第7話
「いやだ……」
襲撃後、ミリカと共に彼女の部屋に戻って寝かしつけ、眠気が訪れないままにベッド脇の椅子に座っていた俺の耳に、そんな言葉が届いた。
「死んじゃう……みんなみんな……」
寝言らしい。
ここまではっきりと感情を表すのは初めて見るので驚いたが、どう考えても悪夢であり、とりあえず起こすことにした。
「起きろ。起きろよ、ミリカ」
「……?」
呼びかけつつ体をそっと揺すると、すぐに目を覚ます。
状況が掴めないのか、目をパチクリさせながら俺の方を見ていたが、すぐに目から涙があふれ出し、俺の胸の中に飛び込んできた。
「いや……ひとりはいや……いやなの……」
激しく泣き続ける中で、そんな意味の発言を繰り返していた。
何が何だか分からないが、とにかく抱きしめ続ける。
ぬくもりが欲しいなら、与えよう。その切実さが、理解できるから。
「大丈夫か?」
どれだけの時間が経ったか分からないが、かなり経ってからミリカは落ち着いた。
だが、俺の問いへの答えは、一つの物語だった。
「みんな死んだの。わたしのせい」
どこにでも居る、普通の家族。
父が居て、母が居て、兄や姉が居て。幼馴染が、近所の怖いおじさんが居て、隣のおばあちゃんは優しくて――どこにでもあるような平凡な村に生まれ、平凡でありながら個性豊かな人たちに囲まれて育った。そんな平凡だった(・・・)少女の物語。
「教会のひとたちがきて……わたしをたすけようとしたパパが……ママも、お姉ちゃんもお兄ちゃんも……」
何があったのかはよく分からないらしい。
覚えているのは、「異能者め!」と叫びながら押し寄せる見知った人々。そして、愛しい家族たちの物言わぬ亡骸。
――これが、少女の語った物語。訳も分からぬままに、すべてを失った少女の、知りうる限りの物語。
話して少しでも楽になるのなら、いくらでも聞こう。
昔、自分にことある毎に色々と話しかけてくれた信仰機関のお姉さま方や野郎どももこういう気持ちだったのか。そう、改めて感謝の気持ちを抱かされる。
俺は素直に頼れなかったが、頼る勇気を見せたこの娘のために、少しでも助けになれれば良い。
「……いっしょ」
「え?」
「いっしょに……いて?」
俺は、何を舞い上がっていたんだ。
所詮つなぎの戦力だった俺はすぐに居なくなる身であって、俺を助けてくれた人々とは違って、本当に救ってあげられるまでただ居ることすらできない。そんな当たり前のことを思い出させられて、一気にバケツをひっくり返して冷水を掛けられた気分になる。
「……だめ?」
どんどんミリカの目が曇るのを見ながら、何も返事ができない。
「……お休み、ミリカ。今、俺はここに居るよ」
――違う、これじゃない。
それが分かっていても、俺にはそれが精一杯だ。
「……ん」
幾分暗い雰囲気のままベッドの中に戻っていったミリカに俺がしてやれることは、目を合わせないようにしながらおずおずと差し出された手を、朝まで握り続けることだけだった。
『つくづく、人間は面倒な生き物だな』
相棒のそんな言葉をきっかけに、色々と考えさせられながら。
日はすっかり昇りきっている。
寝巻きに着替えさせて寝かし付け、ベッドで安らかに眠るミリカの寝顔を見ながら、未だに解放されない左手の温もりを感じつつ朝を迎えた。
眠ったところであの悪夢の続きを見せられるだけだろうと考えると、一睡もできなかったことに不満はない。
ただ、この少女を見ていると色々考えてしまう。
どうして俺はこの少女を気にする?
どうして俺は昨日の襲撃後に手を伸ばした?
――俺は今、誰を見ている?
今なら分かる。昨日の朝食の席でなぜ相棒がわざわざあんなことを言ったのか。
『分かっているとは思うが、その娘はミリカであっても、『お前の』ミリカじゃない』
現実はしっかり認識している。だからこそ夢の続きを見たくない。
それでも俺はミリカの目を見た――見てしまった。
この娘はリンゴモドキが好きだ。あの娘はリンゴモドキが好きだった。
この娘は銀髪だ。あの娘は金髪だった。
この娘は美しい。あの娘は美しかった。
この娘は物静かだ。あの娘は活発だった。
碧眼に映しているのは――映していたのは――絶望。
碧眼が揺れたとき、手を握られたとき、俺はどうして安心した?
ミリカが絶望以外を見せたから?
俺に絶望以外を見せたミリカは誰だ?
一晩中そんなことばかり考えていた。悪夢の続きとどっちが辛いか良い勝負だ。
相棒は気を利かせてくれたのか、あれ以来は一度も話しかけてこなかった。
最初は月明かりだけの中で考えていたので、暗いから思考も暗くなると判断した。
でも、日が昇っても変化はない。
眠いから思考力が落ちているとも思った。
考えてみれば、一晩寝ないくらいでどうこうなる程度でやっていける職場ではなかった。
一度目を閉じ、深呼吸。
とにかく落ち着こう。平常心を失うことは明らかにデメリットの方が大きい。心がどれだけ揺れ動こうと、思考は冷静に。合理的に。
目を開く。映るは絶望の碧。
「おはよう」
「……ん」
碧が揺れる。握る手が明らかに強くなる。
この娘はどうして動揺した?
この程度のふれあいに――当たり前に隣人に向けられるようなやり取りにも飢えていた?
無いとは言えない。彼女の存在意義は実験動物と変わらない以上、物質面では優遇されても、人間として見られることは少なかった――もしかするとなかったかもしれない。
あくまで推測だ。目の前の少女に尋ねることは護衛の領分を越えている。
仮に俺の推測が正しかったとする。
俺はこの少女の期待に答えられるのか? そもそも、答えて良いのか?
結局、すべては唯一つの問いから始まっている。
――俺が見ているのは、過去か? 今か?
これは無意味な問いかもしれない。後から振り返れば、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑うかもしれない。
どういう結論を出そうと、明日の昼頃には別れることになる。増援が来れば俺はお役御免。元のように各地を回って仕事をこなしていく日々だ。
そうだ、やめよう。無駄なことだ。頼まれたことをやり切る。それで良い。――俺は、それを選択する。
そこで扉が二度叩かれ、鍵が開く。
「おはようございます、騎士様」
「ああ。おはよう、サーレ」
「後はあたしが引き継ぎますから、騎士様はエレア様の執務室に一度顔を出してからお休み下さい」
「え……?」
とっさに漏れたのは、俺の疑問の声。ミリカが握る手にもまた力が篭る。
「ああ、ご安心下さい。あたしは少しですが仮眠を取りましたから」
「そうか。……分かった。ここは頼む」
目は見ない。迷うのが明らかだから。
手は無理にでも振り払うつもりだったが、俺が離すとすぐに力が抜ける。
昨日の夜、ミリカの望みを聞きながら俺がミリカを選びきれなかったあの時から、この娘はすでに諦めていたからかもしれない。
一度も振り向かず、うろ覚えの道を辿って辿り着いたのは遊撃騎士殿の執務室。
ノックをし、返答を待って入室する。
「ああ、クラント殿。おはようございます」
幾分不機嫌そうな声に迎えられて入った遊撃騎士殿の執務室には、ソファに座る遊撃騎士殿と、いやらしい笑みを浮かべて無遠慮に肩を組む二十代後半ほどの男。
ごてごてとアクセサリーをつけているものの、身に纏う卸し立てのような法衣は司祭のもの。文官としては司教の階級と管区長の役職を持つ遊撃騎士殿の肩を随分と馴れ馴れしく抱き寄せているが、階級が司教の一つ下の司祭がこんなことをして失礼にならないような役職に就任できるとは思えない。恋人……は遊撃騎士殿の発する威圧感からしてないと思うが、友人・知人の類だろうか?
「何だ、お前? こっちは取り込み中だから、後にしろ」
いきなりのやけに偉そうな態度にどう接するべきか悩んでいると、遊撃騎士殿から助け舟が出された。
「仕事の話なので退出の必要は無いですよ。むしろ、クラント殿と取り込む予定ですので、そろそろ戻られてはいかがです?」
威圧的な笑顔でばっさりなのだが、男は全く怯みもしない。むしろ、余裕たっぷりに意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「ボクの父上は、枢機卿会議議長だぞ。そこの若造は、そんなボクが譲らなければならないような大物だとでも言うのか? 名乗ってみろ」
目の前の司祭殿は、そんなことはありえないと明らかに確信しているのだろうし、実際にそうだ。他国での宰相に相当し、枢機卿会議の過半数の支持が無ければ就任できない枢機卿会議議長の息子の肩書きは、階級や役職などを超越した圧倒的な意味を持つ。
しかし、遊撃騎士殿が今の言葉を聞いて急に威圧感が引っ込めたのが、とても面倒そうな臭いがする。
「お初にお目に掛かります。第十三騎士団所属騎士、クラント=バルディエーリと申します」
「第十三騎士団? ……信仰機関か! 使い捨ての雑用係が、どうしてこんなところに居る!?」
「昨夜の功労者ですから、私がお呼びしたんですよ」
急に慌てだした司祭殿に、余裕たっぷりの遊撃騎士殿。
てっきり司祭殿に「下っ端風情が」といびられるかと思ったし、そのつもりだったのだろうが、何か雲行きが怪しくなってきた。
「どうして教会に――よりにもよって、この教会に異能者なんかを呼び込んだ!?」
「大事な大事な被験体に危険が迫っていると報告したのに、あなたのお父様方から中々増援を送ってもらえないものですから。他に繋ぎにできる戦力のアテもなかったもので」
「おい! いや、まさか……!」
「ああ、あの娘が異能者らしいということは知らせていますので、言いよどんでいただく必要はありませんよ」
司祭殿が、おもしろいほどに動揺している。その場で立ち上がって顔を真っ赤にしながら喚き散らす言葉の数々は、もはや相手に自らの意思を伝えるとの役目を果たしていない。
「前任者たちの残した記録では、異能者は総じてあの娘に違和感を覚えますし、念話も聞かれます。バレるのは時間の問題だったのですから、伝えても問題があるとは思えませんが?」
そしてこの対応である。
事情がよく分からないなりに聞いている限り、組織人としては遊撃騎士殿の方がよりまずいことをしていると思うのだが、飄々としている――どころか、してやったりとでも言いたそうな清々しい笑みを浮かべている。
「お前はっ! こんなことをしてただで済むと――」
「ご心配なさらずとも、聖都はすでにただごとではありませんから」
沈黙が訪れ、真っ赤だった司祭殿の顔が一気に色を失う。
「まさか……報告したのか!」
「ええ。御存知のとおり、派手にやられましたからね。昨夜遅くにたまたまやってきた信仰機関の連絡係殿に事情を尋ねられまして、仕方なく話せる限りのことを話しただけですよ。何せ、教会を狙った大規模襲撃でしたから。事前に提示した報酬が、あの時点では危険に見合ったものだったと納得していただくために仕方なくです。変に抵抗して、心証を悪くしても良いことはありませんから」
「よくもっ――」
「それと、たまには御自分の執務室に行ってみてはいかがです? お父上も久々に息子の顔が見たいころでしょうし、電話の一つでも来るかもしれませんよ?」
白々しいという言葉は、このような時に使うのだろう。事情を知らずとも、聞いた限りのやり取りだけでそう思える。
遊撃騎士殿の性根が悪いのか、司祭殿の素行が悪いのか。
「くっ……! ――邪魔だ、退け!」
もう言葉がないのか、それどころではないのか。顔色が悪いまま俺を突き飛ばし、司祭殿は出口へと向かった。
その背中に、遊撃騎士殿はさらに声を掛ける。
「すぐに聖都に戻られるでしょうし、良ければ、聖都までの馬車を手配しますが?」
「結構だっ!」
そう言うと、扉を叩きつけるように乱暴に閉めて去っていった。
「随分とお疲れのようですが、大丈夫ですか?」
何事もなかったかのように、にこやかに気遣って見せた。
深入りする気はない。
俺の存在そのものがさっきのやり取りの原因の一端の様だが、身の安全のために厄介ごとに首を突っ込んでまで情報を得るよりも、火の粉が飛んできてから信仰機関に払ってもらう方がリスクが少なそうだ。
枢機卿会議議長の息子が慌てるほどの事情となれば、知るだけでも命の危険が無いとは言えない。それに、信仰機関の情報収集能力も、身内の危機を事前に察知するくらいの力量は持ち合わせていると信じるに足るものがある。
「心配されるほど表に出ていますか。大丈夫とは言いがたいですね。電話が導入されてから昨日までは、早く手軽に連絡の取れるものという認識でしたが、昨夜に関しては作った人間を呪ってやりたくなりましたよ。一晩に何度も、代わる代わる枢機卿の方々の荒ぶる感想を聞かされましてもね」
「そうですか。出世するのも考えものですね」
「まったくです。襲撃してきた組織や襲撃経路なども未だに一切不明だというのに、敵対的な異能者の襲撃の兆候を見落としていたことで進退問題に発展させるとまで言われましたよ。どこに監督責任があったのかその方に懇切丁寧にお尋ねしたら、訳の分からない言語を発された上で電話を切られましたがね。しかも、電話攻勢が終わったと思ったら、監査官殿が報告書を書くから二人きりでディナーをしながら、なんてしつこく言ってくる始末です」
「監査官、ですか?」
思わず言ってしまってから後悔した。
いくら聞き覚えのない名称――いや、聞き覚えがないからこそ、深入りしたくないなら流しておくべきだった。
遊撃騎士殿は迷いもせず、歯軋りでもしそうな笑顔、という珍妙な表情で語ってくれた。
「実験のお目付け役のためだけに適当に作られた役職ですよ。さっきのアレを見ていれば、本人の資質よりも、存在していることに価値のある役職だということは分かっていただけるでしょう? まあ、どうせ赴任して以来ずっと、歓楽街の監査にお忙しいようでしたがね」
「ああっと……それは大変でしたね」
「ええ、まったくです。そう言えば、図らずも、最初に説明した『まず大丈夫だとは思いますが、面倒な方』に面通しも済ませたことですし、滞在している部屋のある区画ではもう気をつけなくても大丈夫ですよ。どうせ、この地に訪れた初日以降は一度も帰らずにぷらぷらしてましたから、気にすることもなかったとは思いますが。――本当に、ユーベルリッテの名に怯えて私を避けていたのに、チャンスと見れば迷わず攻め込む。この状況判 断能力を、仕事でも発揮していただければ嬉しいのですがね」
ここまで一度も崩れなかった笑みが崩壊寸前だ。よほど精神にきたらしい。会って何日も経っていない人間に延々と愚痴っているあたり、相当なものだ。
隠しきれずに出てしまっているあたりが若さだな――なんてベテラン連中は微笑ましく言ったりするのだろうが、相対している方としてはたまったものではない。
こういう相手には、用事を済ませてさっさと立ち去るに限る。
「で、何か用件があるから出頭を要求されたのでは? 何もないならそれで、早く部屋に帰ろうと思うのですが」
その言葉でやっと正気に戻ったらしい。ハッとした後、咳払いを一つ挟んで普段どおりの笑みを浮かべた。
「そうでした。今までお疲れ様です。護衛任務は今このときをもって終了です」
「終了、ですか? 期日は明日の昼頃の増援の到着だったはずですよね。到着が早まりでもしたのですか?」
「それはあなたの感知することではありません」
声が一段冷ややかに。疲労もあってか、形ばかりの笑顔からはいつもの余裕が感じられない。
「私たちの上司の決定です。部屋は明日の日没までは使っていただいて結構ですので、ご安心下さい」
「『私たち』、ですか。ユーベルリッテと信仰機関の上司。教皇猊下か、それとも――枢機卿会議」
遊撃騎士殿の口元がぴくりと動く。そのまま舌打ちでもしそうだ。
「信仰機関とこれ以上腹を探り合う気はありません。その軽い口を開く前に、黙ってこの部屋を出ていって下さい。すぐにです。それが嫌なら、続きは博識なご自身の所属元とどうぞ」
教皇直下の機関とされながら、教会の事実上の最高意思決定機関である枢機卿会議。
彼ら彼女らも暇ではないはずなのに、わずか一晩で動いた。ミリカという存在を、教会はよほど重く見ているらしい。それとも、さっきの司祭殿の態度からして、俺が――もしくは、『信仰機関』が居たから動いた?
どうあれ、遊撃騎士殿も大変だ。それほどの案件で実績を残せれば将来は安泰だろうが、失態でも犯そうものなら水の泡。左遷か、下手な動きでもしようものなら消されるか。
その場で黙って一礼し、部屋を出る。
廊下を歩きながら思う。面倒なことになった。
簡単な護衛だったはずだ。ただの繋ぎだったはずだ。それがどうだ。
少女に出会い、過去と向き合わされた。一流の戦士と出会い、死闘を演じた。しかも、たった今、正式な命令に反発したと見られかねない態度を取ってしまった。命令の出所なんて、わざわざ探りを入れる必要はなかったはずだ。深入りはしないと決めただろうが。
ここに来てから、面倒事ばかりが続いている。
最初は随分と報酬が多いと思ったが、とんでもない。百万メルエぽっちでは割が合わない。
とにかく、すべては終わった。今は休もう。そう思って辿り着いた自室の扉を開く。
「兄貴、おはようっス! いい朝っスね!」
『何か辛気臭い顔ね。暗いのが移るから近寄らないでくれる?』
閉じる。息を吸う。息を吐く。改めて開く。
「兄貴、おはようっス! いい朝っスね!」
『え、二回目? ポルタ、あんたそれはないわ。そういうのはウケたときにやるのよ』
不法侵入者たちで勝手に始めて、勝手に完結してしまった。
『三日も続けて何用だ? いい加減、貴様らも見飽きたぞ』
『あら、言うじゃない、蛇。あたしと三日も続けて出会える幸運に感謝して欲しいものね』
意思ある魔力たちはお約束のじゃれあいに入った。放って置こう。
「で、何だ? 昨日の夜遅くに来たばかりでもう戻ってきたからには、お前も用なく立ち寄った訳じゃないんだろう?」
「およ、耳が早いっスね。他部署で暗部の下っ端に、わざわざ機密に触れかねない情報の一端を教えるようなおしゃべりでも居たっスか?」
そう言いながら差し出されたのは、封のされた書状。
「本部への出頭命令に、こっちは明日の朝出発の駅馬車の切符か」
「戻ったら長期休暇らしいっスよ。羨ましい限りっス」
最近は任務続きだったし、昨夜の騒ぎを聞きつけたであろう上の判断としては何もおかしくない。この場にこれらを持たせてポルタを寄越した仕事の早さが相変わらずおかしいくらいだ。
「うちの団長は、今回のことについて何か言っていなかったか?」
「え? いやぁ、別に――」
『枢機卿連中について色々と愚痴ってたわ。一言でも漏れたら大騒ぎじゃないかしら? って言っても、今でも十分大騒ぎだけどね』
苦々しい表情になったポルタと対照的に、楽しそうなクラリア。
どうやら、じゃれ合いはお約束通りにクラリアが勝ったらしい。相棒がぶつぶつと何かを呟いている。
「まあ、どうせ戻ったら兄貴も聞くことになるだろうし、ここで言うっス」
このタイミングでの愚痴だ。十中八九今回の騒動に関することだろう。切羽詰っている様ではないが、終わったことについて下っ端にまで知らされるとなると、話はかなり大きくなるのかもしれない。
そう思っていると、扉も窓も閉まっている部屋の中を見回してから嫌そうに口を開くポルタ。
面倒事を恐れるなら中途半端で意味のない行動であり、もっと本格的に目や耳を探すはずだ。最高難度の魔術陣には、人形などに刻んで自らの目や耳とするものもある。恐らくは無意識にやったのだろう。
「うちは、直接的には別に大丈夫なんス。兄貴の仕事の終わりが早まっただけで、報酬も前金で受領済みの上に返金の必要はないって言われたっスから。ただ、ここの被験体についてのゴタゴタがやっかいなんス」
「ゴタゴタ? 枢機卿会議がそんなに荒れているのか?」
被験体とはミリカのことだろう。そして、彼女について最高意思決定機関内部で何らかの対立があるのなら、遊撃騎士殿の気苦労も知れようものだ。
「被験体の調査が始まって五年くらい経つらしいっスけど、異能の取っ掛かりすらつかめてなかったらしいっス。そこで、被験体の安全は二の次にして無理にでも調べようとする強硬派と、死なれたりしたら困るから様子を見ようという穏健派が対立してたんだそうっス」
「それでよく五年も生きてられたな。穏健派によほどの実力者でも居たのか?」
「質以前に数だったみたいっスね。穏健派が圧倒的多数だったそうっスから」
「穏健派が? 異能者相手に教会のお偉方が及び腰?」
教会の異能者に対するお題目を知る者なら誰もが抱くであろう感想を聞いて、苦笑いを浮かべながらポルタは話を続ける。
「まあ、そういう言い方もできるっスね。一応、言い分としては貴重なサンプルを失うリスクに見合うだけの確実性がないってことっス。異能者の研究が進んだと言っても、未だに謎が多いっスから。兄貴の炎が紫色なのもそれの一つっスから、最初はかなり調べられたんじゃないっスか? とにかく、敵のことは少しでも知りたいってことっス」
「分からなくもないが、本当にそれだけか? 多数派になるには少し弱い気がするんだが」
「理由の一つでもあるっスけど、建前でもあるっスよ。実際、教会で保護してから一年くらいのときにもっと危険な検査をするって話に決まりかけたんス。当時は強硬派と穏健派は少し強硬派が強かったっスからね。でも、直前で引っくり返った」
ワイロ……なんて払う人間が居るとは思えない。となると、何だ?
答えがさっぱり分からず、目で続きを促す。
「責任を取りたくないから現状維持を望んだってのが実情らしいっス。無理な調査をすれば十中八九死ぬのに、またも不明なんてことになったら、賛成した連中は責任を問われるっスから。強硬派が一気に数を減らしたのも、現場から調査についてのかなり辛口の報告書が上がってからだそうっス」
「何と言うか、らしいといえばらしい理由だな」
ため息を吐いた俺に、何かを思い出した様子のポルタが話を続ける。
「その辺は何とも言えないっスけど、今回の騒動で全部引っくり返ったんスよ」
引っくり返った?
先送りが引っくり返った、となれば……。
「五年も経って進展なく、むしろ今回の大規模襲撃を招く元凶になったっスから、これ以上の先送りは責任逃れ、だそうっス」
「……一晩と掛からず、それを半数以上が納得したのか」
「教会の嫌がることならなんでもする単なるテロリスト集団や異能者研究を行う結社、果ては異能者を神の使いと崇める邪教徒たち。被験体の存在を知るどころか、何か教会が隠してるらしいとか、弱ってるらしい程度でも襲撃してきそうなのがうじゃうじゃいるっスからね。先の襲撃でかなりの損害を被ったこの街に戦力を補充する前に、もう一襲撃くらいあってもおかしくないっス。だからこそ、穏健派に切り崩された連中が慌てて掌返してゴリ押ししたっスよ」
「あるかもしれない次の襲撃であの娘を失えば、散々引き伸ばしていた穏健派がさらに責任を追及される、と。それなら、調査の途中で死んでくれた方がまだ平和的に終わるか。責任を取りたくないから生かして、責任を取りたくないから殺す。権力を持ち続けることも中々に大変そうだな」
「まあ、ウチもその危ない連中に含まれてるっスけどね。どうやらあの遊撃騎士殿、ユーベルリッテも枢機卿会議も通さずに、自分の師匠がウチの団長と個人的に知り合いなのを使って兄貴を引きずり込んだそうっスよ。それだけ切羽詰ってたみたいっスけど、襲撃と重なったお陰で情報がウチにも来て、枢機卿会議もウチも大騒ぎっス。教会での異能者保護・研究はウチの専権のはずなのに、どうして一言の断りもなかったのか。いや、あの娘はあくまでもらしいだけで異能者かどうかははっきりしていない、ってな感じっスね」
「……あの娘のこと、信仰機関は知らなかったのか。遊撃騎士殿は、それでよく俺を引き入れようとしたな」
「団長も、詳しくは機密で言えないからって、要人警護としか聞いてなかったそうっスよ。その結果、ウチは枢機卿会議を攻め、枢機卿会議はユーベルリッテに事情説明を要求し、そんな隙間で渦中の人物の事実上の死刑執行書にサインはなされたと言う訳っス」
「そうなると、さっさと問題の中心には神の御許へと赴いてもらい、適当なところで騒動を手打ちにしたいとも思っていると考えるべきか」
まったく想定もしていなかった事情に、一瞬呆けてしまった。
本当は、遊撃騎士殿はむしろバラしたかったのではなかろうか、とも思ってしまう。
まあ、襲撃がなければここでのことは「無事完了」だけで報告が終わってしまって問題なかったのだから、襲撃があった際に自分だけが責任を押し付けられることを防ぐという目的ならば正しい選択だったかもしれないが。
そして、なぜ枢機卿会議がやけに遊撃騎士殿に攻撃的だったのかも、これで分かった。
こんな面倒を引き込んだ元凶に対して、報復をしてやりたかったと言うことだろう。
「何だかんだでお偉いさんたちは、能力を信頼しても、ウチは信用していないってことっスね。そんな連中に、よく分からないものを与えたくなかったんスよ。オイラが喋った話も、夜中に第一報があってから信仰機関総出であちこちを脅しつけてまとめたてホヤホヤっス。だから、雑な仕事はしてないっスけど、後から情報を付け足したり間違ってたりってことがないとは言えないっスよ」
よく見れば、ポルタの目の下には薄っすらとクマがある。
仕事の早さは流石だが、相変わらずの非常識だ。
いくら身内の話とは言え、たったの数時間で機密情報をゼロから集めてまとめるなんて、ウチの後方要員たちはどこまで優秀なのか。
そして、これだけ知っているなら、これも知っているだろう。――ここまで知ったんだ。深入りがどうの、なんて考えるのはどうせ手遅れだし、構わないだろう。
「ところで、いつだ?」
「調査っスか? すぐにってことらしいっスけど、解析魔術の準備もあるっスから、たぶん今夜じゃないっスか?」
そうか、今夜か……。
「兄貴、どうかしたっスか?」
「いや、なんでも。それより、厄介ごとは嫌だと言っていたにしては、随分と勤勉に情報を確認しているんだな」
「耳を塞いでこれなんス。耳に入るに任せてたら、とっくに消されてるっスよ」
青い顔をしてそう言うポルタ。
基本的に聖都勤めの暗部の人間となれば、各地を放浪してる俺以上にヤバい情報に触れる機会も多いのだろう。
……やはり、ポルタの座右の銘は色々と手遅れのようだ。
「じゃあ、オイラはこれで帰るっス。ゴタゴタの中心地にあまり長居していたくないっスから……」
「? なんだ、まだ何かあるのか?」
「一つ言って……いや、別に何でもないっスよ。聖都に帰るまで、ゆっくりしていて欲しいっス」
『じゃあね。今度こそくたばりなさいよ、蛇』
『大きなお世話だ! そっちがくたばれ!』
ポルタたちはそう言い残して扉から出て行く。
それにしても、今夜。
俺が来る前や出て行った後なら気にしなくても済んだ。
よりにもよって、先送りを選んだ問いが立ちはだかる。
――俺が見ているのは、過去か? 今か?
仮に、……もし仮に俺がミリカを救ったとする。
俺は間違いなく教会から追われるだろう。ミリカには頼れるところなんてないはずだ。少なくとも、教会とやり合えるほどの規模では。そんな存在が居れば、ここには居ない。
襲撃者たちは、少なくともあの娘は味方と思ってないはず。味方と認識してるなら、それを倒した俺への対応がおかしいし、担ぎ出されるという連れ出され方も明らかにさらわれていた。それでも、上手くすれば庇護を受けられるかもしれない。まあ、不確定要素が多すぎる訳だが。
他にも取るべき選択肢はあるが、どれも共通するのは俺が彼女に対して大きな責任を負うということだ。
俺はミリカと離れても一人で教会と敵対して生きていける。
異能にすら目覚めていないミリカにはそんなことはできない。
二人で逃げ出したとして、俺はあのミリカを守り続けられるのか? あの娘を通して、あのときのミリカを守ってしまうのではないか?
――そして、それはあの娘を不幸にするのではないか?
自分が唯一頼れる存在が自分を見てくれない。
それは、二人の関係を歪めてしまうかもしれない。もしかしたら、ここで潰されるよりも辛い思いをさせるかもしれない。
生きていればなんとかなる。死ぬより辛いことはない。
何年も裏の世界を見てきたせいで、そんな言葉を聞いても鼻で笑うことしかできなくなった。
そもそも、俺が行動を起こせば、確実に信仰機関は厄介な立場に追いやられるだろう。
人生の半分近くを過ごした場所が、人々が、思い出が。俺が動けば、すべて終わってしまう。受けた恩を、仇どころか災厄で返してしまうことになる。
……ダメだ。やっぱり結論が出る気がしない。
『ベッドなんぞに寝転がってどうする気だ。あの少女のことは放って置くのか?』
『分からないことだらけだが、少なくとも一つはっきりしていることがある。ユーベルリッテのエリート様は、クビになった護衛のノックでは扉を開いてくれないだろうさ』
ご覧いただき、ありがとうございました。