第6話
サーレの残した伝言に従い、できるだけ会敵しないようにしながら二号館を目指した。
どこまで行っても剣戟や銃撃、魔術に異能が途絶えない。教会が隠匿していた少女一人に、襲撃側は余程の価値を見出したらしい。それは実像か虚像か。
どちらにしろ、敵はすでに来てしまっている。今夜はそう簡単に休めそうにない。
焔舞い、水が躍り風は駆け、大地が貫き闇喰らい、光纏いて防壁となす――どこぞの軍人が魔術戦の様子を語ったものだったか。現状を表すのにも相応しい言葉だ。接近戦なら、防壁は魔術防御に優れた光属性でなく物理防御に優れた地属性だったのだろう。
それにしても、全属性揃い踏みとは珍しい。正に戦場だ。
その戦場を、時には撃ち抜き、時には傍受し、時には斬り捨てながら進んだ。
しかし、もうすぐ伝言にあった二号館だというのに、ミリカが見つからない。
何かを掴んでいるようだったサーレや、遅れて探索を始める予定のリーネが捕捉していてくれれば良いが、広大な敷地に比して明らかに手が足りていない以上、すでに逃げられていてもおかしくはない。
焦りを押し殺しながら進んでいると、そう遠くない場所からの轟音、直後に微かな揺れ。
『これはまた……。今の感覚は魔術ではない。異能だ。それもかなり強力な』
『敵を視認できない状態で相棒にそこまで言わせる異能者か。あまり戦いたくはないが、無視もできない。念話でバレた、なんて間抜けなことは止めてくれよ』
『善処はする』
不安になるセリフを返してきたが、これまでの行いからして大丈夫だろう――多分。
今まで以上に周囲に気を配りながら練兵場横の林の中を前進する間にも、断続的に揺れが来る。しかも、進むたびに少しずつ大きくなる。順調に震源に近付いていることだけはよく分かった。
『ヒャッホー! オレっちたちの敵じゃねーぜ!』
「ガッハッハッハ! どうしたどうした、教会の兵士さんたちよぉ! オレたちみたいな神の敵に遅れを取ってちゃ、愛しの神様が泣いちまうぜ!」
そうして揺れが両手の指の数を越えた頃、見えてきたのは優に二十は下らない倒れ伏す教会兵たちと、武器を構えるリーネとサーレの二人。その後ろでは負傷者を回収している教会兵たちも居る。
そして、二人の見習い騎士と対峙する大男と、その傍らで座り込む銀髪の少女――ミリカだ。
状況は不明だが、やるべきことは明白。皮製の装備に身を包み、その平均を大きく凌駕する巨大な身の丈と同じくらいの大戦斧を振り回すあの大男の息の根を止める。
装備の隙間から見える筋骨隆々の小麦色の肌には、目の前の大男が歴戦の戦士であることを示す無数の傷が刻まれている。正面から叩き潰す必要は無いし、強敵であろう相手にそんなことをする必要も無い。
戦場は、林の中に木が薙ぎ払われて作られたちょっとした広場。
俺は茂みに隠れているのでバレていないはずだが、有効射程距離ギリギリ。この先は遮蔽物がなく、バレずに進むことは不可能。その状況で必殺を期するために右手の銃を両手で構え、狙いを付ける。
集中、集中、集中――今だ!
「吹っ飛べ! ――うん? 何だ?」
『おい、ガルム。向こうだ向こう。こそこそ銃なんかぶっ放してきやがった!』
最悪だ。銃撃と向こうが異能を使うタイミングが被り、広域で向こうの背丈を少し超えるくらいに隆起した大地にヘッドショットを止められてしまった。しかも、今は平坦に戻った地面だが、俺と敵のほぼ中間地点までという距離の円形の範囲内すべてに同時に干渉していた。全力がどうかは分からないが、少なくとも拳銃の射程の半分程度の距離ならば、その内側を一気に殲滅できるようだ。
正直、魔術とは比べ物にならないし、異能者としてもかなり高位だ。挙句、異能者としては最上位の技能であり、世界中でも数えるほどの人数しか使えない技能である、意思ある魔力を具現化させない異能使用も可能としている。
総合的に言えば完敗だ。敵は異能者としてだけ見るなら、俺の一段や二段どころではない上を行っている。
狙撃に失敗した以上、隠れている意味もない。すばやく給弾し、堂々と見習い騎士たちの下へと歩いていく。
「何だ。男のクセにひょろっちぃのが来たなぁ」
『まあ、お前と比べりゃ、大体ひょっろちくなるがな。ガッハッハッハッハ』
「そりゃそうだ。ガッハッハッハッハ」
何が面白いのやら、念話と現実の両方で豪快に笑う敵たちを気に掛けながらも、味方と合流することができた。
「状況は?」
「ついさっき到着した私が奇襲して一度は確保したんですけどね。あなたが来るちょっと前にアレが現れて、あっという間に再奪取されました。おまけに、無力化していた内通者の方も片付けられました」
最悪ではないが、極めて近い。伝えたリーネも難しい顔だ。
「ふんっ! 異能者だろうと不死身じゃないんだから、寄って斬ればそれまでだよ!」
「そう言って、もう七回も死に掛けたのは誰よ……」
サーレの方は相変わらずの残念思考らしいが、リーネの言葉に気まずそうにするあたり、打開する糸口は見えてないらしい。
「さあ! オレたちは異能者傭兵ガルム様と、その意思ある魔力『不動なる城壁』ドゥール・ドゥンだ! その名を刻んで倒れ伏せ!」
直後、ガルムは軽々と大戦斧を振り回しながら間合いを詰める。
鈍重そうな見た目とは裏腹に機敏な動きから振り下ろされた一撃は、反射的に後退した俺の眼前の地面をいとも簡単にえぐり取る。
高いレベルで速さと重さを融合させた攻撃に、接近戦を切り捨ててもう一歩後退すると、後方から多数の援護魔術が飛来する。
『しゃらくせぇ! いい加減に諦めな!』
ドゥール・ドゥンの誰にも宛ててないだろう念話と同時に、再び広範囲の地面が隆起し、再び平地に戻る。
槍ほどには鋭くないが、ただの丸太とは明らかに違う太く尖った無数の攻撃。
上手くバランスを取りながらなんとかやり過ごして後退するが、バランスを崩して体を貫かれた兵士も少なくない。
ガルムは再びミリカの隣まで後退し、一時的な膠着状態が発生する。
「一応エレア様もお呼びしましたが、あなたも来た以上は何とかして下さい」
「……アレをか?」
「あなたたちは異能者と戦うために居るんです。存在意義を果たして下さい」
冷ややかなリーネの視線。
教会と戦うか、教会で戦うか。――教会領に限らず、教会の影響下の国々で生まれた異能者に許された、たった二つの選択肢。新天地を求めて未開の地に逃げるにしろ、異能に目覚めた時点で教会と関わらずに生涯を終えることはない。
最大最強の組織である教会からの安全と引き換えに、その他の組織相手に使い潰される戦力の集まる場所。それが信仰機関。そんなことは百も承知だ。それでも死ねない。だったら答えは一つ。戦って勝ち続ける。それだけだ。
「どうした、もう終わりか? このガルム様とドゥール・ドゥンの前に、精強なはずの教会兵程度では手も足も出ませんでしたってかぁ!?」
挑発とも取れる名乗りを挙げる敵に対し、サーレはうんざりした顔で言う。
「ああもう。あいつ、何回自分の名前を叫んだら気が済むの? どんだけ自分が好きなのさ!」
「ガルムとドゥール・ドゥンって言ったら、確か北の方のどこぞの国で有名な異能者だったはずよ。大方、教会相手に喧嘩を売って箔を付けに来たんでしょ。教会に賞金を懸けられたら、金額にもよるけど、それだけで傭兵としての依頼料のゼロが一つや二つは増えるらしいし。――って。えっと、どうかしましたか、クラント殿?」
「今から突っ込む。援護してくれ」
「え、突っ込むって……。ちょっと、さっきはああ言いましたけど、一般兵も居ますから異能は控えて下さいよ」
声を潜めて言われた後半の忠告もしっかり聞き届けた上で、両手に拳銃を構えて突撃する。
「おうおう! おバカちゃんを一名様ごあんなーい!」
『オレっちたちは、ヤケクソでどうにかなるほど甘かねぇぜ!』
支援攻撃の中を中距離まで近付き、銃撃を浴びせながら駆け寄る。
しかし、細かいフェイントで射線を逸らされて命中弾はなく、左右二発ずつ放ったところで眼前を銀の閃光が走り抜ける。
それが振り抜かれた巨大な刃だと気付く前に、かつての訓練で染み付いた経験が距離を取らせる。
「そら、これで仕舞いだ!」
来るのは、さっきと同じ大地の隆起。ここまでは想定通りだ。
しゃがみ込んで振り落とされないようにバランスを維持。隆起が最大に至るタイミングを見計らって全力で飛び上がる。
「何だと!」
『マジかっ!?』
「そら、これで仕舞いだ」
残弾をとにかく叩き込む。
上手く勢いに乗った跳躍は、ガルムの頭上を越えて反対側へと着地――し損ねる。
とにかく攻撃にだけ意識を割り振った結果、受身も取れずに背中から地面に激突するという無様な事態に。
隙を減らそうと慌てて立ち上がり、弾の尽きた銃から短剣に持ち替えて構えると、そこには片膝を地に付くガルムの姿。
ミリカも相変わらずの無表情で座り込んでいる。どうやら無事らしい。
場合によっては串刺しの危険もあったところだが、隆起を維持するのにも魔力が掛かるから最低限の時間しか維持しないだろうと予想はしていたし、ここまでは敵もそれを実践していた。それだけの判断力と、実現する高度な魔力操作技術がある強敵だからこそ、こちらが生き残ることができた。
構えを解き、ホッと一息。どうやら今回も死なずに済んだらしい。他の兵士たちも徐々に緊張を解いているようだ。
「……お疲れ様です」
「す、凄かったです! 騎士様、本当に凄かったです!」
消耗し切っているリーネに、眼を輝かせるサーレ。
サーレは脳筋寄りな残念なだけに、深く考えないから柔軟でもあるのかもしれないが、仮にも教会のエリートとして異能者に向けて良い視線ではないと思う。
『クックック。なかなか楽しくなってきたじゃねぇかよぅ。なぁ、ガルム!』
「まったくだ。そう来なくっちゃなぁ!」
突然の念話にガルムを見ると、近寄っていた三人の教会兵を一閃。立ち上がって真っ直ぐ俺を見据える。
「おい、小僧。名は?」
「……クラント」
最低限の名乗りだけをし、短剣を構える。サーレとリーネも俺の左右でそれぞれ臨戦態勢に入った。
「クラント、クラントねぇ。……おう、覚えた。お前はそこそこ強かったからな。その名を刻んでおいてやる。そして、改めて刻め! 異能者傭兵のガルム様と、意思ある魔力『不動なる城壁』ドゥール・ドゥン! 貴様を殺す、最強の名だ!」
変化は唐突だった。
血を流しながら派手に笑い続ける巨体の周囲に、土が吸い寄せられる。
そうとしか言いようがなかった。
一瞬でただの土の塊となり、不規則に形を変え続けるそれは、気付けば不恰好な土の巨兵の人形になっていた。
「これこそオレたちの切り札! この最強の鎧を、破れるものなら破ってみろ!」
間髪入れないリーネのとっさの攻撃命令に反応した魔術師と銃兵たちの弾幕を浴びるが、攻撃が止んだ時にはその表面に少し傷が残っただけ。その上、その傷もすぐに修復されていく。
「だから言っただろうが。最強の鎧だってなぁ!」
スピードが落ちるどころか、むしろ一段上がってミリカを回収する。その際、ミリカを保護しようとして近付いていた二人が真っ二つになった。
「さあ、これで目標も確保だ!」
『後は、あの小僧を殺しておさらばだぜぃ!』
左手で無抵抗のミリカを抱え、無機質な土の顔を俺に向ける。
「サーレ、リーネ。兵士たちを逃がせ」
「撤退ですか? 職務放棄ですよ。それより、エレア様が来るまで時間を稼ぐので、手伝って下さい」
「無理だ。その前に取り逃がすことになる」
「だから敵前逃亡をしろと? なめないで下さい! 私たちにもユーベルリッテとしての誇りが――」
「魔術師や銃兵にあの鎧は破れない。前衛連中なら一撃入れる前にあの世行きだ。だから、俺が焼き尽くす」
まくし立てていたリーネが黙り込む。今更とも思うが、教会内での異能の使用を公認するようなまねに抵抗でもあるのだろう。
「あ、あたし行ってきます。急ぎますから、それまで耐えて下さい」
先に覚悟を決めたのはサーレだった。
普段は感覚で行動している傾向があるように見えたが、それ故にこそ、限界状況での決断力はこっちが上らしい。
「クラント殿……」
「これが俺の存在意義だ。教会が与えたものなんだから、乗っておけっ!」
ガルムの高速の突進を、反応が遅れたリーネを抱えて回避する。
「おいこら。いつまでもうだうだやってんなよぉ。白けるだろうがっ!」
通り過ぎた後、いつでも踏み込める間合いで向き直ったガルムは、苛立ちを隠そうという気もないらしい。
「ああもう、分かりましたよ。あなたも騎士です。本分を尽くして下さい」
「だったら、サーレに伝言を頼む」
サーレへの伝言とリーネへの頼み、それぞれを手早く一言ずつ伝え、リーネを送り出す。
刹那、煌く銀閃。
「お荷物も無くなったんだっ! 少しは楽しませろよぅ!」
間髪居れずにさらに一撃。
どちらも紙一重でかわし、距離を取る。しかし、ガルムは迷わず踏み込んできた。
超重武器なんだからもう少し攻撃の間隔があってしかるべきだと思うのだが、そんなことはお構いなしに放たれる斬撃斬撃斬撃――。
一歩下がれば一歩踏み込んでくる。逆に、一歩進んで懐に入ろうとも、この短剣では装甲を貫けたとしても中身に致命傷を与えることは不可能。むしろ、次の瞬間には右腕に捕らえられて決着だ。明らかに純粋魔力でないあの鎧には、『魔力殺し』も無力。弾が入っていたとしても、銃は経費の浪費という開発部の悲劇を招くだけ。
できないことを差し引いて、唯一残った回避という選択肢を全力で実行し続ける。
右からの一刃、返す左からの一閃、そこから大きく振りかぶって上からの一撃。
「騎士様! こっちは完了です! 思いっきりやっちゃって下さい!」
待ち望んだサーレからの言葉を聞き、ガルムが地面に打ち付けられた大戦斧を引き戻すタイミングで間合いから大きく後退しつつ、右手の短剣を仕舞う。
『やっと出番か。随分と待たされたものだ』
「終わらせろ。『紫炎の蛇』」
その言葉を合図に、右腕の肘から手首にかけての部分から紫色の炎が現れる。
まるで腕が燃えているようにも見えたあたりで、立ち尽くすガルムから呆然とした雰囲気が発せられる。
気持ちは分かるさ。逆の立場なら俺でもそうなる。
そして、炎はそう時間を置かずに螺旋状に収束し、そのまま右腕に巻きつく。――さながら、一匹の蛇のように。
『こりゃたまげたぁ!』
「教会にも強いのが居ると思えば、異能者か! 何がどうなってやがる?」
「人手不足らしい。俺みたいな出来損ないの力でも欲しいんだとさ」
右手を向けると、向こうも臨戦態勢に入る。
『うん? そういやぁ、信仰がどうやらって話がなかったか?』
「おう、そういやそうだ。教会が異能者を集めてるって噂話だったなぁ。しんこーがどーたら、しゅごがどうたら?」
「信仰の下に集いて信仰を守護する、絶対の信仰者たちの機関。『信仰機関』だ」
『信仰を持つ者が何人居るのか不明だがな。我らも含めて』
相棒の冷笑が続くが、俺も同じ気持ちだ。
神の敵でありながら、絶対の信仰に目覚め、影に徹し守護者となった者たち――要は捨て駒。面倒事を押し付け、都合が悪くなれば切り捨てられる。それでも、当面の保護を求めてそれなりに人が集まるあたりが、教会の強大さを表している。
「教会の狗もなかなか大変そうだなぁ。満足に全力も出せませんってかぁ?」
「なに、不必要なルールを課してわざわざ難易度を上げるのも、やってみればそれなりに楽しいぞ」
左右の手の平からそれぞれ炎弾を放つが、足元を狙った攻撃は危なげなくかわされる。
『おいよぉ、人質にお構いなしかぁ?』
「ま、こんなへなちょこな攻撃じゃ、気にする必要も無いだろうがなぁ!」
魔力操作が苦手な俺が、一撃の威力を下げるための裏技。わざと魔力収束を甘くして、一発の魔力弾を広域に散らせる。名付けて『散弾』。
総量は変わらずとも、散ったそれぞれの威力は、初級魔術程度にまで落ちる。だからそれぞれの地点で、込められている魔力が尽きてすぐに火も消える。
とは言っても、攻撃範囲はさらに広がるので、攻撃を当てないように味方と連携することはさらに難しくなる。しかも、威力は下がるので、牽制くらいにしかならない。
向こうに狙いを付けさせないように付かず離れずの距離を動き続けながら、威力でなく速射優先の炎弾を断続的に浴びせるが、思った通りかすり傷にもならない。
それでも、数を重視した攻撃だけに、回避だけですべてを処理している訳ではない。鎧には当たってもどうということは無いだろうが、ミリカはそうではない。
無数の攻撃の中の一発。視界を塞ぐように飛んでいたそれを外への横凪で払う。
――これを待っていた。
一歩を踏み出す。体重移動を利用した、団長直伝の技法『縮地』。俺の切り札。
すでに最高速度に至った勢いに乗り、続いて二歩、三歩。全力で進む。進み続ける。
敵も右手を引き戻そうとするが、問題ない。左手はミリカを抱えて使えず、地属性の魔術師なら体の一部を覆えれば上等とされる中での全身装甲だ。異能はすべてそこに注がれていると思って間違いないだろう。
今までの動きからの想定が当たり、ガルムの右手に一手先んじて懐に入り込む。
『へっ、わざわざおっ捕まりに来やがった!』
「ゼロ距離だろうと、そんなへろへろじゃぁ意味ねぇぞっ!」
『ああ。あんな無様なロウソクの火ならば、な』
右手に力を集める。
ミリカも居る以上は全力は出せないし、時間も必要もない。必要最小限にして望みうる限り最大最強の炎を具現化し、すべてをやつの右足にぶつける。
結果は地味なもの。派手な爆音も閃光もない。紫色の炎がただすべてを飲み込んだ。右足は鎧を喰い尽くされ、焼け焦げた中身が現れる。そこで炎は力を使い果たして消え、巨兵はバランスを崩し、右手を地に付く。
「待ってました!」
飛び込んで来るのはサーレ。リーネはしっかりと「片足を焼き払ったらサーレがミリカを回収してくれ」という伝言を伝えてくれたらしい。身体強化で向上した機動力を駆使し、緩んだ拘束からミリカを奪い取ると素早く後退する。
「くそったれ! ぶっ殺――!?」
隙をさらす俺への攻撃は、飛来した特大の水弾に妨害される。「二撃目までの時間をリーネが稼いで欲しい」との要望も叶った。
次に放つは必滅の一撃。
総合的に言えば、俺には未だに届かぬところに至っていただろう。
だが、やつは――目の前の大男は、その力のすべてを守りに傾けた。
ならば負ける訳にはいかない。
技量で言えば初心者にも劣る出来損ないがどうして一人前の騎士として送り出されたのか。それは、捨て駒に大した期待がなされてないからなんて、後ろ向きなものだけではない。
他のあらゆることで他者に劣ろうとも、誰の追随も許さなかった『ただ一つ』。
「お前の敗因は、――」
全力ではないが、目の前の敵を打ち倒すには十分すぎる火力。
「――俺の火力に正面から立ち向かったことだ」
右拳に集めたそれを、零距離からどてっ腹に叩き込む。
「紫炎と共に、冥府へ散り逝け」
「グゥガァァアアア!」
『鎧が再生しねぇだとっ!』
倒れこそしないが、悲鳴はすぐに止み、罵詈雑言の放たれ続けていた念話も途切れる。
今度こそ終わったか……。
俺の火力は装甲とほぼ相殺されたらしく、炎は周囲には広がっていない。
緊張から開放され、ドッと押し寄せた疲労に辟易しながら背を向けて一歩。続けて金属音と、何か重量物が落下したような音。
「クラント殿。油断が過ぎますよ」
振り向くと、ステキな笑顔で金属製の長めの杖を構える遊撃騎士殿と、その脇の地面に突き刺さる焼け焦げた大戦斧。その向こうには崩れ落ちた巨体。
どうやら、死んだはずのガルムが最期に放った渾身の一撃から救ってもらったらしい。
「ありがとうございました」
「いえいえ。あなたには期待以上に働いていただいたようですから、お互い様ですよ」
困ったような笑みは、遊撃騎士という階級に比して明らかに若すぎるこの女魔術師の魅力を少し――ほんの少しだけ増していた。
「クラント殿。エレア様は、精鋭ぞろいのユーベルリッテでも別格なんですよ」
「教会騎士適性試験で高水準の才能を認められないと、そもそもユーベルリッテに入れてもらえませんしね」
「エレア様はその天才の巣窟の中で、最年少騎士叙勲記録第三位なんです」
「ああ、いつもリーネが言ってるやつでしょ? しかも、一位とは三ヶ月くらいしか違わないんじゃなかったっけ?」
「それは凄い。で、何が言いたい?」
左右から突然に自らの上司自慢を始めるリーネとサーレ。サーレはともかく、リーネの方は明らかに声色が冷たい。
「あなたとエレア様では釣り合いません。早々に諦めた方が身のためですよ」
「げぇっ! 騎士様、本当ですか!? それは流石に身の程知らずと言うか……」
「あら、若きエリート騎士と最奥の暗部のエースの許されざる恋。やっぱり始めちゃいますか、『禁断の恋』? リーネの好きそうなシチュエーションですね」
遊撃騎士殿の思わぬ奇襲に、顔を真っ赤にしたリーネが何事かをまくし立てている。
思わずため息を吐いた俺は悪くないはずだ。つい今朝方にも同じような話の流れになったが、一日に二度もか。
それにしても、こんな結論に至ったリーネの思考回路も凄いが、これだけの大事件の最中での遊撃騎士殿のノリの良さも凄いと思う。しかも、笑顔が『ステキ』から『イイ』にいつの間にか変化している。
「遊撃騎士殿、仕事はどうしたんです? ここが解決したのなら他に行って下さい。――それとリーネ。妄言はそこまでだ」
「大丈夫ですよ。ここ以外の敵は排除済みでしたから、後は事後処理だけです。私が目を通すような案件はもう少し先ですよ」
「あなたは妄言と言いますが、さっきエレア様を見て『あ、きれいだな』って思いましたよね。顔を見たら分かります。否定なんて許しませんよ。エレア様を見て欲情しないのは男としてありえません。さあ認めて下さい。そして己の身の程を弁えて下さい」
遊撃騎士殿の言い分は了解した。だが、リーネが何言っているのかが分からない。
結局、淡々とまくし立てる見習いは、俺にどうしろと言うのか。
「だんまりですか? 男ならはっきりして下さい」
サーレはなぜか目を輝かせて推移を見守っており、遊撃騎士殿は……アテにしてはいけない笑顔だ。
『ガッハッハ。上玉三人に囲まれて羨ましいことだ』
『だったら、せめて羨ましそうに言え』
「この状況で念話ですか? 素晴らしい度胸です」
……出口が見えない。
リーネは、多少煽りに弱いとしても、もう少し理知的な印象だったのだが、敬愛している様子の遊撃騎士殿が絡むとそうでもないらしい。
正直、『あ、きれいだな』と思ってしまっていて、心情的に強く出られないこともある。それに、そもそも、どう答えても怒られる気しかしない。
困り果てて視線を泳がせると、そこには月下に何をするでもなく存在する銀髪の少女。
状況の打開を図り、それとなく歩み寄る。
「無事か?」
「……ん」
返事の際にちらりと向けられた瞳は、相変わらず。
普通の少女なら泣きじゃくってもおかしくない体験を経ても、その二つの碧眼は同じ色を映し続けている。
敵が居ないはずなのに背中に殺気を感じるのは恐ろしいが、あの理不尽な追及からは逃れられたらしい。
そうして余裕が出たからだろうか。気付いてしまった。
――少女の手が小刻みに震えている。
春になって昼は多少暖かくなったが、夜はまだ冷える。シャツは長袖、スカートもロングとは言え、室内着では冷えるのかとも思ったが、何となくそうではない気がした。
「おい」
「…………ん」
左手を差し出すと、以前と同じように戸惑いの後に右手を差し出してきた。
手からは震えなどは伝わって来なかったが、見つめ続けていた瞳が揺れている。
前回のように顔が真っ赤になるなどの分かりやすい変化はなかったが、感情は今回の方が明らかに揺れている。
疑問? いや、戸惑いだろうか。感情が動いても、表情そのものはピクリとも動かないので読みにくい。そもそも、こういう繊細な問題は専門外だ。考えるだけドツボにはまっていくだけのような気がする。
それでも一つはっきりしていたのは、人の温もりがそうさせるのか、そんな様子を見ていた俺から戦闘の興奮が抜けていくのが感じられた。
「手なんて繋いで、随分と仲良くなったのですね。でしたら、しばらく面倒を見ていて下さい。追って指示は出します」
「一人で、ですか? それは……良いのでしょうか?」
今朝のように短時間の一時的なものでは済まないだろう。その上、内通者が出た現状で、部外者に等しい俺を信用するような判断を下して良いものか疑問だったのだが、遊撃騎士殿は事もなげに答える。
「今までも人手不足で一人で護衛を行うこともありました。それに、あなたの立場上公にはできませんが、今回の迎撃戦での最大の功労者を疑う余裕なんてありませんよ。ああ、中央には功績についてしっかり報告しておきますから、そこは安心して下さい」
確かに、ミリカの事情を知っているのは、もはやここに居る四人だけだ。その中で、俺以外の三人は表立っての仕事もあり、これほどの事件の後始末となれば最終的な仕事量は膨大だろう。なればこそ、表の仕事に関われない俺に任せたいのか。
「お返事いただけないのは、ダメということでしょうか? 引き受けていただけないと、この先の書類の大軍との死闘の哀れな犠牲者が二割り増しの公算なのですが」
心持ち、銀色の少女と繋がっている左手に加わる力が強くなった気がする。
「いえ、問題ありません。それが仕事ですから」
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




