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13話 ~断絶の一週間~

 あの日、竜胆たち三人は近所の森を駆け回っていた。


 日は完全に落ちて、赤々とした不気味な輝きであたりを照らす満月が、夜天に顔を出していた。


 そんなことにも気が付かないほど、三人は夢中になって遊んでいたのだ。



「きゃっ!」


 三人は夜になって視界が悪くなっていた森の中で、時間も忘れて鬼ごっこをしていた。


 鬼として竜胆と満月を追いかけていた弦月は、盛り上がった木の根につまずき転んでしまった。


「ゆづちゃん、大丈夫……?」

「傷、見せて」


 駆け寄ってきた満月は、大きな瞳をうるうると涙ぐませながら弦月に問いかける。


 竜胆は彼女の前に片膝を付いて優しく囁いた。


「うん……」

「ッッ……。血、凄い出てるよ……」

「……」


 満月は一瞬目を見開き、すぐに顔をしかめた。


 一方竜胆は目を見開いたまま弦月の傷口を凝視していた。


 その瞳は赤月の光の影響か、元の黒紫色と混じって赤紫色のように見えた。


 満月は弦月の傷に気を取られて、竜胆のそんな様子に気がつくことが出来なかったのだ。


「ぐ……、あぁぁ……」

「りんくん……?」


 突然呻き始めた竜胆に、満月が、怪訝な表情で呼びかける。


 竜胆はその声が聞こえていないのか、呼びかけに全く応じることが無い。


 直後、竜胆が弦月の身体を押し倒して地面に押さえつけた。


「りん、どう……?」


 とてつもない力で押さえつけられる弦月は、身動き一つ取れない。


 身体の上にある竜胆の瞳は光の反射など関係なしに赤紫色に染まっており、口からは普段見えない八重歯が、いや牙が覗いていた。


「ぅ、ぁぁ……!!」


 様子がおかしい竜胆は、獣のような声をあげながら弦月の首元に顔を近づけた。


 そして鋭い牙が彼女の首筋に立てられ、深々と沈み込む。


「いっ……!」


 突然首筋に鋭い痛みが走った弦月は、顔を歪めて短い声をあげた。


 それが竜胆の牙によるものだと理解するや、彼女の瞳が恐怖の色に支配される。


「いやッッ……!!」


 弦月は必死に竜胆を振りほどこうとしたものの、彼の身体はびくともしない。


「りんくんっっ!!」

「がッッ!!」


 満月の呼び声の直後、弦月の視界から竜胆の姿が掻き消えた。


 それとほぼ同時に、あたりに生育する植木の枝が何本もへし折れる音が弦月の耳に入った。


 視界から竜胆が消えた弦月の目には、片足を振り抜いた状態で立つ満月の姿が映る。


 そして音がした方に目を向けると、そこには仰向けで植木に乗っかっている竜胆の姿が見て取れた。


「な……に……?」

「ごめんね、ごめんねゆづちゃん……!!」


 膝をついて泣きながら謝る満月に対して困惑した表情を浮かべる弦月は、次いで首筋から離した手に付着する血を見て目を見開いた。


「痛かった……よね……?」


 満月は涙をこぼしながら弦月の首筋に刻まれてしまった、穴のような二つの噛み痕に触れようと手を伸ばす。


「いやっっ!!」


 しかし、弦月は近づいてくる彼女の手を打ち払った。それは明確な拒絶であった。


 伸ばした手を弾かれた満月は、手の痛みと拒絶されたことによる衝撃で瞳を震えさせた。


 弦月は満月のチャームポイントである八重歯を見て、それを先ほどの竜胆のものと重ねてしまったのだ。


 それ故に、身体が勝手に満月の手を拒んでしまったのである。


「ゆづ、ちゃん……?」


 弦月は満月の手を叩いた手を自身の胸に引き寄せて押さえつけ、視線を斜め下の地面に落として黙り込んでしまった。


「ゆづ……」

「ッ……!!」


 その沈黙を破ったのは、満月によって吹き飛ばされた竜胆の声であった。


 それに過剰反応した弦月は、びくりと肩を震わせ、彼の方へ目を向けた。


 植木から起き上がった彼は、こちらに歩み寄ってこようとしている。


 しかし弦月にとっては赤紫色の瞳も、口から覗く牙も畏怖の対象でしかなくなっていたのだ。


 そして彼女は二人に背を向け、脇目もふらずに逃げ出した。


 一切振り返ることなく森の闇に消えてった彼女の背中を、竜胆と満月は追いかけることが出来なかった。




「…………」

「……りんくん、蹴っちゃってごめんね」

「……ううん、満月が止めてくれなかったらおれはあのまま……」


 震え声の満月の謝罪に、竜胆は目を伏せながら歯を食いしばり、爪が食い込むほど拳を握りしめていた。


 夜天に浮かぶ満月の影響と、弦月の血を見たことで活性化した吸血鬼の血によって、竜胆は彼女の血を求めてしまったのだ。


 あとほんの少しでも満月の対処が遅ければ、竜胆は弦月を吸血してしまっていただろう。


「気付かなくて、ごめん、ねぇ……!!」


 満月はぺたんと地面にへたり込み、わんわんと泣き始めてしまった。


 純血の吸血鬼である彼女は、口内を出血させて吸血衝動を抑える術を親に叩きこまれていたため、弦月の血を見たときに咄嗟に対処することが出来た。


 しかしハーフとして生きてきた竜胆は、重度の吸血衝動に襲われることはないと考えられていたため、その術を知らなかったのだ。


 しかし吸血鬼である満月から見れば、竜胆が吸血衝動に襲われていることなど一目瞭然のはずだったのだ。


 それなのに彼女は弦月の心配ばかりして、彼を気にかけることすらしていなかった。


「泣か、ないで……」


 大泣きする満月に寄り添った竜胆は、しかし彼女の悲痛な表情を見て表情を歪める。


 そしてつられたように、彼も苦しげな表情で涙を流し始めてしまった。


 赤色の月光に照らされる森の中で、二人は泣き続けた。


 人間に拒絶された吸血鬼は、寄り添って月に嘆きを上げ続けていた。




「満月……」

「うぇぇん……」


 それからどれほど泣き続けたのかわからない。


 先に泣き止んだのは竜胆であった。


 彼は泣きはらした眼を擦った後、満月に手を差し伸べる。


「帰ろう……」

「う、うん……」


 満月を泣き止ませるために無理矢理とられた竜胆の気丈な態度と、優しく差し伸べられた手によって、滂沱として流れていた彼女の涙は弱まった。


 手を取った満月を立ち上がらせると、竜胆は森から出るために歩みを進め始めた。


「家まで送るよ」

「……あのさ、今日はりんくんの家にお泊りしていい……?」


 竜胆の提案に、満月は震える声で答える。


 そのときの彼女は竜胆の手をぎゅっと握っており、瞳も大きく揺らいでいた。


「一人じゃずっと泣いちゃって、寝られないと思うから……」

「……うん、母さんに聞いてみるよ」


 満月のその想いには、竜胆も共感していた。


 幼馴染としてずっと一緒にいた弦月からの拒絶。そんなものを一人で乗り越えられるわけがない。


 竜胆と満月は固く手を繋いだまま、撫子が待つ彼の家へと帰っていった。




 家に着いて撫子に迎え入れられるや、満月はまた大泣きしてしまった。


 泣きじゃくって理由を話せない満月に代わり、竜胆がことの顛末を語った。


「そう……、辛かったわね……。 満月ちゃんのお家にはわたしから連絡しておくから、今日は泊っていってね」


 撫子は竜胆と満月をまとめて抱きしめ、慈しむような声音で二人を慰める。


 その柔らかな声に竜胆も再び泣き出しそうになるが、ぐっとこらえて口を開く。


「どうすれば、ゆづと仲直りできる……?」

「そうね……。まずは心の底から謝ること。そして今まで隠してきた秘密を打ち明けること。そこからはもう、ゆづちゃん次第……」


 撫子は竜胆の問いかけに真剣な表情でそう答えた。


 その答えをしっかりと受け止めた竜胆は大きく頷き、行動することを決めた。



 この夜、竜胆と満月は撫子と共に三人で布団に入り、彼女のぬくもりに包まれて眠りについた。


 しかし竜胆も満月も眠りながら何度も涙を流し、見ている撫子の心を痛ませた。


 この日の出来事は竜胆にも満月にも弦月にも、その家族にも大きな傷を残し、忘れることのできない過去となっている。


   ◆◆◆


「…………」


 少女は崩落した天井の隙間から差し込む月光に照らされていた。


 彼女は石柱に背を預けながら、小さな寝息を立てて浅い眠りについている。


 いや、眠りについたというのは語弊があるだろう。


 彼女の右手首には冷たい鉄鎖が巻き付けられており、それが巨大な石柱と繋がっているのだ。


 もう四日近くこの状態でここに監禁されているのだから、疲労で眠りに落ちたとしても何ら不思議ではない。


 食事も最低限与えられているが、まともなものではないためほとんど喉を通らない。


 少女、蒼井 弦月が監禁されているのは町はずれにある廃遊園地。


 弦月たちが幼い頃には栄えていたのだが、時代の流れからか、数年前に潰れて全てがそのまま放置されている。


 そんな廃遊園地のアトラクションの一つである建物の中に、彼女は捕らえられていた。


「ん……」


 彼女は硬い床と柱の寝苦しさに苦悶の表情を浮かべて、眠りから覚醒した。


 そして瞼を持ち上げた彼女の瞳に青白い月光が降り注ぐ。


 もちろん通電などしていないこの場所の光源は、夜天に輝く月や星々のみとなっており、夜はそれだけが頼りだ。


 浅い眠りによって暗闇に慣れたとはいっても、人間である弦月はそれほど夜目が効かない。


 そのため近づいてきた存在に、目の前に立たれるまで気が付くことが出来なかった。


「ッッ……!」


 弦月の眼前に突如現れたのは赤髪の短髪を掻きあげた青年であった。


 その青年、ヘイグ・ブルーハは弦月のことを見下ろした後、彼女の前にどっかと腰を下ろした。


「なぁ、女。 なんでテメェは人間でありながら吸血鬼と共にいやがる? あの出来損ないや女が吸血鬼であることを知ったうえで、だ」


「…………」


 ヘイグの問いかけに、弦月は顔を背けながら無言の答えを返した。


 それを見た彼は弦月の顎を強引に持ち上げ、強引に彼女の視線を自身の眼と合わせる。


「答えろ。出来損ないの母親もそうだが、好き好んで吸血鬼と関わろうとする人間の気が知れねぇ……。オレたちにとっちゃお前らは食料でしかねぇんだからよ」


 そう問いながら弦月の瞳を覗くヘイグの瞳には、困惑ともとれる感情が渦巻いている。


 弦月はそれに答えるために口を開いた。


「人間とか吸血鬼とか、そんなもの関係なく、私たちは物心ついたときから一緒だった」


 開口した弦月の顎から手を引くと、彼女は小さく語り始めた。


「遠い昔のある日に、私は身をもって竜胆たちが吸血鬼であることを知って、逃げ出してしまった……」

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