第7話 襲撃
それからのウェンゼルの人生は凄惨なものだった。
目指していた騎士としての誇りを捨てスリにこの身をやつし、何とか毎日を生きていくので精一杯だった。
時には掏った相手に捕まり、気絶するまで殴られることもあった。
だがウェンゼルは諦めなかった。必ずあの男に復讐する。ただそれだけを考えて毎日を生きてきた。皮肉なことに最早それだけが、ウェンゼルの生きていく糧になっていた。
そして今ウェンゼルは懐に黒く光る拳銃を忍ばせて、かつてみどりのいえのあったあの場所に向かって走っていた。
この拳銃は少し前に闇市で怪しい老人から買ったものだ。弾も一発しかなく、試し打ちも出来ていないので不安は拭い切れないが背に腹は代えられない。今日決めるしかない。そう自分に言い聞かせ、震える手を押さえながらあのカジノを目指した。
カジノに着いたら裏手に回り、従業員用の出入口を見張れる木陰に身を隠して、あの男が出てくるのを待つことにした。
今日は閲曜日だ。いつもなら夕方にはカジノを部下に任せて、一人で繫華街に飲みに行くはずだ。
問題はカジノから繫華街までの道のりには人通りの少ない場所がなく、襲撃にはあまり適していないということだ。ただそうも言っていられない。いざとなったら人ごみの中であろうと突撃していくと胸に誓い、ただひたすらにその時を待った。
何時間待っただろうか。
空が夕焼けで朱く染まった頃、あの男がヘラヘラしながら一人でカジノから出てきた。
ベルメスの顔を見た瞬間、ブワッと全身の血が沸き立つのを感じた。心臓の音がうるさく、息も苦しい。だがそうしている間にベルメスを見失ったら元も子もない。何とか息を整えてバレない様に慎重に後をつけていった。
繫華街への道を歩きながらいつ踏み出すべきか逡巡していると、不意にベルメスが横道に入っていった。
何だ?今日は飲みに行かないのか?しめた、これはラッキーかもしれない。この道は確か人がほとんど通らない裏通りに続いているはずだ。大方女のところにでも向かっているのだろう。そこでなら襲撃のチャンスは十分にあるように思えた。
15分程歩くと人気が全くない広い通りに出た。
この場所は初めて来た。こんな場所があったのか。
ベルメスは自分の背丈くらいの高さの石碑を見ながらチョビ髭を撫でていた。あれは先程ヴォルフが言っていた受戦碑だ。何故アイツがそんなものを見ているのかは分からなかったが、これは千載一遇のチャンスだ。
ウェンゼルは意を決してベルメスの前に飛び出した。
「おいお前!」
「んっ?何だ?」
ウェンゼルは拳銃を突き付けた。ベルメスの顔色がサアッと青ざめるのがわかった。
「お、おい何だよ急にお前。そんな物騒なモンひとに向けてんじゃねえよ!」
「……お前俺のことを覚えてないのか?」
「えっ?どっかで会ったことあったっけ?わりいな、俺はひとの顔覚えんの苦手なんだよ」
何てことだ。コイツは俺達にあれだけのことをしておきながら、既に顔さえも忘れたというのか。
でもよく考えれば当然かもしれない。おそらくコイツは俺達以外の沢山の人にも似たようなことをやっているに違いない。その顔を逐一全部は憶えていないのだろう。
ふとグレール達の顔が頭に浮かび上がり、それは言いようのない怒りに変わった。
「大方俺が前にぶっ殺したやつらの遺族の誰かってとこか?そん時のことは謝るからさ。この通り水に流してくれよ」
全く反省の色が見られない形ばかりの謝罪を聞いた瞬間、ウェンゼルの中で何かが弾けた。
気が付けば引き金を引いていた。
タァン
「がはっ」
醜い声を上げてベルメスは仰向けに倒れ込んで動かなくなった。弾は見事に心臓に命中したようで、左胸の辺りからじんわりと血が滲み出てきた。
やった。やってしまった。もう後には戻れない。
俺は人殺しだ。
だが後悔はしていない。コイツは死ぬべきだった。コイツが生きている限り俺は一生今以上に後悔し続けただろう。コイツを殺す以外に、俺にはもう生きていく術がなかったんだ。
かといってコイツの死体をこのままにしておくわけにもいかない。後のことはまったく考えていなかったので、どうするべきか死体に近づいて様子を伺おうとしたその時、チクッとした痛みを足に感じた。すると次の瞬間、全身に激しい痛みが走りその場に倒れ込んでしまった。
「ぐあああああああああ」
「アッハッハ、どうだウェンゼル君、そいつはすこぶる効くだろう?」
そう言いながらベルメスは颯爽と起き上がった。手には小さな針のようなものを持っている。
バカな、こいつは今確かに心臓を撃って殺したはず。それに俺のことを『ウェンゼル君』と言ったか?俺のことは忘れてたんじゃないのか?
「おやおや何が起きたかわからないって顔してるな。俺がウェンゼル君の顔を忘れるわけがないじゃないか。俺とウェンゼル君の仲だろ?さっきのは小粋なジョークだよ。忘れたって言ったらウェンゼル君ビックリするかなって思ってさ。実際ビックリしただろ?アハハ。ちなみにこの針に塗ってあるのはこの辺りに生えてるミラージサボテンって植物のエキスを配合した毒でさ。死にはしないから安心しろよ。その代わり半日くらいは激しい痛みに襲われて動くこともままならないだろうけどな」
「なん……で……銃……」
「あん?ああ何で銃で撃たれたのに生きてんのかって?そりゃーペイント弾で撃たれたくらいでくたばる程俺もヤワじゃねーよ。優しいウェンゼル君のことだ、俺を気遣ってペイント弾に替えてくれたんだろ?なーんちゃってこれも冗談だよ。そう怒るなって。まあちょっと考えればわかんだろ。お前に銃を売ったジジイ、ありゃ俺の手下なんだよ。最初からこの銃にはペイント弾しか仕込まれてなかったのさ」
「な!そん……な……」
「それなのにウェンゼル君たら、この場所に誘い込まれてるとも知らずにノコノコついて来ちゃうんだもんなー。そりゃこんなことになっちゃうよ。知らないオジサンについて行ったらダメよって、あの冴えない神父に教わんなかったのか?あ、ウェンゼル君にとって俺は知らないオジサンじゃないからいいのか!」
「まさ……か……全部……」
「ああそうだよ。一から十まで全部お前は俺の掌の上で転がされてたんだよ。ウェンゼル君がなかなか俺に会いに来てくれないから、わざわざ俺が明日出国するって噂も流してさ」
「!な……んで……こんな……」
「ん?何でってそりゃ楽しいからだよ。それ以外の理由があるか?俺は今のお前みたいなツラをしてるやつを見るのが一番の趣味なんだ。あの絶望に絶望をブッ掛けて、更に絶望で塗り固めたみたいなツラを見てると心がホッコリするんだよ。だから俺はカジノを経営してるんだ。全財産を賭けた勝負で敗けたやつは大体今のお前みたいなツラをしてるからな。まったくみんなよくやるぜ。イカサマでボッタくられてるとも知らずによ」
「……えっ?」
「あれ?もしかしてカジノはイカサマなんかしてない、公明正大な施設だとでも思ってたか?んなわきゃねーだろこっちも商売なんだから。プロのディーラーは何でも好きなカードを客に配ることができるんだぜ。まあ流石にここまで露骨な道具は店では使わねーけどよ」
そう言ってベルメスはあの時と同じ様に、懐から二つのダイスを取り出して地面に投げた。
出た目は6と5だった。
「……!」
「そうだよ。このダイスは6と5しか出ねーようになってんだよ。他にも1しか出ないやつとか色々持ってんぜ。これでいつも俺はお前達の時みてーにちょっとした余興を楽しんでるってわけだ」
「イカサマは……してないって……」
「言ってたら何?それは信じる方がバカでしょ?そんなんじゃ社会で生きていけないよウェンゼル君。まあ、一番からかいがいがありそうだからウェンゼル君だけ殺さずに残してあげだんだけどね」
ウェンゼルは目の前の風景がぐにゃあと歪んでいくのを感じた。
何なんだこれは。俺はどんな悪夢を見ているんだ。最初から最後まで全部いいように弄ばれてたってのか。
こんなやつに、みんなは、グレールは。
「いやーそれにしてもあん時のお前の妹の最後の台詞には俺も感動したね。確か『お兄ちゃん、カレー作ってあるから温めて食べてね』だっけか?泣けるー!今から自分が殺されるって時に、自分より兄を気遣う妹の愛にオジサン胸が打ち震えたよ。そんだけ言うから余程美味いのかと思ってそのカレー味見してみたら、クソ不味かったから全部ぶちまけちゃったけどね」
「て……てめええええええええ!!!!殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるー!!!!!!」
「はいはい、そーいうのはオジサン聞き飽きてるんだよねー。何でこーいう時ってみんな似たようなことしか言わないんだろ?まっ、ネタばらしも済んだことだし、そろそろいっかな。おーい、アルゴス」
「はい、ボス」
どこからともなくアルゴスが音もなく現れた。
「こいつ俺の城の拷問部屋に運んどいて。後で遊ぶから」
「はい、ボス」
クソ!クソ!クソクソクソ!悔しい悔しい悔しい悔しい!!!何でグレールはこんなやつに!!!
グレールは毎日神様にお祈りするような本当に優しい子だったのに。何で神様は助けてくれなかったんだ!何で俺には何の力もないんだ!妹一人守れなくて何が騎士だ!
俺に力さえあれば。大事なひとを守れるだけの力さえあれば。
誰でもいい。悪魔でもいい。誰か俺に力をくれ。誰か俺を
「たす……けて……く……れ」
「ニャー」
……!
「オウオウ何だよ。楽しそうなことしてんじゃねーかよ。ちょっとその喧嘩俺も混ぜろよ」