10話 ~選ぶべき道~
「……!! ゆづッ、くッ……!」
意識を取り戻した竜胆は、直前のヘイグに殺される瞬間を思い出したのではなく、攫われかけていた弦月の名前を口にした。
しかし身体に走った激痛に呻いたことで言葉は途切れた。
「りん……くん……?」
そのか細い声は、竜胆のすぐ近くから聞こえてきた。
ようやく現状を把握した竜胆は、自室のベッドに横になっているということを理解した。
窓から差し込むのが青白い光ということは、今は夜なのだろう。
「りんくん……! よかっ……たよぉ~」
竜胆のベッドに顔を押し付けて眠っていたのだろう満月は、彼が目を覚ますや涙を流しながら抱きついてきた。
「痛っ、待て満月、今はまずい……」
「あ、ごご、ごめんね! でも目を覚ましてよかったよぉ……。 りんくん、丸一日目を覚まさなかったんだから」
満月は既に幾度も泣いたのだろう、涙が乾いた頬を再び濡らしていた。
「丸一日……。 弦月は!? ッッ……」
「興奮しないで、りんくん」
満月は身を乗り出してくる竜胆の肩に手を置いて落ち着かせた。
「ゆづちゃんは、ヘイグに捕まってるの……」
「くそッッ……!!」
竜胆は強く握りしめた拳をベッドに叩きつけた。
そんな彼を宥めるように、満月が言葉をかける。
「で、でも大丈夫だよ」
「なんでそう言いきれるんだよ。あいつは人間で、吸血鬼たちの巣窟になんて捕えられていたら……」
「それは……」
「何か知ってるんだったら全部話せ」
何かを隠そうとする満月に、竜胆は棘のある声音を向けた。
「うん……」
その後満月から聞いた話では、彼女が現場にたどり着いた時には聖十字の一族の一人がヘイグと向かい合っており、話をつけていたそうだ。
「次の満月の夜に、遊園地跡で待つ……か」
竜胆は聖十字の一族の男がつけた約束の内容を復唱した。
「うん……。 もう一度だけ戦うことを条件に、りんくんは殺されなかったみたい」
「けど、聖十字の一族がなんで俺の味方をするんだ……?」
「それは……私も、分からないよ」
満月は目を伏せながら竜胆の質問に答えた。そしてそのまま小さく言葉を継ぐ。
「りんくん、約束だからって一人で行くなんて絶対ダメだよ……。一週間でヘイグに勝てるようになんてならないよ……」
「それ、は……。でも俺が一人で行かないと弦月は……!」
竜胆は満月の現実的な言葉に、目を伏せた。
しかしすぐに顔を上げ、震える瞳で満月のことを見つめる。
その様子から、竜胆自身もたった一週間でヘイグに太刀打ちできるようになるとは思ってないことがわかる。
「大丈夫、うちのみんなに助けてもらおう……。あたしも力になるから……」
優しげな声音とともに、竜胆の身体が満月に抱き寄せられる。
後頭部を引き寄せられ、彼女の豊かな双丘に包まれた。
満月は竜胆の顔をぎゅっと抱きしめ、彼の灰髪を撫でた。
「満月……」
「なぁに?」
竜胆は満月の胸の中で彼女の名を呼び、強引に顔を離して言葉を続ける。
「俺が一人で行かないと、あいつが危ないんだ……」
「そう、かもしれないけど……。でも一人じゃりんくんが危ないんだよ……」
ヘイグが出した条件は、聖十字の一族や吸血鬼の援軍を連れてこないこと。
それを守らなければ弦月の身に危険が及ぶかもしれないのだ。
しかし一人で敵の巣窟に行くことが、自殺行為であることも理解していた。
「分かってるよ……!」
竜胆はどうにもならない状況に、思わず声を上げてしまった。
そのタイミングで部屋の扉がノックされ、二人の会話が断ち切られる。
そして数秒後、扉が開かれ一人の女性が竜胆の部屋に入ってきた。
その女性、撫子は普段の柔らかい表情とは違った、凛々しい表情で竜胆を見つめていた。
「母さん……」
「満月ちゃん、少し二人にしてくれるかしら……?」
「は、はい……」
そんな撫子の言葉に気圧された満月は、そそくさと部屋から出ていった。
それを見送った撫子は後ろ手に扉を閉め、竜胆のベッドへと近づいてくる。
「りん」
「…………」
竜胆は撫子の呼びかけに答えることなく自身の掌を見下ろす。
彼女は普段竜胆のことをちゃん付けで呼んでいるものの、昔から説教や諭すときはそれを取り払って呼ぶ。
「お母さんの前では強がらなくていいのよ」
「……!!」
撫子の慈しむような声音が、竜胆の強がりを揺るがす。
「全部、りんの口から聞かせて」
その言葉をきっかけに、完全に竜胆の強がりは崩れ去った。
そして独白するように一言一言、言葉を吐き出していく。
「母さん……俺のせいで弦月が……」
「うん」
「俺が弱かったから、何も出来なかったから……」
「うん」
強がりを取り払われた竜胆の口からは押しとどめていた言葉が、瞳からは涙が堰を切ったように溢れてきた。
「俺みたいな出来損ないと一緒にいたから、弦月は……!」
竜胆は涙を零しながら激情を撫子にぶつける。
「それは違うわ」
「ぇ……?」
しかし吐き出した言葉を否定され、竜胆は気の抜けた声をこぼしてしまう。
「りんと満月ちゃん、吸血鬼と共にあることを選んだのは彼女自身。 その言葉はあの日を乗り越えて決断した、彼女の尊い選択を汚してしまうわ」
「……!!」
その言葉が胸に響いた竜胆は目を見開き、そしてベッドのシーツを強く握りしめた。
「母さん……俺は、どうすればいい……?」
「りんはどうしたいの?」
月光に照らされた撫子の微笑みは、竜胆の傷付いた心を癒し、同時に迷いを断ち切らせた。
「俺は……」
撫子と入れ替わりで竜胆の部屋を出た満月は、一階のリビングのソファに腰掛けて瞳をうつむかせていた。
先ほど竜胆に説明したことは真実である。
しかし一点だけ隠していることがあったのだ。
「どうして聖十字の一族が味方をするのか……か」
竜胆に隠したその理由は、今のところ満月だけが知っている重大な秘密であった。
そしてそれを隠したのは金髪の男との約束であったからだ。




