第2話
色々あって。
今は、窓から差し込む木漏れ日の中、石造りの教会建物の最上階にあたるらしい、四階の廊下を歩いている。
死体袋に詰め込まれたままこの階の客室らしきところに運び込まれ、一緒に持ってきてくれたらしい荷物をその部屋に置いたまま、装備一式だけを身につけて歩いている。
にしても、客室にトイレとシャワーが付いていた。
普通、宿などに泊まる際、トイレは共用が当たり前。田舎や安宿ならば体は拭くもので、シャワーや風呂があってもこれも共用が普通。
はてさて。余程の貴人向けなのか。それとも、技術や費用の浪費になると分かった上で、そこまでして部屋から出てきてほしくない人間の収容を予定していたのか。
「この階段を降りたら、一般区画です。今までの『訳アリの方用』の区画と違って、普通の職員も居ますから。素性のばれぬよう、一層の注意を」
胸元あたりまでの長さの杖を持って先導して歩き、いかにも不機嫌という表情でそう言い放ったのは、リーネ。遊撃騎士殿の後ろに控えていた見習い騎士のうちの一人だ。
髪を肩口で切りそろえている少しばかり小柄なこの少女は、攻撃的な雰囲気を隠そうともせず、眉間にしわを寄せていた。目鼻立ちのしっかりした美少女であることには間違いないのだが、今は睨みつけるような目付きが近寄りがたさをかもし出している。
教皇猊下直属教会最精鋭騎士団ユーベルリッテに所属することを示す純白に天秤の紋章を大きく縫い付けたローブには、騎士とは言っても見習いであろう故に、ユーベルリッテの天馬の紋章は付けられていない。
そんなリーネが歩き出そうと一歩踏み出した瞬間、それは起きた。
『おい、クラント。お前は何か感じぬか?』
『何かってなんだ? 具体的に言え』
返事と同時に、水を纏ったリーネの杖が喉元に突きつけられ、一拍遅れて、後ろからついてきていたもう一人の見習い騎士――サーレの大剣がうなじに触れる。
「一応お聞きしますが、何をしていたんです?」
「相棒と念話で少し話していただけだ。何か気になることがあるらしい」
敵意を向けられるのが両手を挙げる暇もないくらい突然なら、それがなくなるのも突然だった。
「今回はそれで納得しておきますが、不用意な行動は慎んで下さい。異能者以外に念話が使えないと言っても、一定以上の魔術の素養があれば、念話がなされてることだけなら分かるんですから。酒場での念話は部外者が居ませんでしたからともかく、教会の中では正体のバレかねないことは不用意に行わないで下さい。――まあ、教会中の人間がどこかの誰かさんみたいに、ぼーっとしていれば別ですけれど」
「……え? あ、いや、そうじゃなくて、ほら、アレだよ。別にぼーっとしてたんじゃなくて、あたしはもっとこう、なんて言うか、体の動きとかそういうところに気を配っていたんだって!」
サーレは、胸当てを始めとした最小限の守りだけを固めた軽装の、これまたユーベルリッテの純白の鎧に身を包んだ、おそらくは魔法剣士。
純粋な美しさならば彼女の相棒に一歩譲るのだろうが、浮かべている無垢な笑顔は、つい頭を撫でたくなるような愛らしさを感じさせる。特殊な嗜好を持っているのでは無い限り、この二人のどっちと付き合いたいかと聞かれれば、こっちを選ぶだろう。
再開された行軍は、そうしたサーレの弁明と聞き流すリーネのやり取りと共に賑やかに進む。
こういうことがあるから、他人が居る時は念話を控えるようにしている。普段の相棒はあんなあいまいなことでそれを破るようなやつでは無いはずなんだが。
流石にもう一度念話を使う気にもならず考え続けていると、リーネが立ち止まり、目の前の扉をノックする。
「エレア様。クラント様をお連れしました」
「そうですか。入ってもらいなさい」
リーネに続いて入ったそこは、質素という言葉が似合う部屋だった。
奥にある執務机と中央にある応接用のソファーとローテーブル以外には、一枚だけ申し訳程度に飾られた絵画があり、逆に部屋の寂しさを際立たせている。
「教会騎士クラント・バルディエーリ、遅くなりましたが、召喚に応じてただいま参りました」
「この管区を担当しております司教にして、遊撃騎士としての優先指揮権を行使して駐留部隊司令官を兼任し、この管区の軍権掌握も行っております、エレア・プルレイア・ラシンゲンです。随分とお疲れだったようですね。どうぞそちらのソファーにお掛け下さい。――二人もご苦労様でした。こちらはもういいので、仕事を済ませてきなさい」
そう言われると、サーレは特に気にした風もなく、リーネはそれだけで人を呪い殺せそうな視線をしばらく俺に送ってから、二人とも黙って一礼して去っていった。
「それでは、こちらもお話を始めましょうか」
進められるままにソファーに腰掛け、遊撃騎士殿は向かいに。
改めて向かい合うと、常に微笑んでいる彼女の、その美しさに嫌でも気付かされる。
栗色の髪はしっとりとツヤを持ち、後ろで括られて腰まで流れ、翡翠色の瞳は宝石と比べても遜色ない輝きを持つ。肌に至っては雪のような白さで染み一つなく、言われなければ戦士であることなど気付きもしないだろう。
ただ、杖を持つその手だけは間違いなく鍛え上げられた歴戦の戦士のものだった。
そうして観察していると、目線と仕草だけで「どうかしましたか?」と小首をかしげて問いかけられる。
「ああ、いえ、失礼。特に何かあるという訳ではないのです」
「そうですか。でしたら、時間も限られているので本題を――」
あなたに見惚れていました――なんて、最精鋭たるユーベルリッテの、その中でも少数及び単独任務に耐えうるとして選抜される、精鋭中の精鋭にして若手・中堅騎士の最上級の出世コースを突き進むエリート中のエリートである遊撃騎士に、一介の暗部所属騎士がバカ正直に言うわけにもいかず。
適当に誤魔化した俺を追及するでもなく、遊撃騎士殿が話を進めようとしたところ、執務机の上にあった電話が鳴り出した。
失礼、と一言断った遊撃騎士殿は立ち上がってそれを受けたが、相変わらずの笑みを浮かべたまま、すぐに電話をこちらに差し出した。
心当たりはないものの、取れと言われたのだから迷わず受け取り耳に当てると、そこからは場違いに能天気な声が聞こえてきた。
『よう! 今日も神様の加護はビンビンかい?』
「ケチくさいことに、俺たちにまで与える分はお持ちであらせられないらしい」
『そりゃ残念だな! 幸運の女神様と、仲良くしっぽりとは行かなかったか!』
「ああ。ちょっと美人だからって、思い上がっているようだ」
ここで電話越しにも分かるほどに雰囲気が変わる。
次の言葉は、ここまでのハイテンションが嘘のように沈んでいた。
『後方要員に配属されてから常々思うわけよ。確かにあんたみたいにあちこち出張続きだったりするよりはマシだけど、うら若き乙女にあんなセリフを言わせるなんて、喧嘩でも売ってるのかと』
「部署の性質上、日常会話に近く、その上で偶然正解を導き出される可能性の低い暗号での所属確認は機密保持の観点から有効だ。特に、相手の顔を確認できない電話では」
『だからってさ~。セリフに悪意しか感じないのよ~』
「ユーベルリッテの騎士などならば守秘義務に期待しても良いのだろうが、民間人の居るような場所での通話では、あからさまに暗号な会話をすることそのものが危険だ。そう考えると、特に問題は見当たらないが?」
『え~、育て方間違えたかなぁ……。ボロボロになって信仰機関に来て、一年以上掛けて立ち直った頃は素直でかわいかったのに……。確かに、あんたは戦闘訓練中心だったから私はあんまり関係しなかった方だけど、あの頃はみんなで立派に育ててあげようって信仰機関が一致団結するほど――』
目の前から咳払い一つ。見ると、笑みの温度がどんどんと下がっていく。
「ところで、今日は何の用で掛けてきた?」
『――え? ……ああ、そうだった。今さっき、あんたに命令書が発行されたの。簡単に言うと、『本日午前九時より三日後の正午まで、ユーベルリッテ遊撃騎士エレア・プルレイア・ラシンゲンの指揮下に入れ』だってさ。こっちの手続き終わってからポルタに遊撃騎士様のところまで命令書運ばせるから、あんたは二分十七秒前から目の前のお方の部下。じゃあ、頑張ってね~』
電話が切られ、受話器を置くと、どちらともなく最初に腰掛けていたソファーに戻る。
「そういう訳ですので、短い間ですがよろしくお願いしますね」
「そういう訳、と申されましても。何をすれば?」
「あ、そうですね。確かに、することが分からなければ、どうしようもないですからね」
そう言った遊撃騎士殿は、少し考えてから口を開いた。
「要人警護――に区分される仕事ですかね」
「要人警護? 失礼ですが、管区長な上に軍権も掌握されているなら、『居るはずのない』異能者の騎士よりも、腕の立つ兵士を何人か回した方が良いのでは?」
「おっしゃるとおりではあるんです。でも、いくら遊撃騎士が出向か単独・少数任務のための肩書とは言え、たまたま司教の任命試験に合格していたからという資格を利用してこんな地方の文武両方の最高役職に、中央からの直々の命令書で就任するなんて人事系統を無視する前代未聞の事態になっていまして。しかも、詳しいことは機密だということで、私がこの管区に来た理由を誰も知らないですし、それなのに一番上の役職が埋まったことによる人事昇進の遅れの波及効果は小さくない訳でして」
遊撃騎士殿は、困ったように笑っている。
要は、自分は厄介者だからここの人間には嫌われていて、しかも、警護対象のことは機密だから、この管区の人員にほとんど情報を与える訳にもいかない。それで反発されて面倒事になるのはいやだが、何らかの事情で人手が必要になり、俺が選ばれた。――そんなところか。
「正式の命令系統からも命じられている以上、否やはありません。で、警護と言っても、どの程度の危険を想定すればよろしいので? わざわざ異能者を起用する以上、低くはないのでしょう。街に不穏分子か反教会勢力の大隊でも潜伏しているのですか?」
思わずといった様子で噴き出す遊撃騎士殿。
冗談とでも思ったのだろうが、教会内で異能者が大手を振って歩いていたというだけで、知られればこの大国の一つに名を連ねる教会領中が上を下への大騒ぎになるような、信仰の重要部分に関わるような大事なのだ。その重大さを考えれば、仮想敵は俺が発言したくらいに強大でもおかしくないだろう。
「具体的な日時や規模は不明なのですが、どこぞの団体様が、近々武力を伴った行動に出るつもりのようです。その目的候補の一つが、あなたの守る『要人』の身柄なのです。そこまで大規模ではないだろうとは分析されているのですが、対策として聖都に要求した増援の到着が三日後の昼頃なのです」
今すぐ短期間の繋ぎの戦力が欲しいだけで、間違いなく存在するが、正確な脅威の程度も不明。管区内で無理に動員を掛けて反感を買いたくないし、信頼もできないということか。それなら、確かに暗部に属する俺が呼ばれたのも納得だ。
「第十三騎士団所属騎士クラント=バルディエーリ。全力で任を果たさせていただきます」
そう言って背筋を伸ばし、座ったままではあるが、右の拳を左胸に当てる騎士礼を行った。
された方の遊撃騎士殿は、初めて笑みを少しだけ崩して呆けた後、小さく噴き出してから苦笑いを浮かべている。
「第十三騎士団といえば、信仰機関の表向きの名前でしたね。これは非公式な場ですから、もっと力を抜いて下さっても良いのですよ?歳もかわらないですし、遊撃騎士と暗部所属の騎士では、実質的にどちらが上とも言い切れませんから」
「非公式とはいえ、任務は任務です。それに、形式的には間違いなくそちらが上官ですので」
あくまでこちらが譲る気はないと見るや、呆れた笑みを浮かべながら肩をすくめている。
「まあ、真面目なのが悪いとは言いませんがね。では、さっそく護衛対象との面通しを済ませてしまいましょうか」
立ち上がった遊撃騎士殿の後に続いて、教会の中を進む。
最初はちらほらと仕事中らしき文官たちともすれ違ったのだが、階段を上ったところからは誰とも会わない。
このフロアは俺の部屋があったはずだ。隔離区画のようなものなのだろうか。
見覚えのある廊下を歩いていると、俺の部屋へと辿り着き、通り過ぎて立ち止まる。
俺の部屋の二つ隣の部屋の前で立ち止まり、複合式の鍵を開けた先には俺の部屋と変わらない単なる客室がある――はずだった。
「おや、驚いていただけましたか?」
「ええ。それと、最終目的地がここなら、無駄に歩かされた疲れがどっと出ますね」
イタズラに成功した子どものような得意げな笑みが返ってくる。
初対面からほぼずっと笑っているが、笑顔だけで色々な感情を見せるあたり、遊撃騎士殿も中々の芸達者だ。
扉の先にあったのは、最上階のそのまた上に行くための隠し階段。
一見すると俺の部屋と同じ間取りの何の変哲もない客室の、天井の傷にしか見えない穴に無造作に置かれていた細い金属棒を差し込むと、階段が下りてきた。
……俺の部屋にも、こんな仕掛けがあるのだろうか。後で探してみよう。
「ちょうどいいので言っておきます。まず大丈夫だとは思いますが、この階には他にも面倒な方も滞在していますから、不用意に出歩かないようにしてくださいね」
了解の意を示して大人が一人通るのがやっとという階段を遊撃騎士殿に続いて上った先には、監獄を思わせる重厚な鉄の扉。取っ手と覗き穴もあるのだが、全面に彫られた魔術陣に圧倒されて、すぐには存在に気付けなかった。
高度な施錠術式と強化術式をそれぞれ複数彫り、同種異種問わずに魔法陣を連関させて解析を困難にしている。俺の短剣でも、無効化するための前提である解析がそう簡単にはできそうにない。どこぞの王城の宝物庫にでも仕掛けてあると言われれば納得の一品だ。
遊撃騎士殿が魔法陣の彫られた手の平サイズの銅版をかざすと、扉が開く。
「かなり手が込んでいるようですが、ここまでするならば、複合式にしないのですか?」
「おやおや、この魔術陣が理解できるとはすごいですね。本当は複合式にしたかったようですが、前任者が魔術陣に凝り過ぎたせいで非魔術式を組み込めなかったそうですよ。それでも、下手な複合式とは比べ物にならない信頼性があることも、あなたなら分かるのでしょう?」
そう言って開かれた扉の先には、窓に鉄格子がはまっていることを除けば、俺の部屋と大して変わらない部屋があった。
まず目が合うのは、武装した一組の男女。
この部屋の主らしき少女を挟むようにイスに座っていて、こちらを見るとそれぞれ一礼してそのまま仕事に戻る。
この二人は、間違いなくこちら側だ。
あの目は、表の連中や、中途半端にしか裏に関わらない遊撃騎士殿とも違う。暗部では良く見る目。いつ如何なるときも周囲に気を配り、決してチャンスを逃さない。それでいて、警戒していることそのものを素人には勘付かせない目。
だが、そんなことはすぐにどうでも良くなった。
「ここの担当はリーネとサーレの他にこの二人が居まして……クラント殿?」
窓際のイスに、一人の少女が座っている。
俺たちが入ってきたことに気付くと、一瞥して視線をまた外に。
目が合ったのは一瞬。
目の前の少女は銀髪だ。
目の前の少女は精々十歳くらいだ。
でも、あの目を知っている。
……いや、違う。気のせいだ。一瞬のことで見間違えたんだ。
「クラント殿、どうかなさいましたか?」
「え? あ、いや。別に」
「そうですか。なら良いのですが。――こちらは、今日から四日間、あなたの護衛に加わっていただくクラント殿です。自己紹介しなさい」
笑みを浮かべてはいても硬い声で呼び掛けられた、銀髪の少女がこちらを向く。
また、あの目で俺を見る。
『おい、相棒』
「……ミリカ。ただのミリカ」
どうして――
『この娘、本当に人間か?』
――どうして、死者と同じ碧眼で俺を見る!?
お付き合いいただき、ありがとうございました。