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ある男の夏休み



雲の上、もっとも天の国に近いところに、浮遊する街が存在した。

街の一番高いところには、美しく大きなお城。そこから続く坂道を下っていけば、噴水のある大きな広場がある。広場の周りにはたくさんの家屋が並び、歩道にはレンガが敷き詰められている。


ここには俺と、その妻であるアイネしか居ない。他の人間や動物、それどころか植物さえ存在しなかった。

なぜ俺たちはこんなところに居るのだろう。朧げな記憶を辿るも、それらしきものは見当たらなかった。




『あなた。 今日の食事を取ってきましたよ』


愛する妻であるアイネが、白くてふわふわしたものをポーチから取り出す。

それはこの街から見渡す限りどこにでもある雲の切れ端だ。それを妻が毎日、決まった時間にとってきてくれる。


この雲たち、些か面倒なところがある。なにせ、俺が掴もうとしても一向に掴めないくせに、妻だけが簡単に掴むことができるのだ。


しかも、妻の手に乗っている雲は、それだけで様々な味に変化する。

昨日はコーンスープの味だった。一昨日はサバ味噌。その前は……なんだったっけ?



アイネから手渡された雲を小さくちぎって口に運ぶ。



“ふむ、今日はステーキの味か……。”


『ステーキは、お嫌いでしたか?』


“いや、そんなことはないよ。”



不安げな様子で問いかけるアイネに、小さく微笑んで手を振る。


街の中心にある、妻と二人ではいささか大きすぎる屋敷の食堂で、向かい合って雲を食べる。



この街で生きている者は俺と妻の二人だけ。それはとても幻想的で、とてもロマンチックだと思う。

時々寂しいような気もするけれど、妻の笑顔を見るだけで俺は十分幸せな気持ちにさせられる。



ガーン、ガーン、と響くような鐘の音が、たった二人だけが住む街に正午十二時になったことを告げる。




“今日は何をしようか”


『あなたがしたいことをしましょう』


“どこか行きたい場所はないかい”


『あなたが行きたい場所に行きましょう』


“じゃあ、今日は岬で雲を眺めようか”


『あなたは本当に雲を眺めるのが好きですね』


“退屈かい”


『いいえ、あなたとの時間はどんなことをしていても幸せです』




俺たちは手を繋いで屋敷を出る。


本来、これほどの大きさの街ならば聞こえてくるはずの人々の賑わいも、小鳥の囀りも、木々に生い茂る葉の掠れる音も何もない。

二人の足音が、天の国に届くほどはっきりと、それでいてどこか切なげに聞こえるのは気のせいだろうか。


いや、きっと気のせいじゃない。これは、俺たちの幸せを告げる福音なんだ。






岬に着くと、地面に腰を下ろして悠々と流れる雲を見つめる。この雲はいったいどこから来たのだろう。どこに行くのだろう。


いつか妻と二人で、この雲に乗って、この街ではないどこか遠いところへ旅をするのも面白そうだ。

けれど、そのためには二人とも羽を持たなくちゃいけない。雲は手にとって食べることができるけど、上に乗ることはできないからだ。




『地上って、どんなところなんでしょうね』


“ここより何倍も賑やかなところさ”


『地上に行ったことがあるんですか?』


“んー……どうだったかな。行ったことがあるような気もするし、ないような気もする”


『じゃあ二人で行ってみましょうか』


“でも、俺たちには羽がないよ”


『天の国がすぐそばにあるんですから、天使さまにお願いすれば貸してくれると思いますよ』



そうか、その手があったか。どうして気づかなかったんだろう。


天使さまならば、きっと羽を貸してくれるに違いない。



“どうやって天使さまにお願いしよう”


『お手紙を書くというのはどうでしょう』


“いい案だね”



いつもより、早い時間で雲の鑑賞会を終わらせると、さっそく屋敷に戻って手紙を認めることにした。



屋敷中をひっくり返して、どうにか羽ペンと白紙を探し当てる。



“どんな内容にしよう”


『率直に、羽を貸して頂けませんか、でいいのでは』



妻から言われたとおりに、羽ペンを走らせる。途中、いくつかの文字を忘れてしまっていたせいで頭を悩ませることになったのだが、妻の助けを借りてどうにか手紙を書くことができた。


そういえば、と不意に抱いた疑問を妻に漏らす。



“天使さまって、字を読めるのかな”


『読めますよ、天使さまですから』


“そっか。そうだよな”




書いた手紙を飛行機の形に折り曲げると、再び先ほどの岬へとやって来る。


風の流れを感じつつ、天使さま宛の文が書かれた飛行機を、空高く飛ばした。



夫婦の願いを乗せた飛行機は天の国に向けて舞い上がっていく。ゆっくりと。ゆっくりと。



いつ届くのだろう。明日か、明後日か、一週間後か、一ヶ月後か、一年後か。もしかしたら気の遠くなるほど長い時間がかかるかもしれない。




けれど、飛行機はきっと届く。それを妻と共に楽しみに待つ日は、俺にとって新たな幸せを感じさせるものだった。




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