『グランリシア聖教国偉人伝より抜粋』
故郷がなくなったあの日、あの時、あの場所で、私はその背中に憧れた。
私の故郷は、神代からの生き残りと言われる最強最悪の化物。災害指定幻想種の中でも、いわくつきの天災である、黒死龍の気紛れとしか言い様のない、突然の襲来で壊滅した。
あの禍々しくも神々しく輝く巨体。その姿は今尚、鮮明に脳裏へ刻まれている。
どんな田舎者であろうとも、その名を知らぬ者はいない大英雄アルジェント・クロムウェルが、私の故郷に立ち寄ったのはそんな時であった。
彼は私達の窮状を見るなり、果敢にも黒死龍と対峙する事を選択したのである。
当時の私にしてみれば、この世の終わり。終末の鐘が鳴り響いたとさえ思える程の光景だったのだが、彼にしてみればいつもの日常だったのだろう。
いや、今の私でもその選択をする事など慮外の事。
アレと対峙するというのは、どう言い繕ったとしても、自殺志願者かはたまた、人を人とたらしめんとする理性を持ち合わせず、獣以下の狂人が行う愚行と言うものだ。
想像してみてほしい。
咆哮に直撃しポンッと音を立てて頭が弾けたモノ。
尾の一薙ぎで容易く腰から上の半身が消し飛ばされたモノ。
戯れで吐かれた黒炎のひと吹きで刹那の内に炭化したモノ等など。
少し前までは普通に言葉を交わし、夕食には何を作ろうなどと、長閑に笑い合っていたかつて人であった物が累積している光景だ。
アレが来たのだって、住処でじっとしているのが退屈だったから、ちょっと紛らわせようってだけだ。
そう、退屈しのぎのお遊びだったんだ。
まぁ、そんな話はどうでもいいか。
ともあれ、そんな地獄にやって来た彼は、早くこの天災が去る事を祈りながらも、震えて何もできないでいた私に気づくと、なんの気負いもなくまるで、これこそが日常だといった様子で一瞥すると、私の事などさっさと認識外に追いやり、餓狼が獲物を見つけたかのような獰猛な、それでいて何処か悲しみを感じさせる笑みを浮かべ、およそ人が解決できる筈のない災厄に挑んで行った。
私はあの日、あの時、あの場所で見た英雄の背中に憧れ、誰もが受け、生涯の天職を見つけるという適性試験さえ辞退し、記憶の中にある彼に少しでも近づかんと、剣の腕を磨き続けて来た。
そんな努力の甲斐あってか、過分な評価を得て、騎士たる者の最高栄誉たる聖騎士の称号をいただけたのだが、それもまぁ、老い先短い老兵の為に慈悲深き我らが女神さまが用意してくださった最期の花道というのが実際の所なのだろうがね。
大して面白みもない話は退屈だったろう? まぁ、老人の昔話に付き合うのは若者達の義務だと思って諦めてくれたまえ。
ふむ。今日は少し喋りすぎてしまったようだ。
すまないが少し疲れたので、一眠りさせてもらおうか。
やれやれ、歳は取りたくないものだな。
そう一言告げると老人、シグレイシア・フォン・アイゼンバーグ卿は静かに眼を閉じ、長く、ゆっくりと息を吐くと、そのままその生涯を終えたのだった。騎士とはかくあれと称された、偉大な聖騎士の最期に立ち会う事が許されたのは、望外の喜びであったと私は思う。