視る聴く描く想うについて
身魂磨きの四種の使い分けについて語っていく。
視る聴く描く想う。
それぞれ、視るは見るに代わって描かれ、聴くは聞くに代わって描かれ、描くは書くに代わって描かれ、想うは思うに代わって描かれる。
さっきから描かれ描かれ言っている様に、あらかじめ、書くに代わって描くを当てはめている。
身魂磨きはお手の物という訳だ。
基本的に身魂磨きは、自分の基準でやるしかないので、見るではなく、視る。聞くではなく、聴く。書くではなく、描く。思うではなく、想うなのだ。
有言実行と真実をかみ合わせて、見るではなく、視る。聞くではなく、聴く。書くではなく、描く。思うではなく、想うと言っているのだ。より具体的かつ広範囲の文体に変えていくのだ。
視るは直視するという意味合い。聴くは何かを前提として聞くという意味合い。描くは描くという意味合い。想うは思い浮かべるという意味合いを含んでいる。かつ、見、聞き、書き、思うという意味合いで、視、聴き、描き、想うと言っているのだ。
包含する意味合いを含めたものが視る、聴く、描く、想うなのだ。
明らかに上位の意味合いを持つ、視る。聴く。描く。想うが使われるに至るのである。
上位の意味合いとして、視る。聴く。描く。想う。を使っているのである。
という訳だが、上位とは何だろう。想うに、より高い目標を見通せる所の事である。
視るは見るに対して、具体的に何かを視るという意味合いを含めている。聴くは聞くに対して、余裕をもって、聞くという意味合いを含めている。描くは書くに対して、自由な意味合いで、描くという意味合いを含めている。想うは思うに対して、幻想するという意味合いを含めている。
想うに、視るは具体性という意味で、より上位であり、聴くは聞くよりも強い意味合いで理解するという意味で、より上位であり、描くは書くよりもより自由であるという意味で、より上位であり、想うはより専門的であるという意味で、より上位である。
つまりは、皆それぞれ、上位の意味合いで、視る。聴く。描く。想う。と言っているのだ。
つまりは、視るも聴くも描くも想うもそれぞれ、強い意味合いで見る。聞く。書く。思う。と言っているのだ。
強い意味合い。より引っ張る力が強いがゆえに、上に引き上げる力が強く。言葉自体として、より上位なのである。
よって、言葉の強調をする為に、より高く、より強く、引っ張る能力が高く、扱うのに難しい言葉なのだ。しかしながら、テンプレート化されるなら、見るではなく、視る。聞くではなく、聴く。書くではなく、描く。思うではなく、想う。と成るのだ。
難しいがゆえに、テンプレート化しながら、同時に身魂磨きに使う。それが安全第一の使い方なのだ。つまり、事故を起こすかもしれないので、安全化を図っているのだ。