婚約破棄は「なるはやでよしなに」
「エステラ! おまえとの婚約を破棄する! わたしは、ここにいるマリアと結婚することを決意した。どうか、悪く思わないでくれ!」
わたし――エステラ・ベニントン侯爵令嬢――は、婚約破棄を言い渡されても別に驚かなかった。
最近、第三王子のエドマンド殿下は、婚約者であるわたしではなく、マリアばかりを連れ歩いていると評判だったから――。
マリアは、親戚筋からリネハン男爵家の養女となった、いわゆる「魅力的な女性」である。
実は、リネハン男爵の隠し子なのでは――という噂もある。
「そうですか……。では、諸々の手続きについては、『なるはやでよしなに』ということですね?」
エドマンド殿下とマリアが、ぽかんとした顔でわたしを見ていた。
二人だけではない。この婚約破棄宣言に注目していた、醜聞好きの夜会の参加者たちも、わたしの言葉に首を傾げていた。
やってしまった……。
できるだけ感情を表に出さず事務的に――、なんて思ったせいで、この世界では使わないように気をつけていた、オジサン用語をつい口にしてしまった……。
実は、わたしは前世の記憶持ちの転生者なのである。
前世のわたしは、わたし以外の社員はすべてオジサンという、ある工務店の事務員だった。
そこではいつも、「なるはやでお願い!」とか「よしなに頼むよ!」といった言葉が飛び交っていた。
勤めたばかりの頃は意味がわからず、言われても生返事をしていたが、少しずつオジサンたちのやりとりから学び、これらの言葉に慣れていった。
就職から一年もたった頃には、自分も結構使いこなしていたと思う。
その後、ちょっとした事故で命を落としてしまったのだが――。
「ええっと……、婚約破棄の手続きについては、なるべく急ぎで、ちょうど良い感じに処理しておきます――という意味ですわ」
「ああ、そういうことか……。『ナルハヤデヨシナニ』とな……。うむ、それで良い!」
何が、どう良いのかわからなかったが、王子妃教育で世話になった人々に挨拶に行ったり、貴族会議に婚約の解消を報告したり、エドマンド殿下が面倒くさがりそうなことをこちらがやっておけば良いのだろうと考えた。
時間を惜しんだわたしは、「お開き」になるのを待たずに夜会の会場から退出した。
◇
屋敷に帰ると、わたしは、さっそく婚約破棄の件を父であるベニントン侯爵に報告した。
話を聞きおえた父は、複雑な表情をした。
「エドマンド殿下がマリア嬢に夢中だという話は、わたしの耳にも届いている。じきに飽きておまえの元へ戻ってくると思っていたのだが――」
「夜会の場で婚約破棄を宣言されたのですから、もうわたしとよりを戻すおつもりはないのだと思いますわ。『正直ベース』で申しまして、結婚前に殿下のご性癖がわかって良かったのかな――と」
「ショウジキベース?」
また言ってしまった――。
どうやら一度使い始めてしまうと、何でもそれで表現したくなるのが、オジサン用語というものらしい。
わたしは、慌てて口元に手を当てたが、父は、何度も口の中で「ショウジキベース」「ショウジキベース」と呪文のようにつぶやいていた。
「ええっと、『正直に』と同じ意味ですが、『ベース』をつけるとちょっと柔らかな言い方になりますの。殿下に対して、その程度の配慮は必要かと思いまして」
「そういうことか――。『正直ベース』……なるほどな」
なんで納得してくれたのかはわからなかったが、「ベース」を詳しく説明することになったら大変だったので、話がそこで終わって少しばかりホッとした。
執事を呼んで、婚約に関連した様々な承諾書や証明書などを集めさせた。
侍従か祐筆が書いたに違いない、エドマンド殿下からの「愛に満ちたお手紙」もそこに紛れ込ませた。
「これですべてかしら? とりあえず、今ある分は『ガッチャンコ』しておいてちょうだい」
「ガッチャンコ?」
執事が、書類を抱えて戸惑った顔をした。
(しまった!)と思ったが、執事が相手なので今回は開き直ることにした。
「『ガッチャンコ』よ、『ガッチャンコ』! わかるでしょう? 一つにまとめるということよ!」
「そういうことですか! 『ガッチャンコ』でございますね。『ガッチャンコ』と――」
執事は、まとめた書類を両手でパンパンと挟む動作をした。
(ちょっと違うのよね!)と思ったが、この世界には語源となったステープラーが存在しないので、余計なことを言うのはやめておいた。
わたしは、自室へ移動し、エドマンド殿下から贈られた首飾りや髪飾りを箱にまとめた。
「王族たちの散財により、王家の財政はかなり逼迫している」という話は、わたしも聞いたことがある。
だから、これらの購入費用には、おそらく大資産家である我が家から王家に納めた、「結婚準備金」が当てられているに違いない。
「エドマンド殿下は、わたしとの婚約を破棄しさえすれば、『エイヤ』でマリアとの結婚話を進められると思っているらしいけれど、そう上手くいくものかしら?」
また、うっかり使ってしまったが、部屋には、たまたまわたし一人しかいなかったので、今回は誰にも説明する必要はなかった。だが――、
(『エイヤ』は確か、きちんとした計算もなく、勢いに乗ってやってしまう感じのことよね)
――と、いちおう心の中で確認だけはしておいた。
明日からしばらくの間は、婚約破棄をめぐってゴタゴタが続くだろうと思われた。
エドマンド殿下の身勝手を、国王陛下や王妃様が黙って見過ごすはずはない。
王家にとって、わが侯爵家は大事な金蔓なのだから――。
◇
案の定、次の日、国王陛下のお召しによって父と母は王宮へ出かけていった。
陛下自ら、エドマンド殿下の愚行について、父と母に謝罪をしておきたいということのようだった。
わたしは、体調を崩し寝付いてしまったことにして屋敷に残った。
婚約破棄騒動を聞きつけた知人が、さっそく「見舞い」と称して訪ねてきた。
ローダム公爵令嬢のドロシア様とその兄で次期公爵のクリフォード様だ。
「とんだ目にあったわね、エステラ! エドマンド殿下にも困ったものだわ。まんまと男爵家とマリアの罠にはまってしまうなんて――。実情も知らず、王家と繋がりたがっている下級貴族が、この国にはうじゃうじゃいるのよね!」
「いやいや、これで良かったのかもしれないよ、エステラ。いずれエドマンド殿下は、辺境の王領をちょびっとだけ与えられ、名ばかりの公爵として王宮から追い出されることが決まっていたからね」
「王子としては、『ダメ確』ってことですね?」
ああ、またまたつい……。
しかし、なぜかドロシア様もクリフォード様も、当然という顔でうなずいている……。
ど、どういうことよ!?
「わたしは、貴族会議をとりまとめ、『全員野球』で王家に反省を促すべきだと思う!」
「えっ!? 今、何ておっしゃいました!? クリフォード様?」
「だいたい、ベニントン侯爵家に借財の肩代わりをさせ、なんとか体面を保っているに過ぎない王家をこのままにしておくのは間違っていますわ!
ここは、王位継承者についても、『ガラガラポン』で見直す必要がありましてよ!」
「ちょっと!? ドロシア様、あの『ガラガラポン』って、いったい――?」
その後もお二人は、わたしがいることなど忘れたように、「この問題の『一丁目一番地』は」とか「ずっと『交通整理』の必要性を感じていた」とか、オジサン用語を巧みに使い、王家や王宮組織の現状について意見を戦わせていた。
この世界には、わたしと同じような前世の記憶を持った転生者がけっこういるらしい。
考えてみれば、身分違いの公爵家の兄妹が、いくらわたしが養護院の慈善市で売った「きなこ飴」が美味しかったからと言って、それだけでこんなに親しくしてくれるはずがなかった。
たぶん、気づかれていたのだろう――。
わたしが、彼らと同じオジサン用語に通じた転生者であることに――。
そして、なぜか、旧態依然とした王宮の改革を企む彼らに目をつけられてしまったのだ。
そういえば、わたしは、慈善市の収益をまとめるときも、「売り上げは、『ほぼほぼ』目標に達しましたわ」とか、嬉しそうに言ってしまった気がする――。
「とにかく、エステラはどこかへ静養にでも出かけて、少しのんびりなさい。お兄様とわたしが、留守の間に『なるはやで』片付けておくから――」
「ああ、何の心配もいらないよ! あちこち回って『よしなに』頼んでおくからね」
わたしは、二人に何もかも任せることにした。
前世でも、オジサンたちはごちゃごちゃ言いながらも、何とか困り事を解決していたから――。
◇
わたしが、静養先から屋敷に戻ったときには、状況は一変していた。
王宮の乱れと国庫金の無駄遣いの責任を取り、国王陛下の退位が決まっていた。
退位後は、王妃様と一緒に国の外れの離宮でほそぼそと隠居生活を送るそうだ。
王太子殿下と第二王子殿下は、ご家族共々さほど実入りの良くない王領で弱小公爵として暮らすことになった。子どもたちも含め全員王位継承権は、剥奪された。
もちろんエドマンド殿下は、マリアとの結婚を許され、男爵家の部屋住みあつかいとなり王宮から放り出された。
そして、貴族会議の決定により、新たに王太子となり次期国王に決まったのは、クリフォード様だった。
王家との血縁など、彼には、王位継承者としての条件が揃っていたらしい。
公爵家の方は、ドロシア様が婿をとって継ぐことになった。
そして、わたしは――。
「わ、わたしが、王太子妃、ゆくゆくは王妃になるのですか!?」
「そうだよ、エステラ! 君は堅実で有能な事務員……じゃなくて女性だ! この潰れかけた会社……じゃなくて王家を、わたしと一緒に立て直してくれないか?」
わたしの目の前にいるクリフォード様は、若く美しい上位貴族の青年だ。
だけど、前世に居酒屋の片隅で、わたしを同じようなセリフで口説いていた副社長は、こんなに格好良くはなくて――。まさかね――。
余計なことは思い出すまい! 「それはそれ、これはこれ」だ!
わたしは、心を決めた。
「承知いたしました! 皆様のご期待に十分にお応えできるか自信はありませんが、そのお役目、精一杯務めさせていただきます!」
◇
こうしてわたしは、王太子妃に、そして、ほどなくして王妃となった。
幸いローダム公爵家や父の支援もあって、国の財政は健全化しつつある。
わがままで浪費家な旧王家の人々が一掃されたおかげで、王宮で働く侍従たちもやる気と明るさを取り戻していた。
「『実際問題』としてだな、隣国との関係は――」
「おーい! 離宮の修理の件、今だれが『ボール持ってるんだ?』」
陛下とわたし、そして、ちょくちょく王宮へやって来るドロシアが当然のように使っていたせいで、オジサン用語はあっという間に王宮に浸透してしまった。
わたしは、前世の工務店に舞い戻ったのではないかと思うことがときどきあった。
そんなある日、新規に侍従として取り立てられた者たちが、王宮へ出仕してきた。
陛下に拝謁した後、職務への意気込みのようなものをドロシアが尋ねたところ、なぜか力一杯挙手した若い侍従がいたので、その者に話をさせてみることにした。
彼は、緊張感で乾いた唇をひとなめしてから、声を張り上げて言った。
「わたくしは、これからは王宮の業務においても、ダイバーシティを重視していくべきであると思います。侍従一人一人の適性に応じ、ワークシェアリングを徹底することはもちろん、各自のモチベーションを――」
ああ……。
どうやら異世界ではまた、オジサン用語に代わる新たなナゾの用語の潮流が生まれているらしい……わね。
最後までお読みくださりありがとうございました。
すぐに新味がなくなりそうなネタなので、公開は期間限定にする予定です。