第13話 出発と遭遇
ベロベロベロベロ――
ベッドの上で微睡むオレの意識を強制的に覚醒させたのは、そんな感触だった。ちょっと不愉快だが、それでいて懐かしい感触。
早い話が、顔をなにかに舐め捲られている感触だ。目を閉じたまま両手を伸ばして、犯人を捕獲する。
「……おはよう、モコ」
「わんっ!」
寝ていたオレの胸の上に陣取り、顔面を舐め捲って涎塗れにしてくれた犯人は、全力で尻尾を振りながら元気いっぱいに朝の挨拶を返してきた。
見た目チワワだが、この世界では幻獣と呼ばれる神秘的な生物の一種とされるシエルカニスの子供であるモコだ。「ご主人起きた! 嬉しい!」と言わんばかりの満面の笑顔に、思わずオレまで笑顔になってしまう。
ああ、やっぱ癒されるなー。
モコの笑顔を見ている内に眠気が晴れ、靄のかかった頭がクリアになっていく。
「ああ、そうだった。オレは異世界に来たんだったな……」
昨日、一日の内に起きた記憶が蘇ってきて、オレは無意識のうちに独り言ちていた。
突然の異世界転生。初めての街と冒険者登録。昇格試験。薬草採取。そして、モコとの出会い――ついでにテンプレ絡まれ事件も。
なんというか、色々とあって物凄く濃い一日だった。
「わふ?」
「なんでもないよ」
不思議そうに首を傾げるモコの頭をナデナデしてから抱っこし、ベッドから出て部屋の窓際へと向かう。窓を開けると早朝の清々しい空気が、涼風と共にオレの頬を撫でて髪を揺らした。
異世界転移二日目の朝は、雲一つない晴天だった。
「清々しい朝だな、モコよ」
「わんっ!」
昨日の晩、オレとモコに絡んできた不良冒険者を返り討ちにした後、ギルドを後にしたオレたちは、エリーさんに教えてもらったペットOKのホテルに向かった。幸いにも部屋が空いていたお陰で問題なく一泊することが出来た。
それにしても、異世界でホテルか……普通なら宿屋なんだろうけどな。
だがホテルと言うだけあって、部屋内の設備は充実していた。ベッド。電気。水洗トイレ。テレビはもちろん、PCに洗面所に風呂まで。前世では風呂好きだったオレにとっては大変嬉しい設備だった。
テンプレ的な中世異世界転移も良いけど、あの手の世界って絶対に風呂とかトイレとか充実してないからな。読んだり見たりするのは良いけど、自分が行くのは御免だと思ってたんだ。だから自作ゲームである『ジークフリート・シリーズ』に関しても、一貫して地球と同じかそれ以上の文明レベルに設定し続けたくらいだしな。
あと何気に興味深かったのがテレビだ。チェックインした後でさっそく付けてみたら、ニュースやらローカル系の番組なんかが放映されていた。日本のそれとよく似ていたが、アナウンサーや番組司会者の服装やら、魔法に関する番組、魔物の被害を報道するニュースやらと、随所で異世界ならではの違いがあってなかなか面白かった。
そしてPCだ。信じられないことに、この世界にもインターネットが存在しているらしい。
異世界インターネット。
自分で言ってて信じられないよ。興味本位でアクセスしてみたが、地球のそれと同じでいくつものサイトが乱立していて、とても短時間では閲覧できそうもない。
ただ、昇格試験の時に冒険者専用サイトが存在しているという話を聞いたのを思い出したので、試しにアクセスしてみると、各地の支部で発行されている依頼が一覧できる上、冒険者同士が情報交換を行う為の掲示板みたいなものまで存在していた。
他にも魔物の買取価格。種類や魔核、部位の値段。募集している薬草や鉱物の価格。各支部ごとの昇格試験の日時等など。冒険者に関する様々な情報が閲覧できるようだ。
恐るべし、異世界情報化社会!
オレとしても興味はあったのだが、取り合えずその日は色々あって疲れていたので、適当に飯を食って風呂に入った上で、早々に寝ることにした。
問題だったのはモコの食事だ。見た目チワワなモコだったが、実際はシエルカニスという幻獣の子供。詳しい生態をオレは知らない。なので早速、異世界ネットで調べたところ、シエルカニスは基本的に雑食で肉でも木の実でもなんでも食べるらしい。試しに近くにあった肉屋で買った鶏肉のミンチを与えてみたところ、あっさりと完食してしまった。中々の食いしん坊っぽいし、これから色々と美味しいものを食べさせてやろうと思う。
あと風呂も嫌がらなかった。というか、むしろ気持ち良さそうだったのでこってりと洗ってやった。元々野生で暮らしていたので色々と汚れていたが、洗剤で綺麗に洗ってしっかりとドライヤーで乾かしたやったら、モコモコが超モコモコになった!
お互いに入浴を済ませてサッパリしたところで寝ることにしたのだが、一応、部屋にはペット用のベッドがあったのも関わらずオレの寝床に潜り込んで来たので、遠慮なく抱き枕になってもらった。元々毛並みの良かった上にシャワーで洗って綺麗になったモコの抱き心地はまさに極上! もうそれだけで幸せ一杯だよ。
極上の抱き枕と幸福感――ついでに疲れていたこともあって、ぐっすりと眠ることが出来た。
前世でもこうして愛犬と一緒に寝てたっけ。
で、晴れてオレは異世界生活二日目の朝を、愛犬と一緒に迎えたわけだ。
「さて、行くぞモコ!」
「わんわんっ!」
元々一晩しか取っていなかったホテルを朝一でチェックアウトしたオレたちは、ドライグと共にエンディムの街を後にした。色々とあった思い出の街だが、もとよりオレの目的はドライグでこの異世界を旅して周ることなので、一か所に長居するつもりはない。
怖い人もいるし……
出発前、ホテルのPCを使ってオレたちがいまいるこの地域のことを色々と調べておいた。
まずオレたちがいるのは『エフタル女王国』と呼ばれる国家だ。
女王国。聞きなれない単語だが、書いて字の如く代々、女性の王が統治する国家らしい。女王が治める国と聞くと華やかなイメージがあるのだが、実際は真逆で、見た目よりも中身、実力を重視した質実剛健を旨とした国なのだそうだ。
それを物語るように、国の頂点である女王自身が冒険者資格を持った、元冒険者らしい。その影響からエフタルでは冒険者になろうとする者が極端に多いとか。特に女性にその傾向が強く、他国に比べても女性冒険者な数がかなり多いのだそうだ。
昇格試験の時、女性冒険者の数が多かったのはそういう訳だったんだな。
エフタル女王国は『セレスティア』という大陸の北部全域――実質的に大陸の三分の二ほどを領土としており、東西に長い形状をしている。地図の尺度が正確であれば、おそらく地球に置けるロシアよりも広い領土を有していることになる。
国土は大きく分けて、東部、中部、西部の三つに分かれていて、オレがいまいるのは東部地域の中でも最も東の端っこ――エスタール伯爵領の一角らしい。
ちなみに領主の名前はレオナール・フォン・エスタール伯爵だ。縁は無いだろうけど知らないのも不自然だろうし、一応、覚えておこう。
基本的にエフタル女王国の東部は、未開の森林や険しい山脈が連なる自然豊かな地域なのだが、それ故に人口は少なく、反対に魔物の数は多い。王都のある中部や西部に比べると貧しい地域なのだそうだ。ここエスタール伯爵領も例外ではなく、かつてはミスリル等の希少鉱物が多く採れる鉱山がいくつも存在していて大変豊かだったらしいのだが、それらを採り尽くした後は地球に置けるゴールドラッシュと同じ末路を辿ったらしい。
領土の面積自体は日本列島よりも遥かに広いのに、人口は12万人程度しかいない。領都ですら4万人。人口2万人のエンディムの街は領都に次ぐエスタール伯爵領第二位の街だそうだ。
マジで田舎かだったんだな。いや、辺境と言った方が良いか。
まあ、別に目的地のある旅じゃないんだし、オレには関係の無い話だ。
エンディムで購入した地図によると、伯爵領の中心部を両断する形で幹線道路が走っていて、それが枝分かれして伯爵領に点在する僅かな街や集落に繋がっているようだ。
とりま、領都エスタールを目指すとするか。とはいっても、都市間の距離は普通に1000km以上あるけどな。一日で辿り着くのはいくらドライグでも不可能だ。けど幸い、間にはフィジーと言う小さな街がある。元々エスタールとエンディムを結ぶ宿場町として栄えた町だそうだ。
というわけで、最初の目的地である宿場町フィジーを目指して、オレはドライグを飛ばした。
「わふーん!」
オレの頭にしがみ付いているモコが、風に吹かれながら気持ちよさそうに鳴いている。普通に100㎞以上で飛ばしているが、全然怖がる様子が無い。以外に肝が据わっているらしい。
「気持ちいいか、モコ?」
「わんわんっ!」
ちなみに、前世でもオレはツーリングに出かけるときは常に愛犬を連れていたが、その時はペット用のリュックに入れて背負っていた。やはり風に吹かれるのが好きで、こんな風に喜んでいたっけ。
しかし、行けども行けども森と川、山ばっかりだな。人家の一軒もない。たまに対向車に会うことはあるが、ほとんどが大型のトラックやバスだった。エンディムで聞いたのだが、この道路は主に荷物、人員の輸送で使われることが大半で、オレみたいにドライブ目的で走る者はほとんどいないそうだ。
この辺りは魔物が多く生息している。ただ、道路まで出てくる魔物は滅多におらず、いても弱いものらしいが、危険であることに変わりはないからな。事実、ここへ来るまでにチラホラと魔物の姿を見かけることはあった。まあ、ドライグのスピードには追い付けなかったので普通に無視したが。
異世界でのドライブってのは命懸けなんだな。
けど、信号もない道を遠慮なく飛ばせるってのは良いな。制限速度なんてケチなものは存在しないし。魔物なんて危険生物がいるのに速度制限なんて意味無いからな。お陰でオレは現代日本では決して味わえなかった最高のツーリング気分を思うさま味わうことが出来るってわけだ。
ビバ、異世界!
だが、そんな楽しいツーリングも、そう長くは続かなかった。
「あれは、煙か?」
「わふん?」
エンディムを発って数時間。そろそろ日も中天に差し掛かり、ここいらで昼飯にしようかと考えていた矢先、進路上の森の向こうから立ち上る黒い煙が見えた。
「まさか、火事か!?」
地図が確かなら、この辺りにはまだ人家はない。となれば考えられるのは山火事。こんな一面、山林だらけの場所で山火事が起こればどうなるかなんて、オレでも容易に想像できる。アメリカとかカナダなんかの山火事は、日本とは比べ物にならないほどの規模で、村や町を焼き尽くしてしまうなんて当たり前。大きな都市でも相応の被害が出たり、避難命令が下ることもあるって話だ。
だがこの異世界に置いて、山火事はさらに最悪な事態を引き起こすことがある。
魔物の連鎖暴走だ。
火事から逃れようとした魔物が周辺地域へ移動し、それが連鎖して大規模な連鎖暴走を引き起こすことがあると、ネットにも書いてあった。
大規模な山火事と連鎖暴走。これが同時に起これば、数万人規模の都市でさえ滅ぶことがあるという。
最悪の事態も有り得る。オレは急いで煙の出所へ向かってドライグを飛ばした。
だが、見えてきたのは思っていたのとはまったく違う光景だった。
「なんだこりゃ……事故か?」
そこにあったのは、大破した二台の黒い乗用車だった。
一台は道路脇の樹木に突っ込んで大破し、もう一台は道路のど真ん中でひっくり返っている。燃えていたのは後者の車だった。道路の中央、森林からは離れていたので燃え移る心配はなさそうだが、風向きによっては万が一も有り得るので水魔法で消火しておく。
車の向きからして、ちょうどオレと同じ方向に走っていたらしい。残念ながら乗っていた人間たちは全員が亡くなっていた。木に突っ込んでいた車の運転手と助手席の同乗者は既に息が無く、燃えていた方の車に至っては……まあ、そういうことだ。
吐きそうになったよ……
「接触事故を起こした……訳じゃなさそうだな」
現場を見て、オレはすぐに単なる事故ではないと確信した。何故かって? 樹木に突っ込んでいた車の運転手と同乗者は、銃を持ったまま死んでいたからだ。
「魔物に襲われたのか? それとも、お互いに銃撃カーチェイスの末に共倒れになったか……」
詳しいことは判らないが、単なる交通事故ではなく戦闘があったのは確かだ。
さて、こういう時はどうしたら良いんだろう? 警察――いや、憲兵に通報か? いやでも、通報しようにも携帯もスマホも持ってないし……マジでどうするべ?
そんなことで頭を悩ませていた時、不意にオレの耳に遠くの方から銃声と――衝撃音のようなものが届いた。さらにけたたましいエンジン音に、タイヤの軋む音も。
ただ車を走らせているだけなら絶対にあり得ない、異常な音が連鎖しながらオレの位置から遠ざかっていくのが判る。まず間違いなく、この二台と関係があると直感した。
「行くぞ、モコ!」
「わんっ!」
すぐさまオレはドライグを走らせて異音の出所を追った。その間も衝突音や銃撃音が何度も続いている。激しく嘶くエンジン音……それが2つ聞こえる。
「カーチェイスでもしてんのか?」
猛スピードで走る2つのエンジン音に銃声とくれば、それしか思いつかない。まったく、平和な異世界の幹線道路で物騒な真似しやがって。
向こうも猛スピードで飛ばしているようだが、ドライグのスピードには及ばなかったらしく、戦闘音が徐々に近くなっていき、やがて視界に飛び込んできた。
「……あれは!?」
最初に見えたのは、禍々しいデザインの緑色の車体の車。形状としてはスポーツカーに近いが、それに比べてかなり大型で、通常の1.5倍ほどもある。その進行方向には、向こうでクラッシュしていたのと同じタイプの車が、緑色のスポーツカーから逃げるようにして走っており、運転手が窓から後続のスポーツカーに向けて銃を撃っている。
どうやら緑色のスポーツカーが黒い車を襲い、追いかけ回しているらしい。逃げている黒い車がさっき事故ってたのと同じ車種であるところを見るに、あれをやったのもあの緑色のスポーツカーだな。
やれやれ、放っては置けないな。ひとまず、助けるとするか。
「モコ、しっかり掴まってろよ!」
「わんっ!!」
オレはさらにアクセルを吹かして、カーチェイスを繰り広げている2台との距離を詰めた。充分に近づいたところで、こちらの存在を教える為にクラクションを鳴らす。
最初に反応したのは緑色のスポーツカー。思った通り、オレが真後ろに位置していたにも関わらず急ブレーキを掛けてきた。衝突寸前で急ハンドルを切って回避する。奴が急ブレーキを掛けたおかげで、労せず黒い車との距離が一時的に開けることが出来た。
オレはそのままスピードを上げ、追われていた黒い車にドライグを横づけで並走させる。
運転していたのは黒いショートヘアをした若い女性だった。突然現れたオレに驚愕と混乱の入り混じった視線を向けてくる。前見て走れよ。
「オレが奴の相手をしますから、このまま走り続けてください!」
「……すまない!」
一瞬の逡巡のあと、女性はオレの言葉に従ってスピードを上げた。ふと視線をずらすと、黒い車の後部座席にもう1人、女の子が乗っているのに気付く。長い金髪をした少女。たぶん、オレと同い年くらいの。驚いた様子で窓に手を掛けながらオレの方を見ていたが、いまは構っていられない。
後ろの方でけたたましいエンジン音が轟いた。さっき引き離した緑色のスポーツカーが、猛然と追い縋ってくるのが見える。
いや、実際にはアレは車ではない。それを証明するかのように、オレの視界に緑色のスポーツカーの正体が表示される。
ダムド・チェイサー LV45
そう、あれはれっきとした魔物なのだ。車型の魔物。
もちろん、オレのデザインした『シン・ジークフリート』のモンスターだ。
なにが目的かは知らないが、人を襲う魔物を放置することは出来ない。
けど、ちょうど良い機会かもしれない。
オレは愛車であり、ある意味では相棒でもあるドライグを見下ろした。
ドライグの性能試すのに、あいつはある意味では最高の相手と言えるだろう。
なにしろ車VS車なんだから。
「来い! お前に交通ルールを叩き込んでやる!」