11 内緒の視察
セレナは、いつものように孤児院に居た。その日もセレナは貴族邸メイド志望の少女たちにマナーを教えていた。
「順番が違うわ。それではお客様に対して失礼になってしまうわよ」
凛とした口調でピシリと注意するセレナ。
「はい、セレナ様」
「もう一度、落ち着いてやって御覧なさい。座っているお客様の目線に立って前後左右を意識するようにね」
「はい」
その後も、少女たちはセレナから細かい注意を受けながら、何度も同じ練習を繰り返した。
その様子を、物陰からコソコソと覗く男たちがいた。
「母上の指導は厳しいね」
ルシオが小さな声で言う。
「うん」
ファビオも小声だ。
「セレナは、あの少女たちの為に真剣に教えているんだよ」
ルーベンが息子たちに囁く。
ルーベンのその言葉に、三人を案内している孤児院の院長が頷いた。
「奥様は、いつも大変熱心に指導してくださいます。孤児達相手に手を抜く等という事は、決してされません」
孤児院へ行ってみたいと言い出したのはルシオだった。セレナが屋敷を留守にすることが増え、自分の母が孤児院で一体何をしているのか、気になるようになったのだ。それはファビオも同じだった。
「母上に見つからないように、内緒で覗いてみたいのです」
そう言ったルシオに、ルーベンは驚いたが、
「……そうだな。私も孤児院での普段通りのセレナの様子を見てみたい。院長に連絡をして、セレナに気付かれぬよう、こっそり案内してくれと頼んでおこう」
と、答えた。
そうして孤児院にやって来た三人を、院長は約束通りセレナに見つからぬようにコソコソと案内しているのだ。
ルシオとファビオは物陰から食い入るようにセレナを見ていた。そのうち、セレナが少女たちを指導しているすぐ近くで、男児2人が取っ組み合いのケンカを始めた。喚いている内容から、実にクダラナイ理由からのケンカだと分かる。6~7歳だろうか? 8歳のルシオと6歳のファビオに近い年齢の男児たちだ。そして2人は縺れ合ったまま、セレナの指導を受けていた少女の1人にぶつかった。弾みで少女は転んでしまった。それを見たセレナは、なおも取っ組み合っている男児2人を引き離すとそれぞれにゲンコツを落としたうえ、厳しい口調で叱りつけた。
「母上が怒ってる……」
ルシオが呟く。
「うん。すごく怒ってる」
ファビオも呟く。ルシオもファビオも、まじろぎもせずに母を見つめる。
そんな二人に、院長が穏やかな声で語りかけた。
「奥様は〖怒って〗いるのではありません。子供たちを〖叱って〗おられるのです。孤児院の子供達には親がいません。子を思って叱るのは親の役目です。奥様は親の代わりに本気であの子たちを叱って下さっているのです。人を〖叱る〗という行為は、大変なエネルギーを必要とします。『いいよ、いいよ』と言って流すのは、とても楽な事なのです。奥様は決して〖楽〗は、なさいません。いつも真剣に子供達と向き合い、本気で叱って下さいます。この孤児院の子供達は、原則として15歳になれば此処を出て自立しなくてはなりません。奥様は子供達の将来を真摯に考えて下さっているからこそ、手を抜かずに本気で叱って下さるのです」
院長の言葉はルシオとファビオの胸に突き刺さった。
「「母上……」」
自分たちが何をしても、注意も叱責もしなくなった母。その母が孤児院の子供を、それも自分たちと同じ年頃の男児を、本気で叱っている――
じっとセレナを見つめる二人の息子の頭を、ルーベンは何も言わずにくしゃりと撫でた。
帰り道、ルーベンと息子たちの乗った馬車の中を沈黙が支配していた。暫くして口を開いたのはファビオだった。
「……母上は、僕と兄上のことが嫌いになったのかな?」
「そんなことはない」
ルーベンが否定する。
「でも、僕たちがイタズラしても家庭教師の先生の授業をさぼっても何も言わないんだよ? さっきのあの子たちの事はものすごく叱ってゲンコツまで落として――」
「ファビオのせいだ!」
突然、ルシオが弟に向かって尖った声を出した。
「兄上?」
「お前が『クラーラが僕たちの母上だったら良かったのに』って言ったんじゃないか! お前のせいで僕まで母上に嫌われたんだ!!」
「ルシオ! やめないか!」
ルーベンがルシオを制したが、兄に責められたファビオはシクシクと泣き始めてしまった。
「兄上……ヒドイよ。兄上だって、兄上だって……」
「ファビオのせいだ!!」
そう言いながら、ルシオの目からも涙がこぼれ落ちる。すすり泣く息子たちの姿に、ルーベンは居たたまれない気持ちになった。
「私の所為だ」
「「父上??」」
「私がクラーラとの距離を誤った。何年も……本当に何年間もずっと、セレナから『クラーラと距離を置いてほしい』『ルシオとファビオに近付けないでほしい』と言われていたのに……セバスティアンからも何度も苦言を呈されたのに……私が間違っていた」
涙を堪え顔を歪める父に、ルシオとファビオは何も言えず黙り込んだ。
その日は風が強く吹いていた。ゴウゴウと凄まじい音を立てて吹き荒ぶ強風――まるで自分と息子たちの心中のようだとルーベンは思った。
ルーベンと二人の息子が屋敷に戻って暫くした後、執事のセバスティアンが、ルーベンの居る執務室にバタバタと駆け込んできた。
「だ、旦那様!」
「セバスティアン、どうした?」
いつも冷静な執事の慌てた様子に、ルーベンは嫌な予感がした。
「西地区の繁華街で火事が起きたようにございます!」
「西地区?!」
セレナの居る孤児院のある地区だ。とはいえ、孤児院は繁華街からは随分と離れている。しかし、セバスティアンの声は緊迫していた。
「今日はこの風でございます! 強風に煽られて、次々と飛び火して燃え広がっているようです!」
「孤児院は!? 大丈夫なのか!?」
「わかりません」
「……すぐに出かける! 馬の用意を!」
「はい」
ルーベンは居ても立っても居られなかった。
しっかりしたセレナのことだ。孤児院の子供達を連れて避難しているとは思うが――玄関に向かうルーベンに、ルシオとファビオが追い縋って来た。屋敷では西地区の火事を知った使用人達が、「燃え広がっているらしい!」「孤児院は!?」「奥様が!?」と、騒ぎ始めていた。
「父上! 孤児院へ行かれるのですか!? 僕も連れて行ってください!」
ルシオが訴える。
「僕も!! 僕も母上を迎えに行く!!」
ファビオも必死に叫ぶ。
「危険だ! お前たちはここで待っていなさい!」
「父上! でも!」
「父上!! 僕も行くー!!」
「セレナは私が必ず連れて戻る! お前たちはここで待つんだ!」
ルーベンが強く言うと、息子たちはようやく、
「「はい……」」
と、頷いた。
ルーベンは従者一人を供に、西地区へと急ぎ馬を走らせた。




