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Mi Mancherai 1



 あれは夏だったのだろうか。

 熱い夏。

 肌を焦がす太陽、むせ返るような熱気。

 しかしそれでも、君を初めて見たときにこの胸に去来した、あの熱には敵わない。



 *



「ちょっと見てよ、イリス。また届いたわよ、百合ゆりの花束」


 からかうように微笑みながら、同僚のサリーが、その百合の花束をイリスの机の前にもってきた。

 処理中だった書類から視線を上げたイリスは、サリーとその花束を交互に見つめる。

「また……? どうしよう、ちゃんと断ったのに」

「どうせそんなに強く断った訳じゃないんでしょ。そういう時はビシッと言わなくちゃ駄目なのよ」

 そう言って、花束をイリスの腕に押し付ける。

 慌ててそれを受け取ると、イリスは腕の中に納まった豪華な百合を見て、しばらく複雑そうな顔をした。

 そして、その花が放つ高貴な香りに、誘われるように目を伏せる。

「……そんなだから相手は諦めないのよ。断るつもりなら、花束なんて足で踏んづけるくらいの勢いがないとね」

 サリーは呆れたようにそう言って、花束を抱えている同僚、イリス・レーンに改めて魅入った。


 イリスはサリーと同期にこの会社に入ってきた新人だった。

 どこにでもあるような普通の商社。そこに秘書とは名ばかりの、体の良い雑用係として就職してきたのが約半年前……。大学を卒業してすぐだった。

 大きな会社ではないので、同期に入った同僚も数えるほどで、しかも女性は、サリーとこのイリスの2人だけだった。

 サリーは、初めてイリスを見たときのことを忘れられない……それは、衝撃といってもいいほどだった。

 真っ直ぐに伸びた綺麗な黒髪。

 見たこともないほど綺麗に整った顔つきに、白い肌は陶器のようで。

 何よりも印象的だったのは、その大きな瞳だった。

 ──きっと気取った女なのだろう。サリーは最初そう思った。

 それはもちろん根拠のない思い込みだが、少なくともサリーの経験の中では、美人というのはある程度のプライドを持っているものだった。けれどそんな先入観はすぐに覆い返されることになる。

「あなたの人がいいのに付け込んで、情で落とそうとしてるんじゃない?」

「んー……そういうのではないと思うんだけど、でも」

「それとも付き合いたいの? いいじゃない、悪くない感じだったけど思うんだけどな」

「いい人だとは、私も思うのよ。でも、付き合うっていうのは……まだ」


 まずイリスはその目立つ外見に似合わず、人見知りをする大人しい性格だった。

 必要以上に人と交わる事をせず、喋ることも必要最低限。

 特に男性には懐疑的というのか、一種の男性恐怖症なのではないかと思うほど消極的だった。

 大きな花束を抱き抱えながら、困った顔をしているこの美しい同僚を見て、サリーは小さな溜息を吐いた。


「まあ、好きにしなさいよ。私は彼みたい明るい人の方が、あなたに合ってると思うけど」



 *



 イリスは帰り道、その花束を抱きながら帰路についた。

 ──百合の香りがふんわりと辺りに溢れる。それをきゅっと抱きながら、しかし気分は複雑なまま。

(私が変なこと言っちゃったからかな……)

 後悔、とは少し違う。でも複雑な思いを抱いたまま、イリスはゆっくりと歩いていた。

 周りはもう暗い。しかし、イリスは少し遠回りになる事を承知で、出来るだけ明かりのある道を選んでいた。

 ここ、イリス達が住むクラシッドは、比較的治安の安定した国で、小さくはあるが、教育水準が非常に高く、海外から勉強に来る学生も多い。

 ただ一つ不幸な事に、地理的に、周りを囲む幾つかの国々にはあまり恵まれていなかった。一歩外をでれば貧しい国々に囲まれている。時々これらの国からギャングまがいのテロリストが侵入し、問題を起こすことがあった。

 クラシッドの問題の一つだ。しかしそれを除けば、国内の町の治安は非常に良かった。

 そんな風ではあったけれど、イリスは人のいない暗い道は苦手だった。

 ……だからと言って誰かと一緒に帰るのも苦手だ。仕事場でもない、自分の部屋でもない、この中間の時間はイリスの最も苦手とするものだった。

(急ごう)

 早足で一人暮らしの部屋に戻ると、すぐに鍵をかけた。

「ふう……」

 部屋に入って明かりを付けると、いつも通りの自分だけの空間で、イリスは安心して一息ついた。

 荷物を机の上に置き、電話に目を向けると……メッセージランプがついているのを見つけた。

(また……あの人かな)

 その赤いランプと、まだ手に握られたままの百合の花束を交互に見た。

 そして思い出す、一ヶ月前の出来事を──



「あ、あの私、人と約束してるんです……離して下さい」

 ときは一ヶ月前、クラシッドの首都、テルの通りの1つで。

 その日サリーと買い物の約束をしたイリスは、待ち合わせの噴水の傍で彼女が来るのを待っているところだった。

 しかし約束より数分先に着いてしまったイリスに、数人の若い男達が寄ってくる。

 『綺麗だね』、『美人』、『可愛い』、いつも聞かされるそんな言葉で、男達はイリスに話しかけてきた。そしてあわよくば、誘い出してやろうという魂胆が見え見えだった。

「じゃあ、そのお友達も一緒にさ。別に変なこと企んでる訳じゃないよ。せっかく週末なんだし、大勢で遊びに行くとか、どう?」

「そうそう、こんな美人と知り合える機会なんてそうないし……友達として、ね?」

 断ろうとするイリスを、彼らはしつこく誘い続けた。

 困って周りを見回すが、周りは見てみぬ振りだ。イリスに寄ってきている男達が皆若く、スポーツでもしているのだろうか、がっしりとした体格で、下手にイリスを助けたりすれば、自分がやられてしまうかも知れないと思っているのだろう。

「ほ、本当に困ります。離して下さい」

 勇気を振りしぼり、腕を掴んできた男の一人にそう言うと、彼らはかえって面白がり余計にしつこくなった。

「いいじゃん、ちょっとだけって言ってるんだから、来いよ」

「…………!」

 その腕を引かれそうになったその時。

 イリスは恐怖で体が固まった。声が出なくなる。

 叫びたいのに声が出ない。サリーはまだ来ていないし、周りの人たちは見て見ぬ振り……。

(嫌……!)

 そう思って、きゅっと目をつぶった時、だった。イリスの後ろから、落ち着いた男の声が響いた。


「彼女は嫌がってるだろう、離すんだ」


 低い。だけど分かりやすい、はっきりとした声。

 それと同時に、男達のイリスの腕を握っていた手が緩められた。

「な、なんだよ。ただ誘ってるだけだろ、余計なお世話だよ」

 男達のリーダー格と思える者が、新しく現れた男性に対抗するように言った。しかし、彼はまた同じ落ち着いた調子で続ける。「彼女は断ってるんだよ。そんな事も分からないのか、お前らは」

「なんだと!?」

「さっさと彼女の手を離すんだ。そうすれば見逃してやる」

 イリスは無意識にその声のする方向へ振り返った。

 ── 一人の男性が立っている。

 年は……二十代後半か三十歳前後……しかしどこか年齢が分かり難いような、落ち着いた雰囲気だ。背は、平均よりは高いが飛びぬけているという訳ではない。

 目の前の体格のいい男達と比べると、不利に見えた。

「なんだと!?」

 イリスの腕を掴んでいた男がそれを離し、そのまま男に殴りかかろうとした。

 イリスは反射的に恐怖で目を閉じた。

 きっと彼は殴られてしまう、そう思って。しかし、次の瞬間に聞こえてきたのは、人が殴られる音ではなかった。

 『ぅわっ』という短い叫びの様なものが聞こえて、続いてバシャン! と勢いよく水が跳ねる音が響いた。

(え…………?)

 水飛沫がイリスにまで掛かって、あわててまた目を開いた。

 すると、目の前には落ち着き払った無傷の男性と、噴水の中に投げ込まれた格好の若い男がいた。

 周りが一瞬、しんと静まる。

 しかし次の瞬間には、自分達のリーダー格の男を投げ飛ばされて焦ったほかの男達が、彼に殴りかかろうとした。

「貴様……!」

 と威勢だけは良かったが、彼らも結局、彼に一瞬で伸されてしまう事になった。

 計三人の逞しい男がいっせいに彼に襲い掛かったが、彼は簡単にそれを避け、一人一人を一瞬で倒していった。

 ──多分、五秒、掛からなかっただろう。

 気が付くとそこには、噴水で水浸しになりながら呆然としている男と、地面に伸びている3人と、そしてその男性とイリスがいた。

 周りから遠巻きにしていた野次馬たちから、一瞬遅れてワッと歓声があがる。

 気が付くとサリーが来ていて、歓声と同時にイリスの方へ駆け寄った。

「ちょっと、一体何があったの!? イリス、大丈夫?」

「う……うん……」

 あまりに短い間の出来事で、イリス自身も何が起きたのか分からないままで、答えは曖昧になった。すると、その男がゆっくりとサリーとイリスに近づいてきた。

「大丈夫だった?」

 そう、落ち着いた声で言いながら。

 四人の、それなりに鍛えているであろう若い男達を一瞬で倒した後だというのに、息一つ乱れていない。

 ──これはこれで、イリスは怖かった。

「だ、大丈夫です……」

「本当に? 悪い、驚かせたかな」

「い、いえ……あの……あ、ありがとうございます……」

 男がそばに来ると、イリスは口篭りながらなんとか礼を言った。すぐ隣で見上げると、彼自身も第一印象よりずっと逞しい体つきをしていた。

 到着したばかりで、まだよく事情を呑み込めていないサリーが、興味深そうにその男を見上げる。

「わたしは、サリーよ。この子はイリス。……貴方は?」

「アレツ・カーヴィングです」

「そう。えっと、わたし、来たばかりでよくわからないんだけど、この子を痴漢から助けてくれたのよね? この子まだびっくりしてるみたいで、わたしからお礼を言うわ」

 アレツと名乗ったその男性は、イリスの顔を射るような目で見つめた。

「本当に大丈夫ですか? どこか怪我でも?」

 そう聞かれて、イリスは小さく首を横に振った。するとアレツは、それを見て少し怪訝そうな顔をする。

 そんな二人を見たサリーは、アレツに興味を持ったようだった。

 遅れて来たサリーは、最後の三人を伸したところしか見ていないが、あれは素人のできる動きではなかった。よく見ると、スマートだが筋肉質な身体をしている。

「あなた、凄かったわねぇ。何か、スポーツでもやってるのかしら、武道とか?」

 イリスとは逆に人懐こいサリーは、気軽い感じでそうアレツに聞いた。アレツは悪びれる感じもなく、さらっと答えた。

「まあ、そんなものです」、と。


 薄い茶色い髪に、同色の瞳。

 モデルの様な美形とは違うが、好感の持てる調った顔をしている。そしてマナーも良さそうだ……そんなアレツに、サリーはますます興味を引かれたようだった。

 なんとサリーは、その場でアレツと夕食の約束を取り付けた。

 サリーとその恋人、イリスとアレツの四人でどうか、と。

 最初は驚いたようだが、アレツは構わないとすんなりオーケーした。

 結局その場ではすぐ別れ、夜になって四人は、町の洒落た感じのレストランで食事を共にする事になる。


 その夜は、いつもより熱かった。

 ──と、思う。

 緊張のせいで、イリスはあまり覚えていなかった。

 もともとその夜の夕食は、サリーとサリーの恋人と、イリスの三人でとる予定だった。

 新しく出来た彼氏をイリスにも紹介したいとサリーが言い出したのが始まりで、その前に女二人で買い物でもしようと、それであの噴水前で待ち合わせしていたのだ。

 それがなぜか、不思議な経緯でこうなってしまった。


 サリーとサリーの恋人は、付き合いはじめたばかりの初々しさもあって、仲が良かった。

 冗談を言い合いながらべったり寄り添っている二人を、微笑ましく思うと同時に、居心地の悪さをも感じて当惑していた。

 ──理由は、自分の隣にいる、アレツだ。

 突然の、半ば強引なサリーの誘いだったから、彼は来ないのではないかとイリスは期待半分に思っていたのだが、それはすっぱり裏切られた。

 待ち合わせのレストランに時間ぴったりに現れたのは、他の誰でもない、アレツと名乗ったその男だった。

 彼はごく社交的な感じで、すぐにサリー達と打ち解け、食事は和やかに始まった。


「それで、お仕事は何をしてらっしゃるの?」

 多少の軽いアルコールが入ったせいもあって、いつもよりさらに饒舌なサリーがそう、アレツに問いただした。

 一方のアレツは、飲んではいるが、酔ってはいない。

 その動きの一つ一つが、リラックスしているのに、隙がない……イリスにはそう思えた。

「そうだな、肉体労働みたいなものです」

 アレツがそう曖昧に答えると、サリーの恋人も話に興味を持ったようだった。男同士の親しさも手伝って、彼もアレツに質問した。

「でもサリーの話によれば、大男たちを四人も一瞬で伸したんだって? 何かやっているんでしょう?」

「大した連中じゃなかったんですよ」

「そうかな? サリーによれば、でっかいスポーツマン風情の連中だったって事だけど?」

 そこまでは飄々ひょうひょうとかわしていたアレツだが、しつこく質問を繰り返されると、降参しました、というように両手を軽くあげた。

「分かりました。白状しますよ、実は……」

 と、アレツはそこまで話しかけて、そして、隣にいるイリスに目を移した。

「…………?」

 イリスは今まで、ほとんど聞き役立った。

 話しかけられれば返事はしたが、自分から三人の会話に加わろうとはしなかった。

 それが突然、アレツにじっと見つめられ、戸惑った。

 そんなイリスを見て、アレツは小さな溜息を一つ吐くと、前に座っているサリー達を見据えて短く言った。

「……クレフです」

「まあ……」

 サリーは短い、驚きとも感嘆とも取れる声を漏らした。

 彼氏の方が、飲もうとしていたグラスを持つ手を止めて、アレツを凝視した。そして短い、独り言のような声を出す。「ああ、それで……」と。


 結局その後、誰もその話題──アレツの職業──については触れなかった。

 話題はいつの間にか切り替わり、そして、数時間が過ぎるとお開きの時間となる。

「ええっと、今夜はここまでね。楽しかったわ。無理に誘っちゃってごめんなさいね。わたしの友達を助けてくれたこともお礼を言うわ」

 別れ際。

 四人がばらばらとレストランの外に出ると、夏の夜ながらも、涼しい空気が肌に触れた。

 気候が乾燥しているため、いくら日中が暑くても日が落ちると共に気温も落ちる。

 アレツはサリーに、「こちらこそ」と短い礼を言った。

「さて、わたしたちはアパートに帰るけど……イリス、どうする? 私たちと来る?」

「え……ま、まさか」

「でも夜道に一人じゃ危ないわよ。部屋はあるから、明日の朝帰ればいいじゃない」

「でも、お邪魔でしょ……大丈夫よ」

 そんな二人のやり取りを聞いていたアレツが、どこか憮然とした顔をした。

「俺が送りますよ」

 その声に、イリスが驚いて顔を上げる。

 ──驚くことでもないのだけれど。実際、サリーはそのアレツの言葉を期待していたようで、パッと明るい顔をした。

「そうね! それがちょうどいいんじゃないかしら。この子の家、すぐ近くなのよ。十分くらいかしら、ね? 送ってもらいなさい」

「え……だ、大丈夫よ。近いし……」

「俺が送ります、いいですね?」


 そのアレツの言葉は、有無を言わせない響きがあった。

 ……そして常識的に考えても、断る事ではないのだろう。

 いつの間にかイリスは、その短い帰り道を、アレツと共に歩く事になっていた。

 しかし、アレツは食事中とはうって変わって、自分からはほとんど口を開かなかった。

 お喋りではないイリスだが、そうなるとさすがに居心地の悪さを感じて、自分から喋り出した。

「あの、昼間はどうも……助けていただいて……その、まだちゃんとお礼も言ってなくて……」

 すると、アレツも顔を上げる。

 イリスは緊張して地面を見つめたままで、アレツの方を直視できないでいた。

「いいですよ、自分が勝手にやったんです。それに、ああいうことは慣れてるから」

「慣れて……?」

「……仕事で」

「あ、え、ええ……」

 イリスが曖昧な返事をすると、アレツもまた下に視線を戻した。


 『仕事で』……そう。

 彼は自分の仕事を『クレフ』とだけ紹介していた。が、その意味するところはイリスも知っている。

 ──クレフ。それは、クラシッド北部にあるある地方の名前だ。

 しかしこの国では、それはまた違う意味をも含んでいた。

 度重なる隣国からの脅迫やテロ行為に、クラシッドは強力な国防を強いられている。特にテロに対して……クラシッド国軍は、それに対処するための特殊部隊を設けていた。

 ──それが、クレフ。

 彼らの集まる基地がおかれた場所の地名から、部隊自身もそう呼ばれている。

 国防軍の中でも、選び抜かれた者だけが所属することを許される。そして、たとえ一度選ばれても、それを維持するのは楽ではないと……。それが、一般に知られている『クレフ』の実態だった。

 けれどそれ以上は無闇に情報を公開していない。

 それが分かっているから、サリーたちも必要以上に突っ込まなかったのだ。


「でも……ありがとうございました。その、助かりました……」

 イリスがそう、蚊の鳴くような声でささやいたとき、すでに二人はイリスのアパートの建物の前へ着いていた。

 イリスが歩を止めると、アレツもそれに合わせて立ち止まる。

「いえ、こちらこそ。楽しかったです」

「はい……じゃ、あの、ここまででいいですので……」

 そう言ってイリスはアレツに背を向けようとした。

 素っ気無いのは自分で分かっている。でも、これ以上慣れない男性といるのは、イリスにとって苦しいものだった。

「ちょっと待ってくれますか。その、一言だけ」

 しかしアレツは、そんなイリスを止めるように言った。

「本当は今日……彼らに絡まれる前から、君のことを見てたんだ。見惚れていた、というか……それで」

「…………え」

「出来れば電話番号だけでも、教えて欲しい」

「あ、あの……それは……」

 アレツのその口調は、とてもはっきりしていて真っ直ぐで。

 イリスは戸惑って口篭った。それを見ると、アレツは自分の過ちに気が付いたようで、自嘲的に笑った。

「……ごめん。これじゃ、あの連中と変わらないな」

「い、いえ……でも、私は……」

 二人の間に短い沈黙が流れる。しかし、アレツは少し考えるようにイリスの顔を見つめると、もう一度静かに訊いた。

「じゃあもう少しロマンティックに……好きな花を教えてくれる?」

「は?」

 突然の不思議な質問に、イリスが聞き返した。

 ──冗談かと思ったのだ。しかし、イリスがおずおずとアレツを見上げると、彼はこれ以上ないくらい真剣な顔をしていた。本気のようだ。

「えっと……ゆ、百合が……香りが好きで」

 ……答える義理はなかったし、答えるつもりもなかった。

 それなのになぜか、イリスはつい答えてしまっていた。それは、勝手に口が動くような感覚で。

 アレツはイリスの答えを聞くと、満足そうに、優しい微笑みを見せた。

「……分かった。じゃあ、おやすみ」


 それだけの短い挨拶を残して、彼は踵を返してアパートの前から去っていった。


 それからだった。

 いつの間にかサリーと連絡先を交換していたらしいアレツが、イリスの職場と電話番号を突き止め、毎日のように花束と電話をよこすようになったのは──



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