ひびき
――深い深い海の底。虹色に光る大きな海藻が生い茂る、不思議な不思議な森の中。
ここは、ホンダワラ王国。
人魚達が暮らす深海の楽園です。
今日は国の真ん中にそびえ立つ、巻貝を模したきらびやかなお城に、多くの人魚達が集まっていました。今日はこの国の次期姫を決める大事な日です。
お城のエントランスホールには二枚貝を模したステージが用意されており、その上で、姫を引退することになった現姫のナノリソが叫んでいました。
「サルガッサムはどこにおりますのぉお!!!?」
――サルガッサムは森の中を泳いでいました。
「まてー、まっておくれー!」
今日は海流が強く吹き荒れる日でした。
鉄の鎧がガシャンゴシャンと音を立てて森の中を跳ね回り、サルガッサムがそれを追いかけていました。
「まずいこれ以上進むと国の外じゃ、頼むから止まっておくれー!」
森の出口の岩のアーチをくぐり抜けながら、サルガッサムが叫びました。すると願いが通じたのか、鉄の鎧は砂埃をあげ、ピタリと止まりました。
「あいたっ!」
誰かにぶつかったようです。砂埃の中から現れた誰か、それは真珠のように光る白い肌、そして煙のように波を打つ黒髪の、どこか儚げな少女でした。
海底に尻もちをついた少女は目に涙を浮かべ、お尻についた汚れを払い落します。
「お嬢さん大丈夫かい!? 怪我はないかの!?」
「はい……たぶん大丈夫だと思います……」
少女の無事を確認すると、サルガッサムはホッとするのもつかの間、申し訳なさそうに何度も謝りました。
「本当にすまなかったのぉ。でも、お嬢さんには感謝じゃ。おかげで大事なものを無くさずにすんだ」
「大事なものって、これのことですか?」
少女は先ほど自分にぶつかってきた、腰から下の部分がない鎧を指差しました。
「その通りじゃ。この鎧はワシにとって本当に大切なものなのじゃ。それよりもお嬢さんはホンダワラ王国の人魚かの!? 名前は何という!?」
サルガッサムは笑顔になると、興奮気味に聞きました。
「えーっと、ホンダワラ王国……って、どこですかね? あれ? 私の名前って……」
答えることができて当然の質問をしたつもりだったサルガッサムは、少女の反応を見てとても驚きました。
「ひょっとしてお嬢さん、記憶がないのかい!? もしかしてさっきの衝撃で!?」
「いえ、確かに何も思い出せないのですが、おじさんのせいではないと思います。あ、ちょっと待ってください、私の名前……思い出せそうです……」
「ああ、ゆっくりでよいぞ」
「私の名前は……確か、シカオ……ナ?」
少女は自信が無さそうな声でポツリと言いました。
「シカオナ! なるほど、美人魚な君にピッタリの美しい名前じゃ!」
「美人魚? 私がですか?」
「ああ、シカオナはこれまで会った中で一番美しい人魚じゃ! それに、声まで美しい! どうじゃろうか? もし良ければこの国の姫にならないか?」
「ん、今何とおっしゃいましたか?」
「この国の姫にならないかと言ったのじゃ」
「いや、いやいやいや、どうして突然そのようなお話になるのですか。姫って……」
シカオナは苦笑いでサルガッサムに聞きます。
「なぁに、驚くことはない。ホンダワラ王国では美しさが全てじゃ。故に一番美しい者が姫として国のリーダーとなるのじゃ」
「国のリーダーは王様ではなく姫なのですか?」
「ホンダワラ王国ではそうじゃのう」
「ではなぜ、ホンダワラ姫国ではなく、ホンダワラ王国なのですか?」
「ほほほ、そんなのホンダワラ王国の方が、響きが美しいからに決まっとるじゃろうに」
どうやらこの国では名前の響きにも美しさが重視されるようです。
「では、おじさんの名前は何と言うのですか?」
「お、そういえば申し遅れたのぉ。ワシの名はサルガッサム・フルベラム。ホンダワラ王国の元姫じゃ」
「えッ!? おじさんは元姫なのですか!?」
「どうしてそんなに驚くんじゃ?」
「姫は女性だけがなれるものだと思っていたので」
「ほほほ、姫に性別は関係ないじゃろ」
シカオナは「う~ん」と、頭を抱えます。
男の姫が存在することをおかしいと感じる自分は一体どこの国から来た人魚なのだろうかと。
そして何より、髭モジャで胸毛までモジャモジャなサルガッサムのことを姫になれる程美しいと思えなかったからです。
「わしのことは気軽にサムおじさんと呼ぶが良い」
「分かりました。サムおじさん。姫についてですけど、私には無理です。なぜなら私はホンダワラ王国のことをよく知らないからです」
真剣な表情でシカオナは言いました。
しかし、それに対し、サルガッサムはお気楽ムードで答えます。
「別に構わん。国のことは姫になってから覚えれば良いのじゃ。それより美しいことが何よりも大切なのじゃ。シカオナは姫になるのが嫌かの?」
「いえ、なれるならなりたいですが……」
シカオナも女の子です。一度はお姫様になってみたいという願望があります。
「おお! そうか! なりたいか! では急いで会場へ行くとしよう!」
「え、海の上ですか!?」
「いや、次期姫を決める選考会の会場へじゃよ」
「え、選考会って、何ですか!?」
「ほれ、いちいち驚いてないで早くこの中に入るのじゃ」
サルガッサムは上半身のみの鉄の鎧を逆さまにして中にシカオナを入れると、担ぎ上げ、お城を目指して猛スピードで泳ぎ始めました。
――ゆらゆら揺れてはひらひら手を振る幻想的な海藻の森を抜けると、シカオナとサルガッサムはお城の入口へとたどり着きました。
お城の中へ入ると、品のあるオーラをまとった金髪の人魚が斜め上から優雅に降りてきました。銀色のティアラを頭に乗せた現姫のナノリソです。
「こらぁ!! サルガッサム!! どこへ行っておりましたの!!」
ナノリソがサルガッサムに怒鳴ります。
「すまんすまん、そんなに怒らないでおくれ。大事な鎧を磨いていたら流されてしまってのぉ」
「まったく、その大事な鎧で大事そうに守っているその娘は誰ですの?」
「おお、紹介しよう。ワシが見つけた次期姫候補のシカオナじゃ」
シカオナは鎧から出ると、丁寧にナノリソへお辞儀をしました。
「ど、どうもシカオナです。はじめまして」
「はじめまして、シカオナ。そんなに堅くならなくて宜しくてよ? わたくしは現姫のナノリソ・トゥルネリですわ。よろしくお願いいたしますわね」
ゆったりとして包容力のあるナノリソに、シカオナはついうっとりしてしまいます。
しかし、あることに気が付きました。
「ナノリソ様。どこか体調が悪いのでしょうか? 目の下に隈ができてますが……」
「あぁ、お気になさらず。ここ最近、夜になると幻聴や頭痛がしますの。姫のプレッシャーから解放されて、しばらく休めばきっと良くなりますわ」
「そうですか……」
「それにしてもあなた、とっても美人魚さんですわね。姫としての素質がありましてよ」
「そうじゃろそうじゃろう」
顔を真っ赤にして照れるシカオナの代わりにサルガッサムが答えました。
「ところでナノリソよ。選考会の方はどうなっておるのじゃ?」
「アピールタイムはもう全員終わりましたわ。まったくもう、あなたの代わりにわたくしが進行しましたのよ?」
「それはすまなかったのぉ。ワシとシカオナの美しさに免じて許しておくれ」
「ふふ、許して差し上げますわ。では、シカオナ。行きますわよ」
「え? どこにですか?」
「もちろんステージの上ですわ」
――突然の美人魚の登場に二枚貝のステージは最高頂の盛り上がりを見せます。
シカオナは今、ステージの上です。
「ではシカオナ。アピールをお願い致しますわ」
ナノリソが司会席から言いました。
ナノリソの隣ではサルガッサムが緊張した面もちでシカオナにエールを送っています。
「え、アピールですか?」
そんなこと突然言われましても、とシカオナは困惑します。
そんなシカオナを見かねたサルガッサムが、シカオナに小声でアドバイスを送ります。
「シカオナ、何か歌うのじゃ。シカオナの美声を皆の者にきかせてやるのじゃ!」
何か歌えと言われましても、とシカオナはまたもや困惑します。
しかし、期待の眼差しを送ってくる人魚達をいつまでも待たせるわけにはいきません。
シカオナは決心しました。
「えー。どうもシカオナといいます。歌います!」
シカオナは取り敢えず頭に浮かんだ曲を歌うことにしました。
「ゴホンっ…………すぅ……、わ~れ~はぁう~みの~こ、し~らな~み~の~♪ さ~ぁわ~ぐぅい~そべ~の、まぁつぅば~らに~♪ け~むぅりた~なび~く、とぉまぁや~こそ~♪ わ~がな~つ~か~し~き、すぅみぃか~なれ~♪」
会場にシカオナの美しい歌声が響き渡ります。
シカオナが歌い終わると、会場は静寂に包まれました。
しーんと静まり返る深海。これがこの場所の本来あるべき姿なのかもしれません。
そんな中、静寂を破り、最初に声を発したのはサルガッサムでした。
「ブラボー!!」
次の瞬間、歓声が湧きました。
とても美しい歌声だったと、皆が盛り上がります。
「はいはい、皆さま静かにしなさって。これより、わたくしに代わる、新たな姫を発表いたしますわ!」
ナノリソがそう言うと、とたんに会場が静かになりました。
ついにこの時が来たかと、人魚達は息を飲みます。
「次期姫は……」
「ちょっとまったぁあ!」
みんなが声を上げる前に、ひと際大きな声が割って入りました。
邪魔をするのは茶髪の若い人魚、アカモクです。
「シカオナさんは姫にふさわしくないと思います! 次期姫は私にすべきです!」
気の強いアカモクが力強く訴えます。
確かに、シカオナが現れなければ姫となっていたのはアカモクでしょう。
しかし、アカモクよりもシカオナの方が美しかったのはこの会場にいる誰もが認めていました。
「なぜシカオナが姫にふさわしくないのか説明できますか?」
ナノリソがアカモクに問います。
「はい。単純な話です。私は黒髪の人魚など今まで見たことがありません。彼女は部外者であり、この国の人魚ではありません!」