第19話 温泉
ウェンゼルがトウマから聞いた、カツェレーネ王国に起きた事の顛末は、想像を絶するものだった。
僅か二週間程しか経っていないにもかかわらず、少なくとも表向きは気丈に振る舞っているヴォルフに、ウェンゼルは改めて畏敬の念を抱いた。
果たして自分が同じ立場に立った時、ヴォルフの様に行動できるだろうかと考えたが、それはあまり意味がないことだと思い直した。大事なのは、これからヴォルフのために、自分に何ができるのかだ。
と、それはいいのだが、ウェンゼル達は今、何故か温泉に入っていた。
「いやー、やっぱ温泉ってのはいーもんだよなウェン坊」
「ニャー」
「ヴォルフ、名前で呼んでくれるようになったのはいいんだけど、ウェン坊じゃなくちゃんとウェンゼルって呼んでくれよ」
「アァン、オメェみてーな毛も生えてねーガキンチョは、ウェン坊で十分なんだよ。どうしてもウェンゼルって呼んでほしかったら、ヴォルフポイントを年間一万ポイント以上貯めて、プレミア会員になるんだな」
「何だよその購買意欲をそそりそうな制度は。本当ヴォルフはいつもふざけてばっかなんだな。そ、それに俺だって……ちょっとは生えてるよ……」
「ほーう、どれどれちょっと見せてみろよ」
「わっ!やめろよセクハラだぞ!」
「へっ、どーせオメェなんか精々ファサァぐらいのもんだろ。俺がお前ぐらいの時には、既にゴファぐらいにはなってたぜ」
「いや、それは噓だ。俺が初めてこいつに会った時点では、まだツルツルだった。15を過ぎるくらいまでツルツルで、毎日悩んでいたものだ」
「なっ!トウマテメェ、裏切りやがったな!」
「何だ、やっぱりただの強がりだったんじゃないか」
「アァン!ウェン坊テメェ、イイ度胸だなゴルァ!わーったよ!今の俺の国王としての威厳を見せてやらぁ!」
ザバァッ
ペチペチペチペチペチペチ
「うわっ!キタネーな!ペチペチすんなよ!」
「ちょっとヴォルフ、さっきからうるさいわよ。チョン斬られたくなかったら静かにしててちょうだい」
「チョン斬……ヒェッ」
サラに、男に対する最大の脅しを掛けられ、ヴォルフはまたおとなしく温泉に浸かり始めた。
何故ヴォルフ一行がこうして温泉に浸かっているかというと、次なる目的地、『アイゼクラト立憲王国』に向かう道すがら、天然の温泉を見付けたので、せっかくだからみんなで入っていこうということになったのだ。
ちょうどよく温泉の中心に大きな岩が鎮座していたので、その岩を仕切りにして男女に分かれて入浴することにした。
トラはヴォルフの頭の上で香箱座りをしている。さっきヴォルフが立ち上がってペチペチしていた時も、微動だにしていなかったので、本当に器用な猫だ。
ヴォルフはメガネを取ったら何も見えないと言うので、メガネをかけたまま入浴しているが、当然湯気でメガネが曇ってしまうので、定期的にトウマがメガネを拭いてあげている。普段はヴォルフに対して厳しい態度をとることが多いトウマだが、時折ヴォルフに過保護としか思えない行動を起こすことがあるので、ヴォルフがこんな性格になってしまった一因は、トウマにあるとウェンゼルは思っている。
そのトウマだが、入浴しながら倭国酒を飲んでいた。徳利に倭国酒を入れ、お盆の上に乗せて温泉に浮かべ、お猪口でグイっと美味そうに飲んでいる。さっきから随分と飲んでいるが、一向に顔色が変わらないので、相当酒には強い様だ。
ちなみに案の定、ヴォルフは酒には興味がなかった。本当、こんな見た目をしてるくせに、子供舌なやつだ。
「それにしても千年ぶりの温泉は沁みるわねえ」
そう言ってサラはフウッと一つ吐息を漏らした。
普段は下ろしている髪を結い上げており、艶めかしいうなじを覗かせている。
鋭い目付きも今日ばかりは優しく緩んでいて、頬は温泉の熱でうっすらと桃色に染まっていた。
窪んだ鎖骨には少しだけお湯が溜まっており、それは砂漠で旅人を労うささやかなオアシスの様だった。
水面をたゆたう、たわわな双丘は柔らかく、且つ程好いハリがあり、それは桃源郷に実っている二房の桃を連想させた。
双丘を支えているウエストは、くびれているが女性らしい丸みも残しており、そのフォルムは新雪に描かれた一筋のシュプールの様だった。
母なる海を体現したかの様な豊満な臀部は、ツンと上を向いていて、雄大さと荒々しさが見事に融合していた。
カモシカの様なほっそりした長い脚は、かと言って筋張ってはおらず、適度な弾力が芸術的なまでの質感を実現させていた。
その横で湯に浸かっているカヤの身体は、全体的にストンとしていた。
「ちょっと!私とサラの描写に差がありすぎじゃない!?」
「まあまあ姉さん、桃源郷の桃持ってても肩がこるだけで、何もいいことなんてないわよ」
「あなたの発言は飢餓で苦しんでいる子供の前で、『毎日美味しいものを食べてたら逆に飽きる』って言ってるのと同じだから、二度と今みたいなことを口にするんじゃないわよ」
「わ、わかったわ……気を付けるわ……。ちなみに楽しみにしていた方がいたら申し訳ないのだけど、エミの身体の描写については、昨今のコンプライアンスの問題等も鑑みて、割愛させていただきます」
「えー、サラおねえちゃん、エミは別に描写されてもいーよー」
「あなたがよくても社会がそれを許さないことは、往々にしてあることなのよ。運営様に通報でもされたら厄介だし、ここは無難にいきましょ」
「他にもっと気を付けなきゃいけないことがある気もするけど、わかったー、エミサラおねえちゃんの言うこと聞くね」
「フフ、良い子ね」
「なあサラ、ちょっといいか?」
「何よヴォルフ、わかってると思うけど一ミリでも覗いたら、刃の荒いハサミでチョン斬るわよ」
「覗かねーよ!いや、いつもは常にうるせーカリンの声が、全然聞こえねーから気になってたんだけどよ。そこにはいねえのか?」
「ああ、あの子なら湯に浸かって私の裸を見た途端、何故か盛大に鼻血を噴き出して失神してしまったから、今は全裸のまま岩陰に寝かせているわ」
「……そっか。そーいや、話は変わるけどよ、ウェン坊」
「んっ?何だよ?」
「お前もカツェレーネ王国の一員になったからには、役職を与えてやんなきゃな」
「役職」
もちろん生まれてからまともな仕事などしたことのないウェンゼルにとって、役職がもらえるというのは、恥ずかしい様な、こそばゆい様な、何とも言えない気持ちだった。
「サラ達は特に役職には興味がないっつーんで、適当に執務室所属ってことにしといたんだけどよ。お前は何か就きたい役職はあるか?」
「俺は……」
実はヴォルフについていこうと決めた時から、ずっと考えていたことを、意を決して言うことにした。
「できればトウマと同じ近衛騎士団の一員になりたい。今はまだ弱っちいただの子供だけど、いつかトウマみたいな、ヴォルフのことを守れる強い男に俺もなりたいんだ」
「ホゥ、言うようになったじゃねーか。よかろう、今日からお前の役職は『近衛騎士団副団長』だ」
「えっ?それって」
「おい、ヴォルフ」
「うるせーな、俺の決定に口を挟むんじゃねーよ。そんでお前は今日から『近衛騎士団団長』だトウマ」
「……だが、団長はヘルマン団長の……」
「オメェの言いてーことはわかるがよ、あの状況じゃ親父もヘルマンもまず生きちゃいねーよ。そもそもあの二人が自分等が死ぬこと以外で敗けを認める様なタマかよ。ヘルマンの遺志はお前が継ぐんだトウマ。嫌とは言わせねーぜ」
「……承知した」
「よし、んじゃこれからは副団長として精々励めよウェン坊」
「……ああ、頑張るよ」
そう言った瞬間、ウェンゼルは両肩がズンと重くなるのを感じたが、これが今までトウマが背負ってきたものだと思えば、負けるもんかという気持ちが沸々と湧いてきた。
むしろトウマは今後、団長として今まで以上に重いものを背負っていかなくてはならなくなったのだから。
「オッシャ、じゃあ副団長の就任の儀式として、さっきの俺みたいにお前もペチペチしてみろウェン坊」
「えっ!?何でだよ!ヤだよ恥ずかしいよ!」
「ダメだ。これはうちの国の代々の伝統なんだからよ」
「ヴォルフ、噓を教えるな」
「何だよノリわりーな、空気読めよトウマ。じゃあわかった、お前が代わりに団長としてペチペチしろ」
「なっ!何でそうなるんだ!俺は絶対やらんぞ」
「んだよ、国王の命令が聞けねえってのか。お前昔からそういうのスゲー隠すよな。俺のマイサンのことは何度も見てるくせによ」
「それはお前が見せてくるからだろう」
「ははーん、わかった。お前さてはマイサンに自信がないんだな」
「いや、何を言ってるんだお前は」
「確かに倭国人の男は、背もサンもちっちぇえってよく言うもんな。お前はタッパはある方だけど、アッチの方は島国レベルだったってこった。どれ、いい機会だからオジサンにちょっと見せてごらん」
「オイ、調子に乗るな。斬るぞ」
「いいからいいから、大丈夫イタくしないから。な、な」
「ウワオイ本当にやめろ!」
堪らずトウマは男女を仕切っている岩の上に跳び乗った。ヴォルフも岩に登り、トウマに跳びかかる(その際、ちゃっかりトラはウェンゼルの頭の上に移動した)。
二人は岩の上でもみ合いになり、そのまま縺れて女側の湯に落下した。
ヴォルフがトウマの上に覆い被さる様な体制で、よりにもよってカヤの目の前に着水した。
「まって、無理」
カヤはそう言うと、盛大に鼻血を噴き出して失神した。
「わぁ、カヤおねえちゃん大丈夫?タンポポいる?」
「キャア!姉さんしっかりして!ちょっとヴォルフとムッツリ執事、後でチョン斬るから、今は目をつぶって0.2秒であっちに戻りなさい!」
「わ、わーったよ!」
「おい魔女、今俺のことをムッツリ執事と言ったか」
「今はそーいうのはやめとけトウマ!とりあえず戻るぞ!」
「くっ」
言われた通り二人は目をつぶって、光の速さで戻ってきた。
サラは失神したカヤをお姫様抱っこで運び、カリンの横に寝かせた。
鼻血を出して失神している全裸の女二人が、並んで寝かされている光景は、何とも異様だった。
「ハァ、まったく姉さんもこっちの身にもなってもらいたいものだわ……んっ?……キャアアアア!!!!」
「なっ!どーしたサラ!!」
普段は常に冷静なサラの余りの叫声に、ヴォルフはおもわずサラの下に駆け寄った。
「ヴォ、ヴォルフ……助けて……ゴ、ゴ、ゴ、ゴキ……」
「えっ?アァ何だ、ただのゴキかよ……ってオイ、サラ!」
サラは全裸のままヴォルフの左腕に抱きついてきて離れようとしない。ちょうどサラの双丘で、ヴォルフの二の腕辺りを挟み込む様な形になった。
「お、お願いヴォルフ……何とかして……」
「あ、ああ、わかった。任せとけ」
そう言うとヴォルフはどこから取り出したのか、新聞紙を丸めたもので、右手だけでスパーンとゴキを一撃で仕留めた。そしてその新聞紙でゴキを包み込み、遥か彼方に投げ捨てた。
「よし、これでもう大丈夫だぞサラ」
「あ、ありがとうヴォルフ……私……本当ゴキだけは……あっ」
冷静になったことで、サラは今の状態をやっと認識したようだ。
「……」
「……」
( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン
( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン
( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン
「ヘヴン」
ヴォルフはそう言うと、盛大に鼻血を噴き出して失神した。
ヴォルフの鼻血がパーンによるものなのか、それとも別の要因によるものなのかは、議論の分かれるところである。
ヴォルフもカリンとカヤの横に寝かされた。
こうしてカツェレーネ王国が誇る、三人の変態が川の字になった。
「俺、やっぱ近衛騎士団やめようかな……」
「ニャー」
インターミッションその1 戦士の休息 完




