17話 ~傷だらけの王と孤独な彼女の出会い Ⅲ~
そんな日々を過ごす中、ついにヴァールハイトの側近に、彼が人間の家を拠点として活動していることがばれてしまった。
「ヴァールハイト様、いったいどういうおつもりですか!? 人間の女と寝食を共にするなど!!」
彼はヴァールハイトが最も信頼を置く、側近のクドラクといった。
ヴァールハイトとは長さも色も対極のような漆黒の短髪に、凛々しい顔つきはクラスの委員長のような雰囲気を醸し出していた。
「我がどこを拠点にしようが関係ないだろう」
「あります! 低俗な人間などと共に暮らしていては吸血鬼としての品格が」
「そんなことで落ちるほど、我の品格は低いものではない」
クドラクの言葉を強引に断ち切ったヴァールハイトは、鋭い眼光でクドラクを睨みつける。
「喧嘩しないの! こんな玄関先で迷惑でしょ」
そんな二人の間に入ったのは、二人よりも頭二つ分ほど小さな撫子であった。
この言い合いは撫子の部屋の前、扉の外で行われていた。
それを見かねた彼女が二人の間に割って入ったのだ。
「続きは部屋の中で。さ、上がって」
撫子は二人の間を通り抜けて玄関に入っていった。
それを追うようにヴァールハイトが歩んでいったため、クドラクも不機嫌な顔をしながら撫子の部屋に上がった。
「臭い」
「えぇ!? 女の子の部屋に入ってそれは酷いわ!」
クドラクの第一声を受けた撫子は、雷に打たれたようなショックを受ける。
そんなことを気にする様子もなく、クドラクは拳を鼻に押し当てていた。
人間嫌いのクドラクにとって、人間が生活をしている場所は人間の匂いが強すぎるのだ。
「いいや、そんなことはどうでもいい」
クドラクは顔を顰めつつも、拳を鼻から離した。
「ヴァールハイト様、今すぐ私が根城にしている場所に行きましょう。 王が人間と共に暮らしているなどあってはなりません」
「どうでも良くないんだけど……」
クドラクの発言に半目で俯いた撫子は、とぼとぼとキッチンの方向へ歩いて行ってしまった。
そんな彼女を他所に、二人の言い合いが再開する。
「いい加減にしろ、クドラク。 人間と寝食を共にしようが、奴らには必ず報いを受けさせる」
「いい加減にするのはどっちですか。 そもそも吸血鬼が人間の食事を摂ることなどできないでしょう!」
「……いいや、撫子が作る料理には味があった。 千年近く前に食したものとは全く違っていたのだ」
ヴァールハイトは、最近毎食のように食べている撫子の手料理を思い返して、記憶と比較する。
そしてその違いを言葉にしてクドラクに伝えた。
「まさか、あなたともあろう方が【味覚変調】を起こしたというのですか!?」
吸血鬼は元来人間の血を食料として生き繋ぐ。
大半の者が人間の血液以外は受け付けず、人間の食事を口にしても無味乾燥で、砂のようにしか感じられない。
しかし【味覚変調】を起こした吸血鬼であれば人間の食事に味を感じることが出来るのだ。
それは文字通り吸血鬼の味覚を変える突然変異で、人間の血液以外にも旨味を感じることが出来るようになる。
「いや、撫子の作る料理以外は今までと同じ。 まるで砂を食んでいるかのようだ」
「……それは重症ですね」
「なんだと……?」
「はい、喧嘩はおしまい。 おやつがあるからこれ食べて」
一触即発の場面に二人分の皿を突き出して割って入った撫子は、ヴァールハイトはの隣に腰かける。
彼女が差し出した皿には、焼きたてのパンケーキが乗せられていた。
「なんだこれは……?」
クドラクは顔を顰めて皿の上のパンケーキを睨む。
「まぁまぁ、食べてみてよ」
「私は……」
撫子の提案を断ろうとしたクドラクは、無言でそれを口に運んだヴァールハイトを見て口を噤んだ。
そして自分もそれに倣ってパンケーキを口に運ぶ。
「どう……?」
「……やはり私には味を感じることは出来ない。 ヴァールハイト様、あなたは間違いなく【味覚変調】を起こしています」
「この我が……」
「それも、この女に対する感情が引き起こしたものです」
「わたし……?」
クドラクの発言に撫子は首を傾げた。
「ヴァールハイト様、あなたはこの女を愛しく想ってしまっている。 だからこの女が作る料理だけ味を感じることが出来るのです」
「へっ!?」
「何を馬鹿な……!」
クドラクの説明に、撫子は頬を染めて裏返った声を上げ、ヴァールハイトは立ち上がりながら声を荒らげた。
「そうとしか考えられません。 【味覚変調】は大体が人間を認めることで起こる現象なのですから」
「そんな、こと……」
クドラクの言い分を否定しようとして、ヴァールハイトは言い淀んでしまう。
この数日間を撫子と過ごして、確かに彼の中で彼女の存在は大きくなってきていたのだ。
「はぁ……まさかヴァールハイト様がこんなことになるなんて。 致し方ない、私はもう何も言いません」
クドラクは首を横に振って深いため息を吐いた。
そして椅子から立ち上がり、部屋から出ていこうとする。
「あなたもここにいていいのよ」
「いいや、私は人間とともに暮らすことなど考えられない。 時折ヴァールハイト様の様子を見には来るが、あまり馴れ馴れしくするな」
冷たい視線で撫子をあしらったクドラクは、彼女に背を向けて玄関へと向かう。
「ヴァールハイト様、ようやく奴らの足取りが掴めました。 数日で潜伏場所の特定が済みます。 準備が整い次第、掃討を行いますので、そのときは伝えに来ます」
彼はそう言い残して玄関から出ると、漆黒の霧と化して姿を消した。
掃討という物騒な言葉に反応した撫子は、悲しげな表情でヴァールハイトに向き直った。
「同じ吸血鬼さんなのに、どうして争わなければならないの……?」
「……奴らは大罪である同族殺しを犯した。 その報いは受けさせなければならない」
「でも……」
「お前たち人間もそうだろう。 罪を犯した者は相応の罰を受ける」
「そう……ね」
撫子はヴァールハイトの言い分に納得してしまった。
罪科を犯したものに罰が与えられるのは自明の理だ。
「……そういえば、あなたは王様なのでしょう? そんなあなたが自ら追いかけてくるなんて何か理由があるんじゃ……?」
言い返す言葉が見つからない撫子は、代わりにヴァールハイトと会ってからずっとわだかまっていた疑問を投げかけた。
彼が吸血鬼の王だとすれば、王本人が罪人を追いかけて海を渡ることなど、周囲の者たちが許さないはずだ。
「……お前に隠し事は出来そうもない。 すべてを話そう」
そうしてヴァールハイトは、王である自分がこの国にいる経緯を語り始めた。
「そんなことって……」
感情の起伏がない静かな声で語られた経緯に、撫子は瞳を震わせた。
ヴァールハイトの語った過去は、聞いている側も身を裂かれるような悲劇であった。
千年の時を生きる吸血鬼の王にはこれまで六人の妻がいた。
それは同時期に側室を持っていた訳ではなく、千年の間に五度、妻が変わったのだ。
それはなにもヴァールハイトが軟派者であったからではない。
かつての妻たちは、彼の勢力に反発する吸血鬼の一派によって暗殺されたのだ。
その反抗勢力の一族を追って、ヴァールハイトは海を越えてきたのだという。
「あの一族だけは、我がこの手で根絶やしにしなければならないんだ……」
ヴァールハイトは瞋恚の炎を宿した瞳で、己の拳を見つめながら呟く。
撫子は初めて彼に触れたときに感じた虚無感と、その話が繋がって深く悲しんだ。
かつて愛した者たちを六度も奪われているのであれば、心が凍り付いて当然である。
「……私には心の底から愛したことのある人はいないけれど、もし愛する人が殺されたら、あなたのように耐えることは出来ないと思う……」
撫子は複雑な表情で訥々と言葉を紡ぎ始めた。
「あなたは強い、だからその強さを暴力じゃなく優しさに変えて欲しい……」
彼女は言外に妻たちの仇を殺すなと言っているのだ。
そんな彼女の言葉を聞いて、ヴァールハイトは椅子から立ち上がった。
「貴様に何がわかるというのだ……」
そして撫子に背を向け、玄関に繋がる廊下へと消える。
「待っ……!」
撫子が彼の背を追ったものの、そこには開け放たれた扉と漆黒の霧の残滓しか残っていなかった。
やがてその残滓さえ跡形もなく消滅し、彼がここにいた証は失われてしまった。
それから二日間、ヴァールハイトは撫子の前に姿を現さなかった。
分かったような口を聞いたことを思い返していたが、あの発言に後悔はしていない。
罪を犯したものに罰を与えるのは当然だが、それは生きて償わせるべきなのだ。
相手を殺したところで得られるのは虚無感だけであり、大切なものは何一つ返ってこないだろう。
「寂しい……なぁ……」
数日ぶりの一人の夜に、撫子は震えた声を漏らしていた。
一人の食卓がこれほどまでに寂しいものなんて、今までは知らなかった。
そんな悲しみに打ちひしがれている彼女の耳朶を、部屋のチャイムの音が叩いた。
「誰かしら……?」
「撫子さん! ヴァールハイト様が!!」
「!?」
それは焦燥したクドラクの声で、撫子は跳ねるようにソファから立ち上がって玄関に駆けた。
「あの人がどうかしたの!?」
焦燥した表情で扉を押し開けた撫子は、玄関先のクドラクに問いかける。
「いいからすぐ来てください!」
「う、うん!」
撫子はクドラクに手を引かれ、すぐさま部屋を飛び出した。
「どういうことだ、クドラク!?」
「分かりません……。奴らは私たちが居場所を特定したことに、気付いてないふりをしていたのかも知れません!」
ヴァールハイトとクドラクは追ってきた吸血鬼の一派の根城に乗りこんでいた。
しかしその廃墟はもぬけの殻だったのだ。
彼らはすぐさま廃墟を飛び出し、まだそう遠くには行っていないと断定して民家の屋根を伝って索敵していた。
手を引かれて駆けるうちに、撫子は目の前のクドラクに違和感を覚えた。
何故彼は忌み嫌っている人間である撫子に敬語を使い、手を引いているのだ。
「待って」
「どうしたのです!? ヴァールハイト様が危険な状態なのですよ!?」
立ち止まった撫子に対して、クドラクは焦燥した表情で言葉を投げる。
「本当にあの人が危険な状態だったとして、何故人間であるわたしを連れていくの? わたしが行ったところで何が出来るというの? それに、人間嫌いのあなたが何故わたしに触れているの?」
撫子は務めて冷静に、目の前のクドラクに質問を畳み掛ける。
それを受けて目を白黒させた彼に、撫子はさらに問う。
「いったいあなたは、誰なの……?」




