14話 ~断絶の一週間Ⅱ~
竜胆たちに背を向けて森から抜け出した弦月は、がむしゃらに走り続けて自身の家に着いた。
息は絶え絶えで、鼓動も早鐘のように鳴り続けている。
「おかえり、弦月」
「おかえりなさい、弦月ちゃん」
そんな弦月を迎え入れたのは父である宗也と、義母である恵であった。
弦月の実の母親は彼女が物心ついてすぐにいなくなってしまい、最近再婚したのが目の前にいる恵である。
彼女は物腰が柔らかく、前妻の子供である弦月にも、本当の子供のように優しく接してくれる。
しかしそれでも弦月は自身の中にある母親像との乖離を無視できず、彼女との間に一線を引いてしまっていた。
「まぁ、膝を擦りむいてるじゃない! 今手当を」
「大丈夫!……です」
駆け寄ってこようとする恵に、弦月は柔らかな拒否を示してしまう。
それを受けた彼女は、行き場のない想いを旦那である宗也に向けた。
「弦月、何かあったのか?」
彼は膝の傷だけではなく、大量の汗に切らせた息、そして時折首筋を気にする動作から弦月が常とは違う状態であることを悟った。
「うん……」
弦月は宗也の問いに小さく頷くものの、その内容を話し始めようとはしない。
そんな彼女がちらちらと視線を送っているのは隣に佇む恵であった。
「傷を洗って、着替えたらお父さんの部屋に来なさい」
父のその言葉に頷いた弦月は靴を脱いで家に上がり、水道の方へ駆けて行った。
「すまないな……」
「いいえ、仕方のないことです……」
恵に対して明らかな拒絶の意を向ける弦月の行動を、宗也は悲しげな表情で謝罪した。
それを受けた彼女は、儚げな笑みを浮かべながら首を横に振った。
「父さん」
「あぁ、入っていいよ」
ノックと共に呼びかけてくる声に、自室にいた宗也は声を返す。
それを聞いた弦月はゆっくりと扉を押し開き、宗也の自室へと足を踏み入れた。
彼女は汚れた服から、いつも家の中で着ている簡素なパジャマ姿に着替えていた。
「それで、何があったんだい?」
「うん……」
優しげに問いかける宗也に、弦月は先ほどあったことを全て話した。
声を絞り出すように語る弦月は、時折泣き出しそうになったりしながらも、すぐに話し終えた。
「そうか……竜胆君が……」
宗也は弦月の首に残る傷跡に触れながら小さく呟いた。そして瞳を閉じて黙考する。
「父さん……?」
そんな様子の宗也に弦月は不思議そうな視線を送った。
そして数秒の後に瞼を持ち上げた宗也は、真剣な眼差しを弦月に向けて口を開いた。
「弦月、これから話す事をよく聞くんだ。 とても大切な話だから、ちゃんと聞いてほしい」
いつになく真剣な宗也の表情に、弦月は言葉を発することなく頷いた。
「弦月は吸血鬼って知ってるか?」
「……うん。物語の中に出てくる、人間の血を吸う空想上の化け物……だよね?」
「そう、人間の生き血を食料として生きる種族だ。 けれど空想上というのは間違っている」
「ぇ……?」
「吸血鬼は現代にも生き続けている。 伝説上の生き物などではないんだよ」
宗也の断言に、弦月の瞳が震える。
勘の良い彼女は話の流れから、このあと開示される事実を先読みすることが出来た。
「それって、竜胆と満月は……」
「そう、あの二人は、吸血鬼だ」
「そん、な……」
弦月はその事実に目を見開き、しかし先ほどのこと思い出して納得してしまう。
竜胆の変容や尋常ではない力、万力のような力で弦月を押さえていた彼を吹き飛ばすほどの膂力を備える満月。
そして何より、弦月の首元に残る噛み痕が何よりの根拠となっている。
「正確に言えば竜胆君は完全な吸血鬼ではない。 半分人間の、ハーフヴァンパイアなんだ」
「ハーフ……?」
「あぁ、だからこそ不安定な存在で、今夜の満月にあてられてしまったんだろう……」
弦月は先ほどの竜胆の姿を思い出して、あれが吸血鬼としての彼であることを理解し、身震いしてしまった。
「今日のことショックだったよな、怖かったよな。 けど吸血鬼が人を傷つけることなく人間社会に溶け込むことが、並大抵のことではないということは分かってあげてほしい」
宗也は弦月を抱きしめ、優しく頭を撫でながら諭すように言葉を紡ぐ。
弦月は父のぬくもりに包まれたことによって、これまでこらえ続けていた感情が決壊し、涙としてあふれ出した。
「父、さん……。 私、どうすれば、いいかなぁ……?」
宗也のシャツの背をぎゅっと握る弦月は、しゃくりをあげて言葉を切りながらもそう問いかける。
「それは父さんにも強制はできないんだ。 弦月が自分で選ぶべき道なんだよ」
己の選択を他者に任せようとする弦月に、宗也は言い聞かせるような声で囁いた。
突き放すような言い方に聞こえるが、こればかりは弦月自身が選ばなければならない。
「それじゃ、わから、ないよ……」
「そうだね、だから父さんからは一つだけ」
宗也は弦月から身体を離し、そして彼女の瞳をまっすぐに見つめ、再び言葉を継ぐ。
「弦月が幸せになって、なおかつ後悔しない選択をするんだ」
「!!」
「時間がかかってもいい、けれど選択を間違えないでほしい。 父さんにとっては弦月が、幸せに生きてくれることが一番の願いだから」
「うん……私、ちゃんと考えるよ……。 絶対に後悔しない選択をするよ」
彼女の瞳には未だに不安の色が見て取れたものの、宗也に依存するような表情は消え、涙も止まっていた。
それを見た宗也は小さな笑みを浮かべ、立ち上がった。
「さて、明日も学校があるんだ。 早くお風呂に入って寝なさい」
「うん」
宗也の言葉にほんの少しの笑みを称えて頷いた弦月は、彼の部屋から出ていこうとした。
しかし宗也に再び声をかけられ、足を止める。
「……弦月」
「なに?」
「……もう一つだけ隠していたことがあるんだ」
小さく息をついた後に口を開いた宗也は、何かを決心したかのような面持ちで弦月の方に向き直る。
弦月は宗也に語られた最後の秘密を聞いて、驚愕した。
それは竜胆や満月が吸血鬼であったことを打ち明けられたことよりも、弦月を動揺させる事実であった。
翌日から弦月は竜胆と満月から距離を置くようになり始めた。
それは拒絶の意ではなく、今二人と関わってしまうと、自分の決断を揺るがしてしまうような気がするためであった。
そうして一週間近くが過ぎようとていた金曜日の放課後、下駄箱で竜胆と満月が弦月の前に現れた。
弦月は二人を見るや、挨拶だけして通り過ぎようとした。
そんな態度をとってしまう自分に心が痛んだが、まだ迷いがあるため二人と関わるわけにはいかない。
「弦月!!」
上履きから靴に履き替えた弦月が背を向けて去っていこうとする中、竜胆が声を張り上げて彼女を呼び止めた。
突然の大声にびくりと肩を震わせて立ち止まる弦月に、言葉が投げかけられる。
「あの日はごめん。 謝って済むような問題じゃないってことは分かってるけど、それでも本当にごめん」
弦月の背後で竜胆が深々と頭を下げる。
それに合わせるように、満月も両膝に手を当てながらぺこりとお辞儀する。
「今すぐに事情を話したいのは山々なんだけど、他の『人』に聞かれる訳にはいかないんだ……」
そして頭を上げた竜胆は、真っ直ぐに弦月の背を見つめながら言葉を継ぐ。
「だから三人で話したい、弦月に隠してたこと全部、全部伝えるから」
竜胆の独白のような言葉に、弦月は俯いた。
隠していたことというのは二人が吸血鬼であることに間違いない。
『人』に隠さなければならないことを、誠意をもって弦月にはきちんと話そうとしてくれている。
「ごめんなさい……」
「ゆづちゃん! 話だけでも」
それだけ言い残して駆け出そうとした弦月を、満月が悲痛な声で呼び止める。
弦月はその声によって足を止めてほんの少しだけ振り返り、二人の姿を視界の端に捉える。
「もう少しだけ待ってて? 私が自分で答えを出すから、必ずそれを伝えるから」
弦月は絞り出すようにそう言い残して玄関から走り去った。
残された二人は寂しげな表情ながらも、目を合わせて小さく頷き合っていた。
金曜日が終われば二日間の休みが入る。
そこでこの選択に決着をつけることを決めた弦月は、考えに考え抜いた。
そして日曜日の夜、選んだ道を伝えるために再び宗也の部屋へと赴いていた。
「どうした、弦月?」
「父さん、私決めたよ」
その言葉だけで何のことかを理解した宗也は、無言で続きを促した。
「この一週間、私は自分の意志が揺らがないように二人と極力関わらないように過ごしてたの。 でもね、そんな日々に楽しさを感じなかった……。 胸の中にぽっかりと穴が開いたみたいに、ずっともやもやしてたの」
弦月はこの一週間、自身が抱え続けた言葉にしがたい空虚感を宗也に伝えた。
その間は視線を地面に向けていたが、言葉を切ったところで顔を上げてまっすぐに宗也と視線を交錯させてきた。
「吸血鬼だったとか関係なく、二人は私にとってかけがえのない大切な幼馴染なの。 離れることなんて考えられない。 二人から離れる選択をしたら、私は絶対に幸せになれないし、ずっとずっと後悔する。 だから私は、竜胆と満月と一緒に居続けるよ」
そう言い切った弦月の瞳には、もう迷いの色など一切なかった。
彼女の決断に、宗也は目頭を熱くさせたものの、娘の前で泣いてしまうのは情けないと思い、ぐっとこらえた。
「そうか……。 なら竜胆君たちにも伝えないとな」
「うん、明日ちゃんと伝えるよ」
翌日、宗也に伝えた選択を竜胆と満月に伝えた。
それを聞いた満月は号泣して弦月に抱き着き、竜胆は泣き出しそうな笑みを浮かべてその様子を見ていた。
この断絶の一週間を経て三人の絆はより深まり、強固なものとして未来まで繋がり続けているのだ。
◆◆◆
雲一つない高天に、丸く満ちた月が顔を出して地上を照らしている。
それはヘイグとの約束の日が来たことを告げる目印であった。
「…………」
日輪邸の玄関先で靴を履いて座ったまま、竜胆は無言で自身の掌を見下ろしていた。
そんな彼に振り返った満月は、小さく微笑み、彼の手を引いた。
「りんくんは頑張ったよ。 必ずゆづちゃんを助けることが出来る」
「あぁ、お前はたったこれだけの期間でよくやったよ」
満月の前方で壁に寄りかかる新月も、竜胆に微笑みを向ける。
この一週間、竜胆は新月によって一から鍛えられた。
これまで人間として平穏な日常を送ってきた竜胆にとって、それは過酷なものであった。
しかし弦月を救うためには必要なことだ、と歯を食いしばって乗り越えた。
間違いなく以前の自分とは大きく違うということを、自身が一番理解している。
それでもあのヘイグ・ブルーハを下せるかといえば、自信をもって首を縦に振ることが出来ない。
「よしッ!!」
しかし拳を強く握ることでそんな不安を吹き飛ばした竜胆は、満月の手を力強く握り返して立ち上がった。
そして目の前の満月に、少し先で待つ新月に告げる。
「行こう、弦月を助けに……!!」
竜胆たち三人は日輪家と連合の吸血鬼たちに見送られながら、日輪邸を飛び出した。
そしてそれに遅れて他の吸血鬼たちが日輪邸から散開し、しかしその全員が向かう場所は竜胆たちの目的地、町はずれの廃遊園地であった。
最終的な作戦は、先行した三人がヘイグの元にたどり着いたら合図。
周囲に潜伏する日輪家と連合の者たちが一斉に取り巻きと交戦する、という流れに落ち着いていた。
青白い満月が浮かぶ静かな夜に、蒼井弦月の救出をかけた決戦の幕が上がろうとしていた。




