プロローグと状況整理
私の個人的知見から言えば、この世の如何なる聖人君主においても、そこには必ず、人には知られてはならないようなスキャンダラスな秘め事が存在していると言える。
そう、例えばかのインド独立の師マハトマ・ガンディーは、晩年自分の寝床に女を侍らせては「これは修行だ」と言い張ったことで有名であるし、同じくインドにゆかりのあるマザー・テレサにしても、その聖女顔の下の正体は歪んだエゴイズムを塗りたくったような偽善者だとまことしやかに囁かれている。
そして、そのような古今東西に溢れた四方山話というものは、何より、儲けのネタになる。
私の職業は、そんな人間の醜悪な部分を多少の脚色も交えて美しく切り抜きまとめては、血に飢えたオオカミさながらにスキャンダルを求める衆愚に、ほいとそれで餌付けしてやるような、これまた醜い仕事だ。
しかし因果応報とはよく言ったもので、私という一人の矮小な週刊誌記者の元にも、然るべき裁きが下ったようだ。
ようだ、というとなんだか他人事のようだが、事実今現在、私は非常に奇っ怪な状況に立たされている。未だその事の顛末を自分の中で消化しきれていないのは明らかなので、ここで少し状況整理をしようと思う。
どうやら前述したようなくだらない内省をふとしてしまうほど時間は有り余っているようなので、ゆっくりと、順を追って説明しよう。
話はおそらく体感で3時間ほど前に遡る。
今日はとにかく、いつにも増して肌寒さを感じる日だったことをよく記憶している。
10月に入ると、それまでは夏が愚図って居座っているのではないかと思うような季節外れの残暑も、ころっと気が変わったように一陣の木枯らしで消え去ってしまった。それどころか中旬になると、今度はその暑さの反動とでもいうような全日底冷えする日々が続き、毎年のごとく気候の気まぐれの度が過ぎる時期に突入していた。
私もその気まぐれに振り回された人間の一人で、朝の暖かさに唆され不覚にも薄めの上着のみという油断丸出しの軽装備で家を出てしまい、数時間してその大失敗に気づいた口だ。