ある少年の夏休み
エンハイト王国────古くから続く歴史を持ち、国としての豊かさも大陸の他の国々に比べても群を抜いて裕福な国だった。
山脈の麓にある小さな村で、伝統ある勇者の一族の末裔として僕は生まれた。
父は寡黙であったが村の誰よりも狩りが上手かった。母は小さな村の住民とは思えないほど容姿が美しく、また優しい人だった。
そんな両親からの愛を一身に受け、僕は重い病気になど一度もかかったことがないまま十五歳の誕生日を迎えた。
家族や村のみんなから祝福され、更に幼馴染だった女の子からも告白された。けれど僕は幼馴染の女の子の告白を断った。
僕がまだ小さいころ、両親に一度だけ王都に連れて行ってもらったことがある。その時に運悪く両親とはぐれてしまい途方に暮れていたところ、ちょうどお忍びとして王都に顔を出していたアイネ姫と運命の出会いを果たしたのだ。
僕とアイネ姫は前世からの約束があったのだ。二人が戦で離れ離れになってしまったので、来世こそはずっと一緒に居ようと。
僕はすぐにでもアイネ姫と結婚したかったが、その時はまだ二人共、今世での齢が十に満たなかったことや、王が勝手に決めたアイネ姫の許嫁という存在があった。
この許嫁というやつがそれはもうひどいやつで、甘やかされて育ったせいで性格は最悪。おまけにぶくぶくと豚のように太っていた。
姫と結婚するにはそれ相応の立場というものが要るらしく、勇者の末裔とは言え現時点でただの村人である僕にはアイネ姫は手の届かぬ存在であった。
そこで僕が考えたのは、十五歳というこの国で成人を意味する齢となった際に、名実ともに真の勇者となって、北の大地に巣食う魔王を討伐するといったものだ。
これならば王も僕とアイネ姫との結婚を認めざるを得ない。王としても、許嫁とは言え性格も外見も汚い豚よりも、僕のように容姿端麗で思慮深い男に姫を任せたほうがいいと考えていることだろう。
こういった経緯があったために、本当にもったいなく思うのだが、幼馴染の女の子の告白を断るに至ったという訳である。
まぁ、幼馴染の女の子は村娘にしては可愛い部類に入る顔立ちをしているし、勇者として認められた暁には側室に迎えてもいいと考えているのだが。
僕が十五歳の誕生日を迎えた翌日、早速馬に乗って王都へと向かった。自分で言うのもなんだが、僕は剣の腕と馬術においては超一流である。僕を乗せた馬は風より早く駆け、半日足らずで王都へと到着した。
王都へ到着すると、僕を迎えるためのパレードが行われていた。王都に住む民が一同に集結しており、拍手と歓声があちこちから聞こえてくる。きっと王の為のパレードよりも盛り上がっているに違いない。
けれど今はパレードのことよりも、数年ぶりに会うアイネ姫のことで頭の中がいっぱいであった。観衆へ適当に手を振りながら、僕は駆け足で姫が待つ王城へと登城した。
『よく来た、勇者よ。 お前に王家に伝わる伝説の剣を授けよう』
王座に座る王が、ゆっくりと立ち上がって僕の元へと歩を進める。
そして黄金に輝く剣が、僕の手の中へと収められた。剣を持った手から溢れんばかりの力が伝わってくる。
『勇者よ、ああ勇者よ。 私も何か力になれることはないでしょうか』
アイネ姫が瞳の端に涙を浮かべながら、僕の身を案じている。
アイネ姫の気持ちに感動して、僕も涙を浮かべる。
『アイネよ、お前の魔法の才は王家でも類を見ないものだ。 その力、勇者と共に魔王討伐のために役立てなさい』
王がアイネ姫の肩に手を置きながら、そんなことを言った。
僕は密かに驚いていた。王国の姫を、魔王討伐という危険な旅に付き合わせるとは。
『はい、父上。 必ずや勇者と共に魔王を倒してご覧にいれましょう。
その暁には、私と勇者の結婚を────』
『もちろん認めるとも』
王は力強く頷き、再度視線を僕に戻した。
『勇者よ。 姫を無事に王都へと連れて帰るのだぞ』
“御意にございます”
深く頭を下げながら、賜った伝説の剣を頭上へと掲げた。勇者としての誓いの印である。
そして僕たちは、早速魔王の城がある北の大地へと向かった。
途中、恐ろしいスピードで駆ける猪型のモンスターと遭遇したが、伝説の剣の一太刀を浴びて甲高い奇声を上げて逃げていった。
その僕の勇姿に、早くも姫はメロメロといった様子だった。今すぐ抱きしめたい気持ちが湧いたが、それは魔王を倒したあとで堂々と民の前で行おう。
長く辛い旅が続いたが、なんとか僕たちは魔王の城へと到着した。城に入る前から、禍々しい気がそこら中から溢れている。
城に入ると、まず長い長い階段が存在した。古くからある建物なのだろうか、朽ちて底が抜けそうな階段を姫を気遣いながら進んでいく。
廊下を上がった先には、先が霞んで見えないほどの長さの廊下が続いていた。廊下の脇には、規則的に個室のようなものがあった。
中を覗くと、なんとも醜悪なゴブリンやオークといったモンスターの群れがいた。モンスターの群れはこちらに気づくと、何やら訳のわからない言語で話しながら僕たちを指差している。
するとその中の一匹が、僕たちへと近づいてきた。背の低いゴブリンだ。緑色の苔の生えたような肌を持ち、醜く歪んだ猿のような顔をしている。
僕はすぐさま伝説の剣を抜き、近づいてきたゴブリンを一刀両断した。青色の体液を撒き散らしつつ、でろん、と傷口から内臓がこぼれ落ちた。
モンスターの群れが次第に慌ただしくなった。悲鳴のような奇声を上げ、弱いゴブリンは逃げ出すか腰を抜かすかし、オークの何匹かがこちらに飛びかかってくる。
飛びかかってきたオークたちの首を返す刃で飛ばし、一撃で絶命させる。気がついたときには先ほどまでいたモンスターの群れは一匹残らず逃げ出していた。
廊下へ戻り、一つずつ次の個室を覗いていく。そこには先ほどと同じくゴブリンやオークの群れがいた。何匹か殺すと、すぐにモンスターの群れは姿を消す。こんなに弱いやつらばかりで、魔王城とは大丈夫なのだろうか。
敵に対して変な同情を抱きつつも、廊下を進んでいく。
廊下の突き当たりには禍々しく、それでいて豪華で大きな扉が存在した。きっとここが魔王の部屋だ。
扉を開け放つと、魔王らしき者がこちらを見て、怒りの咆哮を上げた。
それだけで身が竦んでしまいそうになるが、隣にいたアイネ姫がそっと僕の手を握ってくれた。
ああ、アイネ姫が僕を勇気づけてくれている────そう思うと、先程までの恐怖が嘘のように吹き飛んだ。
伝説の剣を袈裟懸けに振り下ろすと、それだけであっさりと魔王は地に伏した。真っ赤な血が床を汚し、僕の靴にまで広がってくる。
ああ、ようやく僕たちの旅は終わった。これでアイネ姫と、幸せな日々を送ることが出来る。
“一緒に帰ろう”、そうアイネ姫に笑いかけると、アイネ姫も笑顔で頷いたのだった。