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苦手な方はご注意ください。

元英雄は月明かりの下で再度輝く

作者: ユーリアル

※特定の宗教を貶めたりする意図はありません


17000文字ほどの長めの1本です。


一応OVAみたいな感じで書いてみました。



 世の中には英雄ってやつがいる。


 一番わかりやすいのは化けもんをぶっ倒して街や、すごいのになりゃあ国を救ったってやつだな。

 名声も報酬も、その上で化けもんの素材も得られる最高の仕事さ。


 ただまあ……オススメはしないね。


 1人の英雄の陰には、100人200人とそうじゃないやつがいる。

 大体は……そう、大体は何かの犠牲の上に英雄なんてもんはいるのさ。

 旅の途中で代わりに倒された奴、傷がもとで引退した奴、儲からないからとあきらめた奴。

 あるいは結婚して、なんて奴もいるかな。


 そんな中でも厄介なのが2つある。

 1つは英雄になった奴と最後まで一緒だったのに肝心のところで脱落した奴だ。


 たまにちゃんと評価を受ける奴もいるが、ほとんどは悲惨なもんさ。

 他に仲間がいたよな、って思い出してもらうのが関の山。

 それでいて人生の大部分を英雄との旅に使ったもんだから、用心棒ぐらいしかつぶしが効かねえ。

 さらには目立たないから実績も無いに等しいと来たもんだ。


 ただまあ、そいつらもある意味では身の振り方が自由という点ではラッキーなのかもしれないな。

 その先の人生を生きるのに厄介なのは、戦えなくなった英雄、だと俺は思うね。


 そう、例えば俺のように。




 なじみの音を立て、俺が手に持ったグラスの中で液体が揺れる。

 琥珀色のそれ、田舎の酒場にあるような安酒だがこうして氷が入って冷えていればそれなりに飲める。

 夏の盛りで夜も蒸し暑い最近となればなおさらだ。


「おい、飲むんならもう少しうまそうに飲めよな」


「悪いな。この顔は生まれつきさ」


 俺が座っているのはカウンターの隅も隅、他の奴らに顔なんて見えやしないから表情なんて関係ない。

 それでも声をかけてくるのはいつもの事だ。


 ちらりとみたカウンター内部の桶には氷があと少し。

 それを見て取った俺はグラスを持っていない左手の指先でささっと空中に印を描き、力を行使する。

 ほのかな青い光が指先に産まれ、気がつけば桶には満載の氷が産まれた。


「相変わらず便利なもんだな」


「なあに、獣を仕留めるぐらいにしか使えないような雑魚術さ」


 酒代をタダ同然にしてくれる見返りとしちゃあ安いもんさ。再び静かにグラスを傾け、安酒で喉を焼く。全力で戦えなくなった元英雄には相応しい状況だ。


 そんな耳に届くばか騒ぎの声。


 見れば入り口に近い大きなテーブルには若い奴らが6人ほどたむろしている。

 量だけはあるつまみを肴に、今日の打ち上げといったところか。


(若いってのは良いねえ……っと、俺もまだおじさんというには少し早いか?)


 自重の笑みが浮かぶのが自然とわかり、手元のグラスと揺れる水面を見る。

 そこに映し出されるのはガキの頃からつっぱしってきた俺の半生。


 泥だらけで、前だけを見て、明日の事なんか考えもせずその日を生き抜いていた。

 何の因果か、手にした祈祷術の力と剣技は俺と仲間を助け、俺は戦いに勝利した。

 この国を支配しようとする翼を持った異形、天使共をどうにかするための戦いに。


 ただ……そう、よりもよってという時に油断から失敗し、俺は英雄と呼ばれる力をほぼ失った。


「まだ右手が痛むのか?」


「そりゃそうよ。コイツはあいつらの残した最後の呪いだからな。

 悔しいが強力だ。10年以上たってもようやくこうして左手の力が戻ってきたぐらいだ。

 右手で……戦いのための力を使おうとすりゃ頭が焼き切れて終わりさ」


 俺の事情をある程度知っている店主、ブラスに向けて手のひらを広げて見せる。

 そこには複雑な文様が描かれ、よく見ると呼吸の度にわずかに光っているのがわかるだろう。


 これが、天使共の残した呪い、俺が英雄を続けられなくなった理由だ。

 剣は使えるが、あいつらの親玉を滅ぼすだけの祈祷術を使うことができない。

 通常、剣だけでは滅ぼせない天使共相手には、祈祷術を使うウィザードやマジクルらの支援を必要とするのだ。


 救国の英雄、アンゼルムは剣士でありながら祈祷術士という異例の存在だった。

 その戦いは祈祷術の力を合わせた剣技で押し切り、普通の祈祷術では回避されるところを剣技で無理くり当てる一人軍隊のような戦い方だ。


 普通に倒したのではそのうち復活してくるという化け物が埋め尽くす建物を突き進み、頭目である熾天使を吹っ飛ばす。

 そんな戦い方が出来なくなった英雄は、国も救えない。

 それでも国は、人は、英雄に英雄であることを求め……失望するのだ。


「お前さんがここに来た時はひどい顔だったからな。マシな顔になってると思うぜ」


「ははっ、ここには俺を担ぎ上げようという奴らもいないからな」


 本当に、それだけでも助かっている。毎日、毎日……あれを倒してくれ、これを助けてくれ。

 無理だと言えば罵倒され、依頼料を口にすれば英雄らしくないと罵られ。


 あれで一気に老け込んだ気がするな……老け顔は昔からだが。


 それと比べれば、この辺は英雄アンゼルムと俺とがつながらないぐらいには田舎だ。

 それに加えて、歌われている英雄アンゼルムは身の丈は常人の2倍、筋骨隆々で天を突くほどの大剣使いとは、盛りすぎにもほどがあるぜ。


 その分、気楽に過ごせるわけだからありがたい話だ。


「もう40だからな。このままのんびり過ごすさ」


「無理をしなければそこそこいけるんだろう? もったいない」


 俺が嫌いな奴らと同じような言葉に一見聞こえるが、この主人のいうもったいない、は別の物だ。

 俺の中にある葛藤を、見抜いているからだ。


 俺は戦えなくなった。それは間違いない。

 ただ……戦いたくなくなったのか、と言われるとそうでもない。

 そういう……ことだ。


 じりじりとした焦りのような物を抱え、俺は今日もここにいる。


「ちょっと、触んないでよ!」


 酒場の喧騒を引き裂くような声、思わず振り向いた先には先ほどの若い奴らが一人の少女に怒鳴られているところだった。


 背負子に荷物を積み、ここまで歩いてきたのだろう。

 草木で染めたのであろう地味な色合いの動きやすい服装に、網靴。

 長い髪の毛は木々に引っかからないようにとまとめられ、山道を歩いてきたからか、所々に落ち葉がひっつている。

 その髪は金色より黄色に近い、磨けば光りそうな……今はただの田舎娘だ。


 いつものごとく、自分たちの作ったマリュータを納品に来たところなのだろう。

 そこを馬鹿な奴らにちょっかいだされたというところか。

 ま、あいつも性格はちょいキツイが若い女だからな。もう少し小奇麗にしておけとは思うが。


「ああん? 俺が一晩付きあってやるって言ってんだ、喜べよ」


「馬鹿言わないで。私はそういう商売の人じゃないの!」


 彼女ももう少しやんわりと流せばいい物を、強く返せば強く帰ってくるもんだ。

 案の定、言われた男の方は酒に酔った顔をさらに真っ赤にして手を振り上げた。


 酒場に響く鈍い音。


「てめえ!って、アンゼのおっちゃんかよ」


「若い時に羽目を外したい気持ちはわかるがな。女に手を出すようじゃ、男が廃るぜ……なあ」


 言葉にすれば単純に相手の腕を途中で止めただけ。

 どうせ相手も本気ではなかったはずで、平手でたたくぐらいだっただろう。

それでも鍛えてない小娘には痛みを感じるぐらいにはなったはずだ。


「そ、そうだな……悪かったよ」


 幸いにも、俺の名前は若いのに自制を促すぐらいには売れてるらしい。

 名前が売れるのは良いことでもあり、悪いことでもあるが今回は良い方だったな。


「おじ様……今、奥にいたわよね?」


「あん? それがどうした?」


 へたり込みつつ、呆然と言い募る村娘、エルナを助け起こすとそんなことを言われた。

 別に特別すごいような事じゃない。単に最短距離をちょっと駆け抜けただけだ。

 そりゃ、わずかばかり祈祷術で足は速くしたが、そのぐらいだ。


「まあ、おじ様だものね。しょうがないか」


「よくわからんが、荷物は無事か?」


 俺の指摘に慌てて荷物を確認しだすあたり、まだまだ若い。


 中身はここに卸す予定のマリュータ、エルナの村の特産品である川魚をたれに漬け込んだ樽料理だ。

 味は濃く、エルナ1人で運べる量でも商売にはなる程度に人気のあるこの辺でも有名な物だ。


「よかったぁ……全部無事だわ! おじさん、今月分ね!」


 笑顔でマリュータの詰まった樽をカウンターへ。

 そうして代金を受け取り、ほくほく顔だ。

 それが何故か俺の横に座り、果実汁を氷水に混ぜたものを注文する。


「おいおい、せっかくの儲けが減っちまうぞ?」


「大丈夫よ。だっておじ様の奢りだもの」


 ニコッと笑う顔はこの年にして女の顔。

 といっても体で誘うような年じゃ……まあ、好みによっちゃわからんか。

 確かに旅の途中へまをして、座り込んでいたところを助けてくれたのはコイツだ。


 色々とめんどくさくなって座っていただけで、別に自分を癒せない状況ではなかったが、恩を跳ね除けるような考えは俺には無かった。


 適当に出会う度に一杯おごると言ったのもこの時だったな。

 ちょっと村への道すがらに獣を仕留めたら何でか懐かれちまったわけだが。


「おじ様、今度村近くの危ない獣を倒してよ」


「馬鹿言え、タダでやれるか。冒険者なんてのは報酬で動くんだ。

 お前がイイ女なら一晩どうぞ、とかで動くかもな」


 からかい気味に言ってやれば、初心なこいつはすぐに顔を真っ赤にしてぷすーっと膨れる。

 そういうところがまだまだガキなんだが、本人はわかっちゃいるのかいないのか。


「もう……行くわ。おじ様。今度は村に来てちょうだいよ」


「ああ、気が向いたらな」


 我ながらそっけないなとは思いつつ、そのぐらいしか言葉は出ない。

 エルナのむすっとした顔に思わず笑いそうになるのを我慢して送り出す。


 この後また半日かけて村に戻るのだろうが、大丈夫だろうか?

 お金になるとはいえ、娘1人が山を行くのは……まあ、俺の口を出すことではないか。

 幸いにもこのあたりには危険な獣は少ないし、天使共はほとんどが北か南の僻地にいる。

 獣のテリトリーに踏み込まなければ襲われることもほとんどあるまい。


「ちっ、薄くなってやがる」


 当然と言えば当然だが、そのまま放っておいたグラスには氷は無く、ただ薄まった安酒が残るだけだった。


(エルナの奴め……)


 ちらりと酒場の主人を見るが、素知らぬ顔。

 それでもつついっとグラスを差し出してみると、ため息1つをお供にボトルから追加が注がれた。


 ついでに入ったばかりのマリュータが一皿。

 ワタごと漬け込んだこいつは美味いんだよな。


「へへっ、悪いな」


「この時季に氷が手に入ることと比べたら安いもんさ」


 喉を焼く酒の後味と、さっそくのマリュータの味に頬が緩む。


 命を賭け金に使う血と叫びが満たす戦場から引退し、悠々自適な生活の日々の俺。

 無理しては使えなくなった右手と祈祷術への心残りと、その呪いをかけた奴らへの復讐心。

 そして満足に戦えないことへの不安感とがないまぜになり、俺は酔う。




──数日後



「っだー。うっとおしい降り方だな」


「ふふふ。ゼルも雨には勝てないか」


 前日からの雨は降っては止んでと妙な降り方だった。

 おかげでうっかり雨具を忘れちまった。


 俺は朝飯を作るのも面倒になり、こうしていつもの酒場に顔を出している。

 大きな街ではなくても軽食の1つや2つ出せるのが酒場ってもんだ。

 この酒場でも……ま、昨晩の残りもんが中心だがな。


「嫌な雨だな。客足が遠くなりそうだ」


「ああ。この時期の雨は温くて気持ちが悪い。まるで……」


─流れる血のようだ


 敢えて口に出す言葉ではないと思い、自分の中だけで続ける。

 ただ、荒くれの相手もしているブラスはそれでも大体は察したらしい。

 苦笑1つ浮かべて、何やら振り返って準備を始めた。

 その間に俺も店内を見渡すが、いるのは常連の爺さんぐらいなもんだ。


 雨降りの早朝となれば当然ながら客はほとんどいない。

 雨の降る音とブラスの沸かすお湯の音だけが店内に響く。


 こうしていると、変なことを思い出してしまうものだ。

 俺もまた、現実と虚構がないまぜになった妙な気分になっていた。


 思い出されるのは俺が死にかけた、英雄としての最後の戦い。あれもこんな夏の雨の日だった。

 大天使ぐらいしかいない簡単な仕事だと高をくくって油断して……。

 見事に誘い込まれ、そして支援に来てくれた仲間を失い、さらに力を失った。


(あの日、油断せずに最後まで警戒していれば俺は……)


「朝なんだからこれで我慢しておけ」


 思考を引き裂くように音を立てておかれるコップ。

 少しとろりとした水面が見える……蜂蜜酒か。

 ビンからそのまま注いだのだろう、ぬるめなのもそのまま。


 見上げたブラスの顔はいつも通り、俺といい勝負のしかめっ面。

 これで嫁さんもいて、子供も2人いるんだからわからんもんだ。


「ありがとうよ。最初から氷を入れる分を空けといてくれたんだな」


 空中に小さく印を描き、コップの中と桶の中へといつも通りに氷を産む。

 こうして冷やしてやれば、独特の甘みをさっぱりとしたように感じられる。


「はよーっす。お、アンゼのおっちゃんじゃねえか」


「アンゼはよせ。呼ぶならゼルにしろ。ったく」


 まるで女の名前に聞こえるだろう……とはいちいち口にしない。

 若い奴ほどアンゼと呼んでくるのはなぜか、今度調べてみたいものだ。

 そうしてるうちに客が何人も酒場に入ってくる。


 近くの森に獣を狩りに行く予定の奴、朝からの商隊について

護衛予定の奴、他にも探索に出かける予定の奴等様々だ。


 段々と店内が込み合い、俺も邪魔になるかなと思った時だ。


 バタンと大きな音を立てて入口の開き戸が開いた。

 戸が痛むわけだから、普通やらないような動きだ。

 思わず俺も含めてほとんどの視線がそちらに向き、そこに立ちすくむ彼女に言葉が止まった。


 全身泥だらけで、いつも彼女なりに手入れしているはずの髪もぼさぼさ。

 母親手縫いだと言っていた服も枝葉があちこち引っかかっている。ありていに言って、ひどい姿だ。


「エルナ、どうした」


─こんな時間にそんな姿で


 俺の口からその言葉が出ることはなかった。

 駆け寄った俺が肩を掴み声をかけると、彼女は俺を見るや否や大声で泣き崩れたのだから。


 こういう時はとにかく泣かせるに限る。

 その間に気の利いた若い奴らが差し出してきた毛布なんかで体を覆ってやり、タオルで顔を拭いてやる。


 1人じゃないということになんとか落ち着いてきたのだろう。

 しゃくりあげるのは収まっていないが、号泣という状況は脱したようだ。


「話せるか?」


「おじ様……村が……村にあいつらが」


 ある意味残念なことに、俺はこういった状況に慣れていると言える。

 英雄と呼ばれ各地を転戦していた時期には、こうやって泣く相手というのはよく見てきた。

 ほとんどが人間同士の争いによる恨みつらみだったが、そうでない話も相応に転がっていた。


 何かと言えば……天使共だ。あいつらだけは涙しか産まない。


「あいつら? まさか、羽野郎か?」


「(コクン)おととい、森から急に現れて村に宣言したの。我らの主を信じるか、死かって」


 エルナの言葉が酒場全体に染みわたっていく。

 羽根付の異形、天使共が現れたという衝撃はそれだけ一般人にとっても冒険者にとっても大きいものだ。


 怖気づいて逃げる奴がいたって俺は責めない。

 敵と認定した相手を、天使共はとことんまで殺しに来る。

 その上、普通には殺せないんだ……無理もない。


「お前がここにいるということは、村長は交渉(・・)してるんだな?」


「うん。気持ちよく教えを変えるために準備の時間をくださいって。

 そしたら一度はあいつらは戻っていったの。三日後だって言い残して。

 だから私……私……お願い、助けて!」


 きっと、エルナは戸惑うことだろう。少女の声が酒場に響いても、応える者がいないことに。


 気まずそうに顔をそらすぐらいならまだいい。中には顔色を変えず、ただ聞いているだけの奴もいるはずだ。

 俺は……どちらかと言えば後者だが、顔色を変えるでもなく、無関心を決め込むわけでもなく話を聞いていた。


「……え?」


 エルナのその声は誰も応えてくれないことへの戸惑いか、あるいは俺がしたことのないぐらい優しい撫で方をしたからか。


 (どちらもかもしれんな……)


 不憫に思いながらも、ここは俺が言うべきだと考えて彼女の目を見て口を開く。


「エルナ、依頼金はあるのか?」


「依頼……金?」


 か細い、呆けたような声が依頼金の事が頭に無かったことを証明している。

 気持ちはわからないでもないが、それだけでは男達は動けない。天使という存在はそのぐらい、厄介なのだ。


 酒場にいる奴らの中にウィザードやマジクルはほとんどいないだろう。

 何故なら、この土地に天使が出たのはもう10年も前なのだ。常時天使に対抗できる戦力を置いておくほどの余裕は、無い。

 その上、天使に対抗できる冒険者というのは相場が高めなのだ。それこそ、普通の村には稼ぎにくいほどの金額。


 そのことを俺は出来るだけ丁寧にぼかしてエルナへ告げた。

 安金やただで命を賭ける奴はいないぞ、と。


「嘘……そんな……」


 かけられた毛布の温かみすら今の彼女を温めることはできない。

 カタカタと震える体は狩られる直前の小動物のようだ。


 そんな彼女の顔がやおら上がったかと思うと、まっすぐに俺を見た。


 俺は何も言えなかった。覚悟の決まった、人間の瞳だった。


「おじ様」


「よせ」


 俺は彼女が何を言い出すか予想が付いた。だからこそ先を言わせないように強く言った。


 言った……はずだった。


 店の中にざわめきが戻る。エルナが、震える指先で己の服の前掛けをほどいたからだ。

 温いとは言え雨に打たれ、恐怖に追われながらたどり着いた先での絶望。

 それに体を震わせながらも己の体を俺の前にさらした。毛布や俺の体が邪魔になって他の奴らにははっきり見えないはずだが、それでも何をしたかはわかる。


「村の事は忘れろ。お前だけでも生き残るのが村のためだ」


「嫌、嫌よ! おじ様、お願い。ううん、お願いします。私はどうなってもいい、なんでもするから……一生、お世話しますからっ」


 服が脱げていくのも構わずに、エルナは俺に追いすがる。こんな時だというのに、俺は彼女の姿に美しさを感じていた。


 命を賭けた、魂の叫びだったからだろうか。小さく、ため息が漏れた。それは……俺の物。


「ゼル」


「わかってる。戻ったら美味いもん頼むぜ」


 一言、たった一言。


 ブラスの俺を呼ぶ声が背中をさらに押した。くすぶっていないで、もう一度立てよと。


「え……」


 やや乱暴に、俺はエルナの体をはだけた服ごと毛布で包んだ。戸惑う彼女を半ば無視し、俺は店内を見渡す。

 半数は戸惑いの中だが、残りは良い笑みを顔に浮かべている。俺はそんな奴らの顔を順々に見、笑って見せた。

 エルナを抱き寄せたままの右手ではなく、左手で何もないように見える場所に手を突っ込み、冷たい感触を適当に手に掴む。


 祈祷術の1つ、影袋。


 どこにでもいて、どこにもいない神様の力を借りた、どこかにある場所に物を仕舞い込む便利な術だ。

 俺もまた、予備の武具やらをここにつっこんでいる。今回は……丸い丸い、金。


「敵は数不明の羽根付共。倒せれば良し、駄目でも村人は出来るだけ連れて帰る。

 前金で一人頭オルド金貨1枚を出してやる。生き残ればもう1枚。着いてくる奴はいるか?」


 答えはすぐに店中に響き渡った。まったく、現金な野郎どもだ。


「おじ様……? え?」


「エルナ。お前の命を賭けた願い、俺が買った。いいな?」


 涙の跡も残り、痛々しい顔だった彼女の顔に笑顔が宿る。

 ははっ、やっぱり磨けばいいところいくんじゃねーか?


 くすぶっていた俺の中の何かに、再び火が灯るのを感じていた。

 それが痛みを背負う戦いへの第一歩だということは、他でもない俺自身が良く知っている。


「案内しろ」


「……うんっ!」


 無事な左腕の祈祷術と右腕の剣技でどこまで戦えるか。


 その不安を出すのは、今じゃない。

 目をごしごしとこすって調子を整えるエルナを前にして、俺は飲んだくれのゼルからアンゼルムへと戻っていくのを感じたのだ。



「よし、雨は止んでるな。今の内だ」


 雲1つ無い、とは言わないが晴れ間も見えている空の様子に俺はこぶしを握りこむ。

 足音を消すには雨が降っていた方が良いわけだが、降り続けているデメリットの方がはるかに多い。


 酒場を出て、各々の装備を身に着けている面々を眺めて頷きあった。

 天使相手には小細工は必要なく、全力をぶつけるのみというのが基本中の基本だ。

 その分、立ち回りは激しいものになるわけだが……。


「おい、走れるか」


「ちょっと厳しいかも。ひたすら走って来たもの……」


 エルナはかろうじて立ってはいるが、確かにその足も震えている。

 山に慣れているはずのコイツがこんなになるまで必死に走って来たというのが事態の異常性を示す何よりの証拠だな。


(まったく、仕方がないお嬢さんだ)


「おじ様?」


「早くしろ。周りの連中も待ってんだ」


 第一、こんな姿勢を続けるのは俺の歳じゃ恥ずかしいに決まってる。

 背負うべくしゃがんで背中を見せてる姿勢なのだから。


 気配からして迷っているのが丸わかりだが、そんな迷いも無駄だと気が付いたのか背中に重みと湿り気のある服が押し付けられる若干の不快感。

 村の連中から着替えも借りるべきだったかもしれんがまあいい。適当に縄で背負ったエルナごと巻き付け、落ちないようにする。赤ん坊のようだという抗議の声は無視だ。


「これを付けてろ」


「え、こんな高そうな指輪……守護指輪じゃないの!?」


「いいんだよ。お前になんかあったほうが後でめんどくさい」


 なおも言い募ってくるエルナを背負いなおすことで黙らせた。

 時間が無いのはわかってるはずだが、渡された指輪の価値にびびったらしいな。

 ま、エルナが祈祷術を使えないなら気休め程度の指輪だがないよりはましだ。


「行くぞ」


「「「おおお!」」」


 短くそれだけを言って、エルナを背負ったまま俺は駆け出した。

 向かう先は山の中……どこに天使共がいるかわからないのが痛いが、あいつらの気配なら嫌というほど感じ取って来た俺だ。

 近づけばすぐにそれとわかるだろう。


「エルナ、村の連中の中にウィザードやマジクルを目指す奴はいたか?」


「ううん。小さな村だもん。生きてくだけで精一杯よ」


 何度か通ったことのある道を走りながら、問いかけた返事に内心で落胆のため息をこぼす。

 ただ、実際問題田舎の村なんてのはそのぐらいが相場だ。

 そんな余裕があったら少しでも畑を広げる労働力に使うに違いない。


(祈祷術が行けるのは俺と後2人ぐらいか……)


 ついてきてくれた連中は大体が天使戦未経験者のはずだ。

 天使の手先である使徒とは戦ったことがあるらしいことは集まった時に聞いている。

 また、1人も術士がいないという最悪の事態は回避できたが余裕は全くない。

 出来れば村で手を確保したかったがそれも無理、と。


「あ、でも私……来年ドルイドの儀式を受けるつもりよ」


「なんだと? お前、素質があったのか」


 思わず足が止まりそうになるほどの衝撃だったが、それを何とかこらえて走る。

 自分の言葉の価値がわかっていないらしいエルナを肩越しに半ば睨みつつ、彼女の体の力の動きを確認してみる。


 術士は術士を感じるというが、実際に俺はエルナの中に祈祷術に必要な力の流れを感じ取っていた。

 まだまだ動かし慣れていない、原石のような力の塊だ。しかし、無いのとあるのとでは天と地ほど違う。

 そう考えると指輪を渡しておいたのは幸いだったな。


「う、うん……でも成功するかどうか」


「するさ。俺が保証する、後はやり方だな」


 出来るだけ細かく説明しようと思った俺だったが、それは叶わなかった。

 足を止めた俺と同じく、天使と戦ったことがあるらしい奴を先頭に皆の足も止まる。


(いやがるな……まだ遠いか)


 無言で互いに頷きあい、陣形を組みなおす。対天使、対使徒用の固まったものだ。

 あいつら相手に1人1人バラバラに斬りかかっていては普通は無理なのだ。

 打撃を集中し、一気に行動不能に落とし込む必要がある。


「エルナ、村はあっちでよかったな?」


「うん。天使たちが入っていった森はこっち」


 俺の背中でエルナが指さす先は俺達が気配を感じたほうと同じ。

 幸運なことに、交渉通りの日付まで動いてないということだ。


 村には天使共はいないようだが、使徒は果たしてどうかな。

 天使と違い、奴らの気配はこの距離だと無いに等しい。ある程度近づけばすぐにわかるのだが……さて。


 結局、村を経由して攻め込む側と直接攻め込む側に別れることにした。

 村の方が使徒ばかりなら、術士がいなくてもなんとかなるからな。


 俺はもちろん、エルナと一緒に天使共に突撃だ。


「しっかり掴まってろよ」


「うう、頑張る」


 安全を考えれば彼女は村に置いていくのが一番なのだが、途中で駆けこまれでもしたらそっちのほうが厄介なのだ。

 だったら最初から一緒にいたほうが動きやすいという物。


 途中、ドルイドの力の使い方について簡単に教える。

 陣を描いて唱えるウィザードに、専用の武具で攻撃と同時に使うマジクル。

 その2つと違い、ドルイドは神々に祈りで語り掛けるのだ。


 出来れば色々と試してから挑みたいところだが、いつ天使共が動き出すかを考えたらそうもいっていられない。

 ついてきている5人ほどの男どもにも緊張の色が隠せない。

 対天使戦はそれだけ激戦となることが多いのだ。

 だからこそ報酬が金貨になるわけだ……金貨1枚で家族が半年は楽に暮らせるからな。


「見えた……おい、消滅は考えなくていい。倒すことだけ考えてろ」


「あ、ああ。ゼルはどうするんだ?」


(ははっ。俺がどうするかって?)


 背負うエルナの重さも感じないほどに、俺の思考は以前の物に戻ってきていた。

 それは即ち、戦闘のための……勝つための思考。


 男に応えず、抜き放った長剣を構えることで返事とした。

 長剣はこの場合、武器としての性能が重要ではない。

 斬り、時に貫く物として天使共に痛手を与える象徴のような物だ。


 森の向こうに見えてきたのは、岩を積み木のように重ねた物。

 なるほど、生き残っていた天使が作ったのかはわからねえが、あれが今回の元凶ってわけだ。


 「羽根付共がぁあああ!!」


 『ッ!?』


 瞬間、俺の視界が若干ブレて流れ……一息に俺は1匹の天使の前に躍り出ていた。

 首がエルナのせいで少々苦しい気がするがすぐに彼女も慣れてくれるだろう。

 そうでないとこの先大変なことになってしまうからな。


 抜き放った長剣をほぼ縦に断ち切るようにして力一杯振り下ろす。

 久しぶりの手ごたえと共に天使の異形としての姿が2つに分かれる。

 その2つに別れた顔が笑ったように見えた。自分を滅ぼせない、そんな人間への嘲笑。


─そんなものは、ただのうぬぼれだ。


 「ムーンエッジ……発ッ!」


 力を集中させるのは、左腕。


 月明かりを集めたような光が左腕を覆い、手のひらで力が現れる。

 それは小さな、小さなナイフ1本分ほどの刃。しかし、それでも弱った天使を滅ぼすには十分。


 恐怖に身をよじろうとした天使だが、二つに分かれていてはそれも叶わない。

 俺の感情が乗ったおぼろげな光の刃は天使だった物の顔を貫き、その力を発揮した。

 崩れ落ちるように倒れ、砂となって消える天使。


 俺の、勝ちだ。


「とにかくたたっきれ! とどめは俺がやる! エルナ、生きてるか?」


「な、なんとか。おじ様、上!」


 何度も感じた気配が降りてくるのに合わせて後ろに飛びのけば、先ほどまでいた場所を貫くような天使の腕先。

 まるで槍のように鋭く、無慈悲に人間を貫く腕だ。

 仮面に線を描いたような細い瞳、喋ってるんだかわからないような小さな口。

 そりゃ、化け物呼ばわりされるわけだぜ、まったくよ。


(村の連中が上手くやってるといいんだが……)


 さすがにここにいる以上、天使共が何十匹もいるとは考えたくはない。

 楽観が過ぎるのも問題だが、悲観的になりすぎてもよくはない。

 何とかなる範囲だと自分に言い聞かせるのも、重要な戦う術だ。


「エルナ、出来なくてもいいから周りの木々にこいつらの邪魔を手伝ってと呼びかけろ」


「え? あ、わかったわ」


 途中1度でも無事にドルイドの力が発現すればよし、しないならしないで今と変わらない、どちらにしても俺らに損はない話だ。

 後はこの牽制に動けないでいる天使をぶっ倒すだけだ。


 背中のエルナを振り落さぬよう、それでいて戦いに必要な速度へと加速する。

 後ろで叫び声かうめき声が聞こえた気がしたが、いい加減慣れてもらわねば。


(このまま終わってくれよ……)


 そんな俺の焦りを感じ取ったように、また空が泣き始める。


 相手は厄介だが数が多くない。それは使徒を除いた天使共に限った話である。

 使徒も含めれば、その数は侮れない。天使のそばにどこからか現れ、いつの間にか立ちはだかる。

 つるりとした、人形のような姿をした使徒は命を持った生物ではないと研究者は言っていた。


「今はどうでもいいがな!」


「ひゃぁ!」


 横合いから同時にこん棒のような物を振り降ろしてくる使徒2匹。

 果たして人型を匹と呼ぶべきか、問題になる場合もあるが俺にとってはどうでもいい。

 天使共の目的が本当に主と呼ぶ相手への改宗なのかぐらいどうでもいいことだ。


 今はただ、生物ではないという割に強く感じる殺気からの攻撃を回避し、その体に剣を突き立てるだけだ。

 背中でエルナのうめき声や叫びが聞こえるが半ば無視。

 それでもしっかり掴まったままで声を出せるあたり、叫ぶ割に度胸があると言えよう。


「脇がお留守だぜっとなあ!」


 右手に持った長剣を真横に一振り、それで使徒2匹はそのまま上下に分断される。

 隕鉄と精霊銀を合わせて鍛えた半ば儀礼剣の役目を持つ黒いそれが今、暴力の権化と化している。

 それを実現しているのは俺自身であり、使徒はその哀れな被害者というわけだ。


 天使と違い、倒されたら終わりの使徒共はとにかく仕留めるだけでいいので戦う上では気を使う必要がない。

 あるとしたら、こういった時に飛びかかってくる天使そのものだ。


「ゼルのおっさん、まだ奥からくる!」


「なんだと! ええい、召喚台だとでもいうのか!」


 驚きの情報に叫んだところで現状は変わってくれない。

 俺は舌打ち一つ、エルナを背負ったまま新手に駆けだした。

 彼女は気が付いているだろうか? 俺がこっそりと振り落さないように祈祷術による縄のようなもので2人を縛っていることに。

 説明する暇もないので今はそのままだし、術が切れたのに手を離してしまえば落ちてしまうから今のように掴まってもらってるほうが安全ではある。


「エルナ、ドルイドの祈りの句は覚えてるか?」


「う、うん」


 そうか、なら祈れ。それだけを言って目の前の相手に隕鉄剣を構えなおす。

 無表情にも見えるその顔には感情という物が欠けているように見えて、意外とそうでもない。

 目は、何よりも物を言うのだ。


 そんな奴らの目が驚きに染まるのがわかる。


「おめでとう! これでエルナもドルイドだな!」


 背中に聞こえた小さな祈りの句。それが森に届き周囲の木々が天使共を拘束したのだ。

 もちろん、完全にという訳じゃないが戦いにおいてそれだけの隙は、まさに命とり。

 近い1匹へと駆け寄り、そのまま首へ向けて一閃。振り返りざまに左腕からムーンエッジを突き出す。

 最初の1匹同様に崩れ、消えていく天使を見送ることなく残り2匹へと躍りかかり、仕留めた。


「私がやったの?……え?」


「呆けるのは後にしろ。おかわりがくるぞ」


 周りの使徒たちはついてきた男どもが順調に討伐出来ているようだった。それぞれがそれぞれの仕事を遂行する、素晴らしいことだ。

 駆け出しだろうが、英雄と呼ばれようが役割をきちんと果たす、それが依頼の正解なのは変わらない。


「おっさん、村からみんなが来たぜ!」


「ようし、追い込め!」


 なおも湧き出てきた天使の相手をしながら、視界に入った松明の光にほくそ笑む自分がいた。

 とにかく使徒さえなんとかできれば、俺の現状の祈祷術でも天使ぐらいならなんとかなる。

 他の皆でも戦闘不能にするぐらいなら数がいればいけるはずだ。

 そうなったところをゆっくり仕留めていけばいい。


 いつの間にか空は晴れ渡り月光が森に白く光を注いでいた。光と影が不気味さを生み出していくのがわかる。


 そんな時だ。


「おじ様、あれ!」


「おいおい、冗談じゃねえぞ……?」


 思わず下がりかけたのを踏みとどまり、にらみつけることで気持ちを奮い立たせた。

 岩が積みあがったような遺跡もどきから出てきた新手の天使共が互いの胸に手を突き刺し、光に包まれたのが見えた。

 あれはそう、上位存在の召喚の儀式だ。


「下がれ! 大天使がくるぞ!」


 どよめきが森に広がるがそれどころではない。少しでも数を減らさないと逃げるにも問題が出る。

 順調だったエルナの援護も止まっている。大天使という言葉に衝撃を受けているらしい。


(ちっ、潮時か? かといって逃げるにもな……)


 村に行っていた連中としっかりと合流する暇もなく、状況を把握できているのはわずかな人数だ。

 この状態で撤退戦等はやれるはずもない。


「ねえ、おじ様だけでも逃げて」


「……馬鹿言ってんじゃねえよ。一度依頼を受けたなら、やり通すのが契約ってもんだ!」


 俺は怒っていた。誰でもない、俺自身に。少しばかり遠ざかっていた戦いの気配と、死ぬかもしれないという恐怖に怖気づきかけた俺自身にだ。

 

 大天使1匹ごときがなんだというのだ。いざとなれば、右腕を焼く痛みなど我慢してしまえばいい。


 覚悟を決めた先で、ボトリと嫌な音を立てて1匹の異形が世界に産声を上げた。

 天使共より2周りは大きな体。純白に近い天使のそれと比べ、浅黒く、光沢を感じる体表。

 しかし、その何を考えているか読みにくい仮面のような顔は変わらず。天使共の隊長格、武骨な槍を構えた大天使のお出ましだ。

 月光に照らされ、その体が彫刻のような姿であることが見て取れる。


「ムーンエッジ、ダブル! なにぃ!」


「森よ!」


 先手必勝はどの戦場でも変わらない。奴が十分覚醒する前にと叩き込んだはずの祈祷術の刃は、その手にした鎌のような何かにはじかれ、逆に俺へと黒い刃が迫る。

 横合いから伸びたツルのようなものが一瞬だけそれの邪魔をし、俺はその間に間合いを取ることができた。


「悪いな、エルナ」


「ううん。でも、どうするの?」


 どうしたもんかね……周りの皆もそれどころではないようだからな。


 視界に入るあちこちでは男達と天使、使徒との戦いが始まっている。

 この戦いの行く末が、周囲にも影響するのは間違いない。残念ながら増援は期待できそうにないのも問題だな。

 幸いなことに、周囲には大天使以外いない。みんな他の男どもと夢中だ。


「やるしかねえな……」


 腹の下あたりに意識を集め息を吐き、力を練る。思い出せ、かつての俺自身を。

 耐えてくれよ、右腕と俺の体。せめてあいつをぶっ倒すまではよ。


「おじ様……?」


「エルナ、俺が失敗したらすぐに逃げろ、いいな」


 それだけを言い残して俺は縄をほどき、一人(・・)で駆けた。

 エルナの叫び声を置き去りにして、こちらを伺っている大天使へと突撃。

 並の戦士ならそのまま串刺しになりそうな鋭い槍先を身をひねってかわし、その間にも間合いを詰める。


「月光の名のもとに……参る!」


 相手からの返事はない。あるいは槍がその返事だと言えるのかもしれない。

 何度も突いては引っ込み、的確にこちらの急所を狙う攻撃を時には避け、時には剣ではじいてそらしていく。

 代わりにと繰り出したこちらの斬撃は通ってはいるが、まだまだ戦闘不能には遠い。

 それでも相手の動きが鈍いのは、この手にした長剣のおかげだ。隕鉄、すなわち天から堕ちた物を使った剣はいつか天に昇りたいという天使の願いを阻害し、力に干渉する唯一品だ。


『ギギッ! オシエヲウケイレヨ!!』


「ついにしゃべり始めたか。よほどこの剣が嫌いらしいなあ!」


 ただの鉄剣と違い、この隕鉄剣であれば切り付けるだけでも天使共には悪影響がある。滅ぼすには至らないが、不快感が襲い掛かってくるぐらいには効くはずだ。

 他でもない、コイツの仲間である別の大天使が言っていたぐらいだからな。


『オロカモノメッ!』


「愚かで結構! 俺達は自分の信じる物のために生きるだけだ!」


 本来の長剣の間合いは踏み込みを活かせるようにもう少し外だが、離れて好きに動かせるわけにはいかない。身をひねり、足も使い回転する勢いを使って出来るだけその場に大天使を引き留めるべく動く。

 合間合間に左手から月光による短剣を生み出すが仕留めるには足りない。


(ちぃ……やるしかねえか)


 短いような長いような攻防の後、俺は覚悟を決めて右腕に意識を向けた。仕留めるための大技を使うために。


「闇を照らす母、銀光の刃を我が手に……」


 剣を振りながら祈りというのはなかなかに難易度が高い。だが、以前の俺はそれを乱戦の中でこなしていたのだ。たった1匹の大天使相手、やれないはずがない……そのはずだ!


「踊れ! ぐうううう!」


 右腕から焼きごてを押し付けられたような痛みが走り、それは頭にまで届く。

 それは呪い。天使共が俺にかけた、異教を信じることへの罰であるかのような痛み。

 本来ならば大天使ぐらいは切り裂く力の刃が産まれるはずが、痛みからか狙いも逸れてしまう。


 そうしてその隙を突かれ、俺は見事に吹き飛ばされた。

 無様に地面を転がされ、ずいぶん遠くまで飛ばされてしまったのを感じる。


「おじ様!」


「馬鹿野郎、なんで逃げない!」


 かかる声と同時に右腕にほのかな温もり、エルナが手を取った性だ。大天使は獲物をいたぶる趣味でもあるのか、ゆっくりと歩いてくる。

 俺はそれを見て、エルナを押し出すように右手を突き出すが逆に力強く握られる羽目になった。


「だって……だって!」


 エルナの顔は涙でぐしゃぐしゃだ。若い娘がしていい顔じゃないだろうに……。

 まったく、こいつがいるんじゃ俺は逃げるわけにはいかない。


 一度、俺は逃げた。


 戦えない英雄という、己の弱さから。その苦しみはもう一度は味わいたくはない。


「安心しろよ、エルナ。俺は最後までお前の英雄でいてやるさ」


 だから、立ち上がる……何度でもだ。右腕は痛むが、剣を握れないほどではない。そして、隕鉄剣はそう簡単に駄目になるようなやわな剣ではないのだ。

 俺があきらめない限り、その刃は敵を切り裂くはずだ。不思議と、力があふれてくる気がした。


「う、うん。わかった。私、祈るね。おじ様が……自分自身の教えを口にできるように」


「? エルナ、今お前なんつった? !?」


 問いかけは途中で止まることになる。なぜなら、エルナが膝をついて祈り始めたかと思うと、その手の中から光があふれたからだ。

 正しくは俺が渡した指輪、かつて遺跡で見つけた宝冠にはまっていた宝石を使った守護の指輪からだ。


 その光は俺に伸び、その体を包み込む。


「へっ、どうした。びびってんのか、この光によ」


 わけもわからない状況だったが、1つわかったことがあった。大天使はこの光を嫌っている。むしろ怯えていると言っていい。こうして無防備に近かった俺に襲い掛からないのがその証拠だ。そして、光が俺に教えてくれる……奴を倒せと。


「不思議とな、今はお前に負ける気がしねえよ。さあ、英雄の時間の……始まりだ!」


 再びの祈りの句。それは朗々と周囲に響き渡り、俺に力を与えてくれる。

 痛みはずの右腕は今は全く痛まない。むしろ温かさを感じるほどだ。


 少しサボっていた体は現役時代より確実に衰えを感じるが、まだ息が上がるには早い。何度目かの踏み込みから、隕鉄剣を大天使に突き立てるかのように突き出した。

 速度は先ほどよりわずかに上、といったところ。しかし大天使は大げさなほどにその刃先を避けて見せた。

 まるで、当たるわけにはいかないと言わんばかりだ。


『キサマ……グシンノイヌメ!』


「ふっ!」


 その仮面のような顔に似つかわしくない声を上げ、大天使がこちらを睨んでいるような気もするが目だって作り物のような相手だ。正直、よくわからん。

 今は少しでも早く、こいつを仕留める必要があるのだけは確実だ。


(エルナ、感じるぜ……お前の力)


 小さな、小さな少女の祈りが今、俺の腕の呪いを恐らく一時的にだが打ち消している。

 なおも腕に絡みつこうとする呪いの模様を振り切るかのように右腕を突き出し……青白い光が剣に宿った。

 月光を浴びながら落ちてきたという隕石の力と、かつての月夜に俺が目覚めたドルイドとしての力とがエルナの力を媒介として腕の中で絡み合う。

 久しぶりの、現役時代を彷彿とさせる高揚感が右手から全身に伝わって来た。


「月夜に眠れ。どおぉりゃああ!!!!!!」


『アアアッ!!!』


 瞬間、周囲に光が走った。俺の手の隕鉄剣がまとった光が1つの線となり大天使の構えた槍ごと縦に足元までを切り裂いたからだ。

 音もなく2つに切り裂かれ、消えていく大天使。そして周囲に満ちていた嫌な気配が薄らいだのを感じる。

 隊長格がいなくなり、人間の領域にこの場所が戻ってきたのだ。


「あばよ……すぐに仲間がそっちに行くさ」


 振り返れば、硬直して立ったままの天使共といくつか残った使徒たち。駆け寄ってくるエルナを抱きかかえて俺は残りの相手の掃討に移った。


 そうして、俺の久しぶりの死闘は幕を閉じたのだ。





─2週間後


「だからー、そろそろ宿に泊まりましょうよっ」


「馬鹿言え、あんな物取りだらけの町に留まってたまるか。だったら野宿の方が安全だ」


 驚くエルナを重ねた毛布に押しやりながら、俺はたき火に薪を追加する。

 はぜる音と揺れる炎が自然と俺の耳と目をとらえて離さない。すぐに冬が来る。準備だけはしないとな……。


「ねえ、おじ様」


「なんだ」


 お湯を沸かすべくやかんを火にかけた俺の背にかかる静かな声。どうやら落ち着いたようだと振り返ると、悲しい顔をしたエルナがいた。


「よかったの? 私が付いてきて」


「付いてきたいっていったのはお前だろう?」


「それはそうだけど……」


 冷たく答えながらも、俺は彼女が問いかけてきた本当の理由を知っている。

 あの日、ドルイドの能力に開花して戻ったエルナを村人と親は喜び半分、悲しみ半分で迎えた。

 ドルイドは貴重な祈祷術士だ。逆に言えば命の危険にさらされる職業でもある。

 それを家族と、家族同然の村人たちは喜び、そして悲しんでいたのだ。


 だからこそ、俺は彼女を引き取ることにした。表向きは、村を天使から救うための依頼料を肩代わりした代金として。


「いいから寝ろ。明日も早い」


「うん……お休みなさい」


 程なく、小さな寝息が聞こえる。やはり、疲れているのだろう。

 ああは言ったが、早めに宿に止めさせないと倒れそうだ。一人、ため息をついて空を見上げる。


 星は、かつての仲間と見上げた時と同じように満天に輝いていた。

 けれども俺の心は仲間を失ったあの時とは随分と違っている。


「もう遅いかもしれないが……今度は……やり切るさ」


 小さなつぶやきは薪のはぜる音に混ざり、夜の静けさに消えていった。





これを前日譚として後日連載化するかもしれません。

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― 新着の感想 ―
[一言] タイトルをもっとなろうウケにして、連載にしよ?
[良い点] 元英雄の独白らしく、言葉の端々に後悔や皮肉が混じっているところが良かったです。特に人は英雄に英雄であることを求めると言い切るあたり、主人公が英雄として過ごした時間の密度の濃さを感じました。…
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