神様と司書は
「こんにちは…」
作業を開始してから30分くらいしたときのことだった。
書斎の扉の向こうから2回、ノックが響く。
「あ…えっと」
ディランが慌てて扉を開ければ、寝癖のひどい、どこかおっとりした雰囲気の男性が立っていて、その両手には本が大事そうに抱えられていた。
彼が神様の言っていた図書館の人なのだと、それを見て判断する。
「君…見ないヒト、だね」
「…僕は、トリビアだよ。君の名前…は?」
ゆっくりゆっくりと喋る。
どうやら、かなりマイペースな人らしい。
「ディラン。悪魔だけど、魔界から創世主さんの手伝いで派遣されてるんだ」
「よろしくなっ!」
誰がどう見ても人畜無害でしかない笑顔で答えた。
「悪魔さん…?わざわざ、遠いところから…」
「…いまどき、天使の前で堂々と『悪魔』だと身分を曝け出す馬鹿もいるものですね」
皮肉を言いつつ、ディランの後ろからエレクが顔を出す。
「エレクトラくん…久しぶりだねぇ…!」
「お久しぶりです、トリビアさん」
軽くお辞儀をした。
「わぁ、嬉しいな…今日はたくさんの人に会えるね…」
「たくさん…?」
「うん、さっきも…噴水広場で、悪魔さんに会ったんだよ」
「噴水広場に悪魔…なんて、珍しいですね」
「そうなんだぁ…今日はきっと、いいことあるよ…!」
嬉しそうに話すトリビアに『むしろ悪いことが起きそうですけど』と小さくツッコミを入れたが、彼には聞こえていなかったようだ。
「あ…そうそう、忘れるところだった」
何かを思い出したのか、呟く。
「本を届けにきたんだ…デオさん、居る?」
「両手に本抱えて『忘れるところ』だったんですか…!?」
呆れてため息をついた。
「ごめんねぇ、最近、忘れっぽくて…」
「それは…破格ですね」
「あと、創世主は先ほどよりお出掛けになっておられますので…私たちが受け取っておくよう言われております」
「そうなの…?じゃあ…よろしく頼もうかな…」
「おうっ!」
粋のいい返事をして、トリビアから本を何冊か受け取る。
そしてそれをデスクの上に…
「っあ」
と、うまくいくはずがなく。
なにもないところでつまずき、宙を舞った分厚い本が、書類の山をデスクの下へと叩き落した。
「もう!貴方って人は…!なにやってるんですか!!」
「あらら…ディランくん…大丈夫?」
扉のところで見ていたふたりも、ディランに駆け寄る。
「いてぇぇぇ!!デスクで頭打った!!」
そのままゴロゴロと転がり、痛みに悶える。
「まったく、自業自得です!!」
怒るエレクを、トリビアがまぁまぁとなだめた。
しかし、エレクが怒るのも無理はない。
迅速に終わらせていたひとつの作業が…このことで振り出しに戻ってしまったのである。
「ぬぁぁあ…ごめんエレクー!!」
「絶対許しません。なにがなんでも絶対許しません」
「悪かったって…!!」
「あはは、これは仕方ないよ…許して、あげて」
「片付け、僕も手伝うから…?」
やさしく微笑むトリビアに、うーんと唸った。
そして『情状酌量で』と答える。
ありがとう、とまた微笑んだ。
「はい、ディランくん。早く…終わらせよっかぁ…!」
ディランに手を差し伸べる。
「おう、ありが…」
ぱさり。
トリビアの手を掴もうとしたとき、一枚、書類が後から落ちてきた。
ディランの目に、止まる。
「……」
そこには『ライアー・G・リーパー』と名前らしきものが文頭に記されているだけで。
それ以外は真っ白…でも、書きかけであるという様子は感じられない。
そんな、可笑しな書類だった。
「…レミリオくん」
トリビアが、呟く。
彼の目もしっかりとその書類を捉えていた。
「え…?」
そのとき感じた、かすかな『違和感』
思わず聞き返す。
「…え?あぁ…ごめんね、なんでもないよ」
「ごめんね…」
「いや、でも何か言って…」
「…ほんとに、なんでもないから」
そのやり取りを不思議そうに聞いていたエレクが、『どうしたんですか』と声を掛けた。
『なんでもないよ』
彼はまたそう言って笑う。
「…なら、早くこの紙のやま、どうにかしてしまいましょう」
「そうだね」
「ほら、ディランも」
トリビアの頑として口を開きたがらない様子から、これ以上つめてはだめだと察する。
人は誰しも、踏み入れてほしくない領域というものがあるのだ。
エレクにも、それはある。
「…おう」
トリビアの様子が胸につっかえて仕方ないのだろう。
ディランは納得がいかないらしい。
もともと、空気など読めない豪快な性格の彼だが、話を流されてしまってはどうしようもなく。
エレクに促され、しぶしぶ書類の片づけを始めることにした。
***
「おつかれさま~!」
散らばっていた書類を元に戻し、トリビアが帰ってから書斎の整理を終えたのがあれから3時間後のことだ。
丁度、神様も戻ってきたところである。
「ずいぶん片付いたね、ディランちゃん、エレクちゃん、どうもありがとう」
にこり、微笑む。
それを見たディランが満足そうに歯を見せた。
「このくらい余裕だぜっ」
しかし、エレクがディランの横腹をつく。
むっと不満そうである。
「うっ…余裕、です」
原因は彼が敬語を使っていなかったことにあったようだ。
真顔だが、満足げにうなずいた。
「ふふ、ほんとありがとうございました」
変わらない二人の様子に笑いながら再びお礼を言うと、羽織を脱いで書斎の椅子に掛ける。
続けて、『よいしょ』と椅子に腰掛けた。
「ルっちゃん、元気?」
〝ルっちゃん〟とは、神様の弟でありディランの上司、魔王ルシファーの愛称である。
もちろん、兄限定で。
本人は嫌がっているらしいのだが、神様があまりにも気に入ってしまったため、最近ではすでに諦めていると聞く。
「元気ですよ!仕事の量は相変わらずえげつねーんですけど」
魔王は自由奔放で仕事嫌いな兄とは正反対の、勤勉でまじめで…簡単に言えば堅苦しい仕事人間な男だった。
人前にはほとんど出ず、書斎にこもりっきりで一日中仕事をしているような人だ。
それでも軍を統率したり、来賓の接待など、魔界のさまざまなことを一人で管理できてしまうような、まさしく〝できた〟人間である。
そのため、彼を慕う悪魔もいれば嫌う悪魔も居る。
魔界の治安は決していいものではない。
「そうだろうね、最近は会いに魔界へ行ってもほとんど会えないし…」
しょぼんと肩を落とす。
『そのうちすぐ会えますよ』
ディランがなだめると、『そうだよね』と顔を明るくして笑った。
「あの。ちょっといいですか?」
今度は、ディランが神様に向かって問いかける。
「んー?なーに?」
「俺、さっき書類見ちゃったんですけど。」
「書類?なんだろう?何でも言ってごらんっ」
「一枚、白紙の書類がありましたよね?あれって一体なんなんですか?」
ふと、神様の顔色が変わる。
先ほどまでの穏やかな笑顔から一変、心なしか険しい顔つきになっていた。
「気になっていたんです。『ライアー・G・リーパー』って…」
「ディラン君は〝それ〟を知ってどうするの?」
「…え?]
答えた彼の顔はいつもどおり、にこやかに笑っていて。
しかし、ディランにはその笑顔がどこか圧のある笑顔のように思えた。
なにか…すっとしない感情が心に渦巻く。
「なにもないのなら知らなくていい」
「そのほうが幸せなことだって、この〝世界〟にはあるのだから」
『知らなくていい』
そう言ったこの笑顔はいったいなにを隠しているのだろうか。
この笑顔はいったいなにを知っているのだろうか。
この笑顔はいったいなにを…守ろうとしているのだろうか。
好奇心は強くなる。
でも、わからない。わかるはずがない。
いまの彼には、このすっとしない気持ちを心に抱えたまま
ただその笑顔にうなずくことしかできなかった。
お久しぶりです。
のんびりと更新いたします!
お読みいただきありがとうございました。