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22話 ~堕鬼と昇華~

「ぷッ……」


 ヘイグは口の中の血を吐き出しながら立ち上がり、獣のような双眸を竜胆へと向けた。


「ざけんな、雑魚がッッ!!」


 裂帛の声とともにヘイグが腕を振るい、半ばから折れた石柱に拳が叩き込まれた。


 直後、石柱に蜘蛛の巣状のひびが入り、崩壊を始めた。


「もうテメェに攻撃はさせねぇ……。 こっからは虐殺の時間だ!!」


 刹那、ヘイグの姿が赤い霧となって掻き消えた。


 そして瞬きの後、竜胆の眼前には彼の拳が迫っていた。


「ッッ!?」


 常に発動している認識阻害の影響と、一瞬の判断による回避行動でなんとか拳を躱した竜胆であったが、ヘイグは怒涛の追撃を行ってくる。


 【霧化】したかと思えば死角から手刀を放ち、間一髪躱すと鎌のように円環を描く血の刃を飛ばす。


 今のヘイグは死を運ぶ暴虐の嵐であった。


 こうして戦ってみれば、【暴虐のアシッドタイラント】という異名が、彼の圧倒的なまでの手数から付いたものだということが察せられる。


「オラ、動きが鈍ってるぞ!?」


 ヘイグは嵐のような連撃を繰り出しながら、竜胆を挑発する。


 しかしそんなものが耳に入るほど、竜胆に余裕はなかった。


 薙がれた腕をしゃがんで躱し、次いで繰り出される足払いを宙返りで回避する。


 それで間合いを取った竜胆は、回転によって視界から外れていたヘイグを再び捉えようとして息を呑む。


 着地した竜胆の視界は、赤々とした五本の刃に埋め尽くされていたのだ。


「ぶった斬れちまえ、出来損ない!!」


 声が竜胆の鼓膜を揺らしたのと同時、五本の刃が彼を飲み込んだ。


「竜胆ッッ!!」


 その光景を目にした弦月は普段の彼女からは想像もできないのような、焦燥に満ちた叫び声をあげた。


 しかし竜胆が五本の刃が過ぎ去った空間に現れたため、弦月の焦燥は杞憂となった。


 彼は認識阻害と一瞬の判断によって、刃の間隙を縫ったのだ。


「ちょこまか逃げてんじゃねぇ!!」


 血の刃を躱した竜胆に向かって、ヘイグが弾丸のごとく接近する。


 大振りの拳に接近の勢いを乗せ、吸血鬼の膂力で放たれるそれは、まるで大砲だ。


「そんな大振り当たるか……!」


 大砲のごときヘイグの拳を、竜胆は完璧なタイミングで往なした。そしてカウンターを放とうとした瞬間、地面が爆砕する。


「!?」

「テメェに当てる気なんて、端からねぇんだよ!!」


 竜胆の足元が爆砕したのと同時、瓦礫の破片とともにヘイグの血液が剣山のように変化して竜胆を襲った。


 爆砕の勢いで身体が浮き上がってしまった竜胆にとって、それは不可避の一撃。


「ッッ!!」


 血の剣山の切っ先は認識阻害の能力を持ってしても躱し切れず、串刺しではないものの、浅くはない傷を竜胆の身体のあちこちに残した。


「ぐぁ……ぁ……」


 その傷口は白煙をあげながら筋繊維を溶かし、竜胆に耐え難い激痛を強いた。


 だがヘイグの目の前で屈した時点で死は確定してしまう。


 そのため竜胆は彼を視界から外すことはなかった。


「オォォォォ!!」

「雑魚が、テメェには学習能力がねぇのか?」


 ヘイグの侮蔑の言葉の後、背後の剣山が変化し、血の刃として竜胆の背に向かって走った。


 攻勢に転じた彼の背はがら空きであり、それは奇しくも一週間前の敗北とほとんど同じ光景であった。


「ッ……!!」


 しかし竜胆は振り返ることすらしなかった。


 刃に気が付いていない訳ではない、気が付いたうえで刃を引き付けているのだ。


 そして背が切り裂かれる寸前、彼の姿が掻き消えた。


 これは認識阻害による回避ではない。本当に彼の姿がヘイグの視界から消失したのだ。


「チッ……!」


 それによって自身の眼前にまで迫った血の刃に向けて、ヘイグは腕を大きく振るい液状に還元せざるを得なかった。


 生じた僅かな隙。それを見逃すことなく、竜胆は痛む身体を強引に動かして地面を蹴った。


「ッ……!!」


 竜胆が蹴ったのは地面でも壁でもない。ヘイグの真上の天井であった。


 天井を蹴って目にも留まらぬ速度でヘイグに向けて落下した竜胆は、全身全霊をかけた拳を振り下ろす。


 いくら吸血鬼とはいえ、脳天を叩き割られればすぐには修復できない。



「がッッ……!」



 しかし攻撃を叩きこまれたのはヘイグではなかった。


 竜胆の攻撃に対して、彼がとった行動は回避でも防御でもなかったのだ。


 彼は落下してくる竜胆の顎に、宙返りをしながら足刀の二連撃を見舞ったのだ。


 完全に竜胆の攻撃を見切っていなければ不可能な行動のうえ、反撃を受けた方は予想もしていなかったため完璧に叩き込まれてしまった。


 落下の勢いさえ利用された竜胆は、強烈な蹴撃によって脳を揺さぶられてしまった。


「あそこで認識阻害を使われてたら分からなかったが、最後の最後に真っ向勝負に出たのが裏目に出たな」


 足刀の二連撃によって宙を舞っている竜胆に呆れたような言葉をかける。


 しかしその声は脳を揺らされた彼には届かない。


「まぁこのオレに一撃入れただけでも褒めてやるよ」


 ヘイグはぐっと腰を落としながら、口端を釣り上げた狂笑を浮かべる。


 直後、地面を割り砕いて上空へ跳躍した。


「終わりだ」


 ヘイグは宙を舞っている竜胆に、血を纏わせた蹴りを叩き込んでさらに上昇させる。


 それを【霧化】して追撃し、また蹴り上げる。


 そんな攻撃を一瞬で数度繰り返し、竜胆の身体はやがて天井付近にまでたどり着いた。


「じゃあな、出来損ない」


 竜胆を超えて天井に着地したヘイグは、右腕全体に赤々とした鮮血を纏わせて嗤う。


「いや……竜胆ッッッ!!!」


 竜胆の敗北を、いや死を悟った弦月は涙を流しながら叫んだ。


 天井を蹴り砕いたと同時、ヘイグの拳が竜胆の胸を撃ち抜いた。


 刹那、彼の身体が流星のように真下の地面に撃ち落とされた。


 その威力は床を広範囲で打ち砕き、建物全体を大きく揺さぶるほどであった。


 それは建物の外で戦闘を繰り広げている吸血鬼たちの手を止めさせるほど、周囲に響き渡っていた。




 瓦礫が飛び散り、降り積もった埃が舞って視界を埋め尽くす。


 竜胆が叩きつけられた床は、クレーターと呼ぶのが相応しいほど破壊の様相を呈していた。


 そこに遅れてヘイグが着地し、腕のひと振りで煙を全て吹き飛ばした。


「あ? ぶち抜いたつもりだったんだけどな……? まぁもう戦う意志なんてねぇだろ」


 そこには全身ズタボロで、胸部から白煙をあげている竜胆と、彼を見下すヘイグが佇んでいた。


 廃墟を半倒壊させるほどの一撃をその身に受けて、四肢が繋がっていることだけでも奇跡と言っていいだろう。


「……がはっ!」

「まだ意識あんのかよ。 出来損ないでも吸血鬼……か!」

「ぐッ……!!」


 血の塊を吐き出して意識を取り戻した竜胆を、ヘイグは蹴りつけて吹き飛ばした。


「竜胆ッ!!」


 その先には弦月がおり、自分の身を顧みずに竜胆の身体を受け止めた。


「いや、いやよ竜胆……!!」


 弦月の膝に体重をあずける竜胆の身体からは、ほとんどの力が失われていた。


 触れるのもはばかられるような傷からは今も白煙が上がっており、彼の命を蝕んでいることを物語っている。


「うっ……!」


 竜胆を抱き抱える弦月の元に届いたのは、何かが地面に落ちる音と、少女の痛苦の声であった。


「満月……!?」


 その声の主は外で戦っていたはずの満月であった。


 彼女は満身創痍で、立ち上がることもままならないようだ。


「ヘイグさん、吸血鬼の女、連れてきましたよ~」

「あぁ、じゃあお前はもう一人の方の加勢にいけ」


 ヘイグは側近の眷属に、新月と戦っているもう一人の側近に加勢するよう命令しながら、足元の満月の襟首を掴んで持ち上げた。


 その言葉を聞いた眷属は、すぐに霧化して建物の外へと戻っていった。


「ぐっ、ぁ……」


 襟首を掴まれて身体を浮かされた満月は、苦悶の表情を浮かべながらもがいた。


「やめて! その子はあなたたちの同族なのよ!?」

「知るか。 オレに敵対した時点でそんなもんは関係ねぇんだよ!」


 弦月の言葉を切り捨てるようにヘイグは嗤い、満月を彼女と竜胆の方へと投げ飛ばした。


「うぁ……」

「満月……!」


 どしゃりと音を立てて目の前に転がった満月に、弦月が悲壮な声を投げかける。


「ご、めんね……あたし、負けちゃったよ……」


 ボロボロの状態で儚い笑みを浮かべながら言う満月に、弦月は胸を締め付けられた。


 自分がヘイグに捕まってしまったせいで、二人がこんなこと目に合ってしまった。


 弦月は自責の念に押し潰されてしまいそうになり、その瞳から涙をこぼしていた。


「ゆ、づき……。 お前の、せいじゃない……」


 それを拭ったのは弦月の腕の中の竜胆であった。


 震える手が弦月の目元に溜まった涙をそっと拭ったのだ。


「あぁそうだな、これは全部テメェのせいだ。 テメェが真祖の王の血を引いているのが悪ぃんだ」


 弦月と竜胆のやり取りに、ヘイグが狂笑を浮かべながら横槍を入れてきた。


「ッッ!! ふざけないで! 王位を継ぐ気がない竜胆を、巻き込んだのはあなたでしょう!?」


 ヘイグの言葉に激昂した弦月は、漆黒の双眸に嗔恚の炎を灯しながら声を荒らげる。


「ゆづ、き……」

「ゆづちゃん……」


 非力な人間でありながら強大な存在を前に一歩も引かず、屈することなく立ち向かう。


 そんな彼女の姿に竜胆も満月も心を打たれた。


「もういいじゃない……。 竜胆はこんなになるまで戦った、あなたの方が強いことは分かったでしょう……?」

「あぁ、そもそもオレがこんな出来損ないに負けるわけがなかったんだ。それをあの金髪のガキがごちゃごちゃと……」

「金髪の……?」


 聖十字の一族である聖と、ヘイグとの間で交わされた約束を知らない弦月は、怪訝な表情を浮かべながら言葉を繰り返す。


「まぁいい、そのおかげで俺が試したかったことができる」


 弦月の疑問を無視したヘイグは、竜胆たち三人を見下しながら言葉を継ぐ。


 確かに何故満月を連れてきたのか疑問ではあったのだ。


 戦闘不能にしたのならそのまま放っておけばよかったものを、わざわざ側近の一人を戦線から離脱させてまで彼女を連れてこさせたのはなぜだ。


「【堕鬼】と【昇華】って知ってるかぁ? 混血だけに起こる現象で、人間の血を吸えば完全な吸血鬼になり、吸血鬼の血を吸えば人に堕ちる」


 その説明に疑問符を浮かべた者は誰もいなかった。


 竜胆も弦月も満月も、その伝承は以前から知っていたのだ。


 けれど実行しようとはしてこなかった。


 弦月か満月、どちらかの血を吸って竜胆が変わってしまえば、これまで通りに過ごすことはできなくなってしまうと考えていたためだ。


「混血自体が少ねぇから、三〇〇年近く生きてるオレでもその現象を直接見たことはねぇんだ」


 その言葉だけで、ヘイグが何を求めているかを察することができた。


 要するに彼は、竜胆にどちらかを選ばせるつもりなのだろう。


「テメェに残された道は三つ。このまま死ぬか、人間に堕ちるか、吸血鬼になってこの不毛な戦いを続けるか。【堕鬼】すれば真祖の血は失われるってことだ。見逃して、今後お前らに手を出さねぇって約束してやるよ」


 その選択肢を示された竜胆は、自身の状態を鑑みて、靄がかかる頭で思考する。


 このままでは命を落とすということは、自分でも理解している。


 かといって満月も満身創痍で、血による治療は不可能なうえ、外からの救援も望めない。


 弦月の血を吸って完全な吸血鬼になれば、吸血鬼としての能力は底上げされるだろう。


 しかし混血としての唯一の能力である認識阻害を失うかもしれない。


 そうなったら純粋な吸血鬼として力のぶつかりあいとなる。


 それでヘイグに勝つことなどできるのだろうか。


 そして満月の血を吸って人間になれば、ヘイグの標的から外れて平穏な日常を取り戻せるかもしれないのだ。


 だったら選ぶべき道は一つしかないのではないか。


 揺らぐ竜胆の瞳は、倒れながらもこちらを見つめている満月に向けられていた。

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