示に従ってオレの背後へと移動した。モコを抱いたまま屈み込んだアリエルをラティナが庇っているのが気配で判る。
意を決して【竜宮天蓋】を解除。<竜眼>越しに敵スナイパーをロックオン。スキルのお陰か、直感が告げている。
当てられる――と。
そしていざ引き金を引こうとしたところで、オレは唐突に気付いてしまった。
自分が、人を殺そうとしている、という事実に。
何故このタイミングで気付くのか、間が悪いと言えば最悪だった。そう、いまオレが撃とうとしているのは魔物じゃない。種族は判らないが、れっきとした「人間」だ。ここで引き金を引けば、誰だか判らないあのスナイパーの命を奪ってしまう。オレはいま、人を殺そうとしている。
先日、この世界に来たばかりの頃に脳裏を過った可能性――それがいま、現実になろうとしていた。
オレは、人を殺めようとしている……
その事実が、オレの指先を万力のような力で押さえつけた。撃てば引き返せない。悪魔のような優しく、それでいて冷たい何者かの声が、オレの耳元で確かに囁いた。
撃てば決して償えない、永遠の罪を背負うことになるんだぞ? ――と。
けど、だからと言って目の前の現実は待ってはくれない。
オレがライフルを構えたことに、敵のスナイパーが気付いた。自分が狙われていることに。そして敵狙撃手には躊躇も葛藤もはないようだ。即座にターゲットをオレに変更し、引き金に手を掛けるのがハッキリ見えた。
それがオレの迷いを振り切った。
なにをいまさら迷っているんだ! ここで撃たなければ、オレだけじゃない、モコやアリエル、ラティナが死ぬことになるんだぞ!?
こうなることは覚悟していたじゃないか。自分や大切な者の命と、それを脅かす犯罪者の命。天秤に掛けるまでもない、と。
だったら、なにを迷う必要がある!
シン道大原則ひとつ――守るべき者の命は、すべてに優先する!
それがオレの迷いを振り切った。
オレと敵スナイパー――引き金を引いたのはおそらく同時だった。
《リンドヴルム》から放たれた魔力弾と、大型ライフルから発射された弾丸は、ほとんど同じ速度、軌道で空間を斬り裂き、オレとスナイパーとのほぼ中間地点で激突――は、しなかったが、ほとんど紙一重の誤差ですれ違い、互いの軌道をなぞる様にしてそれぞれのターゲットへと飛翔する。
あ、ヤバい。コレ当たるわ。避けないと……いや、ダメだ。後ろにはアリエルたちがいる。いまここでオレが避けたら、彼女らに当たる。なら是非もない。
避けたくなる衝動を根性で捻じ伏せ、オレはその場で不動の姿勢を保った。
引き金を引いてからこの間、おそらく1秒以下。
敵スナイパーの狙いは寸分違わず、弾丸はオレの胸を直撃した。もの凄い衝撃を近くした時にはオレの身体はその場から弾き飛ばされ、背後に伏せていたアリエルたちの頭上を飛び越えて、向こう側に停めてあったドライグの車体に背中から叩き付けられた。
「――シンさん!?」
「シン!!」
「わんわん!!」
アリエル、ラティナ、モコの悲鳴がダブって聞こえる。あまりの衝撃に肺が痙攣したのか、息が詰まって思わずせき込んだ。それと同時に強い痛みが脳を苛む。手を動かして撃たれた胸を確かめてみるが、穴は開いていない。ライフル弾で撃たれたにもかかわらず、だ。高ステータスか、それとも<物理耐性>と<銃弾耐性>のお陰か。きっと全部だろう。
それにしても、異世界に来て痛みというものを味わったのはこれが初めてだな。ならば様式美として、あのセリフを言わねばなるまい。
「これがダメージを負う感覚、痛みか?」
駆け寄ろうとしたアリエルたちがぎょっと目を剥いて固まった。まあ、撃たれたのに普通に喋ってたらそりゃびっくりするか……って、そうじゃない!
「2人とも隠れて!」
なにをのん気なこと言ってんだオレは!? スナイパーに狙われてんだぞ!?
慌てて飛び起き、アリエルたちを庇う形でライフル・モードの《リンドヴルム》を構え、<竜眼>でスナイパーの姿を探す。
相手の弾丸はオレに命中したが、オレの撃った魔力弾はどうなった?
ほどなくしてズームアップされた視界にスナイパーを捉えた。
胸に大穴を穿たれ、背後に崩れ落ちる姿を……
どうやらオレの魔力弾も命中していたらしい。結果的に相討ちになったが、ステータス差でオレは生き伸び、そして……相手は死んだ。
いや、オレが殺したんだ。この手で……
その事実が肩と腕に重くのしかかり、自然と目線と共にライフルを下ろしてしまう。
「……仕留めたのか?」
オレの胸中を知らないラティナが問いかけてきた。
「……ええ」
そう言いかけて再度視線を上げると、倒れたはずのスナイパーが震えながらも動いているのが見えた。どうやら急所は外したらしく、即死ではなかったようだ。ただ、あの傷では時間の問題だろうが……
かろうじて息のあったスナイパーは、腰の辺りからなにかを取り出していた。小さすぎてなんなのかは判らないが、おそらくは最後の力を振り絞ってそれを宙に掲げた。
いったいなにを……?
次の瞬間、オレの疑問を吹き飛ばすかのように、凄まじい爆発音が轟いた。