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19話 ~傷だらけの王と孤独な彼女の出会い Ⅴ~

 それから撫子は三日間眠り続けた。


 その間、ヴァールハイトは彼女の側から離れることなく寄り添い続け、目を覚ますそのときを待っていた。


「ん……」

「撫子ッ!!」


 小さな声を上げてゆっくりと瞼を持ち上げた撫子に、ヴァールハイトは呼びかける。


「あ、ヴァルさん……。 おはよう……」


 撫子は眠気まなこを擦りながら、ヴァールハイトに柔らかな笑みを向ける。


 そんな彼女は命の危機に瀕していたことなど全く感じさせない、気の抜けた雰囲気であった。


「何があったか、覚えているか……?」

「うん……。 わたし、ヴァルさんの足を引っ張っちゃったんだね……」

「なにを……」


 ヴァールハイトは、撫子が悲しげに呟いた言葉に難色を示した。


「あなたの言う通りだった……。 わたしがあなたのそばにいると、ダメみたいだね……」


 撫子は伏せた瞳を揺るがせながら、震えた声で苦笑いする。


「ぇ……?」


 しかしそれは彼女を包み込んだ暖かな感触によって、なかったことにされる。


 ヴァールハイトが、震える撫子を抱きしめたのだ。


「逆だ、我の方こそお前のそばにいてはいけない。 我と出会わなければ、お前はこんなに傷つくことはなかった……」

「そんなこと、言わないでよ……。 出会わなければ、なんて、いやだよ……」


 撫子はヴァールハイトの言葉に傷付き、彼の背を強く抱き返す。


「そばにいればどれだけの危険に見舞われるか分からない。 けれど、我はもうお前から離れることはできない……」

「ヴァル、さん……?」

「どんな危険からも、そばにいて守り抜く。 だから……我の妃になれ、撫子」


 その告白に、撫子は雷に打たれたような衝撃を受け、目を見開いた。


 しかしその衝撃はすぐさま喜びの感情へと変化し、彼女の心を満たした。


「……はい」


 そしてその瞳が湖面のように揺らぎ、やがて決壊して一筋の雫を頬に滑らせる。


「あれ、おか、しいな……。 涙なんて、もう流せないと、思っていたのに……」


 撫子は自身の瞳から溢れて止まらない涙を拭いながら、不思議そうに笑った。


 孤児院で拾われてからこれまでの間、撫子は一度も泣いたことがなかった。


 孤児院の職員に聞いても、赤子の頃ですら泣いたことがなかったらしいのだ。


 泣かない子供は手のかからない良い子供と思われがちだが、それは他者から愛されることを諦めているのが理由だそうだ。


「嬉しいのに、どうしてだろう……? 涙が止まらないの……」


 決して孤児院で愛情を注がれてこなかった訳では無い。


 それでも撫子にとって彼らは保護者であって本当の親ではないし、恋愛感情を持つこともなかった。


 しかし目の前のヴァールハイトは撫子に生まれて初めての、心の底からの愛を与えてくれた。


 そんな愛を向けられることに慣れていない撫子の感情は、どうにも抑えることが出来なくなってしまったのだ。


「ごめん、なさい……。 いつもみたいに、笑って答えるべき、なのに……」


 そうこぼしながら、撫子はさらに強くヴァールハイトを抱きしめた。


 それに無言で答える彼もまた、彼女の身体を強く抱き返す。


「うぅ……、うぁぁ……!!」


 撫子はヴァールハイトの腕の中で、わんわんと声を上げて泣き始めた。


 その様子はまるで赤子が親に抱かれて泣きじゃくっているようで、それは奇しくも幼い頃の彼女ができなかったことであった。



 ひとしきり泣いた撫子は、疲れ切ったのか再び眠りについた。


 そんな彼女をベッドに寝かせて、ヴァールハイトは部屋から出ていった。


「クドラク、いるのだろう?」

「ここに……」


 月の光がヴァールハイトの横顔を照らしていたが、それを漆黒の霧が遮った。


 それは霧化したクドラクで、呼び声によってヴァールハイトの前に姿を現したのだ。


「……我は」

「分かっています。 あなたは彼女の元に残りたいのでしょう?」


 そのクドラクの言葉と、見透かしたかのような視線に動揺したヴァールハイトは、彼に問いかける。


「止めないのか……?」


 これまでクドラクは側近として、王であるヴァールハイトの行動を制限してきた。


 それが今回は小言の一つさえ言わずに受け入れたのだ。


「えぇ、今の彼女からあなたを取り上げるのは、あまりにも酷でしょう」


 クドラクは撫子の部屋の扉を見つめながら小さく笑った。


「お前、撫子を認めたのか……?」

「あんなものを見せられたら、認めざるを得ないですよ」


 ヴァールハイトの問に、クドラクは三日前の出来事を思い返してそう答える。


 彼女の勇気ある行動は、クドラクでさえ諦めたヴァールハイトの暴走を止めて見せた。


 自身が危険にさらされることなどお構いなしに、彼が同族を手にかけることを止めたのだ。


 その献身的な行動は、【白銀の冷血王(シルバーファング)】の異名を持つヴァールハイトの氷結した心を完璧に溶かしてみせた。


「なら我は……」

「えぇ、構いませんよ。 後のことはすべて、このクドラクが片付けておきます」


 クドラクは小さな笑みとともに胸に当てて、小さく礼をした。


 そして身を翻し、ヴァールハイトの前から去ろうとした。


「もういくのか?」

「えぇ、目的は達しましたし、そろそろ城に帰らなければ宰相がおかんむりです」

「まぁ我が帰らないことを伝えたら、とんでもないことになるだろうがな……」

「それは……。私がなんとかしましょう……」


 ヴァールハイトの言葉を聞いて、クドラクは苦い笑みを浮かべなながら、半目でそう誓った。


「せめて撫子に挨拶していかないか?」

「いえ、私は彼女を人間だからと嫌っていました。 それが手のひらを返したように接するのもおかしな話でしょう」


 クドラクはそう言って、今度こそヴァールハイトに背を向けた。


「まぁ、いつかまた伺いますよ。 それと、何か困ったときは日本吸血鬼の名家、日輪家に頼るといいですよ。 私はこの滞在期間、あそこに世話になっていました」


 そんなことを言い残し、クドラクは漆黒の霧と化して闇夜に消えていった。


「そんな場所があったのなら先に言え」


 クドラクが消えた方に目を向けながら、ヴァールハイトはそう呟いた。


 しかし最初からクドラクとともに行動していたら、撫子と出会うこともなかったのだと考え、ヴァールハイトはこれでよかったのだと割り切った。




「えぇ~!? クドラクさん帰っちゃったの」


 翌朝、目覚めた撫子はクドラクが黙って帰ってしまったことに批判的な声を上げた。


「あれだけ毛嫌いしていたから合わせる顔がないそうだ」

「そんなことないのに~」

「まぁお前は我の妃だ。 あいつももう生意気な口は聞けまい」


 ぶーたれた撫子の声に、ヴァールハイトは小さな笑みをたたえて答える。


「そっか……。えへへ、もうわたし、ヴァルさんの奥さんになったんだ~」


 撫子は頬を緩ませて心底嬉しそうな表情を浮かべる。


 添えられた手のひらはまるで、ほっぺたが落ちないように支えているかのようであった。




 それから撫子の一人暮らしの部屋は狭いということから、二人はすぐに一軒家を建てて引越しをした。


 その資金はヴァールハイトが身につけていた装飾品をひとつ売っただけで事足りたのだ。


 そして土地の問題と家を建てる労力は、日輪家の吸血鬼たちが解決してくれた。


 吸血鬼の力を持ってして建造された二人の新居は、たったの三日で完成してしまった。


「嘘、たったの三日で……」

「まぁ吸血鬼の腕力であれば機械なども必要ないうえ、睡眠もほとんど要らない」

「王様であるヴァルさんの頼みだから、ホントに寝てなかったよ……」


 撫子はヴァールハイトの顔を呆れた見上げながら呟いた。


 彼女は建築の様子を連日見に行って差し入れをしていたが、日輪家の吸血鬼たちはほとんど無休で働き続けていたのだ。


「さて、じゃあ新しい生活を始めるにあたって誓いを立てましょう」

「誓い……?」


 撫子の言葉に首をかしげたヴァールハイトは、彼女の次の言葉を待った。


「吸血鬼であることは隠して、人間に紛れて生きること。 それだけは必ず守って欲しいの」

「……あぁ、分かっている」

「それと王様っぽい振る舞いはダメ。 ご近所さんとトラブルになっちゃうから」

「だが我は」

「我も禁止! これからは自分のことは俺って言いましょう」

「分かった。 俺、だな」


 ヴァールハイトは撫子の言い分に納得し、一人称や話し方に気をつけることにした。


「あとは……」

「?」


 撫子は次の誓いを言葉にしようとして言い淀む。


 彼女はヴァールハイトの前で俯いて、頬を朱に染めている。


「あとは、わたしをずっと、愛すること……」


 ゴニョゴニョと小さな声で呟いた後、撫子はぼんっと頭から煙をあげてしまう。


「あたりまえだ。お前は俺の妃、いや嫁なんだからな」


 ヴァールハイトは撫子の腰を抱きながら、彼女に笑いかけた。


「……うん!」




 そうして人間と吸血鬼、撫子とヴァールハイトの新婚生活が始まった。


 最初のうちは近所から奇異の視線を受けていたヴァールハイトであったが、器量の良さですぐに庶民に溶け込んだ。


 それから平凡ながらも幸せな日常を過ごしていき、やがて二年の時が経った。


 そして二人の間に元気な男の子が生まれる。


 二人で話し合った結果、その子には日本で暮らしやすいように和名を付けることにした。


 名前に頓着しないヴァールハイトは、命名権を撫子に全面的に譲り、やがて撫子は竜胆という名前を付けた。


 彼女の名がナデシコの花から取られたもののため、子供にも花の名前を付けたのだ。


 リンドウの花言葉には「正義」「誠実」「あなたの悲しみに寄りそう」などがあり、誠実で正義感があり、悲しんでいる人に寄り添ってあげられるような人になってほしいという意味で竜胆と名付けた。


 そして撫子の苗字と合わせて十六夜 竜胆。


 彼は二人から無償の愛を注がれてすくすく育っていき、やがて六歳になった。


 小学校に入学する歳である。


 しかしその年になってすぐ、ヴァールハイトの元に伝令役の吸血鬼がやってきた。


 なんでも聖十字の一族の長に歴代の中でも最強と謳われる者が選ばれ、猛威を振るい始めたらしい。


 それで勢いを取り戻した一族と渡り合うには、ヴァールハイトの力が必要であると宰相が進言してきたのだ。




 それを聞いたヴァールハイトは数日間考え続けた。


 撫子とともに築いた幸せな家庭を捨てて、王として吸血鬼たちを先導するべきか。


 聖十字の一族の新しい長は、ヴァールハイトでなければ太刀打ちできないほどの強者であるらしい。


 放っておけば吸血鬼という種が根絶やしにされるかもしれない。


「ヴァルさん……」

「撫子……」


 月明かりに照らされる二階のテラスで、一人俯いていたヴァールハイトの背に撫子の呼び声が届く。


 そちらに振り返ると、彼女の傍らには青紫色の瞳でこちらを見上げてくる竜胆の姿があった。


「行ってあげて」


 ヴァールハイトの懊悩を見抜いたかのように、撫子は同族を救いに行くことを提案した。


 その顔には、儚げながらも決心したような表情が浮かんでいた。


「いい、のか……?」

「えぇ、りんちゃんもこんなに大きくなったし、わたしたちを狙ってくる吸血鬼もいない。 それにもしものときは日輪の皆さんもいるのだから、わたしたちは大丈夫」

「けれど……」

「お城の吸血鬼さんたちは、大切な人たちなんでしょう? ならあなたの手で守ってあげて」


 未だに逡巡しているヴァールハイトに、撫子はまっすぐな視線を送る。


 そして傍らの竜胆に目を落とした。


「それにずっと怖い顔してると、この子が怯えるわ。 全部終わらせて、また帰ってきて」


 ヴァールハイトはその言葉を聞いて、強張らせていた身体から力を抜いた。


 そして瞼を閉じて心に誓う。


 全てを終わらせて、またこの家に帰ってこようと。


「すまない……!」


 再び瞼を持ち上げたヴァールハイトの眼には、これまでの平和な日常によって失われていた闘争の炎が燃え上がっていた。


 その瞳を見つめ返した撫子は小さく笑った。


「竜胆、もしも母さんが危ないことに巻き込まれそうになったら、お前が守ってやるんだぞ」


 ヴァールハイトは撫子の前にしゃがみこみ、その傍らに立つ竜胆の頭に手を置いてそう言った。


 それに竜胆は無言で頷き、肯定の意を返した。


「しばらく家を空けるが、その間は任せたぞ。 必ず帰ってくる」

「はい、いってらっしゃい」


 撫子は戦地に向かうヴァールハイトの背を、力強い言葉で押した。


 それとともに、撫子の手を握っていた竜胆は空いている方の手を振ってきた。


「いってきます」


 ヴァールハイトは小さな笑みを浮かべてそう言った後、漆黒の霧と化して闇夜に消えていった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「女は強し!」という言葉が浮かんできたのと同時に、「本当の強さとは」と改めて思いました。人間嫌いなクドラクも認めてしまうほどの強さ。とても憧れます! 千年の時間があっても、六度も同じこと…
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