真実
障がいを持っている人達の為の学び舎でもある特別支援学校。
私が通っていた特別支援学校は、隣側の市に小等部~高等部まである本校があり、高等部の入学者の増加により新たに作られた分校という所になる。
分校も本校も雄大なる富士山がいつでも見渡せる位置にあるが、交通の便には不便な所があるということには変わりはないようだ。
その分校の中での私がいた学年では、2年の途中から卒業する最後まで 学年同士での陰湿な集団いじめ があった。
いじめのターゲットにされたのは、私の恩人だった。
特別支援学校だと、障がいの程度が最も重い人の粗暴な行為よるいじめ以外は、いじめがほぼ無くてクラスや学年全員と仲良く過ごせたりすることが多いが、私のいた学年では、表面上では仲の良い感じでいつも賑わっていた感じではあったが、その裏ではいじめがあったということを私以外はまだ誰も知らない。
その上、分校は障がいの程度が軽い生徒が在籍しているのがほとんどだ。
私自身、高校1年生だった時に当時交際していた人との恋愛での不祥事で、私は被害者側なのにも関わらず、加害者側(元彼)を援護して被害者側には圧力をかけて責め立てる教師に絶望して、教師が加害者の意思を尊重するなら、私が責任を持って退学をするつもりでいた。
元彼に騙された挙句に振られた時のショックで落ち込んで精神的に再び病んでいた時に、恩人は教師の圧力にも負けずにいつもの通りに話し掛けてくれたりして隣で支えてくれていた。
もちろんだが、私の友達やクラスの皆も面白いことをしたりして何かと励ましてくれたりしたので、感謝はしている。
そんなある日、仲良い友人3人以外の学年全員による恩人へのいじめが始まったようだ。
私は、ある言葉をクラスで仲の良い人からの発言でいじめがあることに気づいた。
「○(恩人)さんには関わらないほうがいいよ。」
最初は何故そうなったのかがよく分からなったが、思い当たる節は所々あった。
恩人は、誰よりも聴覚の他にも過敏な所があるので、姉の彼氏と同じ所があるということを考えると、そうゆう配慮や心がけや注意を受け入れることだってできたはず。
何より、本人が不快に感じる音や音量と騒がしさであることには変わりはないからだ。
その時の私は、あの時の当時の私と同じような状況に立たされてる事を察した私は、今の私にできることをすべく恩人をいじめから救う為に立ち向かうことにした。
そのいじめは、卒業する時まで続いた。