第8話
まどろみの中で暖かく柔らかい感触を楽しんでいると、短く二回、扉を叩く音がする。
「クラント様、お時間です。そろそろお支度を」
「うん? ……あ、ああ、分かった。入っていいぞ」
入ってきた使用人は、確か……えっと……そこそこ前から居る美人さんだ。うん。
美人さんは、あれよあれよと僕をひん剥き、あれよあれよと僕を着飾らせる。
流石は天下のバルディエーリ家。若い使用人でも仕事ができる。
「それでは参りましょう」
「うん。……あ」
「どうかなさいましたか?」
「い、いや、大したことじゃないから。先に表で待ってて」
疑問顔の美人さんが出て行った後、仕舞っておいた家宝の短剣を取り出す。
どうせ昼のパーティーは内々のささやかなものだって言ってたし、そこでさっさと渡せば良いだろうと、ベルトの背中の部分に挟み込む。上着で隠れてるし、ちょうど良い。
そのまま表で待ってた美人さんに連れられて、着いた場所は大広間。僕とミリカの誕生日会の会場だ。
まあ実際は、『ミリカを祝おう! あ、そういやクラントも誕生日近いしついでにやるか』って感じなんだけど。
美人さんが一礼して去っていくのを見送り、会場内に目を遣る。
内装も料理もかなり力が入っているけど、昼にするここでのパーティーはあくまで内々のものだ。けど、有力貴族の内々なので、来る人たちはみんな有力者ばかり。それをすっかり忘れていた。……短剣、返せるかな?
それにしても、内々でこれだけ気合が入るなら、場所を移して行われる来賓も招く夜のパーティーにはどんな準備をしているのやら。
あまりの気合の入りように、一応は主役の片割れとして気圧されながら見渡してると、準備万端整っている使用人たちの中に、魔術仕官の礼装である紺色のローブに身を包んだ美少女が一人紛れ込んでいた。
「クラントですか」
「……おはようございます、姉様」
僕はこの人が、母様とは違う意味で苦手だ。
僕に対して憎しみや侮蔑といった負の感情をぶつけてくることはない。逆に、好意や善意といった正の感情もぶつけてこない。
完全なる無関心。
言葉を交わしても、その内容にも、言葉を交わすことそのものにも興味なんて持っていない。
母様から感じるのは嫌悪。それだけ。
でも、姉様からは何を考えてるのか分からない、そんな恐怖を感じる。他の家族にも同じようにしているのを見ると、余計にそうなる。
「今日であなたも社交界デビューですが、バルディエーリの家の者であるとの自覚を持って行動しなさい」
「はい、姉様」
それだけ言うと、さっさと立ち去っていく。
別に期待してた訳ではないけど、形だけでも祝いの言葉を口にしても良いのではないだろうか。
「おにーさまーっ! お誕生日、おめでとうございまーすっ!」
「お前もおめでとう、ミリカ」
後ろから抱き付いてきたかわいらしい妹君と、改めて正面から向き合う。
……うん。気合の入り方が違う。
上質な白銀のドレス、選び抜かれた装飾品、美しい顔立ちを生かすようにほんのりとされた化粧。そのどれもが俺とは力の入れ方が違う。
「どうかしたの、お兄様?」
「いや、ただミリカのあまりの美しさに見惚れていただけさ」
一瞬きょとんとした後、やっと意味を理解したのか、真っ赤になってかわいらしく照れている。
まあ、生まれがどうのというのを差し引いて考えても、これだけの美少女相手なら、僕みたいなただのガキよりも気合の入れ甲斐があるだろうさ。
「あのね、そのね……お兄様もとってもかっこいいよ!」
「ありがとう、ミリカ。とっても嬉しいよ」
気遣いを忘れない心優しい妹君との楽しい時間を過ごしていると、父様と母様がお客様方と共に入ってきた。
軍装で帯剣もしてる父上もそうだけど、それ以上に母様が別人だ。
品位を失わない程度にところどころ肌を見せる薄桃色のドレスを身に纏い、髪を結い上げた母様は、身に付けた宝石類が霞むほどの存在感を放っていた。
実年齢を言ったって誰も信じないだろう。僕も信じられない。
中身はアレでも、普段の関係が嘘のようにそっと寄り添う母様を連れて父様が自慢げなのも納得だ。見た目だけなら、流石ミリカの実母だと思わせてくれる。
そこからは家族揃っての挨拶回り。
別に、明らかにミリカのおまけ扱いなのは分かり切ってたことだからどうとも思わないけど、母様が満面の笑顔なのは、驚嘆を通り越して恐怖すら感じた。
そんな小さな大事件を経て、この昼の部のメインイベントが訪れる。
「二人とも、こちらがコーランジェ大司教猊下だよ。お前たちの魔力適性を調べるために、わざわざ聖都から来て下さったんだ。ご挨拶しなさい」
コーランジェ大司教は、人の良さそうな笑みを浮かべた初老の女性だった。
珍しく貴族の当主らしい威厳に満ちた父様に従い、それぞれが挨拶をする。
魔力適性の検査は、教会が技術を独占している水晶球のような見た目の特殊な道具を用いて行うそうだけど、幼すぎると魔力が弱すぎて正確に計れず、十歳の誕生日に教会に赴いて行うのが一般的らしい。それを、自宅に大司教クラスの大物を招いて直々に行ってもらえるとなれば、聖都との繋がりの強さを示すには十分すぎるんだろう。
教会領と接する領地を有する我が家としては、何かメリットがあるんだろう。具体的には分からないけど。
「二人ともしっかりとした挨拶をなさる。素晴らしいお子さんたちですね、ご当主殿」
「ありがとうございます、猊下。これも神のお導きの賜物でしょう」
寛容な神様も居たものだ。礼拝の最中に妹君のかわいさや、妹君のやさしさや、妹君の淑女化計画を実行すべきか否かについて考察していても導いて下さるらしい。
「それではこちらに。さっそく始めましょう。これに手を当てるだけで終わりますよ」
使用人が押してきた台座の上には検査用の水晶球のような物体。少なくとも、見た目は完全にただの水晶球。高さも俺たちに合わせられていた。
検査とは言っても、予行みたいなものだとは言われている。今ここで結果を知っておいて、夜の部で大勢の来賓の前で行ったときの反応を考えるつもりみたいだ。
父様に背を押されて先に歩み出たのはミリカ。
緊張して硬くなった姿も魅力的な妹君は、両親の期待に満ちた視線と姉様の心持ち普段よりも柔らかいと思われる視線、僕の精一杯のエールを込めた視線を一身に受けて、そっと手を伸ばす。
「ほう、これはこれは……」
水晶球らしき物体は、柔らかな白銀の光を放ってる。奇しくも、彼女の身に纏うドレスと同じ色だった。
これだけでは何がどうなったのかさっぱりなのだが、周りの人間は完全に黙り込んでしまって、そっちから判断することもできない。
「えっと……どうだった?」
不安そうなミリカの問いに答えたのは、コーランジェ大司教だった。
「光属性、それもかなり強力です。上級……いえ、もっとも上の特級でしょうか。後方戦力としても重宝されるでしょうが、私の知り合いのユーベルリッテ所属の聖騎士が、彼女の開発した光属性魔力の攻撃的運用技法の後継者を探しています。かなりの量の魔力が必要なので未だに弟子が一人しか居ないことを嘆いていましたから、本人にそのつもりがあるのなら、ぜひすぐにでもユーベルリッテに来ていただきたいくらいですね」
誰でも知っている教会の最精鋭部隊の名前が出て、妹君も安心したらしい。周囲が一気に騒がしくなる中、大きく息を吐いている。
おお、あの両親が手を取り合って子どものように飛び跳ねる光景が見られるとは。
姉様は目を見開いて固まっている。これこそが、今日一番のレアものかもしれない。
そう言えば、姉様のときはどんな結果だったんだろう。場合によっては、姉様とミリカの血みどろの悲劇的な当主争いに……まあ、そうなったら全力でミリカを応援するだけだな。毒でも盛れば、案外早く終わるかもしれない。
「では、次は坊ちゃんですね」
両親のダンスが終わる。一気に表情まで冷めた。分かりやすい両親だ。まったくぶれない。
ここで出て行くのも、かなりきつい。
両親は冷ややか、姉様は無機質、お客様方からはミリカの結果を受けての過剰な期待のそれぞれ篭った視線。大司教猊下の優しげな笑みと、輝かしい妹君のわくわくした様子だけが癒しだ。
そんな、俺に優しくない場で、右手をおもむろに水晶球らしき物体に下ろす。
変化は静かに訪れた。
最初は小さな光が生じただけ。ただし、それは一色ではなかった。赤、青、緑、茶、白、そして、光と呼称して良いのか分からない、黒。
はて、さっきとはぜんぜん違うけどこんな反応もあるのかな、とぼんやり考えてると、唐突に光が強くなった。
爆発的なその変化で、目を開けていられずにとっさに強く閉じる。
その最中に大司教猊下の呟きが聞こえた。
「これは……異能者!?」
最初に目に入ったのは、赤く染まりきった室内。
懐中時計を取り出して時間を確認。睡眠時間は十分だ。
それにしても、ついにあそこまで進んでしまった。
今までもあの頃の夢を見ることはあったが、あくまで断片的なもの。こうまで続けて見たのは初めてだ。
やはり、あの日。黒髪の少女を撃ち殺した日からだ。そこから歯車が狂った。
……考えるのは止めよう。いずれはまた眠らなければならないし、考えたからどうこうなる問題でもない。続きだって、見るときは見るし、見ないときは見ないだろう。
上体を起こし、背筋を思いっきり伸ばす。
気分転換のつもりだったが、効果はほとんどなかった。寝る前よりは頭も体も楽になったが、問答の答えは出ない。
思考が纏まらずに気ばかりが急く中、廊下に響くは足音。
数は二人分。どうやら時間切れらしい。
何となく装備を整える。
弾倉を振り出してそれぞれ中身を確認し、腰の短剣が刃こぼれしていないか確認。『魔力殺し』を胸元に装備してることを確認し、上着のポケットに予備の弾丸を入れていることを確認。
足音が戻ってくる。
今度は四人分。当事者勢ぞろいのようだ。
徐々に近付いてきた足音が、段々と遠ざかっていく。
『うじうじ悩んでないでさっさと決めたらどうだ? このままだと、時間に決められるぞ?』
『分かっている』
分かっているさ。どう動こうとも、俺は今日この日のことを絶対に後悔する。
やって後悔か、やらずに後悔か。理不尽な二者択一だ。しかも、残された時間は多くない。むしろ、行動に移すにはもう遅すぎるのかもしれない。
それでも、選択しなくてはならない。未来の自分に、もう選択することのできないあの娘に、胸を張るために。
『我は、お前が破滅を望むのなら共に破滅しよう。救済を望むのなら共に救済しよう。我は常にお前と共にある』
『急にどうした?』
『まあ聞け。我も人間というものについてはそう詳しい訳ではないが、お前と共に居ることで知ったこともある。道に迷っている連中は、大抵が自分の中で答えが出ている。我はその背を押してやるほど親切ではない。本能に従え、直感を信じよ、すべてを敵に回そうと、我だけは隣ですべてを見届けよう』
『随分とまあ……真剣にそんなセリフがよく言えるな』
『難しく考えるから分からなくなる。お前は何をしたい? 何をすべきだ? どっちのミリカを救うにしろ、やるべきことは単純だ。後はやるかやらないか、それだけだ』
『そう簡単に言うがな――』
『そもそも、堅物なお前が悩んでいることがほとんど答えではないか』
『何を言っている? 答えが出ないから迷っているんだぞ』
『お前は今まで、組織に逆らおうともしなかったではないか。多少の理不尽なら、気にもせずに流していた。それがどうだ。いっそ無様なほどに揺れ動いている』
言われて反論できずに黙り込むが、相棒は構わず話を続ける。
『選ぶのはお前だが、一つだけ断言してやろう。ここで動けなければ、お前は一生後悔する』
『そうか。お前は動けと言うか。だが、動いても後悔するだろうさ』
『ふん。どうせ信仰機関の連中だろう? お前は、やつらを過小評価しすぎだ』
『過小評価、だと?』
『ガキが一人、少々過激な反抗期になったくらいでくたばるような柔な連中なら、どれだけかわいげがあるやら』
確かに、俺みたいな若造なんかよりも多くの修羅場を踏み越えてきた猛者たちが腐るほど存在する部署だ。俺が守るなんて言っても、鼻で笑って済ませるだろう。
……守る。
あの銀色の少女は、瞳に恐怖と絶望を映す少女は、誰かに守ってもらえるのだろうか。かつて虚無の海を漂っていた俺のように、誰かに守ってもらえるのだろうか。
『……なあ』
『何だ?』
『俺は、生まれて初めてお前が相棒で良かったと思うよ』
『だったら我を楽しませろ。どう足掻いても、我はお前と共に居るしかないのだ。うじうじしているところを見せられてもつまらん。それくらいならば、共に破滅しようではないか、ド派手にな!』
相棒の笑い声を聞きながら思う。
俺のすべてを奪った元凶、お前が相棒で本当に良かったよ。
ご覧いただき、ありがとうございました。




