第6話 惨劇
その日は澄み渡るような晴天だった。ウェンゼルは孤児院『みどりのいえ』の庭で、日課の木剣の素振りをしていた。
ウェンゼルと妹のグレールは、数年前からこのみどりのいえで育てられている。みどりのいえはその名の通り、高台の上にある緑に囲まれた孤児院だ。
ウェンゼルの父と母はお互い契約核人と契約機人で、この国に騎士団員として従事していたが、ウェンゼルが9歳の時に戦死した。
近しい親戚もいなかったウェンゼル達は、このみどりのいえに引き取られた。幸い経営者の神父様は良い人だったし、他の孤児達ともすぐ仲良くなったので、周りが思う程自分達が不幸だとは思わなかったが、一つ下の妹がたまに夜泣いている姿を見た時だけは、何で自分達がこんな目に合わなきゃいけないんだと運命を呪わずにはいられなかった。
孤児達はウェンゼルとグレールの他に9人いて、今では11歳になったウェンゼルが最年長だった。
素振りを終えると、丁度グレールがこちらに近付いてくるところだった。
「精が出るねお兄ちゃん」
「ああ、俺の目標は父さんと母さんを超える騎士になることだからな」
「そんなことしなくても、私が将来イケメンの金持ちと結婚して、お兄ちゃんを養ってあげるよ」
「またそれかよ。いつも言ってるけど、俺は妹に養ってもらうような情けない男になるつもりはねーよ」
「ふふ、テレちゃって、本当は嬉しいくせに~。そうそう、お昼できたからみんな呼んできて」
「おう」
もうそんな時間か。今日の食事当番はグレールのようだ。なら味は期待できそうだ。
「残念だったなお嬢ちゃん。俺はイケメンで金持ちだがロリコンじゃねぇんだ。あと十年早く生まれてればワンチャンあったかもな」
突然羽虫が耳元で飛んでいるかのような耳障りな声がしたので振り返ると、カジノのディーラーの格好をしてチョビ髭を生やした、濁ったドブの様な眼をした男が立っていた。その横にはやたらガタイのいい黒服が、用心棒のごとく仁王立ちしている。
ウェンゼルはその二人の姿を見ただけで、言いようのない不安に駆られた。グレールも似たようなものなのか、顔が真っ青になり足が小刻みに震えている。
何なんだこいつら。まさか。
「俺の名はベルメス・オリューホス。先の戦で前元首をブッ殺してめでたく現元首になった男だ。覚えておいて損はねーぜ」
そのまさかだった。男はチョビ髭を撫でながらそう名乗った。
国民に優しかった前元首とは違って、新しい元首はろくでもないやつだと神父様も言っていた。ウェンゼルは顔を見たことはなかったが、こいつがそうだったのか。でもなぜ。
「その元首様がこんなところに何の用だよ」
「アッハッハ、なかなか口の減らないガキだな。よし、お前にするか」
「あ?何がだよ」
「すみません、我が孤児院にどういった御用でしょうか?」
「あっ神父様!」
ただならぬ空気を察したのか神父様が庭に出てきた。
他の子供達もゾロゾロと集まってきて、神父様の後ろに隠れながら不安そうにこちらを見ている。
「おう、あんたがここの経営者か。あんたは俺のこと知ってるよな?」
「今の元首様ですよね」
「ああ、なら話しは早え。悪いけど今すぐに全員ここから出てってくれ」
「なっ!……何故ですか?」
「俺はこの国を世界一のカジノ大国にするつもりだ。そんで見晴らしのいいこの高台に、巨大なカジノを建てることにした。だからお前達は邪魔なんだよ。命までは取らねえからさっさと今すぐ出てけ」
「……申し訳ありませんがお断りいたします」
「ほう?何故だ?」
「わざわざ説明しなければおわかりになりませんか?ここの子供達は他に身寄りがない子達ばかりです。ここを追い出されたら路頭に迷ってしまいます。どうか寛大なお心で、お考え直しください」
「なるほど、確かにあんたの言うことも一理あるな。よし、俺も鬼じゃねえ。お前らに一度だけチャンスをやろうじゃねえか」
「チャンス?」
「ああ、ちょっとしたゲームだよ。人生とはこれすなわちギャンブルだからな。おいガキ、これを持て」
「えっ?」
そう言ってベルメスは懐から二つのダイスを取り出し、ウェンゼルに手渡してきた。ウェンゼルは木剣を地面に置き、ダイスを受け取った。
「これは」
「見ての通りただのダイスだ。もちろんイカサマなんかしてねーから安心しな。見たところ、この孤児院のメンツは神父を入れて12人、二つのダイスの目の最大合計値も12。こりゃちょっとした運命じゃねーか。ガキ、お前がそのダイスを振ってここにいる人数と同じ6のゾロ目を出したら、俺はこの孤児院からキッパリと手を引いてやるよ」
「なっ!そんなの確率36分の1じゃないか!受けられるかよそんな勝負!」
「俺は別にお前が受けようが受けまいが、どっちでもいいんだぜ。受けなきゃ問答無用で強制退去になるだけだ」
「くっ」
「いけませんウェンゼル!あなたがそんな無謀な勝負に付き合う必要はありません。私がこの方を説得しますから」
「……いや、やるよ」
「ウェンゼル!」
「神父様、こいつは神父様が説得して、どうこうなる人種じゃないよ。それに俺がクジ運良いのは知ってるだろ?36分の1くらい引いて見せるよ」
「ウェンゼル……」
「アッハッハ、カッコイイね~ウェンゼル君。よし、勝負成立だ。人生を賭けた大勝負だぜウェンゼル君!さあ、ダイスを振りな!」
「クソッ!」
渾身の祈りを込めてウェンゼルはダイスを振った。
二つのダイスは放物線を描いて地面に転がり、まず一つ目のダイスが止まった。
ダイスの目は6だった。
よし!あと一つ!
そしてもう一つのダイスが止まった。
ダイスの目は、5だった。
「ああーおっしいー!ざーんねーん!いやー流石の俺も一瞬肝を冷やしたぜ。お前なかなかやるじゃねーか。見直したよ」
「えっじゃあ」
「でも勝負は勝負だからな。俺も心を鬼にして刑を執行するぜ」
「はっ?刑?」
「アルゴス、やるぞ」
「はい、ボス」
「顕現せよ、機鎧銘:バーデン=バーデン」
ドウン
ベルメスがそう唱えるとアルゴスと呼ばれた男の身体が眩く光り、一瞬にして巨大な人型の機械に変身した。
これが機鎧なのか。ウェンゼルの両親も、決して息子の前では機鎧化することはなかったので、目の前で機鎧を見るのはこれが初めてだった。
バーデン=バーデンはベルメス同様、カジノのディーラーのような姿をしていた。そしてベルメスはスゥーっと吸い込まれるように機鎧の中に消えていった。
「どうだい?こいつが俺達の機鎧のバーデン=バーデンだ」
バーデン=バーデンの前方の空間に、大きなモニターの様なものが浮かび上がり、そこにベルメスとアルゴスの姿が映った。機鎧の中の様子を映しているのだろうか。
前方のシートにベルメスが座り、後方のシートにアルゴスと呼ばれた黒服が座っている。ただ、アルゴスの肉体は機鎧になっているはずなので、あれは精神体の様なものかもしれない。
「おい!何で機鎧になってんだよ!それに刑ってなんだよ!」
「察しがわりーな。行間を読めよクソガキ。お前がギャンブルに敗けたんだから、その分のツケを払ってもらうんだよ。お前らの命でな。ダイスの目の合計値が11だったから、ざっと11人分てとこか」
「なっ、ふざけんな!聞いてねーぞ、そんな話!」
「いや、俺は確かに言ったぜ。『人生を賭けた大勝負だ』ってな。てことは敗けたら人生終わるのが普通だろ?」
「はあ?そんな屁理屈認めるわけねーだろ!」
「下がっていなさいウェンゼル」
「!神父様」
「元首様、私の命は差し上げます。ですからどうか子供達の命だけは――」
「ああ、そういうのいいから」
ヒュン
グシャ
え?あまりのことに一瞬何が起こったか理解が出来なかった。
バーデン=バーデンの指から何かが弾かれて、それが神父様の頭部に激突した。それはカジノなどによくあるチップだった。ただ直径が20cm程あり、見るからに硬そうな金属でできている。
そんなものが高速で頭にブツかったらどうなるか。
神父様は脳漿をブチまけて倒れていた。明らかに絶命していた。
「キ、キャアアアアァァァァ!!!」
「うわああああぁぁぁぁ!!!」
「アアアアァァァァ!!!」
一拍置いてから子供達は、阿鼻叫喚に散り散りに逃げ出した。
ベルメスはチョビ髭を撫でながら、逃げていく子供達の背中に向かってまたチップを向けて――。
ヒュン
グシャ
「た、助け――」
ヒュン
グシャ
ヒュン
グシャ
「神さ――」
ヒュン
グシャ
ヒュン
グシャ
ヒュン
グシャ
ヒュン
グシャ
ヒュン
グシャ
ヒュン
グシャ
一瞬の出来事だった。一瞬で辺り一面は地獄絵図と化した。
ついさっきまでいつもと変わらない日常の風景が広がっていたはずなのに、今は見る影もなく、子供達だったものが、一面に巨大なチップと共に転がっていた。
こんな時でも天気は先程と変わらず澄み渡るような晴天で、世界は自分達とは何も関係なく動いているのだと実感せずにはいられなかった。
残されたのはウェンゼルとグレールだけで、二人共余りの恐怖に一歩もそこを動けずにいた。
「あーマズったな。もうちょい楽しんでジックリやるはずだったのに、テンション上がってついやりすぎちまったよ。まあ俺もこう見えて優しい男だからな、苦しまずに逝けただけよしとするか。じゃああとはお嬢ちゃんだけだな、痛くしないからそこ動くなよ」
「ま、待ってくれ!グレールだけは勘弁してくれ!やるなら俺をやってくれ!」
「お兄ちゃん!」
「ダメだ。ダイスを振ったのはお前だろ?だからお前には、残りのみんなの最後を見届ける義務があるんだ……よ!」
バシッ
ウェンゼルはバーデン=バーデンの指で弾かれて激しく吹っ飛んだ。
おそらく軽く撫でただけなのだろうが、巨体の馬に轢かれたかのような衝撃がウェンゼルを襲った。
「ガハッ」
「お兄ちゃん!」
「おっと動くなよお嬢ちゃん。動いたら大事なお兄ちゃんを殺しちゃうぜ?お嬢ちゃんが素直になってくれればお兄ちゃんは助けてやるからよ」
「……ホントですか?」
「おう約束するぜ。俺は約束は守る男だ」
「ま……て……グレ……ル」
余りの痛みに全身が動かない。
ダメだグレール。それだけはダメだダメだダメだ。お前がいなくなったら俺はもう生きていけない。だからせめてお前だけでも生きていてくれ。
だがグレールはウェンゼルの祈りに相反するように覚悟を決めた顔をすると、ウェンゼルの方を見てニッコリと微笑んでからこう言った。
「お兄ちゃん、○○○○○○○○○○○○○○○○」
ヒュン
グシャ
「グレールー!!!!!!」
ウェンゼルの脳は現実を受け止めきれなくなり気を失った。
意識が途切れる直前、ベルメスがチョビ髭を撫でながら高笑いしているのが目に入った。
気が付くといつの間にか日が傾いていた。
既にベルメス達の姿はなかったが、目の前の光景は当然変わっていない。
グレールの胸にはチップが深々と突き刺さっており、それは陳腐な墓標のようにも見えた。
ウェンゼルはグレールの胸からチップを抜き取った。グレールは死んだとは思えない程安らかな顔をしている。ウェンゼルはグレールを抱きしめながら嗚咽した。それは一切光の届かない地の底から響いてくるような、とても悲しい泣き声だった。
どれだけの時間そうしていただろう。辺りはすっかり暗くなっていた。
ウェンゼルは涙を拭きながら立ち上がると、グレールの身体を抱えながら山の奥深くに歩き出した。そしてみどりのいえから大分離れた見晴らしのいい場所に穴を掘り、そこにグレールを埋めて簡素な墓を建てた。
この場所は嫌なことがあるとよく来ていた場所だった。グレールが死んだ両親のことを思い出し、泣き止まなくなってしまった時などは二人でこの場所に来て、グレールが泣き止むまで頭を撫でてやった。そのことを思い出すと、さっきあんなに泣いたばかりなのにまた涙が溢れてきた。
だがいつまでも泣いているわけにはいかない。ウェンゼルはまだ痛む全身に鞭を打ちながら、一晩かけて全員の遺体をグレールと同じ場所に埋めた。
全てが終わりみどりのいえに戻ると、既に東の空には朝日が顔を覗かせていた。
ウェンゼルはみどりのいえの中に入ったが、そこも酷い有り様だった。全ての家具や食器がメチャクチャにされていて、グレールが作ったと思われる昼食が床にぶちまけられていた。
ウェンゼルは地獄の底から湧き上がるかの様な、激しい憎悪の炎を全身に感じた。
荒らされた家具の中からなんとか二枚の写真を見つけると、暫くそれを見つめていた。一枚は幼い頃に両親とウェンゼルとグレールで撮った家族写真。もう一枚はみどりのいえのみんなと撮った家族写真だった。
ウェンゼルは写真をポケットにしまいながら、どんな手を使ってでも生き延びて、必ずあの男に復讐することを固く胸に誓った。
近くの木に留まっている小鳥が、チュンチュンと囀る声が聞こえていた。