Ep.2 道のり
まさか、数時間歩いても辿り着かないなんてあるか。
──それはそうだ、ここは異世界なのだから。
忙しい時間の中に生きる現代人にとっては、あまりにもゆったりとした感覚が逆にツライ。
バカンスでゆったりしたい!まったり過ごしたい!……と言う考えの人々は少なく無い。
だが、本当の意味でのゆっくりを求めてる人は少ないだろう。どれだけ取り繕っても、文明という時間短縮の恩恵を享受するしかない現代は、あらゆるものが時短に溢れているのだから。
たとえスローライフの為に都会から田舎に移り住んだとして、当然電話は使うだろう。それを利用しネットを見たり誰かと話したりするだろう。
ある意味ではそれも時短なのだ、相手の声を聴くのにはるばる行脚しようなどとは思うまい。田舎と言えど当然車にバスや電車はある、わざわざ二本の棒で歩き時間を弄ぶ時代遅れがどこにいようか。
──その時代遅れが、僕とハルなのだけど。
しかしこの世界の時代背景に照らせば、移動手段に徒歩を選ぶのは何もおかしくは無い。むしろナチュラルとも言える。
けれど昨日までは確かに現代に生きていた僕……サクラにとっては、まるで修行の域に近い。
歩き疲れることは無いにせよ、精神は既にズタボロの障子のようだった。何かアクシデントが起こればビリっと上から下まで引き裂かれそうな危うさがある。
歩き続ける僕達は、たまに会話を交える。
「最初は『運動が楽しい〜』とか言ってたのにね!おにぃは弱いな〜」
「否定できないのがなんとも……」
「だから“背が小ちゃい”んだよ〜」
「はぁっ!?」
「おっ元気になった!」
ハルのからかいに反撃する気力など無い、そう思っていたのだが。言霊の力は時に恐ろしい。
禁句リストの一つ[背が小さい]を言われた僕は思わず真横のハルを睨みつけた。
なぜ人はこう愚かにも誰かを苛立たせる様な事をするのだと、思わずスケールを飛び越した考えをする程度にはイラついた。
僕よりたった頭が一つ飛び抜けてる(物理)だけで、調子に乗るな!そう吐き捨ててやりたい気分だった。
しかし我慢しろ、それが大人の対応……と踏み止まろうとした──
すりすりっ……
ハルが僕の頭を撫でつける。
「ははは〜おにぃは“可愛い”なぁ〜」
「……そう言えば、今日の晩御飯どうしましょうか。今、不幸にも手元に何も無いんですよね」
「な、なんでもな〜い」
「今丁度、”僕より大きな”お肉がすぐ側にあるみたいなんですが……」
「ブラックすぎるってばもう〜!笑えないって!」
何事もない様な会話に見せかけつつ、確実な怒りをぶつけて反撃してやる。
声を荒げ無かっただけ偉いと自分を褒めてやってもいいだろう、とは言え流石に冗談だ。
──ちょっとキツ過ぎるぐらいの。
それとは別に禁止ワードの一つ[可愛い]を言われた事は一日中忘れるつもりはない。
というか会話するぐらいしか今の所娯楽がないのだ。たとえ煽られイラついても、適度な距離感で会話し続けるしかないのが現状。
その為、刺激として怒ったりすることも今は悪くはないとさえ思えている。
禁止ワードは他にもあるが、ハルは本気で言ってはならない様な事をは言わない。限りなくギリギリのラインまで攻めてくるだけなので、正直どんなに怒ろうが半分冗談の様な感覚があった。
「でもホラ、周りを見てみようよ。もっと視野を広くしてさっ」
「周りを?」
「すっごい綺麗じゃないかな?元の世界では見られなかったと思うんだよね」
「はぁ、なるほど……」
期待せず、言われるがまま辺りに意識を向ける。
──確かに、これは……
バケツで塗り潰した様な鮮やかな空に、水彩の様な雲があり。一面に広がる自然の大地は緑の息吹を感じる若々しさに満ち溢れており、どこを切り取っても美しい風景が広がっている。
見たことの無い渡り鳥の群れが真上を横切り、見たことの無い生き物が草の隙間から見え隠れする。ふたりぼっちの旅だというのに寂しさの感じられないこの空間は、まるで元いた場所とは別世界だ。実際そうなのだけど、それを色濃く感じたのが特にこの瞬間だった。
その光景は、現代の鎖に縛られていた僕の心を優しくほぐしてくれる。
気持ちが安らぎどこか安心感に包まれる感覚が芽生えると、先程まで慌ただしかった心は既に寝静まってしまった様だ。なんだか怒っていた自分が馬鹿馬鹿しく感じられる。
よくある話、「宇宙を想像してみると自分がちっぽけな存在に思えて、安心する」など耳にする事がある。それに近しいのだろう、学歴や友人関係にミライの不安など、いずれからも遠くかけ離れた未知なる異世界の空気が全てをどうでも良くさせてくれた。
唯一の未練は母ぐらいだが、あの人ならなんとかなるだろうと思う。
かなり間抜けな面をしていた様で、ハルが心配してくる。
「うわ、すっごい変な顔してるよ。大丈夫?」
「あ……はい」
上の空だった、そしてなんと素晴らしいんだと思う。
正直今もコンクリートジャングルに囲まれた生活も悪く無いと思うし、やや恋しい気持ちはある。まぁ大半がゲームや漫画など娯楽に関する事だが。
けれどなんだろう、自分の人生が始まった様な心地よく不思議な感覚……。それには敵わなかった。
「もしかして、結構気に入った?」
「はい、なんだか落ち着いたみたいです」
「それじゃもう大丈夫なんだね!まだ歩ける?」
──勿論、とそう答える。
まるで無敵モードの今の心を、一体誰が止められるのだろうかとさえ思う。
「……おにぃ、ちょっと背縮んだ?」
「今すぐ煮込み鍋の具材にしてやりましょうかっ!?」
「いや本当だよ?」
「……え?」
「嘘じゃ無いよ……気のせいだと思うけど、落ち着いたら落ち着いたら身長測ってみた方がいいよ?」
無敵モード、わずか十数秒で終了。
「ちょっと、そうしてみます……」
この一言を皮切りに、テンションはだだ下がり。
そのまま僕らは無言で歩き続けていた。まるで目の前に広がる景色の美麗さに無理やり酔う様にして、少しすると田園地帯が見える。
そこで再びテンションが舞い戻った。
そこにあったのは、稲、稲、稲。
若い色をした稲穂がズラリと立ち並んでいた。それぞれが風に揺られながら綺羅露の宝石を纏い、照らされた海の地平の様にキラキラと輝き放っていた。
紛れもない米である。
「お米だ……」
「お、おにぃ。お米好きだもんね!」
毎食米を入れねば気がすまない程には米が好きだったので、これには思わずニヤリとしてしまう。
気色悪そうにハルがこちらをみるが気にしない、米に肉、米に魚、米に納豆、米に味噌汁、米に漬物。
米は全てを受け入れる万能食なのだ。
「でも確かに、てっきり異世界ってこうパン過激派の世界だと思ってたから意外かも」
過激派、というのはどうだろうか。
しかし事実、僕も似た様なことを事を想像していた為に嬉しさの反動は凄まじい。
パンは嫌いでは無いが、米と比べると可哀想なくらい好感度が違うのだ。
この世界の食事状は知り得ないにせよ、これは僕の中で大きな進展だった。なんだか勇気さえ沸く。
「なんか元気出てきました」
「良かった〜」
「もう余計なこと言わないでくださいよ?」
「ごめんごめんって!」
そうして相変わらず僕達は、歩みを進めるのだった。
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──数時間経過。
清い青が、深い紅に移ろう空模様。
境界のヴィーナスベルトは美しいピンクで、自然の神秘を感じていた。
その頃には、街の風景が視界を占める割合の広い所となっていた。
スマホやPCなどの画面から同じ景色を見れば、さっと目に留めすぐスクロールしてしまう程度に些細なモノかもしれない。
しかしこれ以上ない大画面、視界を飛び出すほど繋がる様なリアルで体験する身からすれば、何もかもが違った。臨場感などという表現を用いる必要のない程、現実の光景は、ぎゅっと僕らの心を掴んでいる。
以前コレを「灰色の建物」的に表現したのが恥ずかしくなってしまうほどだ。
遠巻きに見ても、街の外壁は視界の右から左を余裕で横断する程に長く、そして僕が何十人重なろうが超えられない程に高い。
──堅牢、まるで重戦車の装甲を張り合わせた様に厳ついグレーの壁は、何物も貫けないだろう。その壁は、街を守ると言う強固な意思をまさに体で表現した様な、要塞という二つ名すら乏しく思えるほど見事なものだった。
高度のある外壁から飛び出した建物は恐らく城と呼ぶべきモノで、いくつか見える塔の先は三角に尖っている定番の造りになっている。
空色に混じる様に赤く霞んでいることから、ここから遠い街の奥にあるものだと推測される。
それ以外には城に向かうややせり上がった地形が見える。
恐らく街を進むにつれ坂なども現れて、そこを登りきった所に王族の居住地でもあるのだろうか。
外壁にガッチリ視線を阻まれてしまい、全体像はまるで見えない。街の様子はどんなものだろうと、いくらでも想像を働かせてしまうのがもどかしく思える。
「異世界の建物ってカンジだよね〜、まさに!」
「えぇ」
やや気の抜けた返事だった。
職人たちの魂が籠った住宅やビル群などを普段から素通りする程度に、建築に興味のない僕が考えてしまう程の景色。
正確に言えば、元の世界での気苦労が消えたことにより心に余裕が出来た結果、周りに対し深い意識を向ける事が出来る様になった──というべきか。
今更ながらに昨日までの僕は、自分自身のことを考えるのに精一杯だったと思う。
「珍しいね、おにぃがじっとなにか見てるのって」
「はは。僕も、思いました」
気付けば日が落ち、辺りは深い青の空気に包まれている。
「もう夜だね〜」
「ほんとですね、時間の流れが早い……というか、よくずっと歩いてましたね僕達」
「ね!起きた時が多分お昼だったでしょ?流石に私でも夜まで歩いたら疲れるはずなのに……」
「僕ですらピンピンしてますからね」
「だよね!?やっぱりこれって異世界の、こう、チートみたいな感じじゃないかな!」
なワケと思う、しかし流石に疲れなさ過ぎる。
本来の僕であれば一時間も歩けば既に虫の息であるだろう、精神さえ磨り減ることはあったが、体は自分のモノか疑わしい程に元気だった。
僕達が、異世界の何かしらの恩恵を受けているのは確実だった。
あながちチートというのもあり得ない話ではない。
とはいえ道中様々なことを試すが、別にジャンプ力が高くなるわけでもなく、力がみなぎるワケでもなかった。体が軽く、疲れない。コレだけでも十分に恐ろしいと思うのだけど、どこかそれ以上の何かを期待した自分が居たことは確かだった。
「まぁ、なくはないと思います」
「でしょ!?魔法とかも使えちゃったりとかするのかな〜!?」
「はは、なんですか?こう手を出して……明かりでも出してみますか?」
ポワッ……
冗談のつもりだったのに。
左の手のひらから、ゆらゆらとマッチの火程度の大きさをした光の玉が現れた。それ以上の表現がない程の『玉』だった。
その小ささとは対照的な場違いな光量が、隣にいる柊の足先までを照らす。
「「…………」」
長い長い沈黙だった。
驚き、喜び、驚き、驚き、驚き……と、ほぼ九割を驚きが占める心の中。
沈黙が長引く程に、驚きが少しずつ鳴りを潜める。そこで第一声。
「へっ?」
僕のマヌケな声がかすかに響いたと思えば、すぐ闇に吸われる。
ともかくこの一言を皮切りに感情が爆発する二人。
「えっ、今、え、これなんですかっ、なんですかこの光!?」
「魔法だよっ!これ魔法だよっ!すごいよおにぃ!」
「えっ、これ魔法?魔法ですかこれっ!?ええっなんでっ!」
「これどうやったの!?ねぇねぇ教えてよっ!私も知りたいっ!」
「いやなんか勝手に、気づいたらっ……うわっ魔法だっ!うわわっー!」
なんて雑な会話、それほど浮かれていた。
魔法なんて聞いた事しかない、架空の何かだと思っていたのに。それが今僕はこうしてワケもわからず魔法を行使している。この明るさがそのショウメイだ。
まるで子供の様にはしゃぐ僕らは、側から見れば変態コンビかもしれない。
しかし関係なんてない、だって魔法なんだから、はしゃぐことなんて全然おかしくない。むしろ驚かない方が異常だとさえ言える。
けれどその時間も長くはなかった。
パァッ……
光の玉はさらに小さい玉に分裂すると、お風呂に入れた入浴剤の様に粒子となって消滅する。
「あっ」
「消えたね」
闇が消えた光に取って代わる様に目の前を覆う。
既に互いの顔すら認識できないほどの暗さに、言い知れぬ恐怖を感じた。
目印は、目と鼻の先にある街から微かに漏れる光だけで、それ以外は全てが黒だった。
なぜかと思うほど、先程の態度に反して落ち着いていた僕達は、ひたすら光の方を蛾の様に目指す。
現代人にとってはなれない闇が、無性に心に不安の影を落とした。
無言でいる事でより恐怖に染まってしまうのに、何故だか話すこともなかった。
先程の魔法は何だったのか、再び念じてみるが何も起きず。ハルも無駄に突っかかって来ることはなかった。
ふと、空を見上げた。
「うわぁ……」
突然あげた声にハルが尋ねる。
「どうしたの?」
「ほら、空をみてくださいよ」
「え?────うわぁ〜っ……」
昼ぶりか、初めてそこで歩みを止める。
──そこから長らく会話は存在しなかった。
夜空に広がる満天の星空が、何故か眩しく思う。
どこまでも続く様な、深い深い空間が広がっていて……小さい頃科学館で見上げたプラネタリウムに感動した僕なのに、その記憶が一瞬で思い出から消えてしまう。
手を伸ばせばどこまでも連れて行ってくれそうな空だが、一度旅立てばその広大な星の海に溺れどこにも戻れなくなってしまいそうだった。
星雲ガスが色鮮やかに散らばり、粒のような星達はそれぞれが主張するように煌々と輝いていており、この黒いキャンバスの作品を、まるで独り占めしているような錯覚に浸る。
もしもこの宇宙を創った神が実在するならば。それはどんなに強力な大魔法でも、あらゆる聖剣でも、数多の人々の希望を乗せた攻撃でも、決して討ち滅ぼせないだろう。揺るぎすらせずに、ただ微笑んでいるだけだ。
人類は火を始めとし、光という武器を使役すると、文明と共にあらゆる物を生み出し発展してきた。
だというのに、武器が増えるほどに──この美しい空は失われていってしまうのか。そう考えるとどうしようもない気持ちが胸を刺す。
ただ呆然として見ていた時間。無駄だと言われようが、そうでは無いとはっきり否定できる。
そこまで自然の偉大さに惚れ込んでいた、もうどうにでもなれと思った直後、ハルに呼び掛けられるとハッと意識を取り返す。
「そろそろいこっか!」
「…………はい、行きましょう!」
目的地は目前。
十数分も歩けば、もう街に到着だ。
兄妹は夜空への名残惜しい気持ちと別れると、ようやく街へと辿り着いた。
次回、街です