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16話 ~傷だらけの王と孤独な彼女の出会い Ⅱ~

「さ、どうぞ上がって」


 撫子は部屋の鍵を開けて靴を脱ぐと、スリッパを差し出してヴァールハイトを出迎えた。


「……」

「あぁ! 日本の家では靴を脱いで上がるのよ」


 無言のまま土足で部屋に上がろうとしたヴァールハイトに、撫子が苦笑しながら注意する。


「面倒な習慣だな……」

「でも靴を脱いだ方がリラックス出来ると思うけど」


 そう笑いかけながら撫子は奥の部屋へと進んでいった。


 そんな彼女の背中を眺めながらヴァールハイトもスリッパに履き替えて、遅れて部屋に向かう。


「狭くてごめんなさいね、すぐご飯用意するからその辺に座ってて」

「……我は人間の食事は食えないぞ」

「えぇ!? 吸血鬼さんって本当に人間の血しか飲めないの!?」


 ベッドに腰掛けながらそんなことを言うヴァールハイトに、撫子がショックを受けたような反応をする。


「残念ねぇ……。 たくさん作れると思ったんだけど……」


 残念そうな表情をしながら頬に手を当てる撫子を見て、ヴァールハイトはため息をついた。


「作ってみるといい。人間の食事を取ったのは千年近く前のこと、今なら食せるやもしれぬ」

「千年!? あなた、いったい何歳なの……?」

「千を超えるあたりから数えるのをやめた」


 撫子の素っ頓狂な声に、ヴァールハイトは一言で答えた。


 その言葉を聞いて、撫子は静かに笑みをたたえて呟く。


「それだけ生きていれば、楽しいことも悲しいことも沢山あったのでしょうね……」

「……あぁ」


 その答えに撫子は小さく笑って、キッチンの方へと消えていった。




 十分と少し経った後、撫子は次々とキッチンから料理の乗った皿を運び込んできた。


 それは遥か昔に紛れ込んだ人間の社交界で、テーブルを彩っていた料理のように美しいものであった。


 だがそのときの料理は、ただ美しいだけであった。


「……我が食せなかったらどうするつもりなのだ?」


 社交界の料理には程遠いが、二人で食べるのには多すぎるうえ、ヴァールハイトが食べることが出来なかったら確実に残る量だ。


「はっ、そんなこと考えてなかったわ! どうしましょう、お隣さんたちに配っても迷惑がられちゃうかしら……」


 撫子は本当に何も考えずに作ったようで、おろおろとしていた。


 久方ぶりに自分以外へ振る舞う料理を作るため、腕によりをかけてしまったのだ。


「まぁいい。 ……これはなんだ?」


 ヴァールハイトはそんな撫子に呆れながらも、椅子に腰掛けてテーブルの上の料理に目をやった。


 そして取り皿の前に置かれている二本の棒を手に取って問いかける。


「お箸よ? こうやって使うの」


 撫子は右手に箸を持って器用に動かして見せた。


 その動きを見て難色を示したヴァールハイトは、見よう見まねでその動きを模倣しようとする。


「くッ……!」


 しかし上手くいかずに箸を取り落としてしまう。


 それを見て撫子は楽しそうに笑った。


「お箸は難しいわよね。フォークとナイフもあるからそっちを」

「構わない。 この棒切れを使いこなせない我ではない」

「ふふっ、ならわたしが教えてあげるわね」


 撫子はヴァールハイトが意地を張っているのが可笑しくて、柔らかな笑みを浮かべながら彼に箸の使い方を教えた。



 撫子の教えによって箸の使い方を覚えたヴァールハイトは、ようやく料理に手をつけた。 


 その様子を見守る彼女は、彼の反応を待っていた。


「……問題ない、食える」

「はぁ、良かったぁ……」


 ヴァールハイトの一言に緊張の糸を緩ませた撫子は、椅子の背もたれに体重をかけて安堵のため息をついた。


 そんな彼女の様子を見つめながら、ヴァールハイトは口の中に広がる味に驚いていた。


 以前人間の食事を口にしたのは千年近く前だったが、あのときのものは無味乾燥で喉さえ通らなかったのだ。


 それなのに目の前の女が作ったものは、どうしてこれほどまでに様々な味がするのだろうか。


「さぁ、どんどん食べて~」


 その味を知ってしまったヴァールハイトは、箸を使って次々と料理を口に運ぶ。


 先ほどは問題ないと言ったが、彼は味を噛み締めて、心の中では美味いと呟いていた。


 その様子をにこにこしながら眺めていた撫子も、箸を持って料理を口に運び始めた。



 初めて美味しいと感じることが出来た人間の食事に、ヴァールハイトはさらに心を溶かされた。


 撫子も孤児院を出てからずっと感じていた孤独感を、彼の存在が忘れさせてくれた。


 互いの存在が、互いの冷えきった心を優しく包み込み、氷解させていったのだ。



「ねぇ吸血鬼さん。 これから行くところはあるの?」


 二人とも食事を終え、空いた皿を片付け終えたテーブルには頬杖をつく撫子と、腕を組んで椅子の背もたれに背を預けているヴァールハイトが向き合っていた。


「我は大罪を犯してこの国に逃げ込んだ吸血鬼を追ってきた。その者たちを探しているところだ」

「一人で来ているの……?」

「まぁそんなところだな。追っている派閥の吸血鬼たちが日本に着くまでの間にバラバラに逃げてな。 それを追うために我の臣下も散り散りとなった。 今日本にいるのは我と側近一人だけだ」


 ヴァールハイトはテーブルの上で手を組み合わせ、その上に顎を置いてこれまでの経緯を語る。


「……吸血鬼さんでも寝泊まりするところは必要よね? ならここを使ってくれていいわよ」


 撫子の申し出に、ヴァールハイトは目を見開いて驚いてしまった。


 人間が吸血鬼を家に住まわせるなど聞いたことがない。


「何を言ってるのか分かっているのか……?」

「いくところがないならいいじゃない、ここにいてよ……」


 撫子は目を伏せながらヴァールハイトに懇願した。


 その言葉によってヴァールハイトは俯き、やがて口を開く。


「我は吸血鬼だ。 いつ貴様の首に牙を突き立てるか」

「あなたはそんなことしないわ。 それにわたしは十六夜 撫子っていうの」


 撫子の即答に、ヴァールハイトは面食らってしまった。


 人間の血を食料とする吸血鬼を、どうしてここまで簡単に信用できるのだ。


「あなたの名前も教えて、一回じゃ覚えられなかったから」


 撫子は苦笑してヴァールハイトに名前を問うた。


 彼は夜道で名を口にしたが、いかんせん日本人にとっては長い名前なので一度では覚えられなかったのだ。


「……ヴァールハイト・アルカードだ」

「ヴァールハイト……。 ならヴァルさんね!」

「ヴァル……!? 貴様、この我を」


 いきなり馴れ馴れしい呼び方を提案した撫子に怒鳴ろうとしたヴァールハイトは、しかしその唇に指を当てられ言葉を封じられた。


「貴様じゃなくてな・で・し・こ!」


 彼の口を封じたのは撫子の細い指で、彼女は頬を膨らませながらそんなことを言ってくる。


「……撫子」

「なぁに?」


 その言葉によって再び椅子に腰を下ろしたヴァールハイトは、彼女の名を呼んだ。


 それに対して嬉しそうに返事をした撫子は、彼の次の言葉を待っている。


「我は吸血鬼、それも真祖の王だ。 この命を狙っている者も少なくない。 我をここに置くということは、この場所が戦場になるかもしれないのだぞ?」

「……」


 それを理解したのか、撫子は俯いて自身の手の甲を見つめた。


 その反応を見たヴァールハイトは、椅子から立ち上がって部屋から出ていこうとする。


 そんな彼の背にふわりと縋り付く影があった。


「待って……!」


 背を向けて出ていこうとするヴァールハイトに、撫子は背中から抱きついてその足を止めさせたのだ。


「それでも、わたしはあなたと一緒にいたい……。 もうわたしを独りにしないで……!」


 ヴァールハイトの背に顔を押し付けながら、撫子は震える声で自身の感情を発露させた。


 今まで溜め込んできた感情を乗せた撫子の言葉に、ヴァールハイトは唇を噛み締めた。


「…………」


 自分の選択如何によっては、彼女を危険に巻き込みかねない。


 死なせてしまうかもしれない。


 しかしそう考えている時点で、ヴァールハイトにとって撫子が大切な者になりかけているのだ。


 離れたくないと思っているのは撫子の方だけではない。


「……分かった。 目的を達成するまで、ここにいさせてもらおう」

「っ……!!」


 撫子はその答えに泣き出しそうになったが、喜びが勝って彼の身体を強く抱きしめた。




 こうして撫子とヴァールハイトの、人間と吸血鬼の奇妙な共同生活が始まった。


 平日の日中、撫子は仕事に出ているため家を空ける。


 その間にヴァールハイトは自身が追っている吸血鬼の捜索を進めていた。


 彼は夜遅くに帰ってくるのだが、撫子はいつも彼のことを待っていた。そして玄関まで笑顔で出迎えに来る。


 吸血鬼と違い人間は睡眠を取らなければならない。そのため待っている必要はないと言っても毎日起きており、出迎えに来るのだ。



 そんな日々を過ごす中、ついにヴァールハイトの側近に、彼が人間の家を拠点として活動していることがばれてしまった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 絶対にナイフ・フォークを使わないと意地を張るヴァールハイト可愛い…。 そして撫子さん、名前のやりとりのとこ可愛い…。
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