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第1話

 一面の黒が晴れ、次に広がったのは一面の青だった。

 それが、今まで閉じていた目を開いたからだと気付くのに大して時間は掛からなかった。

 それでも、どうしてこうなったのかは全く分からない。


「なあ、お前はどう思う?」

「お兄様うるさい。アレクサンディアを捕まえたら相手してあげるから、ちょっと黙ってて」


 目覚めた場所は、広大な我が家の庭の、その片隅。麗らかな陽気に誘われて、シャツに短パンなんて普段着で、今の今まで昼寝をしていた芝生の上。

 我が愛らしき妹君であらせられるミリカ嬢は、簡素でありながらも最高級の生地を用いて作られているワンピースを泥だらけにしながら、僕から少し離れた左手の方向で芝生の上に四つん這いになっている。その鋭い視線の先には、僕のお腹の上で優雅にあくびなんてしている我が家の純白の飼い猫、アレクサンディア。

 もうすぐ十歳になろうというのに『おしとやか』の言葉はその辞書にないらしい妹君には、ちゃんと嫁の貰い手があるのだろうか?

 泥だらけでも分かるよく手入れされたセミロングの母親譲りの美しい金髪や、父親譲りの煌く大海原を思わせる深い碧色の瞳を始めとして、見た目だけは一級品になりそうなのがせめてもの救い――いや、だからこそ余計にもったいないと言うべきか。


 そうして兄が妹の将来を案じていると、戦いの火蓋は突然切って落とされた。

 先に攻めたのはミリカ。武勲で辺境伯位を獲得し、数多くの軍の重鎮を輩出してきたバルディエーリ家の血筋に相応しい、全身のバネを生かした無駄のない機動で距離を詰める。

 しかし、アレクサンディアはそもそも相手をする意思もないらしく、ミリカを一瞥すると僕の腹の上から軽やかに飛び降りる。

 そこに敵が居なくなろうと、突き進む妹君は簡単には止まらないし、止まれない。

 それでも無理に止まろうとしたミリカはバランスを崩し、目標地点の修正に失敗したどころか、体勢すら整えられずに降ってきた。そして――


「おうふっ!」

「きゃっ!」


 脳天からみぞおちに突っ込んできた妹君に反応しきれずに悶え苦しむお兄様の図、が完成した。


「いたぁ……って! お、お兄様、大丈夫!?」

「お、おう。何とか……」


 最初の息が詰まって呻き声すらまともに出せなかったときに比べれば楽になり、上体を起こす。

 僕から見て左側に居るミリカは、そんな僕の顔を心配そうに覗き込んでくる。


「それより、いったい何がどうなったらあんなに敵意むき出しでアレクサンディアを追い回すような状況になるんだ?」


 そう尋ねた途端、目に見えて動揺する妹君。

 そもそも、アレクサンディアはミリカが一年前に拾ってきた猫で、反対する父様相手に今でも屋敷の使用人の間で語り草になっている三日間に渡る大騒動の果てに飼うことを認めさせた経緯がある。その後のミリカの溺愛ぶりも含めて、屋敷の人間なら誰でも知るところだ。

 躾けるくらいならともかく、敵意まで向けるなんて、明らかに尋常じゃない。

「その、ね。リンゴモドキを、ね……」

「リンゴモドキを?」

「……アレクサンディアに盗られた」


 リンゴモドキはミリカの大好物だ。熟れた実はほんのり赤く、わずかに酸味のある甘さはクセになるおいしさだ。

 それは多くの動物たちにとっても同じらしく、拳大よりも少し小さなその実は、猫の好物でもある。

「で、追い回してたら庭に出ていた……おい、ちょっと待て。今日は朝食にも昼食にもリンゴモドキは出てないし、おやつだってまだ先だろう?」

「……」

「……厨房から盗んできたな?」

「ち、違う! ちょっと無断で借りてきたの!」


 世間ではそれを『盗む』と言うことは、妹君にも分かっていることは一目瞭然。視線を合わせようとしないし、顔も真っ赤だ。


「大体、お父様もお母様も横暴なのよ。リンゴモドキは一日一個だけだなんて。きっと二人とも、わたしのことが嫌いなんだわ!」

「そんなことはないさ。ミリカはちゃんと愛されてるよ」

「そんなことない! そもそも、お兄様の言うとおりだったら、なんでこんな意地悪を言うの?」

「本当に嫌われているなら、そんなことも言ってもらえないさ」


 すぐにはピンとこなかったミリカも、俺の『母親譲りの黒髪黒目』を見て思い出したらしい。

 ――本当に嫌われている人間が、目の前に居ることに。


「ご、ごめんなさい。わたし……」

「いいさ。僕にはミリカが居る。それに、生まれのことを忘れるくらいに普通に接してくれてるってことだろう? だったら、むしろ嬉しいことさ」


 家族の中でただ一人だけ普通に接してくれる、たった十二日だけ幼い妹。それが僕のためだけに涙を流してくれている。それだけでも僕には十分な救いだ。

 だから、僕は愛しい妹の頭をそっと撫でる。少しでも早く笑って欲しかったから。


「お、おにいじゃまぁ!」


 でも、それは逆効果だったらしい。

 感極まったミリカは、僕の胸の中に思いっきり飛び込んでくる。

 でも、僕たちの間の年の差はたったの十二日。体格差なんて無きに等しい。

 当然支えきれなかった僕は、頭から後ろに思いっきり倒れこむ。

 そして、頭をぶつけた硬い音が――え、ここは庭の芝生の上だよな?





 一面の黒が晴れ、次に広がったのは一面の青だった。

 それが最近見慣れた宿屋の天井の色だと気付くのに大して時間は掛からなかった。

 それでも、どうして天井をこんな色にしたのかは全く分からなかった。


「なあ、お前はどう思う?」

「ベッドから良い音出して落ちたっスけど、大丈夫なんスか?」


 我が傍迷惑な弟分(自称)のポルタが、どうやらベッドから転落したらしい俺の顔を覗き込んでくる。

 正直、寝起きから野郎の顔――それも、イケメンの顔なんて見たくもない。

 その地味な服装だけを見ればどこにでもいる町暮らしの青年に擬態できているというのに、百人居れば百人振り返る優しげな、それでいて人によっては胡散臭さを感じさせる笑みがすべてを台無しにしていた。


「俺が心配なら、まずそのツラをこれ見よがしに俺に見せ付けるな」

「兄貴のことを心配しているかわいい弟分に、それはひどいと思うっス!」

「黙れ。金髪碧眼は好きじゃないんだ。だからさっさとどけ、金髪碧眼のイケメン野郎」


 あーだこーだと騒ぐポルタを押しのけ、部屋の隅に置かれている姿見の前に行く。

 そこに映るのは、十分な手入れがされずにぼさぼさな黒髪と、すべてを飲み込む闇を思わせる黒目をもった、白いシャツにベージュのズボンの十七歳の青年。間違っても、妹に押し倒されてしまった十歳目前の兄ではない。

 昔の夢を見るのは何年ぶりだろうか。

 完全に吹っ切ったつもりだったんだが、そうでもなかったのか? それとも、昨日は仕事から帰って寝巻きに着替える労力も惜しむくらいに疲れたのが原因か?


『何だ、朝っぱらから考えごとか?』

「あ、紫炎の旦那、おはようございますっス」

『あら、まだ生きてたのね、蛇。いつになったらくたばるのかしら?』


 『意思ある魔力』であるが故に睡眠とは無縁の相棒は、朝からいつもの調子だ。寝起きの辛さを知らずに済むという点に関しては、非常に羨ましい限りだと思う。


 それにしても、相棒とポルタとその意思ある魔力である『駆ける疾風』ことクラリアでなされているこのくだらないじゃれ合いも、意思ある魔力の声を聞ける俺たち異能者以外が傍から見れば、ポルタの頭がおかしくなったようにしか見えないだろう。


「む? 兄貴、何か失礼なことを考えたっスか? 無表情のまま、急に視線が生暖かくなったっス」

「別にそんなことはない。――ところで、どうやって入ってきたんだ? 昨日は着替えるのも億劫だったが、戸締りだけはしっかりしておいたはずだ」

「そんなの、オイラにかかれば安宿の鍵くらい、魔術式、非魔術式、複合式問わず、無きに等しいっス!」


 ドヤ顔の弟分(自称)を横目に見ながら、この後方要員の思っていた以上の器用さに驚きつつ装備一式を整えていく。

 枕元に置かれていたベルトに拳銃と短剣が左右に一セットずつ提げられていることを確認して装着し、同じく枕元に置かれていた相棒曰く魔術師泣かせなバルディエーリの家紋の付いた家宝の短剣を左胸の皮製の鞘に入れて吊り下げ、最後に黒色のロングコートを羽織る。


「兄貴、朝食っスか? だったらご一緒したいっス」

「その前にこれの清算を済ませてくれ」


 そう言って、ロングコートの右ポケットに入れていた水精霊の瞳を手渡す。

 受け取ったポルタは、しばらくきょとんとした後にようやく気付いたようだ。

 と言うか、このために来たはずなのに、それで良いのか、ポルタ。


「それじゃあ、これが報酬の四十二万六千六百三十一メルエと、申請してた銃弾の補充っス」

「随分と中途半端な金額だな」

「ああ、それは銃弾の費用の一部が天引きされてるんっス。本体は作っちまえば維持くらいで済むっスけど、世間的には高級品の銃弾を兄貴は湯水の如く使うっスから、開発部が資金難になったんス。それで、上が兄貴にも一部負担させてしまえば少しは消費を控えるだろうと」


 確かに、あくまでも魔術の補助扱いの銃はどこの国でも開発にも生産にも予算が付きにくく、銃弾と共に量産が進まず高級品だ。個人所有ならば旧式の単発式でも持っているのは珍しく、普通は魔術が使えないなら剣などを使うものではある。

 そんな中、試作品を試してくれるならと銃弾の無償供与を持ちかけてきたのは当の開発部だ。

 なんでも、中折れ式とやらと振り出し式のどちらが新型拳銃に相応しいかを争っていて、振り出し式を押している開発チームの主任に協力を要請されたのだ。暗部に属する若手の中でエースと目されている俺のお墨付きを得られる品質まで高められれば、新型への採用率も跳ね上がるらしい。


「抗議しないんスか? 一方的に約束を破棄したのは向こうっスから、名分はあるっス」

「別に。状況を判断して命令が下される時点ならば必要な意見具申はするが、それが正式な決定であり動き出している以上、逆らう必要も、その気もない」

「相変わらず優等生っスねぇ。真面目って言っても、普段は多少のノリの良さなんかもあるっスけど、仕事が絡むとまるで人形っスよ」

「下手なことをすれば、巡り巡って最後に迷惑を掛けるのはお前や団長といった同じ信仰機関の連中だ。廃人同然だった俺が引き取られてから立ち直るまで面倒を見てもらったのに、これ以上迷惑を掛けられるか」

「う~ん。ちょっと、堅く考えすぎだと思うっスけどねぇ」

『あきらめろ。我の相棒はこういう男だ』

『そうそう。何とかは死なないと治らないって言うしねぇ~』


 それはそうとして、袋に詰まった報酬の金額を確認する。

 十万メルエ大金貨四枚、一万メルエ小金貨二枚、千メルエ大銀貨六枚、百メルエ小銀貨五枚、十メルエ大銅貨一枚、一メルエ小銅貨一枚。締めて四十二万六千五百十一メルエ。


「百二十メルエ足りないんだが?」

「ああ、それならここに来る途中でおいしそうなパンが売ってたんスけど、小銭の手持ちが本当に反省してるんで許して欲しいっス!」

『そうそう。こんな小さなことで一々こめかみグリグリなんてしてたら、器の小ささがバレるわよ』

『何を言うかクラリア! これは我らがあんなおもしろくもない探索の果てに得た報酬だぞ! 命令書を運んできただけの貴様らに、一メルエたりともやる義理は無い!』

「そもそも、オイラたちに迷惑云々言ってたっスよね! さっきの発言はどこにいったっスか!?」

「むしろ、人様の給金を横領する手癖の悪さを矯正する方がためになるだろうが」

「それにしたって、罪と罰が明らかに釣り合ってないっス!」


 またじゃれ合い出した意思ある魔力たちはいいとして、俺も百二十メルエくらいで怒りはしないが、ポルタのためにもケジメはつけておかねばならない。

 だがまあ、そろそろ反省しただろう。


「じゃあ、そろそろ飯にするぞ。ここの一階の酒場で出るが、おごらないからな。自費で買え」


 しっかりと釘を刺してから部屋を出て一階に下りる。

 酒場の親父から朝食を受け取り席に着いた頃、ポルタも今度は自腹で購入したであろう朝食を持って向かいの席に座る。

 それにしても、この酒場は朝から大繁盛しているようだ。

 カウンター席だけでなく、少なくはない丸テーブルもすべて埋まっている。二階と三階の宿泊客にしても少し多すぎる。その上、正面口と裏口の両方から一番遠いこの席だけが狙ったように空いていた。


『ほう、これはこれは……』

『……荒事、ね』


 どうやら全員が不穏な気配を読み取ったらしい。


『どうするっスか、兄貴?』


 戦闘狂の相棒は喜んでいるが、そうではないポルタとクラリアは何とも面倒臭そうだ。


「そうだな。大方、この朝食に毒でも仕込んでいて、それで仕留められなかった時のためにこれだけの兵士を動員した、というところだろう。――おい、すぐに顔に出すな。こういうときは、『こいつ何言い出してんだ?』という感じでこちらを見るか、無視でもしていれば良いんだ。それと、素人であるこの店の主人に事情を話して巻き込んだのも失敗だ。緊張して、朝食を渡す手が尋常ではないくらいに震えていた。同じ食事に毒を入れるにしても、素人にまで余計なことを知らせない方法を考えるんだったな」


 さっきまでは不完全ながらも敵意や身のこなしを誤魔化そうとしていたらしいが、今はどっちも隠す気はないらしい。


『兄貴、オイラは非戦闘員なんスから、しっかり守って下さいっス』

『謙遜するな。俺たち信仰機関の人間に、後方要員はいても非戦闘員なんて居ないだろうが』


 周りを見れば、酒場の親父がいつの間にか消えていることからすると、他にも民間人はとっくに非難させているのだろう。残っているのは男も女も戦士だけらしい。

 互いにアイコンタクトをとりながらタイミングを見計らっているのを見ると、念話の使える異能者の便利さと異質さを改めて思い知らされる。


『いくぞ!』


 そう念話で一声掛けてテーブルを蹴り倒して盾にし、その影から俺は銃撃を浴びせ、ポルタはスローイングナイフで敵の動きを牽制する。


 向こうも負けずに、魔術や銃で応戦してきた。

 たった二人の敵に五丁もの銃を持ち出す大判振る舞いに、もはや苦笑くらいしか出てこない。

 どうやら、剣士なんかの前衛型の連中は流れの傭兵、魔術師や銃兵連中は武器を隠して民間人を装っていたようだ。それでも立ち居振る舞いを誤魔化しきれてないところからすると、戦闘以外は素人らしい。

 敵の武装は、前衛は室内戦を想定してなのか、槍などの長物はなし。後衛は、魔術の発達でローブや鎧に付与される守りが強化されたことで、それを突破するだけの攻撃力を付与させるだけの魔術陣を刻めずに衰退している弓は使われていない。

 そのことを考えると、弓以上に施せる魔術的な強化が薄くとも守りを抜ける、銃の恐ろしさが際立つ。

 向こうの持っている銃は、拳銃とは比べ物にならない長い銃身やその他の形状の特徴から、正確な型番までは分からないが教会で正式採用されている歩兵銃だろう。向こうの最大の利点である射程の長さはこの状況では無意味であり、むしろ、取り回しの悪い分だけ向こうが不利だ。


 考えている間にも戦況は移り変わり、最初こそ不意を突いて近くの席に居た剣士連中を格闘戦で無力化できたが、今は数に勝る向こうが圧倒的に優勢だ。片付けた剣士連中のテーブルも使って何とか簡易陣地もどきを作ったが、いくら頑丈そうとは言っても、初級程度ばかりではあっても魔術と銃弾の暴風の中ではそう経たずに突破されるだろう。


『おい、お前たちだけでも逃げられないのか?』

『無茶言わないでよ。確かに『駆ける疾風』は高機動型だけど、閉鎖空間な上にこれだけの数の攻撃の中じゃ避け切れないわよ。しかも、向こうの残った前衛もテーブルを盾にしながらすぐそこまで来てるのよ? 逃げる場所なんてないわ』

『いっそ、我らの力で焼き尽くせば良いのではないか? 威力を最小にまで絞って可能な限り遠くまで飛ばせば、運が良ければポルタ一人を巻き込まぬようにするくらいはなんとかできるであろう。何、先に仕掛けてきたのは向こうだ。後からあれこれ言われてもどうにでもなる』

『そういう訳にもいかないだろう。何せあいつらは――』

「今すぐ戦闘を停止しなさい!」


 正面口からやってきたらしい女性の一声から一拍置いて、俺たちの構築した簡易陣地を打ち破ろうとする圧倒的な火力が停止する。

 どいつもこいつも戦闘が始まってからの動きは明らかに正規兵の身のこなしだったので、場合によってはこの街のすべてを敵に回して戦う羽目になるかとも思ったが、どうやら下っ端の暴走だったらしい。


「しかし、やつらは異能者です! 昨日、町の周辺の警邏をしていた兵士が見た町外れの洞窟から出てきた異能者とこの男が似ているという報告は上がっていますよね、遊撃騎士殿! それに、隣室で一晩中監視した結果、微弱ですが念話の反応も検出されました!」


 念話? 少なくとも、ここで襲撃してきた初級程度の魔術師では、念話を目の前で使ったところで気づかれないこともあることからすると、昨日の仕事のことを知られていたらしいことからの思い込みの可能性だってある。出てくるときにも残っていた、紫の炎の中を悠々と歩いて出たのがまずかったか。

 しかし、思い込みだろうとなんだろうと、それで正解を導き出しているあたり、こっちにとっては不運としか言いようがない。


「それでもです。あなたたちはすぐに教会に帰り、通常の業務に戻りなさい。後始末はこちらで手配します」

「なぜです!? 異能者どもは神の敵なのですよ! それを見逃せと言わんばかりの言動、いくらユーベルリッテの遊撃騎士殿といえども、納得のいく説明をしていただきたい!」


 簡易陣地からそっと覗いてみると、この酒場に居た連中の親玉らしい中年の男が、金属製のロッドを持った二十歳になったかどうかという、後ろで括ったロングヘアの若い女に食って掛かっていた。

 遊撃騎士の肩書きを持つらしい女は、優しげな笑みを浮かべる栗色の髪の清純そうな美人なのだが、ただ美しいだけでなく、周囲の目を自然と引き付ける華のある空気を纏っていた。


 ここで、それまでにこやかなまま穏やかに言い聞かせていた遊撃騎士殿は、微笑を浮かべたままにその視線を鋭くする。


「あなた方は、『聖都の東の防壁』などと呼ばれる要衝の街の警備を任せられている自分たちをエリートと称しているそうですが、いずれの教会騎士団にも属しないあなた方は、大きなくくりで言ってしまえば、所詮はただの兵士です。治安部隊長のあなたも同じこと」

「確かにそうですが、だからと言って――」

「そうであるからこそ、例えもっともランクの低いものであろうと、機密事項をそう簡単に開示してもらえる立場ではないことを覚えておきなさい。そして、私は武において遊撃騎士であるだけではなく、文においては司教です。つまりは、文武双方においてこの管区の最高責任者は私です。その私があの二人と戦うなと言い、事情を説明する必要はないと判断した。これ以上、何か言いたいことでも?」


 文武双方で一介の教会兵には逆らいようもない権威を示され、完全に折れたらしい。

 親玉らしい男は不服そうな様子を隠そうともせずに撤収を命じ、あっという間に去っていった。

 そして、この場には俺、ポルタ、遊撃騎士殿とその後ろに控える二人の少女だけが残される。

 遊撃騎士殿が身に纏うローブは、教会の最精鋭たる騎士団、ユーベルリッテに所属することを表す、純白に、調和を司る教会の象徴たる天秤の紋章が大きく縫い付けられたもので、左の胸元にはユーベルリッテの騎士団旗と同じ天馬の紋章がある。


「さて、そちらにも言いたいことが色々おありでしょうが、まずはこれに入って下さい」


 遊撃騎士殿がそう言うと、後ろに控えていた二人が、いくつも抱えていた物から一つずつを地面に下ろす。


「入れと? これに、ですか?」

「そうです。こちらも騒動の揉み消しや辻褄合わせのためにやることが山ほどあるので、お早くしていただけると助かります」

「……一つ確認をしておきたいのですが。これは死体袋にしか見えないのですけど、見間違いですよね?」

「いいえ、死体袋ですね。負傷者こそ出しましたが、今回は本来の用途では使わずに済んで喜ばしい限りです。まさか、教会の一機関でありながら神の敵である異能者だけで構成された最奥の暗部と呼ばれる『信仰機関』にわざわざ所属されるような方が、死体袋に入る程度ができないなどとはおっしゃいませんよね?」


 終始笑顔のままでこの言い様。味方だと言いながらも、教会のエリート様である以上は異能者には良い感情は持ち合わせてないらしい。

 これ以上騒ぎを起こしたい訳ではないし、従うしかないだろう。

 そう結論付け、ポルタにもそれで良いか一応確認を取ろうと思うのだが……見当たらない。


「失礼。ここに連れが居たはずなのですが、行方を知りませんか?」

「連れ? ……そういえば、居ましたね。残念ながら私は心当たりがありませんが。――サーレ、リーネ。あなたたちはどうですか?」


 遊撃騎士殿は二人の少女にも尋ねるが、誰も分からないらしい。


『ふん。ならば逃げたのだろう』

『逃げた? 確かに、弾幕の中は無理でも、この状況なら自分を他人の意識の外に置いて、その隙に逃げるくらいはしそうだが……』

『あの小僧、座右の銘が『平穏無事に生きる』なのだろう? しかも、勘も良い。何か面倒事の匂いでも嗅ぎ取って逃げたのではないか?』


 暗部の一番ヤバい部分に所属する人間には不可能としか思えない座右の銘だが、本人は至って真面目にやり抜くつもりらしいから、ないとは言い切れない。


「最後に一つお聞ききしておきたいのですが、この死体袋に入ったが最後、面倒なことになったりしますか?」


 にこやかを心がけて発された俺の問いに対して、明確な答えが返ってくることはなかった。

 だが、相も変らぬ遊撃騎士殿の笑顔こそが、何よりも雄弁に答えを物語っていた。


 お付き合いいただき、ありがとうございました。



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