第8.5話
「何か言い残すことがあるのなら、聞きますよ?」
最低限の照明だけが存在する中央聖堂の地下、そこに作られた普段は使われない礼拝堂に、二人は居た。
一番奥のステンドグラス越しに引き込まれた月明かりの落ちる先、普段は礼拝を取り仕切る聖職者の立つ位置に、今は、複雑な幾何学模様が描かれている。
自らが悠々寝転がれるような巨大な魔術陣を、間違えないように手元の図を見ながら特殊な塗料で描きつつ、エレアは何度もミリカに話しかけていた。
短くない時間を掛け、すでにこの世に存在する大半の魔術陣とは比べ物にならないほどに複雑でありながらやっと半ばを描いただけという代物を正確に描き進めつつ、部屋の奥半分にあった分が撤去された残りの礼拝者用の席の最前列の中央あたりに座るミリカに話しかけるのだが、一向に反応がないのだ。
普段は笑顔の仮面の下に隠しているが、エレアの本性は、決して穏やかではない。
その本性が、遂にミリカに牙をむいた。
「あのなぁ――いつもいつも、拷問まがいのことをしようと、目の前で誰かを痛めつけても、それ以外の何をしても無反応! 今さっき言っただろう!? お前は、今日、ここで死ぬんだぞ! 一度くらい、泣きわめいて見せるくらいはしろよ!」
胸倉を掴み持ち上げるが、ミリカの死んだような目は何も反応を見せない。
「ふん。あたしは、高が絶望的なくらいで諦めるやつが大っ嫌いだ。五体満足で、体力もま だある。そんな状況で諦めんのか! 結果がどうせ変わらないからって、何もしないのかよ! 五年、十年先がなくても、一秒、一瞬先の自分に、胸張って向き合えんのかよ!」
すると、瞬間的に反応を見せたが、かすかな上にあっという間に消えてしまった。
まるで、かつて聞いた言葉を思わぬところで聞いて驚いたような反応だった気もしたが、あれでは反応の内には入らないと、舌打ちと共にミリカを足元に乱暴に置いた。
その結果、月明かりの下、ミリカがエレアに対して跪くような構図となった。
「お前、あのクラントと随分と仲良くなってたじゃねえか。お別れの挨拶がしたい、くらい言ってみろよ」
そう凄むも、ミリカにそっと目を逸らされる。
「……まさか、あいつに助けてもらえるなんて、そんな人任せなこと考えてねえよな?」
 
息を飲むミリカ。
エレアは、自分の想像が当たったことを理解し、「それはねえよ」と言ってため息を吐いた。
きょとんとするミリカに、あまりにもバカバカしくなって、作業の手をもうしばらく止めることを決めて語りかけた。
「あの男の所属してる組織とあたしは、協力関係なんだよ。同じ敵と現在進行形で戦う同盟相手。だから、その味方をわざわざ邪魔しになんか来ない。お前が死んで、あいつの組織と敵は手打ち。あたしも最低限の忠誠心を示して、手打ち。お前以外がみんなめでたしって訳だ」
この礼拝堂に施された、外部からの干渉に対する対策水準の高さを知るからの発言。
偵察用の人形では、外から中は見えないし、中に入った瞬間に外部との繋がりが絶たれ、ただの人形になる。これから用いる術式の余波を抑え込むために使うんだという、外部への備えの副産物たる内部からの干渉への対応力を利用した言い訳がなければ、使用するだけで疑念を呼ぶような場所である。
そんな事情を利用しての本音は、確かにミリカに変化を与えていた。
「いや、反応があるのは良いんだがよ。――何で、王子様が助けに来ないって聞いて、安心するかなぁ」
と、エレアはもはや呆れ返った。
その時、開くはずのないない扉がはね開けられる。
その扉、実は、防御系の魔術陣が重ね掛けされていて見た目よりは頑丈なステンドグラスに続いて脆い場所ではある。にしても、重厚な金属製のそれは、物理だろうと魔術だろうと、一撃や二撃ではビクともしないはずの一品である。
目の前の光景を見て、エレアの脳内には、『神出鬼没の若手のエース』という二つ名が浮かんでいた。
9時過ぎに次話を投稿させていただきます。




