お付き合い記念日
航平は学長室の椅子で膝を抱えて考え込んでいた。
一週間後、芽依と恋人になって百日目なのだ。
そんなこと数える文化があると知らなかったが、芽依はそういうアプリを入れていて、航平に嬉しそうに知らせてくれた。
なんだそれ、可愛すぎるだろう、どうなってるんだ、大好きだ。
芽依はただ「百日間彼氏と彼女」という事実だけで嬉しそうだが、航平はお祝いをしたくて仕方がない。
ずっとどうやって祝えば良いのか考えてきたが名案が浮かばない。
そもそも人生において、あまりお祝いをしたことがないのだ。
自分の誕生日は母親が勝手にバカ騒ぎする日で好きではないし、それ以外に祝うことなど別に無かった。
本人に「何が欲しいものはあるか?」と聞けば良い気がするが、そんなことを聞いたら「何も要りません」と言われるだけだ。
どうしても一緒に祝いたい。ほほ笑んでほしい、喜んでほしい。俺も芽依といられて嬉しいと伝えたい!
「近藤、何か案はないのか」
「竹中さんは……そうですね、難しいと思います。欲しいものがあるように見えません」
「そんなこと分かってるからお前に聞いてるんだ。近藤、お前結婚してるよな」
「……どこでそれを聞いたんですか?」
「俺だって情報網くらい持ってるぞ」
航平は胸を張った。いや……正確には噂大好きな小清水蓮花が「ちょっとちょっと、近藤さん結婚したって聞いたけど航平相手知ってる?!」と言ってきたのだ。それを言ってきた時は「へえ~」としか思わなかったが、芽依という大切な存在が出来た今は興味がある。
「どうやって記念日を祝って、どうやって結婚まで至ったのか、俺に教えてくれ」
「十年お付き合いした方と三年前に結婚しましたが、半年前に離婚しました。それでも参考になりますでしょうか」
「お前ちょっと待てよ、十年付き合って何で三年とかでダメになったんだ。何があったらそんなことになるんだよ、悲しすぎるだろ! ていうか離婚したの最近すぎるだろ、メンタル大丈夫なのか!」
航平は叫んだ。
近藤は航平が小学校の時から家にいた。気が付いたらずっと航平の近くにいた存在で、自分専用と思ったことはないが、他のボディーガードは航平が色んなものを作ると眉をひそめる中、近藤だけは違った。何をしても静かに横にいる姿勢が好きで、ずっと一緒にいる。友だちとは違う、やはり菅原の家で繋がれた関係だが好ましく思っている。しかしプライベートには全く興味ないし、口を出すのは間違っていると思っていたので、今まで聞かずにいたが……予想以上に聞きたくない過去を持っているようだ。
そもそも航平以上に何でも器用にこなすし、顔も何十年も変わってないし、なんなら年齢も分からない。
今まで気にして無かったが、とにかく恋愛相談は無理なことだけは分かった。
近藤は立ったまま静かに目を伏せた。
「仕事に支障はありませんが、申し訳ありません。恋愛方面は得意分野ではありません」
「いや、近藤にも苦手なジャンルがあることが知れてよかった。思いつきで聞いた俺が悪かった、すまん。そうだ、蘭上、蘭上はどうだ。アイツ芸能人だからモテるだろ。おい蘭上、ちょっと学長室に来い!」
航平は学校の掲示板を立ち上げて蘭上にメッセージを送った。
さっき畑で見かけたから、今は学校内で食事を取っているはずだ。
航平がメッセージを送って数分後、蘭上が学長室に来た。
「どったの? 何かあった?」
「蘭上。お前はモテるだろう」
「そうだね、すっごくモテるよ。ちょっとよく分からないくらい求愛される」
「じゃあ記念日に女の子が喜ぶアイデアをくれ!」
航平が恥も外聞もなく蘭上に聞くと、蘭上はにんまりとほほ笑んだ。
「ああ~~、芽依さんが百日記念だって嬉しそうに言ってたねえ~~」
「竹中先生な」
「おっと、怒られるんだった。竹中先生ね、そうそう百日記念の日がもうすぐ……ていうかもう二週間後じゃん? ええ、今アイデア考えたら発売に間に合わないよ。プロデューサーのスケジュール管理ミスだ」
「お前の楽曲発売はどうでもいい、俺は芽依との記念日を祝いたいんだ」
「あー、ごめんごめん、CD売るんじゃなかった。俺は今まで記念日とか無くてさ……誕生日だって祝ってもらって嬉しかったことは……無かったんだ」
「おいおい。ちょっとまて、なんかまた薄暗い話が始まってねぇか?!」
「俺さあ、ずっと病気で家にいたんだよ。だからさ、いつも家で誕生日会だったんだ。お母さんもお父さんも必死に祝ってくれたんだけど、やっぱり俺は外に出たかった。それが一番の願いで……それに病気が治る前は生まれたことなんて感謝出来なかった」
蘭上が静かに語り始めたのを、思わず航平は静かに聞いてしまう。
そうだった。蘭上は特殊な病で長く自宅で過ごしてきたんだった。
「病気が治ってさ、さあ家族で外食しよう、出かけようと思ったら両親は超絶毎日喧嘩して数か月で離婚。それにさ、俺の誕生日の一か月前に離婚したんだ……」
「おい、ちょっと待て。予想以上に内容がつらくて悲しいぞ」
「でもね、この前の誕生日! 俺が住んでる居酒屋でね、お母さんたちが誕生日パーティーをしてくれたんだ。そんな特別な何かをくれたわけじゃないよ。ただケーキを手作りしてくれたんだ。小さなケーキだったけど、中に俺が大好きな栗がたくさん入ってたんだ。それがすごく美味しかった」
「蘭上……泣けてきたぞ……お前良かったな……」
「だからさあ、記念日には栗のケーキが良いと思う」
蘭上は自信満々の表情で航平を見て言った。
ん?
いや……うん、違うんだ。
「あのな、お前の好物を聞いてるんじゃない」
「航平さあ、この山ってわりと大きいのに、なんで栗の木がないの?」
「栗の木の栽培はそれほど難しくありません。興味がおありでしたら、今年一緒にやりましょうか、蘭上さん」
「近藤さん、本当?! 俺やりたいよ!」
「最低でも四年程度かかりますが大丈夫ですか?」
「頑張る!!」
そう言ってふたりは学長室の隣にある資料室に入って行った。
航平はそのふたりの後ろ姿を茫然と見送る。
ダメだ……俺の周りには恋愛の相談ができるようなヤツはひとりもいない。
そもそも理系育ちで学校の仲間たちは、女の子と付き合いたいなら薬で眠らせて捕まえろとか、自作パソコンを送れとか、問題集を徹夜で一緒に解いて落とせとか、そんなことをいう奴しか居ない。
やっぱり芽依に聞くべきなのか。でも絶対に何も要らないっていうぞ?!
航平はため息をついた。考えろ……芽依が今まで喜んだことを思い出せ……そうだ、シャツを作りに行く! のはもう予約したが、あれは俺のシャツを芽依が見繕うのを楽しみにしているだけだ。芽依が俺を見て考えてくれるシャツ……たまらなく楽しみだ。もちろん芽依にも作らせるつもりだ。
芽依は身体の線が細いから、シャツを着ても美しく見えると思う。
芽依は自分のことに対して無頓着すぎるんだ。もっと自分を大切にしてほしい。芽依の笑顔がすごく好きなんだ。
だから記念日を祝いたいのに、どいつもコイツも役に立たん!
そう思って資料室を見ると笑顔の蘭上が見えた。役には立たないが……蘭上は病気が良くなって良かったな。
特定の遺伝子疾患の治療は、国からの補助金で大きく左右されるが、まさに運が良かったのだろう。調べると全く別の分野で用いられていた薬剤が効果を出したようだ。特別なことじゃない、普通のことが出来る生活を手に入れるのは、実は難しいことだ。それは積み重ねで……。
「!!」
航平は指を鳴らした。
そうだ、芽依は何も欲しがらないが、きっとこれなら喜んでくれる。
いや……これを喜んでくれるのは芽依しかいない。
近藤を呼んで航平はスケジュールを確認した。
なにより芽依と一緒にいられる時間が楽しみでしかたない。




