それは、塊
「大場さん、おつかれさまです」
「リリヤちゃん、おつかれさま」
「おつかれさまでーす! 今日はいつもの莉恵子さんなんですね。昨日のコーヒーショップの店員さん完璧でしたよー!」
「葵ちゃん、ありがとう」
ふたりの美少女……リリヤと葵はトレーの上に昼ごはんを持って莉恵子の前と横に座った。
このふたりが莉恵子の『星を飲む少女』を気に入ってくれた子たちだ。
澄川リリヤは夜中に音もなく流れる水のように静かな表情を持っている美人さんだ。
鳥屋部葵は、笑顔を欠かさない元気印。
雰囲気はまったく違うのに仲がよくて、グループの中で一位二位に人気がある。
ふたりとも親の関係で幼い頃から芸能界にいて、育った環境が似ているのが大きいのだろう。
このふたりが「私たちでやりたい」と大きな声で言ってくれたおかげで企画が通ったのだ。
時をくり返すのがリリヤ、何度も死ぬのが葵だ。
葵は持ってきたカレーをカツカツと流し込んで、すぐに席を立った。
「私これから、車にはね飛ばされるテストなんです。もうずっと楽しみにしてたんですよ」
「自分で志願したって聞いたけど……大丈夫なの?」
莉恵子が聞くと葵は目を輝かせて
「ワイヤーで空飛ぶんですよ?! すごく楽しみにしてきました。じゃあ死んできます!!!」
「あはは……気をつけて」
正直カレーをあの速度で胃に流し込んだ後に、ワイヤーで空飛ぶとか……お腹が痛くなりそうだ。
大きく手を振りながら去って行く葵を、リリヤは静かに見守っていた。
そして小さくパンをちぎって口に入れながら風がそよりと動くようなきれいな声で言った。
「……色々としてくださったと、マネージャーから伺いました」
「あ、そうですね」
「兄が、ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、大丈夫ですよ。それに酷いことを言ってしまうと、リリヤちゃんとお兄さんは関係ないですから」
「……そうですね。そうなんですけど、結局断ち切れないから」
そう言ってリリヤはまた小さくパンをちぎって細い指先で丸めた。
実はリリヤは色々あり、先日やっと落ち着いたのだ。
リリヤの家は芸能人一家で、ご両親はふたりとも演劇人、そしてお兄さんも芸能人だ。
先日お兄さんがあまり良くない方たちと行動を共にした結果、詐欺罪で捕まってしまった。
それを両親がかばった結果、さらに飛び火して、リリヤの所にもたくさんのマスコミが押し寄せた。
ロケ地にも来ようとしていたし、事務所が借りた旅館もバレていた。
それを知った莉恵子は離れた場所にあるホテルのVIPフロアを貸し切り、リリヤと葵を一緒に移動させたのだ。
リリヤは口にパンを運びながら静かに続けた。
「莉恵子さんが、事務所とか……神代監督に……ぜったい葵と一緒に……と、無理をした……と聞きました」
「そうですね。そのほうが良いかと思って」
「ありがとうございます……」
リリヤはパンを小さくちぎって言った。
莉恵子は最初にリリヤと葵を見た時に、ああこのふたりは磁石みたいなもので、きっと一緒にいることで何かを保っているんだと一目で分かった。
常にお互いがどこにいるのか確認しあっているのだ。リリヤの視線の先に葵がいて、葵の視線の先にリリヤがいた。
あとで調べたら葵のほうは一族がはじめた事業の借金をひとりで返しているし、リリヤのほうはお兄さんに問題がありすぎた。
ふたりはきっと寄り添うことで、なんとかこの世界に生きているのだろう。
それに抱えているものと環境が特殊すぎて、普通の世界では生きられない。
調べれば調べるほど、ループの世界でしか生きられない少女たちと重なるものがあり、選んでくれたもの納得だった。
リリヤは長いまつ毛を伏せて莉恵子にお礼を言った。
「一緒に動かしてくれて……ありがとうございます……それにワンフロア全部。静かで嬉しいです」
「いえいえ。長期ロケになると突然部屋を借りてくれって言われることがあるんですよ。だから周辺に結構な量を押さえてます」
「……急に?」
「ええ。人を足したから……とか、Aさんと同じ建物にいるのも耐えられないから今すぐ移動したいとか、ご家族が突然来られたりとか……とにかくよくあります」
「そうなんですか。ご迷惑をおかけしたかも……と心苦しくなってました」
リリヤは弱々しくほほ笑んだ。
まあ急に借りろなんて言われることはなくて、嘘なのだけど。
ただお金を払って借りただけだ。それを出させるのに少し苦労しただけ。
フロアには誰もいないほうがいいと思った。それはリリヤの表情とか、葵の様子を見て、そう判断した。
それは莉恵子の仕事なので、リリヤが気にする必要はない。
こんなことでベストパフォーマンスをしてくれるなら、安いものだ。
莉恵子は食事を片付けながらリリヤを見た。
「それより、今日のロケ頑張ってください。山場ですね」
「……私、葵が死ぬシーンは演技じゃなくなってしまうかもしれなくて……それが怖いです」
「神代監督と沼田なら、上手にコントロールしてくれますよ。それに私も今日は後ろで見ます」
「……コーヒーショップの店員さんで?」
「この後看護師に着替えるんです」
「ふふ。大場さん、大変」
そう言ってリリヤは目を細めた。本当に美しく……それはずっと蕾だった花がピン……と花びらを立てるように。
撮影現場に行くと、もうワイヤーをつけた葵が楽しそうに飛び跳ねていた。
それをリリヤが心配そうに見守っている。かなり大掛かりな撮影で、トラック数台と車……それに救急車も来ている。
神代と沼田は、カメラ位置の確認や演者の位置確認などを細かくしている。
こういう派手なカットは事前にCGでシミュレーションしてきている。
それを見ながらアクション俳優さんがまずテストカットをくり返し、それで最終的な絵柄が決まって行く。
本来ならこういうシーンはアクション専門の女優さんで撮るのだが、葵が「どうしてもやりたい」と言うので本人が演じることになった。
細かい移動をアクション監督と詰めている表情は真剣そのものだ。
元々ミュージカル女優としてデビューしていて、運動神経は良い。
テストカットを何度も確認しながら、安全であること……何より効果的であることを詰めながら本番の撮影が始まった。
「じゃあ本番いきます!!」
神代の声が響いて、辺りが静まり返る。
ふたりで楽しく歩いているリリヤと葵。
そこにトラック……これはものすごくゆっくり走らせている。
結局あとで加工するからだ。
そこから一気にはね飛ばされる。
予想よりちゃんとトラックにぶつかり、思いっきり葵は飛んだ。
「!!!!」
目の前で葵が飛ばされて、リリヤの表情が凍り付く。
それは世界を呪う絶望の顔。
持っていた鞄を落とす……それはまったく演技プランに無かったけれど、その鞄を踏みつけてリリヤは転んだ。
そして鞄についていたマスコットが踏みつけられた。黒く汚れるマスコット。
それを神代は無言で撮り続けた。
葵にすがるように近づくリリヤ、その顔には髪の毛が張り付いて、美少女の欠片も無い。
膝はすりむき、口元が大きくゆがむ。そして葵の胸元に触れて……服を思いっきり持ち上げて……手についた血を見て……重力に叩き潰されるように崩れ落ちた。
そのまま身体を倒して、葵の胸元に耳を押しあてる。
その仕草に莉恵子の胸は締め付けられるように痛んだ。
お父さんが倒れた時のことを思い出していた。
何も出来ずにただ立ち尽くした永遠のような時間。
それでも何かしたくて、大切な人の胸元に耳を押しあてて、たった一つの光を待つ時間。
お願いだから誰か助けてほしい。
それが全身から伝わる。
……私はこれを見たかったのだ。
莉恵子はリリヤの演技を見て心で泣いた。
今莉恵子はプロのメイクさんに化粧をしてもらって、看護師のコスプレをしている。
リリヤの本番が終わったら、莉恵子もエキストラとして救急車に乗らなくてはならない。
だから泣けない。それが丁度いい。
私の涙は過去に置いてきたものなのだ。
今過去になった。
泣き叫ぶリリヤの演技を見て、そう思った。
「莉恵子さん、本当に大丈夫ですか? 先に戻ってますよ?」
「大丈夫。もう一杯だけここで飲んでいくね」
「私チェックあるんで、先に行きますからね。でも三十分して戻って来なかったら迎えにきますからね!!」
「もう小野寺ちゃんは心配性だなあ~~」
「来ますからね!!!」
まだ仕事が残っている小野寺は髪の毛をタオルで巻いた状態で叫びながら部屋に戻って行った。
クリエイターは現場で一番忙しいから大変だ。
「ふう……」
莉恵子はビールを飲んで顔をあげた。
事故部分のロケが終わり、ホテルに戻ってきた。
ここは普通のホテルだが、大浴場の外のベランダに小さな足湯がある。
温泉でも何でもない普通のお湯だが、三月に入った空気は気持ちが良くて莉恵子はよくここでボンヤリしていた。
……今日のリリヤは素晴らしかった。
自分の心のものすごく奥にある『塊』が、リリヤの演技で溶けたのが分かる。
たぶん認知療法とか、そういうものだろう。でも……今を時めくアイドルの演技で昇華するなど豪華で身勝手な話だ。
でも頑張ったし……ゆるしてほしいな。
月を見上げてボンヤリしていたら、LINEがポンと入った。
神代だった。
『今日の撮影、大丈夫だった? 心にきてない?』
『大丈夫ですよ』
神代は今鬼のように忙しいのに気にしてくれた。
そんなことが嬉しい。
LINEが続けて入ってくる。
『お礼言いたくて。リリヤのこと、ありがとう。先週の調子だとマジヤバいなと思ったけど完璧に持ち直してたな。莉恵子のおかげで最高の絵が撮れた』
『リリヤは少し心が疲れてただけですよ、元々力がある子を、神代さんが引き上げたんです。はい、これはお世辞なのであとで……』
『あとで?』
『仕事が終わったら』
『終わったら?』
『めちゃくちゃ甘やかしてください。抱っこされて泣きたいです』
『あーもーくそ。あーーーーーもうヤダヤダ。沼田さん抱っこして寝るわ』
「ちょっと!!!」
莉恵子はあふれ出していた涙が一瞬で引っ込んだのを感じた。
そして明日には葛西が、抱っこされた沼田さんの写真を見せてくれるのだろうと想像するだけで笑えた。
顔をあげよう。
昨日も今日も明日も、わりと悪くない。




