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18話 ~傷だらけの王と孤独な彼女の出会い Ⅳ~

 撫子はクドラクの手を振り払いながら、違和感の核心を突く問いかけを放つ。


「私は、ヴァールハイト様の側近の……」


 その問に答えようとしたクドラクは、撫子の真っ直ぐな視線を受けて言葉を途中で切った。


 そして俯き、表情に影を落とす。


「ククク……、ハハハハハ!」


 これまでの彼からは想像出来ないような高笑いに、撫子は目の前の人物がクドラクではないことを確信する。


「あ~、もう少しで奴の最高の表情が見れたんだけどなぁ」


 刹那、眼前のクドラクが漆黒の霧として、夜闇に消えた。


「まぁ目の前で殺さなくても、奴は面白い顔するだろ」


 その声は撫子の背後から聞こえた。


 それと同時に、撫子の背が燃えるように熱を持つ。


「ぇ……?」


 直後、その熱は嘘のように冷め、彼女の身体から体温と力を奪う。


 突然のことに理解が及ばないままアスファルトに倒れ込んだ撫子は、自身の視線の先に広がる赤に戦慄した。


 それを理解するや、背中を奔る言葉にならない激痛を知覚して、撫子は意識を手放しそうになった。


「さぁ人間の女ぁ! 自分から生命が流れ出す感覚を味わって、恐怖に顔を歪めて死んでくれよぉ?」


 撫子の頭上からこちらを見下すクドラクの容貌は、全くの別人に変化していた。


 くすんだブロンドの髪を無造作に伸ばした青年は、その顔を狂笑に歪めて撫子を見下ろしてくる。


「な……んだ……。 よ、かっ……た……」


 撫子は背中から夥しい量の血液を流し続けながら、柔らかに笑った。


「んだよ、この女。 自分が死にかけてるってのに……」


 顔面蒼白で血塗れの撫子の笑みを見て、青年は思わず後退った。


 撫子は朦朧とする意識の中、ヴァールハイトが危険な状態あることが嘘だったことと、クドラクに背を斬られた訳では無いことに安堵していたのだ。


「薄気味悪ぃ……。 さっさと死んでくれよ」


 撫子を見下ろす青年は、彼女の上で足を振り上げ、そのまま踏み潰そうとした。



「―――ッッ!!??」



 しかしどこから届いたか分からない、凄まじい殺気によって彼は吹き飛ぶように撫子から離れた。


「……っはぁッ……!」


 一瞬で五十メートル近い距離を取った青年は、殺気によって忘れていた呼吸を取り戻した。


 その瞬間、彼はあの場所で、無残に殺される未来を百回近く幻視のだ。


 そのせいで精神がヤスリで削られたかのように、一瞬で疲弊しきってしまった。


「なで、しこ……」


 青年をそこまで追い込んだ殺気を生み出した主が、撫子の元に跪く。


 そして血走った瞳を震わせながら、血だまりに沈んでいる彼女を見つめる。


「あ、ヴァル、さん……無事だったんだ、ね……」


 自身の命が風前の灯にも関わらず、ヴァールハイトの身の心配をしてくる撫子を見て、彼は過去の記憶が激流のように蘇る。


 この赤い瞳は六度、愛する者の死を見つめてきた。


 目の前で最期の言葉を言い終えて息絶えることもあれば、物言わなくなった亡骸となった姿しか見れなかったこともある。


 今の撫子の姿は過去の記憶に重なるもので、ヴァールハイトの視界を赤く染めていた。


 過去幾度となく目にした鮮血の光景に、現在の赤の光景が重なる。


「おいテメェら、何やってやがる!? さっさとこのクソ王の首とるぞぉ!?」


 そんなヴァールハイトを他所に、青年は叫ぶように呼び掛けた。


 すると周囲の物陰から二十近い赤目の集団が突如出現し、目を見開いているヴァールハイトに襲い掛かった。



「ぁ……?」



 それは刹那の出来事であった。


 襲い掛かった二十近くの吸血鬼たちの姿が、跡形もなく消し飛んだのだ。


 吸血鬼であるブロンド髪の青年の動体視力をもってしても、何が起こったのか全くもって知覚できていない。


 後に残っているのは、冷気を纏う赤々とした霧だけであった。


 それを見て遅れて理解する。


 その霧が青年の眷属たちだったものであることを。


「ッッ……!」


 それを理解するや、青年は夥しい量の冷や汗を流しながら歯を噛みしめ、じりじりと後退った。


 その様子を赤黒く濁った瞳で眺めるヴァールハイトが、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「貴様だけは、簡単に殺さない……」


 一歩一歩、ゆっくりと青年に歩み寄っていくヴァールハイトからは、アスファルトさえ氷結させるほどの冷気が放たれていた。


 一歩、彼が踏みしめた地面が赤い氷で覆いつくされる。


「できるもんなら、やってみろよ!!」


 青年は自身の両手首を爪で切り裂いて鮮血を飛び散らせた。


 そしてそこから溢れた血を纏ってヴァールハイトを迎え撃つ。


 刹那、青年の右腕が氷の欠片として吹き飛んだ。


 それを遅れて知覚した彼は、顔を引きつらせて絶叫をあげた。


「あぁぁぁぁぁぁ!! ……なんてな」


 しかしすぐさま表情を狂笑へと変えて、ヴァールハイトを嘲笑う。


 その瞬間には既に彼の右腕は血液によって再構築され、元通りとなっていた。


「オレの【血流操作】は超再生だ。 いくらテメェの力が強大だろうが、オレを殺しきることなんざ」

「そうか。簡単に死なれても困るからな、ちょうどいい」


 言葉と同時に、今度は青年の両脚が根元から氷結し、はじけ飛んだ。


 しかしそれはすぐさま再生して元通りになる。


 次にヴァールハイトは青年の頭を鷲掴んだ。すると彼の頭部が氷結して爆散する。


「がッ、はぁッ……!!」

「頭部を破壊しても再生するのか。 確かに殺しきるのは骨が折れそうだ」


 ヴァールハイトはそう呟きながら拳を放った。


 それは青年の胸部を文字通り穿ち、そこを伝って全身を氷結させた。次いで薙ぐような蹴撃で青年の氷像を打ち砕く。


 もはや粉と化した青年は、しかしその一欠片からでさえも再生してしまう。


「はぁはぁ、もう、やめ」


 そう言葉を紡ごうとした青年の口を、ヴァールハイトの掌が塞いだ。


 直後に再び氷像化させ、爪撃によって粉々に粉砕する。


 それでもまだ青年の身体は再構築され続ける。



「ヴァル、さん……。 もう、やめて……」


 ヴァールハイトと青年の交戦を、いや一方的な虐殺の場面を離れた位置から霞む視界の中に捉えていた撫子は、消え入りそうな声で彼の名を呼んだ。


 彼女自身は叫んでいるつもりだったが、音として生まれるのは蚊の鳴くような声であった。


 そんなものが相手を殺しつくすことしか考えていない彼に届くはずもなく、氷の破砕音にかき消されてしまう。


「もう動くな……」


 声が届かないことを理解した撫子は、這ってヴァールハイトの元に行こうとしていたが、それを止める声が横から聞こえた。


「クド、ラク……さん……?」

「申し訳ない、こんな事態になってしまったのは私の失態だ」


 クドラクは自身の手首を爪で切り裂きながら撫子に謝罪してくる。


 その声とともに彼女の背にはクドラクの手首から滴る血液がかけられていく。


 それによって傷が修復していき、その際に発生する白煙が彼女の身体を覆いつくしていった。


 クドラクの血液はやがて撫子の背中、右肩から左足にかけてまでに深々と刻まれた致命傷を癒し、彼女からこれ以上命が零れ落ちることが無いように完全に塞いだ。


「あの状態になってしまったヴァールハイト様は、もう誰にも止めることは出来ない……」


 クドラクは一方的な虐殺を繰り返すヴァールハイトの姿を見て、そっと目を伏せた。


 【白銀の冷血王(シルバーファング)】の名を体で表す彼を止められる者は、この世界に誰一人としていないのではないか。


 そう思わせるほど彼の暴力的な強さは圧倒的であった。


「そんなこと、ないよ……」


 クドラクの言葉を聞いた撫子は、ふらつく身体を強引に持ち上げて立ち上がった。


 そして頭上に浮かぶ満月を見上げて呟く。


「あの人は、ヴァルさんはわたしの料理をおいしいって食べてくれた。 一緒にいて欲しいっていうわたしのわがままを聞いてくれた。 全然冷血なんかじゃない、ちゃんと温かい『人』なんだよ……!」


 撫子は何度も転びそうになりながらも、着実にヴァールハイトの元に歩み寄っていく。


 傷がふさがったと言えど、失った血の量は感化できるものではない。


 無理に動けば命の危険があるかもしれないのだ。


「ダメだ! 今の王に近づいたら氷像にされるぞ!」


 背後から腕を掴まれた撫子は、霞んでいるはずの視線をまっすぐにクドラクの視線と交錯させて言葉を放つ。


「わたしはあの人を信じてる。 だから止めないで……!」


 その真摯な言葉に、クドラクの手は撫子の腕を離してしまっていた。


 このまま放っておけば氷漬けにされて死ぬ。


 それが自明の理なのだが、クドラクは彼女がヴァールハイトを救えるかもしれないと心のどこかで考えてしまっていたのだ。


「ヴァル、さん……!」


 撫子はヴァールハイトのあと数歩のところまでたどり着いていた。


 しかし彼は全てを凍てつかせる冷気を放っており、近づこうとする彼女さえも氷像にしかねない。


「ヴァルさん、わたし今までずっと独りぼっちだったの。 親の顔も知らずに孤児院で育って、そこからも出て独り立ちして、本当に一人になった」


 撫子は腕で冷気から顔を守りながら、想いを言葉にしながら、ゆっくりと歩を進めていく。


「だからあなたと出会ったとき、あなたの心に触れて驚いた。 わたしなんか比にならないくらい寂しい気持ちを抱えている人がいるんだって」


 撫子の手が、ヴァールハイトの背に向けて伸ばされた。


「だからわたしは、あなたを部屋に迎え入れたのかもしれない。 自分と近しい存在として。 でもあなたと過ごした数日間は、私にとってかけがえのない日々だった」


 彼の背に近付くにつれて、彼女の指は白く凍結していく。


「またあの日々に戻りたい。 だから奥さんたちの仇だとしても、殺しちゃダメ……! 殺したら、もう戻れなくなっちゃう……!」


 しかしそんなことも厭わずに撫子はヴァールハイトの背に触れた。


 その瞬間、吹雪の如く放たれていた冷気が収束したように感じられた。


「お願い、またわたしところに、帰ってきて……!」


 その隙をついて、撫子はヴァールハイトの背に抱き着いた。


 未だに凄まじい冷気を発していたが、彼女は凍結の痛みに耐えて強く抱きしめ続ける。


「なで、しこ……?」


 背後からの抱擁に気付いたヴァールハイトは、双眸に光を宿して思考を取り戻した。


 それと同時に、彼から放たれていた冷気が完全に収束し、撫子の氷結が停止した。


「よかっ……たぁ……」

「……ッ! 撫子!!」


 血を失ったことと冷気による体温低下、そしてヴァールハイトが元に戻ったことに安堵した撫子は、霞んでいた意識を完全に手放してしまった。


 そんな彼女を力強く抱きしめたヴァールハイトは、千年近く流すことが出来なかった涙をこぼした。


 それは撫子の心の温度によって、冷血王の凍り付いた心が溶けて生じた雫の様であった。


 

 このときのことは見聞していたクドラクによって語られており、王室で知らぬ者はいないほど撫子は有名になっていた。


 このときの話は、金糸雀のように弱い人間が、【白銀の冷血王】の氷結した心を溶かした逸話、【カナリアの奇跡】として今も王城内で語られている。

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