『女神との遭遇』
「お前さぁ、なに勝手に死んでくれちゃってるわけ?」
唐突に聞こえたその声に閉じられていた目を開けると、そこには六対の羽根を背負い、金髪碧眼の美貌を不機嫌そうに歪めた女性がいた。
その女性が誰かと問う前に状況を把握しようと周囲に視線を向けるが、そこには光が溢れているだけでなにもない不思議な空間であった。
「あ゛? 無視すんじゃないわよ。アンタよ! アンタ!」
どうやら、私の態度が気に食わなかったらしい彼女は苛立たしげにこちらを指差しながら続ける。
一方の私は目の前にいる彼女と会話をするしか事態の把握は出来なさそうだと諦め対話を試みる事にした。
「失礼しました。今体験している不可思議な出来事を把握しよ」
「んな事はどうだっていいのよ!
アンタが正史を選ばなかったせいで、本来の歴史から大分ズレて収拾がつかなくなった落とし前をどう付けてくれるのかって聞いてるのよ!」
「コイツ何を言ってるんだ?」
「コイツ? このワタクシ様をコイツ呼ばわりってどういう了見かしら?」
「失敬。思わず思考と同時に言葉が口を突いてしまいまして……」
「そう。思わずなのね?だからって許してあげるわけないでしょ!
つまりナチュラルにワタクシ様をディスってるって事じゃないの!
なにアンタ?不敬罪で神罰執行されたい自殺志願者かなんかなの?」
「いやいや、そんな滅相もない。
貴女様がどなたかは存じませんが、初対面の方に対してそんな事をするはずがないでしょう。
よろしければ、無知な私に貴女様のご尊名を教えていただけないでしょうか?」
いやはや、なんと面倒な御仁であろうか……
こういった手合いに関してはこちらが謙って見せて相手の自尊心を満たしてやれば、面白いように掌の上で踊ってくれるというのは経験則からなのだが、果たして彼女にはどうだろうか?
「ふうん。少しは礼儀って物を知ってるみたいじゃない?
仮にも聖騎士の職位を与えられただけはあるって事ね。
まぁ、非礼についは突然の出来事に混乱していたって事で水に流してあげる。
智恵の女神たるこのフィルファリア様に感謝なさい」
ふむ。やはりこの対応で間違いではないようだ。
だか、彼女が智恵の女神様とな?傍若無人の駄女神の間違いではないだろうか?
先の態度からは知性を感じられないのだが···
そんな益体もないことを考えつつ、理性ある大人を自負する私は無用な波風立たぬよう黙って彼女の話を黙って聞くことにするのだった。
「まぁあ? アンタが聖騎士の職位を得られたのは奇跡としか言いようがないんだけど。
いやホント。なんでアンタが聖騎士になれたのか」
「確かに私の様な凡才が聖騎士という栄誉ある職位を頂けたのは望外の幸運でしたが、それはどういう事なのでしょうか?」
確かに自称女神の言う通り、過分な職位を授けられたのは認めよう。その通りである。
私自身、幼き頃に憧れた彼の背中に少しでも追いつこうと必死に、それこそ個を捨て全に尽くす事のみを追い求めて鍛錬を積んでいたのだ。
それこそがあの時に救われた私の天命である事を微塵も疑うこと無く自らを鍛え上げたものだ。
だが、彼女の言葉に感じた些細な違和感からそう尋ねずにはいられなかった。
「え? なに? もしかしてアンタ、騎士が天職だったなんて言わないわよね?」
「正しく騎士が私の天職であり、弛まず磨き上げた技こそがそれを証明してくれているはずですが」
「はあああああああぁぁぁぁぁぁ!? バッカじゃないの?ンなわけ無いでしょ?
いい? 普通の、フツーのよ? 普通の人間がアンタと同じ事してたら聖騎士如きで終わるわけ無いでしょ!?
最低でも剣聖くらいにはなれるわよ!!」
「待って頂きたい! 聖騎士でさえ然程多くの人間が到達し得ない職位であるにも関わらず剣聖ですか!?」
「そう剣聖よ。それも最低でも、ね」
さて、ここで少し説明せねばなるまいと愚考する次第ではあるが、自称女神と私との間で何度か口にしている職位とは、その職業の中の熟練度の様な物であると理解していただいて問題ない。
私の職位である聖騎士を例にしてみれば、
志願兵⇒騎士見習い⇒最下級騎士⇒下級騎士⇒一般騎士⇒上級騎士⇒近衛騎士⇒聖騎士
と言った感じで職位が上がって行くのだ。
途中別の職位に分岐したりといった事もあるのだが、それは今は置いておこう。
肝心の職位の上げ方というのは実は明確になっていない。
その職位に就いてからの経験や功績、常日頃の鍛錬などが某かに認められある時脳裏に【職位:聖騎士を獲得しました】といった感じに声が聞こえるのだ。
それが誰の声なのか? 一体何が認められたのか? それは今なお解明されてはいないのだが、便宜上世界に認められたのだという事になっている。
おかしな事のように聞こえるかもしれないが、少なくとも私達の世界ではそうなっているし、そうやって生活を送っているのだ。
さて、ここで問題になってくるのが眼前にいる自称女神の言った『剣聖』という職位なのだが、剣を扱う者にとって一つの到達点とも言われる職位である。
歴史上では剣聖1人で聖騎士の軍隊を打倒したと言えば私の驚きも理解していただけると思う。
余談ではあるが、職位の他にその人の強さを示す指標の一つとしてスキルやアーツといった概念も存在するのだが、それについてはまた機会があれば御説明しよう。
「ちょっと! またワタクシ様の事を無視するつもり?」
私とした事がウッカリしていた。最低でも剣聖という自称女神の妄言に衝撃を受け過ぎていたようで、誰にするでもない説明的な事に思考を割き、現実逃避してしまっていた。
「申し訳ない。あまりの衝撃に言葉を失っておりました」
「ふうん? まぁ追求した所で話も進まないし、そういう事にしておいてあげるわ」
「寛大な御心、感謝致します」
「んで、話を戻すんだけど」
「その前に一つよろしいでしょうか?」
「あ゛? なによ? こっちはとっとと用事済ましちゃいたいんだけど?」
「申し訳ございません。フィルファリア様。
女神である貴方様の様な寛大な御心をお持ちである方であれば、一介の人間たる私の疑問にもお答え頂けるものと思ったのですが……」
「なによ。わかってるじゃないの。矮小な人間の無礼なんだものね。
いいわ。特別にアンタの質問に答えてあげる」
不機嫌そうにこちらを睨みつけて殺さんばかりの鋭い眼光を向けて来ていた自称女神だったが、ちょっと煽てればこの通り機嫌が回復してこちらの要求を飲ませる事に成功する。
やれやれ、イヤな大人にはなりたくないと思っていたはずなのだがなぁ。
高貴な義務を忘れた貴族達を相手にし過ぎて毒されてしまったのか?
閑話休題。折角こちらの疑問に答えてくださると言うのだ。
気が変わらぬ内に聞くだけ聞いてみる事にしよう。
「先程、剣聖にもなりうると仰いましたが」
「違う違う。『なりうる』じゃなくて『最低』でもなのよ。剣聖以上になってたっておかしくないわ」
「失礼いたしました。貴女の言う様に剣聖にさえ手が届く程の積み重ねをしたハズの私が聖騎士だったのは何故なのでしょうか?」
「だから『奇跡』だって言ったのよ。
信じられる? フツーの人間は得手不得手はあるものの、どの職に対しても一定の適性を持ってるのよ。
そこまではいいわね?」
「はい。私も適性試験を受けた者から聞いた話と違いがないので、異論ありません」
「よろしい。んで、今回の場合はその適性が無いどころかマイナスなのよ」
「は?」
「だからマイナスよ。マ・イ・ナ・ス。適性なしどころかその職を選ぶ事すら間違い。
フツーだったら有り得ないけど、もし仮にマイナス適性の職を選んだら、職位なんて上がること無く生涯を終えるわね」
そんな馬鹿な!? 彼女の言葉を信じるならば、私の生涯とは一体なんだったのか? 個を滅してまで追求したあの日々は?これ以上この自称女神の言葉を聞いてはいけない。私の中のナニカが崩れ去る。
理性がそう警告を発するが、無情にも彼女は言葉を続ける。
「いい? アンタが騎士になった時点で、既に正史から逸れてるの。
まぁ、その時点でならまだ修正できるから、何度も『お告げ』を送ろうとしたけど一切無視してくれちゃって、終いには聖騎士になんかなってくれやがる。
そこまで逸脱しちゃったらもうお終い。完全に別の世界に分岐して元には戻せない。
んで、その先に待っているのは崩壊。一切の存在を許されない死の世界ってわけ」
「馬鹿な!? 一個人の存在が世界にそれ程の影響を与えるなんて有り得ない!
一国の王や英雄ならばそれも有り得るのかもしれないが、私如きが引き金になるはずもない!
重ねて、仮にそうだとしても大英雄がいるのだ。そんな未来が待っているなどという世迷言を信じられる訳がないだろ!」
「それが本当の英雄であれば、アンタの言う様に世界も救えるのかもしれないわね」
「なに?」
「物分りが悪いわね。アンタの言ってる英雄なんて偽物なのよ」
「そんなはずがない! 現に私の故郷は黒死龍の戯れで滅ぼされ、大英雄アルジェント・クロムウェル様がいなければ、私も生きてはいなかった! 黒死龍に対抗できる存在が英雄以外に何がいるという!?」
「アンタの言う様に、アルジェントは確かにあの時、あの場所にいたわ。
けど、アレにそこまでの力はない」
「矛盾しているぞ! 私は生きて騎士となり職務を全うした! 彼が黒死龍から救ってくれねばそれは起こり得ない事ではないか!!」
「だぁかぁら〜、そもそもの前提が違うのよ。あそこにアルジェントはいたけど、黒死龍なんていなかったの」
「……どういう事だ?」
「アンタの故郷は黒死龍に滅ぼされたんじゃない。アルジェントその人に滅ぼされたのよ」
「出鱈目を!!」
「いいから最後まで聞きなさい。
アンタのいた国は周辺の列強国に加えて、一部の知恵なき魔物達の脅威に晒されていた。
しかも国力はそこまでの物じゃない。このままでは遠からず滅びるのは目に見えていた。
そんな中でどうやって国を生き残らせるかに頭を悩ませていたんだけど、遂に一つの禁忌へと手を染める事にしたのよ」
「禁忌?」
「そ。人工的に英雄を作って抑止力にしようって考えたのよ」
「人工的にだと?」
「そうよ。所でアンタ、英雄の条件って知ってるかしら?」
「無私の奉公を以て民を助ける事か?」
「ま、そんな所ね。そこでさっきの話に戻るんだけど、簡単に英雄を作るには自分で危険を作って自分で解決する事よね」
「そんな馬鹿な話があるか!? 民を守るべき国が傷つけるなど正気の沙汰ではない!」
「国家運営なんて正気のままじゃやってられないんじゃない?
にしてもアンタ、少しはおかしいと思わなかった?
アルジェントの行く先々で災害指定種が暴れていて、彼が解決していくだなんて偶然あるわけないでしょ」
「……何が言いたい」
「だぁかぁら〜、アイツは災害指定種なんかとやりあってないの。
大規模な幻覚魔術を展開して、あたかもそこに黒死龍を始めとした災害指定種がいるかのように見せて、タイミングを見計らって討伐したフリをしてたってわけ」
「それでは実際に死んでいった者達に関して説明がつかないではないか!」
「そんなの簡単よ。人は簡単に欺ける。そして、そうだと信じた事に身体が反応する様にできてるのよ。
って事は、幻術でもなんでも使って騙しきっちゃえば簡単に人を殺す事ができるの」
「そんな、馬鹿な…………」
抗い拒絶したいと心が叫んでいるが、頭に残った理性が彼女の言葉は正しいと感じてしまっている。
反論の余地がない訳では無いが、今私の思いつくような事など先と同様に容易く論破され、更なる絶望を教えられるのだろう。
そう思ってしまってはもうダメだ身体から勝手に力が抜けていき、その場に膝から崩れ落ちるのを止められなかった。
「ま、アンタの気持ちもわからないでもないわ。だからこそアンタにチャンスを与えてあげる。
もう一度あの場所からやり直すのよ。そうして正しい選択をして世界をあるべき姿に戻しなさい」
突き付けられた真実に打ちひしがれた私に彼女は自らが名乗った如く慈悲深き女神の微笑みを浮かべながら私に告げて来た。何が女神だ! 相手を弱らせそこに付け込み施しを与えようなぞ正しく悪魔の所業ではないか!
…………だがいいだろう。コイツが神であろうと悪魔であろうと関係あるものか。
民を欺き、危険に晒すどころか自ら虐殺するなどあってはならない。そんな腐りきった世界など壊してくれよう!
「成程。貴女の仰る事は理解いたしました。
ですが、お恥ずかしながら私だけではその様な偉業を成す事は難しいでしょう」
この際だ使えそうなモノは何であれ利用してやろうではないか。
フィルファリアと名乗るコイツの正体が何であろうとも、世界の理を捻じ曲げて『やり直し』ができる程の力を有しているのであれば利用しない手はない。
「なるほど? アンタの言う事も一理あるわね。いいわ。ワタクシ様の力を分けた分体をつけてあげる。
十全にとまでは言えないけど役には立つわ」
「ありがたき幸せです」
流石にコイツ自身に手伝わせるのは無理か。変に機嫌を損ねて助力を得られなくなるのはマズい。
この辺が妥当なところか……
「うんうん。ちゃんと礼儀を弁えてるわね。話も纏まった事だし、早速始めるわよ?」
「承知致しました。必ずやご期待に応えてみせましょう」
「ええ。期待しているわ。さぁ、あの日あの時あの場所からもう一度世界を始めましょう?」
その言葉を最後に光が溢れ、眩しさに思わず目を閉じると私の意識は暗き闇へと吸い込まれたのだった。