新学期と変わらない状況
元カレに騙されて振られてからというものの、冬休みが始まるまでは、ただでさえ被害者側の私が先生からの過剰な制裁に苦しめられたが、それでも恩人は私に、明るくて元気な私を取り戻してほしいと、いつも私のそばにいてくれた。
恩人が私のことで先生に色々注意されても彼はめげずに、いつも私を励ましてくれていた。
月日は流れて、高校2年生になってしばらくして、恩人へのいじめが始まってしまったようだ。
恩人は、卒業する最後まで、いじめられてることに気づかないまま過ごしてしまうのであった。
いじめが始まったある日のこと…
担当の先生にディスられてばかりで、精神的にキツい状況と、元カレへの復讐へと費やしていたのもあって、今の私にしてはバカバカしいと思えるくらい、精神的な状況はピークを迎えている前のところだった。
高2の時になると彼は、私の良いところをたくさん見つけてくれたりしてくれた。
見ていたアニメの話しで盛りあがったりもした。
そんなある日、高1の時のマラソン大会の後で絆を深め合って、高2からは同じクラスになったクラスメイトの友達から、何故?と思うくらいの事を言われた。
「○(恩人)さんには関わらないほうがいいよ」
なぜにそうなるんだ?彼のどこが気に入らないのがよく分からないまま、これはいつも疑問に思っていた事だ。
それでも、言われたことは気にせずに彼といつも通りにすごしていた。
高校3年生になった春、私は、この状況をどうにかしようと立ち上がった。
私を散々のようにディスっていた担当の先生も、新学期前の3学期に、休み時間にピアノを弾いていた男子生徒をディスっていたのが祟ってか、その男子生徒に殴られたようだか、私以外にもディスられていた人がいたので、その報いが来たのかと思うと、当時「まぁ、因果応報だね」と思っていた。
つまり、「やったらやり返される」ということにもなるので、高3の新学期には引き続き、2年生の担当の先生もやることになり、3年生の先生も一新して1年生の時からの担任の先生と学年主任と共に、快適で楽しい1年を迎える事になった。
しかも、高3は2学期末に修学旅行もあるので、とてもワクワクしていた。
新学期から、クラスメイトの男子がクラス替え発表の時に、思いもよらぬ発言をした。
「うわっ…、○(恩人)さんと一緒かよ」
もうその発言自体がいじめだ。
その人は、学年の中で不必要によくしゃべりよく動く、いわゆる多動タイプの人で陽キャだ。
3年生になってようやく明るみに、恩人へのいじめが加速しはじめていた。
まるで、小学5年生だった頃の、あの時の私だったみたいに…。
恩人には、当時の私と同じ思いをさせたくなかったので、この状況を伝えるべく、恩人はしっかりと伝えていた。
彼の障がいの状況を理解しつつも、時には少し冷たくあしらうこともあったが、それも彼の為だ。
この状況を少しでも理解して貰う為には必要なことでもあった。
彼は大きな音が苦手だ。
姉の彼氏も、大きな音が苦手なのは似ていると感じていた。
彼なりに、嫌だと伝える為に「静かにしようよ」と騒がしくしているクラスの皆に注意してくれたりはしてくれていたが、クラスや学年の皆は彼のどこが気に入らないのかがよく分からないように思えた。
結局、先生に相談してもダメだったので、ほぼ私1人でこの問題を解決しようと動いていた。
だが、言いたいことがあっても言えなかったことも多々あったので後悔している所もある。
言ったところで、「言い過ぎ」とか「余計な一言」と言われるのが嫌だったがらだ。
先生も「○(恩人)さんにも悪いところがある」と言っていたが、それで解決するのだろうか?と常に思っていた。
結論を言うと、先生達は、このいじめを見て見ぬふりをしていた事になる
そもそも、いじめアンケートをやる回数が少なすぎる故に、アンケートの実施回数も少ないし書き込める機会が無すぎたからだ。
仲の良い友達3人には、恩人のことは「クラスの皆が思っている程、悪い人じゃないし、とても良い人だから今まで通り仲良く接してあげて」と言ったので、仲の良い友達の3人は、私の働きかけによって今まで通りに恩人に接していたようだ。
仲の良い友達3人の中の1人は、病弱で学校にあまり来れていなかったので、いじめがあったことは当然だが分からなかっただろう。
仲の良い友達以外のクラスの皆が、恩人へのいじめをしていて分かったことは、この場所でも陽キャ軍団達があきらかに異質な者を排除しているということだ。
修学旅行中はその雰囲気はなかったが、その時の状況は知らないので、楽しんでる感じはあったようだ。
関わらないほうがいい と言った人もどうにかしているが、そもそも、そのいじめの主犯者は誰だろうか?
その主犯者が分からないままの最後の3学期を迎えた。