戦え! H.D.F!
朝八時、起床する。
ベッドの上。布団の心地よさが俺の眠気を誘うが、それに屈してはならない。思い切り布団を蹴飛ばすことで、誘惑を跳ね除ける。
部屋の全てのカーテンが閉じているため、部屋の中は薄暗い。カーテンを開けることで日の光を取り入れる。
少し曇っているが、太陽は隠れていない。東側の窓から空を見上げると、太陽が目に入った。直視する形になったため、かなり眩しい。咄嗟に太陽から目を背けた。
部屋を出て、階段を降りる。俺の家は、二階建ての普通の一軒家だ。二階の部屋は三部屋あり、その内一番広い部屋を俺の部屋として使っている。
「あら、おはよう」
「うい」
母親の挨拶に、片手で答える。洗面所へ行き、眠気覚ましに水で顔を洗う。鏡を見ると、寝癖がひどいことを確認できた。後で整えておくことにしよう。
リビングに行くと、美味そうな朝食が用意されていた。ご飯に味噌汁、焼き魚にほうれん草のおひたし。普通の朝食だ。
「いただきます」
席につき、朝食を食べる。美味いとも不味いとも感じない。二十年以上食べている味なので、慣れている味というのが正しいか。
ゆっくりと、三十分以上の時間をかけて朝食を食べる。テレビをつけると、ローカルニュースがやっていた。
犯罪発生率増加。荒谷二丁目の『クラウディア荒谷』でも被害あり。自宅を持っている方は十分な警戒が必要。
俺にも関係してくるニュースだ。ここは一軒家、つまり自宅だ。俺のものではなく、父親名義の家ではあるが。
ニュースをボンヤリと眺めていると、いつの間にか九時近くになっていた。
「仕事に行ってくるから、家のことはよろしくね」
「うい」
母親は近くのスーパーマーケットでパートをしている。夕方までは帰ってこない。その間、俺は一人になるというわけだ。ちなみに兄も一人いるが、兄は既に家を出ている。今の時間は既に仕事を始めているだろう。そして俺は『H.D.F』に所属する自宅警備員、所謂ニートだ。そのため、基本的に自宅に引きこもっている。
母親がパートに出かけたことを確認後、洗面所で歯を磨き、もう一度顔を洗う。寝ぐせを整えた後、二階の自分の部屋へ移動する。
部屋に到着してすぐにパソコンを起動。二十万円近くかけた自作のゲーム用パソコンだ。ファンの音が気になる時はあるが、かなりお気に入りの一品である。
「メール来てる……」
俺と同じニートの相沢さんからメールが来ていた。相沢さんとは、二年ほど前にニートの集まりで出会って以来の仲だ。結構な頻度でメールや電話をするため、俺は相沢さんを友人だと思っている。
相沢さんからのメールは、今日の午後にある場所へ来てくれという依頼だった。かなり大掛かりなことをするらしく、結構な人数を集めているようだ。
少し悩んだ末、行くことに決めた。家のことについては、隣の家の田中さんに頼めば大丈夫だろう。何せ、彼もニートなのだから。
早速田中さんの携帯電話に電話をかける。特に何もなければ、直ぐに出てくれるはずだ。
案の定、彼はすぐに出てくれた。
『はい、もしもし』
「あ、田中さん。俺です、田辺です」
『おお、田辺君。どうしたんだい?』
「はい、実はですね……」
午後から相沢さんに呼ばれているため、出かけなければならないこと。その間、俺の自宅のことを頼みたいということを彼に伝えると、彼は快く引き受けてくれた。
さすが田中さんだ。俺よりも長い期間、ニートとして動いてるだけのことはある。
『後のことは任せたまえ。君は、午後から頑張ってくるといい』
「はい。じゃあ俺がいない間、よろしくお願いします」
電話を切る。とりあえず、これで一安心だ。俺がいない間も、田中さんがうまくやってくれる。
さて、午後からは忙しくなる。俺は万全を期すために準備を始めた。
午後一時。俺は、指定された集合場所の荒谷二丁目のスーパーマーケットに来ていた。
集合時間は午後一時。間に合ったとはいえ時間はギリギリ。俺が一番最後に到着したようだ。数える限り、俺以外に二十人ほどニートが集まっている。
ジャージにジーンズ、それにスーツ姿のニート達。各自、自由な姿で集合している。ちなみに俺は、ジャージにTシャツというシンプルな服装だ。動きやすい服装のほうが色々とやりやすい。
服装は様々でも、集まったニート達に共通しているものもある。それは、『H.D.F』というロゴが印字された大きな紙袋の存在だ。それもあり、ニート達はスーパーマーケットの買い物客の注目の的になっていた。
「田辺君が到着しましたね。皆さん、行きましょう」
俺の到着を確認した相沢さんの言葉に、集まったニート達がそれぞれ答える。
ニート達の表情は様々だ。楽しそうなニートもいれば、緊張しているニートもいる。ニートといえど人間だ。大捕り物を前にしては、緊張の一つもするだろう。
かく言う俺も緊張している。既に喉がカラカラだ。何度もやっていることとはいえ、慣れるものではない。
目的地へ向かう間に、相沢さんから説明された。
今回の目的地は十八階建てのマンション『クラウディア荒谷』だ。何故か数々の著名人が住んでいることでも知られており、その分警備も万全だ。
だが、今朝のニュースでは、『クラウディア荒谷』が被害にあったと言っていた。警備は何をしていたのか疑問に思う。
数分ほど歩くと、『クラウディア荒谷』が見えてきた。そこで一度止まり、準備をする。
全員、一斉に紙袋を開けた。
フルフェイスのヘルメットに防弾チョッキ。スタンロッドにテーザーガン。それと、各種手榴弾と拘束用の手錠。それぞれ慣れた様子で着用している。
全員が着用し終えたところで、相沢さんが今日の目標について話し始める。ブリーフィングだ。
「みなさん見えているとは思いますが、本日の奪還目標はあの『クラウディア荒谷』です。正確には、最上階ですがね」
そこで区切り、相沢さんはニート達を見回した。全員が集中して聞いているのを確認して、説明を続ける。
「現在、あの最上階は『W.V.U』の構成員が占拠しています」
『W.V.U』。世界を股にかけて暗躍する自宅不法占拠組織のことだ。組織の大きさや構成員の数は一切不明の、謎の組織である。『W.V.U』の目的は唯一つ。一般市民の自宅を不法に占拠し、自らの城にすることだ。
時には夜の闇に紛れて、時には力づくで正面から。様々な方法を用いて、『W.V.U』は自宅に侵入、住人を家から力づくで追い出し、その家を我が物とする。被害は世界中に広まっており、まさしく世界最大の犯罪組織といえる。
そんな『W.V.U』に対抗するのが、俺も所属している自宅防衛軍『H.D.F』だ。『H.D.F』に所属している人間は、自宅警備員もしくはニートと呼ばれている。一昔前は蔑称だった言い方だが、今では自宅を守る選ばれた戦士といった風に捉えられているのだから驚きだ。
相沢さんの説明は続く。
「『クラウディア荒谷』にも、我々ニートが配備されていたはずですが、残念ながらいたのは一階。『W.V.U』はヘリコプターで屋上から強襲。配備されていたニートの邪魔を受けることなく、瞬く間に最上階を占拠したそうです」
そこまで説明して、相沢さんはため息をついた。相沢さん以外のニートもざわざわと落ち着かない様子だ。
無理もない。『W.V.U』は、様々な手法で自宅を占拠するが、それは人間の力で実現できる範囲でだ。それが、ヘリコプターを使っての速攻強襲。今までにない大掛かりな占拠手法に、落ち着けというのは難しいだろう。
「私達『H.D.F』はそれを許してはなりません。何故なら、私達は誇り高き自宅警備員だからです。人々の快適な自宅生活を守ることが、我々『H.D.F』に所属するニートの使命なのですから」
ニート達が叫ぶ。その声に誇りを込めて。
そう、俺達は自宅警備員。自宅を守る誇り高き戦士たちだ。俺達が自宅を守らないで、一体誰が自宅を守るというのか。
「行きましょう! ニート達よ、出撃です!」
最上階まではスムーズに移動することが出来た。エレベーターを使用せずに階段を登ってきたため、全員少し息が荒い。部屋の鍵を開けるために管理人も連れてきたのだが、管理人は完全に息が上がっていた。
そっと通路を覗いても、誰もいない。最上階を占拠している『W.V.U』の構成員は、全員部屋の中に引きこもっているのだろう。
なお、最上階の住人は、マンションの別の部屋か国が用意する仮住居に住んでいるため、住む場所についての問題は起きていない。しかし、自宅に住んでいるわけではないため、住人は様々な面でストレスが積み重なっている。住人の気持ちを考えると、一刻も早く自宅を開放する必要があった。
「ここからは三人一組で行動しましょう。前衛、後衛は各自で判断してください」
相沢さんの指示。誰も異論は唱えない。人数的にも効率的にもちょうどいいと判断したからだ。
近くにいるニートで三人のチームを作る。そして、一チームが一室を担当する形で、制圧対象が割り振られる。
俺のチームメンバーになったのは、面識のない男二人だった。寺田と名乗った男はテーザーガンを持ち、もう一人の岡林は獰猛な笑みを浮かべながらスタンロッドを持っている。少し考えた後、俺もスタンロッドを持った。後衛二人は多すぎると思ったからだ。
互いに頷き合い、割り振られた部屋の前に移動する。
寺田がドアの前へ移動し、俺と岡林は突入の態勢を整える。管理人が鍵を開け、寺田がカウントする。
3、2、1。
寺田がドアを開くと同時に突入。体を低くして、頭から飛び込む。瞬間、すぐ上を足が過ぎる。少し前まで俺の頭があった位置だ。
もし、そのまま突っ立っていたら。ヒヤリとした。
タックル。軸足。蹴ってきた相手と一緒に倒れこむ。素早く相手に馬乗りになり、スタンロッドを相手の首筋へ叩きつける。同時に、相手の口を手で塞ぐことも忘れない。
下からくぐもった悲鳴が聞こえてくる。そのまま数秒、電撃を当て続けた。
痙攣する相手に両腕を後ろに回し、素早く手錠で拘束する。まずは一人。相手が何人いるかはわからないため、これから先も油断は禁物だ。
玄関を入ってすぐ、右側に部屋が一つ。左側にはトイレと洗面所。まずは、右側からだ。
背後の警戒を寺田に任せ、俺は部屋に突入する。部屋には四人の男。向い合って座り、カードゲームで遊んでいた。
隙。肉薄し、瞬時に二人の男をスタンロッドで無力化する。一呼吸遅れて、残りの二人を岡林が蹴り飛ばした。吹き飛んだところを、俺がスタンロッドを押し付けて無力化する。
「なんの音だ!」
「敵だ!」
けたたましい足音。玄関正面の奥にあるリビングからだ。寺田がリビングに向けてテーザーガンで牽制している。時折部屋に身を隠すのは、相手との撃ち合いになっているからだろう。それを見て、岡林が援護に向かう。俺はどうするかと一瞬思案し、それのピンを外した。
スタングレネード。強烈な光と爆音で敵を無力化する手榴弾である。
部屋の影から腕だけ出して、玄関から正面奥にあるリビングのほうへと投げる。寺田と岡林が部屋に退避してから数秒後、強烈な光が廊下を照らした。
何かが倒れる音。叫び声も聞こえる。寺田に四人の男の拘束を頼み、俺と岡林はリビングへと向かう。
リビングでは、二人の男が倒れていた。二人とも頭を抑えてもがいている。また、近くにはゴム弾が装填されたハンドガンが二丁落ちていた。
素早く倒れている二人の男を拘束する。これでリビングも制圧できただろう。
リビングに一つだけある窓は閉じており、カーテンが半分ほど開いている。鍵がかかっている様子はない。窓の先はベランダのようだ。リビングの中から確認できる限りでは、誰もいない。
リビングからはさらに二つの部屋につながっていた。警戒しながら確認するが、誰もいない。どちらの部屋にもベッドがあるため、寝室として使われていたことが伺えた。
リビングに戻ると、寺田が待っていた。トイレと洗面所、そしてバスルームを確認したが、誰もいなかったとの報告。
安堵の溜息。制圧完了だ。張り詰めていた空気が解ける。まだ制圧する部屋は残っているが、今くらいは許されるだろう。
次の部屋へ移動する必要がある。俺を先頭に、寺田と岡林もリビングに背を向けた。
俺はリビングから出た。玄関まではすぐだ。相沢さんに報告して、次の部屋へ向かおう。
俺の意識は、既に次の制圧対象のことでいっぱいだった。
だからだろう。隙。あるいは油断。いずれにせよ、終わったと思っていたことが間違いだった。そして、それは寺田と岡林も同じだったに違いない。
悲鳴と打撃音。そして、ぶつかった音。二人分だ。
咄嗟に振り返る。倒れている寺田と岡林。そして、先程まではいなかった、筋骨隆々とした背の高い男。筋肉の鎧を身にまとった、山のような大男だ。
寺田と岡林はこの男にやられたのだろう。しかし、こんな男が何処に隠れていたのか。
リビングを観察すると、先程まで閉じていた窓が開いているのがわかった。その先はベランダに続いている。
そういえば、窓の鍵はかかっていなかった。カーテンも半分ほど閉じていたはずだ。
舌打ちを一つ。こいつは、ベランダに隠れていたのだ。そして、俺達が引き上げるタイミングを見計らい、奇襲を仕掛けてきた。
男がニヤリと笑う。まるで、正解だと褒めているようだ。
「クソが……」
岡林が呻く。意識はあるようだ。横目で見ると、左手で右肘を押さえているのが確認できた。押さえている部分は、逆方向に腕が曲がっている。折れているようだ。
寺田は何も喋らない。呼吸はしているようだが、それだけだ。気を失っているのだろうか。見たところ、目立った外傷はない。
この男一人に、三人中二人がやられた。残っているのは俺一人。
ドッと汗が吹き出す。状況は非常にまずい。俺に対処できるレベルを超えている。出来れば応援を呼びたいが、それをこの男が許すとは思えない。
俺がやられるのもまずい。この男を逃してしまうことになる。おそらく、この男は正面からでもニート数人くらいならば倒してしまうに違いない。つまり、マンションの通路にニートが数人いても、真正面から逃げることが出来るというわけだ。
正直に言えば、勝てるとは思わない。いや、勝つことはほぼ出来ないだろう。だが、耐えることならば出来る。出来るだけ耐えて、他のニート達が気づいてくれるのを待てば……。
運任せなところが大きい。しかし、今はこれしかない。応援が来るまでは、諦めるわけにはいかないのだ。
覚悟を決める。腕は出来るだけ高く、身は屈めるように。ボクシングのピーカブースタイルのように、防御を固める。
右手にはスタンロッド。牽制にもならないかもしれないが、ないよりはマシだ。テーザーガンは使えない。男との距離が近いため、テーザーガンを構えるより先にやられてしまう。
男も構える。両腕を上げ、足は前後左右どの方向にも動けるように。気が付かなかったが、男の拳はナックルガードで守られていた。同様に肘、前腕部、膝、脛も守られている。全てに鉄板でも仕込んでいるのだろう。俺も防弾チョッキを身に着けているが、果たしてどれほど効果を発揮してくれるか不安だ。
ジャブが飛んでくる。ギリギリで反応できる速度。何とか弾く。
ひどく軽い拳だった。まるで遊んでいるような。舐められている。明らかなそれに激昂しそうになるが、我慢する。
耐える必要がある。男が俺を舐めているならば、その分耐えられる時間も伸びる。
マシンガンのように飛んでくるジャブ。片手では間に合わず、両手で何とか弾いていく。スタンロッドを向ける暇はない。
男の右拳。顔面に迫る。力の入ったストレートだ。
避ける。皮一枚。男の拳と、俺のヘルメットが交錯する。
隙。それに見えた。見えてしまった。
スタンロッドを叩きこむ。欲が出たと気づいたのは、男に俺の右手を殴られてからだ。
右手首から激痛が走る。スタンロッドを手放さなかったのは、ただの意地だ。握力はほぼないに等しい。
俺の迂闊さを呪いたくなる。見え見えの誘いに乗ってしまった世界一の大馬鹿者め。地獄に落ちるまで自分を罵り抜きたい気分だ。
再度迫る右拳。狙いは胸部。避けられない。左腕で防御する。
衝撃。俺は廊下を数メートルほど吹き飛んで、無様にゴロゴロと転がった。
息が詰まる。少しでも酸素を取り入れようと、意思とは無関係に呼吸が荒くなる。まるで発情した犬のようだ。
防弾チョッキを着ていてもこの有様だ。もしも着ていなかったら、肋骨が折れていたかもしれない。
男が近づいてくる。睨んだのは、それしか出来なかったからだ。
鼻で笑う男。男は俺の首筋を掴むと、リビングの方へと放り投げた。リビングにあるテーブルにぶち当たり、けたたましい音が響く。当たった時の衝撃で、俺はスタンロッドを手放してしまった。
ゆっくりと歩いてくる男。スタンロッドを拾う暇はない。意地。それだけで俺は立ち上がる。しかし、立ち上がっただけで、そこから行動は出来なかった。
ボディ。男の右拳が突き刺さる。俺の体がくの字に曲がった所で、男が俺の首を捕らえる。
右、左、右。交互に打ち込まれる膝。そして、最後は顎へ。体を支える力もなく、俺は呆気無く大の字に倒れることになった。
負けた。その事実が、重くのしかかる。時間稼ぎすら出来ない無能っぷりを見せつけられた。
男は逃げるだろう。それだけの時間は残されているはずだ。他のチームが通路にいるとしても、果たして何チームいるだろうか。一チーム? ニチーム? いや、あるいはいないかもしれない。
何れにせよ、男は正面から堂々と逃げていく。俺の無様を嘲笑いながら、悠々と逃げていく。
「チクショウ……」
心が漏れる。悔しさ、情けなさ、みっともなさ。そういった気持ちが、言葉となって口から漏れていく。
漏れていって、消えていく。そして、最後の気持ちが心に残る。
諦め。
もう駄目だと。もう無理だと。そんな気持ちだけが、俺の心を支配する。そして生まれるのは、言い訳。
相手が強かった。仕方がない。俺は精一杯やった。もういいじゃないか。
言い訳の濁流に流される。諦めすらも流されて、今度は妥協だけが心に残る。もう、俺には男に立ち向かう気持ちは残っていなかった。
「待て……筋肉ダルマ……」
その声に、男は立ち止まった。
戦っていたのは俺一人だが、ここにいるのは俺だけではない。諦めていない人間が一人、ここにいた。
岡林だ。
右腕が折れているにも関わらず、岡林は立ち上がる。五体満足の状態でも倒せるような相手ではない。それにも関わらず、岡林は立った。
痛むはずだ。
苦しいはずだ。
逃げたいはずだ。
それほどまでに強大な相手だ。この男は、それほどまでに巨大な相手だ。
しかし、岡林は諦めない。痛んでも、苦しんでも、逃げ出したくなっても、諦めることはしない。
寺田。いつの間にか、彼も意識を取り戻していた。狸寝入りで男の目を欺きながら、今か今かと機会を待っている。そう、寺田も、諦めていなかった。
ハンマーで殴られたようだった。俺は一体、何をしている。少しボロボロにされただけで諦めるような気持ちで、ニートを行っていたのか。
認められない。それだけは認められない。
ボロボロの体を動かして、俺はスタンロッドを手を伸ばす。諦めないために。もう一度、この強大な男に挑むために。
俺はスタンロッドを掴んだ。そして、岡林が獰猛に笑う。それでこそニート。それでこそ自宅警備員。そう、称えるように笑う。
体の節々が痛むが、構うものか。今立ち上がらなければ、俺は一生諦めたままだ。
立ち上がる。しかし、支える力はない。壁に背を預けなければ、俺は立っていられなかった。
「筋肉ダルマ、もうちょっと遊んでくれよ。俺はまだまだ元気だぜ?」
岡林は動く左手で手招きをする。簡単な挑発だが、男には効果抜群だった。
激昂する。男の怒りが爆発する。
岡林が笑う。男を笑っているようで、実は違う。視線は、俺と寺田へ。後は頼んだ。つまり、そういうことだ。
右足。岡林の顎を的確に捉えた。反応すら出来ず、ヘルメットがあっても無意味な威力。岡林の顎は、確実に砕かれていた。
しかし、岡林は笑う。砕かれた顎で、獰猛に笑う。単純な罠にかかりやがって、この筋肉ダルマが。
蹴り抜いたその姿。それは、絶対的な隙だ。岡林が作り出した最後のチャンス。寺田がそれを逃すわけがない。
テーザーガン。発射された電撃が、男の頭部で炸裂する。
痙攣する男。絶好の機会。俺が動くのは、ここしかない。
最後の体力を振り絞り、俺は男に肉薄する。
スタンロッド。男の首に叩きつける。そこで、俺は体力を使い果たした。
男と縺れるように倒れこむ。もう、指一本動かせそうになかった。
寺田が男に近づく。そして、男を後ろ手に取り押さえると、男の両腕に手錠をはめた。
俺が見たのは、そこまでだった。
意識を保つのも限界だ。俺の意識は、暗闇の底に沈んでいった。
寺田の叫び声が、やけに耳に響いた。
俺が気がついたのは、全てが終わった後だった。
俺が寝ていた場所は、『クラウディア荒谷』の正面玄関前。そこには、俺以外のニートが全員集まっていた。どうやら俺が起きるのを待っていたらしく、起きてから数分後にデブリーフィングが始まった。
結果として、重傷者は俺と岡林の二人。それ以外の負傷者は全て軽傷らしい。最上階は無事に制圧完了したらしく、作戦は成功したとのことだ。
デブリーフィング終了後、俺と岡林はそのまま病院へ直行。精密検査を受けて、入院することになった。寺田はあの後、別のチームと組んで作戦を続行したらしい。
入院中、病院のベッドの上で俺は思った。
一時は諦めかけたが、岡林と寺田の奴に助けられた。そして、教えられた。
あの時の無様な気持ちは二度と忘れない。もう二度と、諦めるなんてことはしない。
何故なら、俺は誇り高きニートなのだから。
ニート。それは、自宅の守る最後の砦。
ニート。それは、正義の執行者。
自宅防衛軍『H.D.F』の名のもとに、今日もニートは犯罪組織『W.V.U』と戦い続けるのだ。




