迷車両で行こう32
「みなさん、こんにちは。今でも一色の車両塗装を貫き続けている鉄道会社の8000系です。えっ。8000系なんてどこにでもいるじゃないかって。でも、さっき言った通りのことを考えてみれば、ここにしかいないよ。私は阪急電鉄の8000系です。今日のお話はそんな阪急にまつわるお話・・・ではなく、鉄道会社としての礎を気付いた人のお話です。」
うP主:はい、ではお話に入る前に、もう頭に白い光線が走った人もいるんじゃないでしょうか。恐らく、そう思っている方の考えは当たっています。さらに、阪急となったらこの人しかいないでしょう。小林一三。今日は彼が関西の大手私鉄を育てたお話。
「では、まずは阪急電鉄の歴史についてざっくり語りましょう。阪急電鉄は明治40年に梅田と宝塚を結ぶ、現在の宝塚線の開業から始まります。このときは宝塚からさらに山の中に分け入り、有馬温泉にいたる計画だったため、社名は阪急電鉄ではなく、箕面有馬電気軌道でした。その後、梅田から三宮方面に線路を延ばし、神戸線を開業させたとき、社名を阪神急行電鉄と改めました。」
うP主:このときになってくると略称阪急という感じが出てこなくもないですね。
「その後戦後の混乱期で会社の統廃合があり、社名を一度京阪神急行電鉄としましたが、戦後すぐに統合した京阪電鉄と分離。このとき京阪電鉄が戦前から建設し、開業させていた、現在の京都線をかっさらって、現在の阪急電鉄の形となりました。現在現有路線延長は143キロと結構な距離を保有しています。」
うP主:さて、ここからが本題。阪急電鉄の前進。箕面有馬電気軌道も株を買ってくれた人からたくさんのお金をもらいました。このときのもらったお金の金額が結構「迷」です。鉄道路線だけで150キロに迫る距離を保有する大手私鉄会社。これだけの鉄道を運営するのにいったいどれぐらいのお金が必要だと思いますか。
「1億円。あれば十分です。」
うP主:えっ・・・。
「だーかーらー、1億円って言ってるじゃない。」
うP主:それだけでいいんですか。
「いいわけないじゃない。」
うP主:ダメじゃないですか。ていうか、何で1億円なんですか。足らないんですよね。じゃあ、なんでそれだけでこんなに大きな鉄道会社を運営できるんですか。
「ここで、箕面有馬電気軌道を設立した小林は考えた。なぜなら、このときの宝塚には何もなかったのである。この何もない宝塚に何かしたい。そこで思い付いたのが、宝塚歌劇団である。皆さんはなぜ宝塚歌劇団なのかと思っただろう。それは、今までのセリフの中に答えがある。そう。何もないなら作ってしまえ。というわけで、小林は宝塚への集客を図り、そこに目玉となる宝塚歌劇団を設立。そこに向かっていくお客様を全部もぎ取ってしまおうと考えたのだ。こうすれば、会社は安泰。黒字で少ない資本金でもどうにかやっていける。でも、これだけでは不安だった。だから、何もないなら作ってしまえの考えの下、沿線の宅地化を推し進めていったのだ。人がいっぱい集まれば、それだけ不動産も儲かる。でも、まだ心配だ。何のことはない。何もないなら作ってしまえの考えのもとこの近くに店を展開して、ここの住民の人に買い物を阪急が独占しよう。この考えのおかげで、阪急は少ない資本金で一気に大手私鉄の地位を確立いったのである。」
うP主:これは神戸線の開業でも言えてね。沿線の宅地化など、いろいろなものを推し進めて、沿線住民を阪急で梅田に運ぶという考えは見事に的中。これはこの後に設立される鉄道会社のトップの人々に多大な影響を与えたのであった。阪急電鉄は今でも、スーパーを関西圏で展開し、時代に合わせて、自動車学校にも参入したりと、いろいろしている傍ら、鉄道を運営している。この運営方式は今の多くの鉄道会社にも反映されている。つまり、鉄道会社の多角経営は全て、阪急が始まりであるのだ。そのことをお忘れなく。
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