第9話
「何用ですか? ただでさえややこしいんですから、ややこしい方には部屋で大人しくしていて欲しいのですが」
『おお、いきなり当たりか。幸先が良いではないか』
『幸先だけはな』
大掛かりな悪事は大概が地下で行われていたという経験則に従って、立ち入り禁止の階段を下りてみると、そこにはサーレとリーネ。どうやら当たりを引いたらしい。
今は、リーネが一歩前に出てこちらに警告を行っている。
「聞いていますか? さっさと帰って下さい」
二人とも臨戦態勢だ。サーレは剣に手を掛け、リーネは杖を握る手に力が入っている。
ここまで来て迷子だと言っても、見逃してはくれても信じてはくれなさそうだ。
開戦の狼煙は上がった。後は突き進むまで。
「やるかやらないか迷っていたが、色々と心配することをやめてな。とりあえずやってみることにした」
「何を言っているんです?」
「気にしないでくれ。独り言みたいなものだ」
右手で短剣を、左手で拳銃をとる。
それを確認したリーネは後退し、両手剣を抜いたサーレが前衛に出てくる。
「騎士様。あなたに恨みはありませんが、そっちがその気なら……覚悟!」
一歩踏み込んで俺を間合いに捉え、大きく振りかぶった一撃。それを一呼吸の間に行ってくる。
慌てて大きく下がるが、模擬戦時に比べてかなり鈍い一撃だ。
火属性の筋力強化で両手剣を軽々と扱い、現在地である一直線の地下通路にはそれを自在に振り回せる程度の空間がある。むしろ、回避に制約がある分だけ俺が不利。それでも、サーレがこの調子ならば、負けはしないだろう。
しかし、時間は向こうの味方だ。恐らくは奥で進んでいるはずの解析の準備が終われば、俺が動いた意味はなくなる。
だったら、より早く決着をつけるために、多少のリスクは犯すしかない。
構えなおしたサーレに対し、今度はこちらから突っ込む。
一発、二発と銃弾を放つが、どちらも回避される。それでも最低限の牽制としての働きはした。これで攻撃の来る軌道はかなり絞られた。十分な成果だ。
薙ぎ払われる剣閃を紙一重で回避し、一気に懐へ飛び込む。この距離なら両手剣では満足に攻撃できない。短剣や拳銃を持った俺の間合いだ。
「こっちを忘れないで下さいよ!」
言葉よりも一拍早く飛来する水弾。上半身を反らして何とか回避。続くサーレの足払いに対しては、自分から後ろに倒れこんでやりすごす。
三回転したところで立ち上がり、二人の居る方向に構えをとる。
「サーレ、本気でやりなさい。模擬戦で、手を抜いて勝てる相手じゃないのは分かったでしょ?」
「……うん。そうだね」
サーレの視線が一段と鋭くなる。
他には特に変わったところは見られないが、リーネの動きと合わせて警戒する。
先に動き出したのはリーネ。水弾と氷矢を放つ。
貫こうとする高速の氷矢をかわし、緩やかな軌道を描きながら迫ってきた水弾を避ける。
一息吐く間もなく後頭部にひりつくような感覚を覚え、一歩進み出て振り返る。そこに居たのは両手剣を振り下ろしたサーレ。いつの間にか後ろに回り込まれていたようで、挟まれてしまう立ち位置となった。
隙をさらしているサーレを先に排除しようと反射的に銃口を向けるが、口元に浮かんだ笑みから冷たいものを感じ、右手側の壁に張り付くように横に移動を開始する。
「切り裂け!」
直後、俺が立っていた空間を炎の刃が通り過ぎる。
それが両手剣に纏われた炎の刀身だと気付いた時には、二本の氷矢が眉間と心臓を狙って飛来し、しゃがみ込んで事なきを得る。
間髪入れずに炎の斬撃。このまま行けば二人の連携に仕留められることは分かり切っているので、体勢を崩しつつも銃撃をしながら距離を取る。
残弾の四発を撃ち尽くし、拳銃を持ち替えて睨み合う。
状況としては、俺とリーネの中間にサーレを挟むような立ち位置となった。
「騎士様。降伏しろとは言いません。黙って引き返しては頂けませんか?」
「ちょっと、サーレ! 何言ってんのよ!」
「リーネ、騎士様には昨日のあの異能者を倒してもらった恩がある。あのままだったらエレア様の到着まで持ち堪えられた確立は半々ってところだったのは分かってるでしょ? ――だから騎士様、引き返して下さい。万が一あたしたちに勝てたとして、あなたではエレア様には勝てません。今なら問題になる前にどうにかできます。だから……」
リーネが苦々しい顔で黙り込んでいる前に立つサーレの目は、剣を構えてはいるものの、戦意は欠片も感じられない。むしろ、戦いたくないという悲痛さが伝わってくる。
『ガッハッハ。良いことはしておくものだな。なかなかの美少女にこんな顔をさせおって』
『いいから黙ってろ。少しは空気を読め』
戦況は良くない。この二人を素早く突破する公算も立たないジリ貧の状況だ。
あまり使いたくなかったが、ここで勝負に出なければ勝利条件は達成できないだろう。
右手の短剣を納め、覚悟を決める。
「サーレ、あまり俺を――いや、俺たちを舐めるなよ」
「な、舐めるなんて。別にそんなつもりで言ってるんじゃないです!」
「ただお前たちを倒すだけなら、俺たちに万が一の敗北も無い。――なあ、『紫炎の蛇』!」
右腕に相棒が顕現した瞬間、氷矢と一拍遅れて水弾が襲ってくるのを後退で回避する。
「サーレの親切心を踏みにじるなんて、案外バカだったんですね。異能を使えば勝てるとでも思いましたか? 昨日の共闘で知ってるんですよ、あなたは異能の発動に少々とは言え、時間が掛かるって。魔力制御、かなり甘いみたいですね」
正面に踏み込んできたサーレが、左手方向から炎を纏った刀身で薙ぎ払ってくる。その目は完全に戦士のものだ。流石に切り替えが早い。動きも、模擬戦の時よりもさらにキレが増している。
その向こうではリーネが追撃の用意をしていた。今までどおりに回避を選択すれば、また連携に翻弄されるだけ。ならば、ここで勝負に出る。
「――!?」
サーレは、見るからに驚いている。
それはそうだろう。俺は一歩飛び下がって回避。しかし、とっさのことで大きく姿勢を崩した『ふり』をしている。
サーレは迷わず上段に大きく振りかぶった。
「ダメ! 逃げて、サーレ!」
「教えたはずだぞ――」
もう遅い。すでに攻撃態勢に入っているサーレは、すでに攻撃準備を終えている俺の炎を纏った拳を止められない。
「――大振りは、絶対に外さない状況を作るまではするな、と」
右手をサーレの顔面にぶつけ、かなり威力を絞った炎を解き放つ。
「サァァァレェェェ!」
リーネはとっさの水のヴェールで余波から生き残ったようだ。
しかし、俺がサーレを倒した瞬間の隙を突かれないという最低限の目的は達した。
余波によって紫色に染まる世界の中、消し炭となった仲間のために一撃を放とうとするリーネに先んじて銃撃を叩き込む。
銃弾は、自らの想像していなかった展開に対応し切れなかった見習い騎士の眉間に吸い込まれるように命中し、その体は紫炎の中にゆっくりと崩れ落ちていく。
勝ちはしたものの、どこを見ても紫色の景色を見てため息が出る。
昨日のガルムのような敵ならば、その防御力の高さから精一杯威力を抑えれば余波はほとんど出ないだろうと思われたし、実際にそうだった。
だが、今回は同じ程度に抑えた威力ではサーレを倒すのには過剰であり、その結果が現状だ。俺自身やその身に付けているものくらいならば、自らの炎では傷付かない異能者としての加護で傷付かないが、味方が近くに居ればあまりにも危険だ。相棒の顕現中は一番力が強い右手に物を持てば、加護が及ばずに燃えてしまうという欠点もある。
つくづく不必要に火力に特化しすぎた能力である。
『勝つには勝ったが、情け容赦もないな』
『元々が俺の都合だけでここに来た。それに、俺たちの戦い抜いてきた七年間はこういうものだっただろう? 今更だな』
『知っている。ただの感想だ』
これだけの状態だと、上でも騒ぎになるかもしれない。それに元々時間もない。使った分の銃弾を補充しつつ、魔力消耗を抑えるために相棒を一度引っ込めて駆け足で奥へと進む。
歩みを進めると、段々と炎がまばらになり、やがてなくなった。
『ほう。思ったよりも余波が少ないな。魔力制御の訓練を七年続けて、常人の七日分くらいは上達したのではないか?』
『……少し黙っていろ。気が散る』
あくまでも淡々と事実を語るような口調の相棒の言葉を気にしないようにしながら前進する。途中にあった三つの扉すべてを調べ、その中には動力炉もあったが、破壊しても異変を喧伝する以上の効果は見込めないことから手を出さなかった。
そうしながら進んでいくと、時間を置かずに突き当たりの両開きの鉄扉の前に辿り着く。
『鍵は複合式。魔術陣もかなり複雑で高等だ。非魔術式の方の鍵も、銃撃でどうにかなるか?』
『だが、魔術陣はミリカの部屋のものに比べれば子どものお遊戯レベルだ。それに、非魔術式の方は、最悪でも相棒の力があれば問題ないだろう』
右手で『魔力殺し』を取り出し、魔術陣の破壊すべき部分を分析して突き立てる。
途端、組み込まれていた抵抗術式に従って純粋魔力が押し戻そうとしてくるが、短剣は大貴族の家で家宝とまで呼ばれた真価を発揮。純粋魔力の流れを断ち切り、魔術陣本体を削り取って無効化する。
さらに、銃撃で鍵を破壊し、とどめに蹴破った扉をくぐる。
その部屋は礼拝堂のようであった。
照明は最小限に抑えられ、高い位置にある天井を見れば、そこに描かれているのは教会史でも特に有名な一幕。物語や演劇の題材としても人気があり、とある見習い騎士の少女も胸を高鳴らせていた戦い。教会騎士団の創設者にして初代総司令官の第二使徒ユーベルリッテが、たったの二千人あまりで三万人の異教徒軍を撃破した、第二次聖都決戦だ。今まであちこちで見てきた構図そっくりで描かれているから、すぐに分かる。
正面にあるのは巨大なステンドグラス。構図は天秤を持った女性。恐らくは、教会を立ち上げた十三人に与えられた称号たる使徒の筆頭にして神の声を聞く者、初代教皇だろう。
そのステンドグラスから差し込む月光の落ちる場所には、自然体でありながらも優美に立つ女魔術師と、向かい合うようにひざまずく銀髪の少女。その足元には幾何学的な魔術陣。
絵画から抜け出てきたような幻想的な光景は、当事者たちがこちらを向いたことで初めて現実であることを思い出させてくれた。
ひたすらに、静かに、恐怖と絶望を映していたミリカの瞳は、俺を見て色が揺れる。
「地下に月明かりなんて驚きですよね。何でも、設計者が儀式魔術を使う際にこちらの方が雰囲気が出るからと、採光できるようにしたそうです」
不思議そうな笑みで少し首をかしげるが、すぐにいつもの笑顔に戻った遊撃騎士殿の第一声は、流石に予想の範囲外だった。
「他に言うことはないのか?」
「あら、酷いですね。これでも、短い時間の中で話を選んだのですよ」
「そうか」
「そうですね。後は、どれほど強力な施錠がなされていてもいつの間にか入り込んでいる、神出鬼没の若手のエースの恐ろしさを実感した、ではどうでしょう。攻撃特化型の異能者の攻撃でも、この部屋の扉はそう簡単には破れないはずなんですがね」
「俺は、あの見習いの二人を殺してきた」
「でしょうね」
表情一つ変えず、当たり前のことのようにさらりと言い切る。
「誤解しているようですが、別に何も感じていない訳ではないのですよ。ただ、見習いでも騎士である以上、殺すこともあれば殺されることもあります。彼女たちとて、仮に納得できなくとも、理解はしていたでしょう。それに、あの二人を殺さずに突破するなんて芸当、どれだけ難しいかは私が一番良く知っていますよ」
「……」
「ですから、私は責任を取らねばなりません。今回は特に妨害はないだろうと思っていましたが、一応の仮想敵としてあなたを想定した上であの二人ならやれると判断したのは私です。この解析魔術を使えるのがここには私しか居なかったからこの配置にしたとは言え、あの二人に無理をしないようにとでも言っておけば違う結果になったかもしれません。ですから、あなたに対して然るべき対応をしようと思います」
「それはちょうど良い。俺もそこの少女を譲り受けに来た。言っても聞いてもらえないだろうし、分かりやすく決着をつけよう」
遊撃騎士殿は杖を槍のように構え、俺は右手に相棒を纏わせ、左手に拳銃を持つ。
「まったく、信仰機関がここで動くなんて流石に想定外ですよ。最奥の暗部が枢機卿会議に対して、牽制をや権力闘争を超えて宣戦布告にも等しい決定的な行動をこんなにも早くするなんて、一体どんな利を見つけ出したのでしょうか」
「信仰機関は関係ない。純粋に俺の個人的事情だ」
遊撃騎士殿の笑顔が固まる。そりゃそうだ。個人的事情でここまでするなんて、暗部どころか組織人としてもありえないだろう。
「個人的事情、ですか……。あなたの事情に興味はありませんが、仮にミリカを奪ったとして、一体どうするつもりです?」
「それから考える」
「それから? どこかに内通でもしているのではないのですか?」
「言っただろう、個人的な事情だと」
今度は大笑いを始める。よほどツボだったらしい。
「ハッハッハッハ! ハァ、ハァ……異能者とは皆このように愉快な思考回路なのですか? それとも、新手の精神攻撃でしょうか? だったら効果は抜群だったと言っておきましょう。あなたはもっと堅物な方だと思っていましたが、冗談の一つも嗜むのか、本気で言っているのか。どちらにしろ、堅物などと言う表現には相応しくないようです」
「そんなことは知らん。それより、ミリカが欲しいだけで戦うことには興味がない。大人しく渡してくれれば、無傷で見逃してやるぞ」
「おや、今度の冗談は面白くありませんね。生き残るだけでなく、出世のためには、この仕事はやり遂げないといけないんですよ」
「出世か。神に仕える高尚な教会騎士様でも、悩みは随分と俗物的なんだな」
笑顔のままでも、纏う雰囲気が一段と物騒になる。こんな言い方をされれば、当然――そう思っていた俺には、続く話の流れは驚くべきものだった。
「あなたは、枢機卿や大司教、聖騎士のような文武の中枢たちの大多数がどのような状態か知っていますか?」
「興味もないな。どんな崇高なことをしているのか知らないが、俺たちには関係のないことだ」
「ええ、そうかもしれませんね。貞潔であることの尊さについて偉そうに信者に語りながら自らは妻や夫以外に何人も愛人を抱えたり、毎年教会に新しく勤める人間の一割ほどはそんな連中の実子や隠し子、縁者だったり、そういう連中の出世のために金貨が山のように動いていたりなんてことがあろうとなかろうと、異能者は使い潰されるか狩られるかですから」
「で、そんな中で後ろ盾無く才能だけで成り上がった者が出世するには、と言った話でも聞かされるのか?」
「半分は正解ですね。もう半分は、私に付いてみませんか?」
「遊撃騎士が異能者を仲間にする? それこそ何の冗談だ」
「失礼な人ですね。私は本気ですよ。教会は、随分と俗物的な組織にまで堕ちてしまっています。文武問わず、若手には現状を嘆くものも少なくありません。でも、所詮は若手。具体的に手を打とうとすれば、圧倒的な権力に叩き潰される」
「だから出世してしまえば良いと?」
「そうです。あなたのような異能者の存在そのものが教会の腐敗の一つの象徴ではありますが、あなたのこれまでの仕事についても知っています。普通は能力や人間性の相性の良い二から五人程度でチームを組む信仰機関において、その味方までも焼き尽くす圧倒的な火力を持ってただ一人で敵を殲滅する若手のエース。この数年、あなたの噂をたびたび聞きましたし、今回の仕事を依頼するに当たって簡単には調べたんですよ」
『そんな話があったのか。どおりでいつまで経っても仲間が付かないはずだ。お蔭でいつも仕事に時間が掛かる。迷惑な話だ』
初めて聞いた。最初に比べて仕事が随分増えているとは思ったが、風評被害というやつだったのかもしれない。
「どこからここですることを聞きつけたか知りませんが、個人的な事情だと言うのなら共に手を取り合いましょう。今の教会への忠誠心は個人的事情とやらで裏切る程度のようですし、あなたならば実力的にも申し分ありません。異能者を神の敵と言い張る教会の連中の実態を見ていれば、異能者だからとすべてを敵視する気もありません。然るべき待遇はさせてもらいますよ。あの二人のことも、恨まないとは言いませんが水に流します。大義のために共に歩みましょう」
隙は無いが、戦闘態勢は解除している。俺が手を取ることを疑ってないようにも見えるが、そう見せかけているだけなのか、本心からそうなのか。
「悪いが興味がない。無事に生き残ったなら、他を当たってくれ」
「その個人的な事情とやらがそんなに大事ですか? それとも、自分たちを敵視する教会が食い物にされていても関係ないと?」
「俺にとっては、目の前の少女を食い物にする大義よりも、個人的な事情が大事なだけだ」
そう。そもそも、俺が前に進むために俺が始めた騒動だ。今更他のもののために動く気はない。
「確かに食い物にするのかもしれません。しかし、我欲のためにそうするのではないのです。すべてが救われるなんて、物語の中だけのことですよ。だからこそ、一を切り捨てて千を救う決断も必要です。共倒れなんてさせるくらいならば、片方を切り捨てる。社会とはそういうものです。それくらいは分かるでしょう? 天秤に掛けたときに、どちらを切り捨てるべきかも含めて」
「大いに同感だ。ただし、俺の中の天秤は、未来の千より今の一を救えと言っている。残念ながら、共に歩むには見ているものが違いすぎるらしい」
「どうしてです? 今の教会は、コネで出世していくバカどもの後始末を、実力で成り上がった人々で何とかつけてやり繰りしている状態です。今でこそ何とか教会領は大国に等しい国力を有していますが、人材の劣化により、それも衰退の兆候を見せています。南は海の向こうの異教徒に、北は同じ信徒とは言え領土や権益への欲を隠さない大国たち。南に突き出す半島国家である我々は、隙を見せれば逃げ場もないのです。そんな状況でも、ユーベルリッテの英雄と呼ばれ、次期団長は確実と言われた私の師匠ですら、あの聖都へ慌てて帰っていった監査官のようなバカどもに注意をしただけで左遷されてしまいました。実力でもって成り上がるにも、役職や利権欲しさに、現在それを持っているとの理由だけで一家丸ごとほぼ皆殺しなんて事件ももみ消されたことがあるのです! 真面目に職務をこなした対価が、白刃!こんな状況で、まともな人材は育たない! 今ここで動かなければ、教会に未来はないのです!」
「ご高説はもっともだが、望んで舞台に立った者と、引きずり上げられた者。曲がりなりにも騎士を名乗るものとして、どちらに付くべきかは明白だと思わないか?」
遊撃騎士殿の笑顔が少し曇る。
義に訴え利も示した。それでもどちらにも興味を示さなかったのが以外だったようだ。
「あなたは、この天井画のような失態を教会が再び犯しても構わないと?」
黙って頷く。
第二次聖都決戦は、一般にはユーベルリッテの英雄譚だが、歴史的に見れば南の異教徒を侮って兵力を北の紛争に集中した戦略的大失態を戦術でカバーしただけのことでもある。
つまり、教会が滅びかねないレベルのポカだと言うこと。
例えそうでも、人なくして教会は成り立たないが、教会がない方が異能者には生きやすいだろう。一般人に関しては、関知できるほどに人生に余裕はない。
「そして、俺はただその娘を守る。――例え、教会からだろうと」
「ん? ……ああ、ミリカが教会に『保護』された時のことですか。いつの間に知ったのやら。機密資料には近付けてすらいませんし、サーレやリーネは知らなかった訳でして。さて、耳聡いあなたのお仲間か、それとも、この短期間にあなたたちが随分と仲良くなったのやら」
銀色の少女は、大事なものを失い、絶望しただろう。大事なものを壊してしまった自分の存在に、恐怖したと思う。
俺もあの日、すべてを失った。自らの力で否定した。
それでも俺には帰るべき場所が与えられた。それはもう無理やりに。
そこでは、訓練をしては覚えが悪いと怒鳴られ、いつのまにか弟分(自称)なんてのに付き纏われ、西へ東へ北へ南へとこき使われ。碌でもないところだったが、それでも帰れば迎え入れてくれた。
きっと、この娘にはそれがなかった。失った後、再び手に入れることができなかった。
先に俺が手を伸ばしたとき、それを再び得られるのかもしれないと思ったのかもしれない。
勇気を出して俺に見出そうとして、拒絶されたとき、どれほど辛かっただろう。
だとしたら、この少女に関わってきた連中は、被験体としては見ても、誰一人として人間としては見てくれなかったのかもしれない。でなければ、たったあれだけのことで希望を見出したりはしないだろう。だからこそ、俺を手放したくなかったのだろう。だから――
「それがどうした?」
「……え?」
「知るはずのない事実を俺が知っていたとして、それがどうした? 俺は俺のためにその娘を救いにきた。俺が前に進むために守りにきた。選択した。救われる方の事情に興味はない。責任は取るつもりだが、救うのは勝手にする。誰の娘にも、誰の姉妹にも、誰の友にも、世界中の誰かの何にもなれない、目の前に居る空っぽの『ただのミリカ』と共に居てやる!」
右手に炎を集める。
相手は遊撃騎士。最精鋭たるユーベルリッテの騎士の中でも、特に選り抜きの精鋭騎士。ミリカを巻き込まないかも気に掛かるが、手を抜いて勝てる相手ではない。
「そうですか。残念です。ならば、ここで消えて下さい。あなたを倒したとなれば、実力面では上の覚えもかなり良くなるでしょう」
対する遊撃騎士殿は、ため息を一つ吐き、再び杖を構える。
先に動くのは俺。手のうちが分からないのは脅威だが、下手に先手を打たせてペースに飲み込まれるのが恐ろしい。だからこそ、向こうが持ち味を出す時間も与えずに短期戦で倒す。
射線からミリカを外し、左手の拳銃で牽制しながら突撃。ここで出し惜しみせずに全弾撃ち尽くしたのと同時に、遊撃騎士殿を拳の間合いに捉える。
踏み込んで拳を引き絞り、ここで放つと見せかけて、右手方向から後ろに回り込む。
これでミリカと遊撃騎士殿の間に俺が立つ形になる。この立ち位置なら、それなりに空間があるので、精一杯指向性を持たせればミリカを巻き込まずに異能を使えるはず。そう思い、サーレを倒したときと同程度の火力を叩き込む。
「残念ながら、あなたの炎では私に傷は付けられませんよ」
目の前に広がるのは光の壁。紫炎がぶつかるたびに両者が共に削られていき、最後には、当初よりも多少弱まった光の壁だけが残る。
『確かに光属性は魔術や異能を打ち消す能力に優れるが、あれは明らかに異能クラスだぞ。どう考えても、魔術の出力ではない』
『だったら物理攻撃だ。光属性の防御は、対魔術対異能に特化している』
まだ弾の入っている方に拳銃を持ち替え、後退しながら光の壁越しに間断なく射線を微妙に変えながら三発撃ち込む。
「ふふ、その顔はどうやら驚いて頂けたようですね。初見の方はほとんど同じ顔をされるのですが、何度見ても飽きないものですね」
撃ち込まれた銃弾が当たらなかった。それは良い。銃口の向きや引き金に掛けられた指の具合から射線を読むと言う対処法は、戦闘を生業とする人々の間では割と有名な話だ。
だが、銃弾は避けられたのではなく防がれた。物理攻撃が、対魔術対異能特化の障壁に。
「化け物め……」
「当然です。遊撃騎士とは、知力と共に、ユーベルリッテの中でも単騎での戦闘能力が極めて優れている者から選ばれるのですよ。化け物染みた連中ぞろいに決まってるじゃないですか。そこに対魔術対異能防御と病や呪術系統の治癒に特化した補助メインの光属性持ちが選ばれるには、この程度の小技は必要なのですよ」
「光で銃弾を止めるのが小技か。大きく出たな」
「できるかどうかは別として、タネを明かせば簡単な話ですよ。ただ単に光を非常識なまでに圧縮するだけ。応用すればこんなこともできるのですよ」
同時に杖が振り下ろされる。
右側方に回避し、追撃を防ぐ意味も込めた反撃の三発。予想通りに光の壁に阻まれ、弾切れになった拳銃から短剣に持ち替えたところで、視界に入ったものに驚いて距離を取る。
「溶けて、いる……?」
『石でできた床がさっくり、だな』
「杖の先で光を刃状に固定化したのですよ。圧縮すると副次的に熱も持つようで、これで斬られた傷からは血が出ないんです。お蔭で後処理も楽でして。師匠直伝、光属性魔力の攻撃的運用技法。まだまだ修行中なんですがね」
再び戦端が開く。
遊撃騎士殿は杖を短槍のように扱って流れるように攻撃を繰り出し、それに対して穂先にあたる部分に触れないように、左手の短剣と相棒を纏う右手で受け流す。
それでも劣勢なのは明らかで、少しずつ後ろに下がらされていく。
接近戦での切り札ともいうべき小技の『縮地』を使えば、一度は状況を打開できるが、これほどの相手に二度目が通用するとは思えない。そういう致命的なリスクがある以上、当面は防戦に専念せざるを得ないだろう。
『このままでは埒が明かないぞ。いつかは魔力切れするだろうが、残量にはかなり余裕がありそうだ』
『本当か?』
『我とて正確には分からんが、まだまだかなりの魔力を感じるぞ』
「おしゃべりをするとは、かなり余裕ですね」
放たれた斬り上げを受け流し損ね、短剣の刃を両断される。
すぐさま無事な方の短剣に持ち替えて反撃するが、刺突を光の壁に防がれ、短剣を左足で蹴り飛ばされる。
仕切りなおそうと後退するところに追撃が掛けられ、右頬に鋭い熱が走った。
どうやらかすり傷で逃れられたことに安堵する間もなく、続く連撃を無手でなんとかいなし続ける。
『なあ、相棒。全身とは言わない。両手両ひじと両足両ひざだけで良いから紫炎を纏いたい。手伝え』
『だけって、簡単に言うな。お前の誤差程度しかない制御力では、我が手を貸そうとも継続的にその八箇所に炎を維持し続けるのは至難だぞ。実戦で使える信頼性を確保したいのなら、そのうちの四箇所までだな。しかも、紫炎を攻撃には転用できなくなる』
『だったら、両手と両ひじだけで良い。それに紫炎を使えなくとも、向こうも普通の光では攻撃力に欠けるし、圧縮した光なんてキワモノをそう自由に扱えるとも思えない。恐らくは壁と刃でネタ切れだ。間合い的には致命的ではないし、どのみち物理だけでも異能だけでもあの壁は越えられないさ』
『ネタ切れでなければ終わりだが、勝ち目がない今よりはマシか。良いだろう、たまには全力で支援してやろう』
そこに突き出された光の刃を両手で挟み取り、その軌道を左斜め下方に流す。そこから右足を踏み出し、全力で右ひじを打ち込む。
「自らの変換済み魔力を纏って戦うのは地属性の専売特許だと思っていたのですがね。水属性の魔術師が氷で短時間だけ使うのは見たこともありますが、流石に火属性でやらかした人は始めて見ましたよ」
「自らの炎に焼かれる魔術師とは違って、異能者は自らの炎では傷付かないからな」
試みは一応成功らしい。紫炎は光を削り取り続け、右ひじは確実に壁を進み続けた。遊撃騎士殿も危険を感じたのか、この戦いで初めて自ら後退した。
そこからは一進一退の攻防が繰り広げられる。
光刃が裂き、拳がうなり、壁が防ぎ、ひじがえぐる。
その中でも物理と異能の複合攻撃は効果を発揮し、異能単独での攻撃に比べて明らかに与える圧力も大きくなっている。
それでも、相変わらず笑みを崩さない遊撃騎士殿からの威圧も半端ではない。速さもキレも一級品な上に、その動きを読めない。
それからどれだけの時間続いただろうが。
両者共に息が上がり、どちらともなく間合いを取る。
『気をつけろ。常時垂れ流しだったせいで、もうそろそろ魔力が尽きるぞ』
『向こうだって似たようなものだろう? 最後の方は、明らかに壁も刃も薄くなっていたぞ』
体中が致命傷に至らない程度の傷だらけの俺とは違い、壁が抜かれ切ってはいない遊撃騎士殿は魔力と体力の消耗のみ。それでも互いに決め手がない以上は、どちらが有利とも言い切れないだろう。後はどちらの魔力が先になくなるかの勝負だ。
「正直、異能者の……いえ、最奥の暗部のエースの実力を見誤っていました」
「だったら、今からでも手を引いてくれ」
「遊撃騎士なんて肩書きがなければ考えたかもしれませんが、背負う看板には相応の責任があるのですよ。敗北は許されないのです。例え、どのような手段を取ろうともね」
「騎士にあるまじき発言だな。教会騎士は、正々堂々とは言わなくとも手段は選ぶように教えられているのだろう?」
「教会の現状は、バレなければなかったことなんですよ。もしものときは、中央には解析でも何も分からなかったと言えば、功績は逃しても責任は逃れられるでしょう。ええ、生きていてこそですからね」
その笑顔に影が落ちた理由に気付いたときには、すでに出遅れていた。
俺と遊撃騎士殿を結ぶ線分と正三角形を作る位置にミリカが居たのだが、完全に思考から除外していた。まさか、遊撃騎士殿が彼女に危害を加えるとは思いもしなかったからだ。
ミリカに向けて突き進む遊撃騎士殿に、慌ててこちらも駆け出す。
『行くな! もう手遅れだぞ!』
『見れば分かる!』
双方共に火属性の身体強化も風属性の機動力強化もできない状況で、生身故に互いの速さにはほとんど差がない。であれば、最初の一歩は致命的な差となりうる。
それを少しでも挽回するために、迷わず切り札を切る。
体重移動を用いた初見殺しの高速移動術。教えてくれた信仰機関の団長は『縮地』と呼んでいた技法。
重心を前に大きく動かす力を利用してただの一歩で最高速度にまで加速する、接近戦での奥の手。少しでも効果を高めるために劣勢になっても使わなかった、取っておき。二度目では不意を突くことはできないだろう小技。
『ありったけの魔力を右手に集めろ! これで決める!』
『簡単に言いおって。まったく、分の悪い賭けだな』
遊撃騎士殿がミリカを左手で抱きかかえた。この瞬間が勝負だ。
ミリカを盾に使われれば、光の壁がなくとも攻撃がかなり制限される。見た目が十歳程度の少女が自力で抜け出すことなど期待できない以上、こちらの勝ち目はなくなることになる。だからこそ、抱きかかえた瞬間、盾にできないこのときに全力を持ってねじ伏せる。
「うぉらぁぁああ!」
普段は絶対に出さないような大音量で叫びながら、全体重と全魔力を乗せた右の拳を光の壁に叩きつける。
後先考えない全力の一撃は、思った以上の効果を挙げた。速度を削られながらも、今までとは比べ物にならない速度で壁を喰い破っていく。
「まったく、あなたが戦っているのは光の壁ではなく、私だということを忘れないで下さいね」
あと一息で貫けるという時、胸に尋常ではない熱量を感じる。
左に目を向けた。
遊撃騎士殿が右手に持つ杖の先が俺の胸に伸びている。
左手に抱かれるミリカが目に見えて震えていた。目も見開かれている。
壁を貫く前に、一歩横に動いて壁を迂回した攻撃をしてきたのだと気付いたときには、刃が抜かれた。
『避けろ! 死ぬぞ!』
不思議なものだ。首を狙って薙がれる刃を見ながら、すでに致命傷だよ、などとのん気なことを考えている。苦しんで死ぬくらいなら、こうして穏やかに死ねるのは幸せなことかもしれない。生き物なら、何であっても必ず死ぬのだから。
首に一瞬だけ熱を感じ、視界が次々と変わっていく。
どうやら首を飛ばされたらしいと気付いた時には、遠くからの悲鳴のようなものを聞きながら、意識が黒に侵食されていく。
ああ、ミリカ。かわいい妹。約束を守れなくてごめん。だから、こんなダメな兄を叱ってくれ。
もう一度、会えるのなら……。
ご覧いただき、ありがとうございました。




