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和那ノ国物語  作者: 今日子
第一部
6/10

第五章

「《南》の、そこまでにしておきなよ」

「《北》の……」

「分かっているだろう?彼は決して私達と無関係な人間ではない。君は認められないかもしれないが。えぇ……と」

「咲矢です」

 少女は瞬きを繰り返した。

「朔の夜?」

「いいえ、咲くに矢です。でも俺に名前を付けてくれた祖母は本当は朔夜と名付けたかったんでしょう。俺が生まれたのは朔の夜でしたから」

「月の初めの日だね。ちょっと失礼」

 3人の少女の中で最も穏やかだと思っていた人は、最も合理的で行動的な人だったらしい。不思議と香来という青年とよく似た無造作な所作で咲矢の前髪を掻き上げると、下から彼の顔をじっと見つめた。

「えぇと……?」

「やっぱりそうか。全く雰囲気が違うから分かりにくいけれど、私達のよく知る人物と顔の造作が似ている。お祖母様の名前は?」

かおる、と」

郁子(あやこ)のことだね」

咲矢が答えるのと同時に断じた彼女に驚きを隠せない。祖母を知っているのか……?と疑問が浮かぶ。

「その顔、おまけに夜を持つ名前。かの一族は夢占(ゆめうら)で未来を視るのを得意としていたけれど、君は《記憶》を《伝える者》の血の影響か、過去視の能力が眠っているみたいだね」

「《伝える者》の血を封じるのは可能ですか?彼はまだ完全には目覚めていません」

「《東》の、分かっているだろう?同胞の君に出会った事で目覚めをより近い未来にしてしまったけれど、郁子の血を引きながら陽穂(はるひな)に生まれるという類まれな運命を背負っている彼だ、遅かれ早かれいつかは目覚めていただろう。本人が望もうと望ままいと、普通の人間として生きるのは不可能だ」

 《北》の、と呼ばれた少女は淡々と諭した。

 咲矢と同じ瞳を持っている少女はその言葉に表情を曇らせる。そして彼を振り返った2人には深い憐憫の色があった。

「落ち着いて聞いて下さい。今はまだ普通の人間に紛れて暮らす事も可能でしょう。しかし《伝える者》の血が本当の意味で目覚めた時、貴方は今持っている全てを捨てなくてはならなくなる。何故なら《伝える者》は時を止められた私達ほどではありませんが、総じて長寿な一族だからです。特に《記憶》を《伝える者》はその性質状、一族の中でも最も長寿です。陽穂の血を引く貴方がどれだけの時間を生きる事になるかは分かりませんが、普通の人間よりは遥かに長い時間を生きる事になるでしょう。実際私は《楔》となるまでに、すでに長い時を生きていましたから」

 少女の言葉に咲矢は愕然とした。薄々家族とはどこか違うと違和感を抱いてきたが、まさか生きる時間の流れさえ異なってしまうとは。

「ですが、まだ猶予はあります。実際に覚醒してしまったら徒人としては生きれません。それまでに貴方は何をしたいのか、何をすべきなのか考え、自分の進むべき道を見つけるのです」

 咲矢は少女の目にある歓喜と悲しみの正体に気付いてしまった。

 陽穂は異端者には厳しい地だ。少しでも月宵(つくよ)に縁があると思われるものは徹底的に排除される。その地に留まるのは月宵に生まれた少女よりもある意味厳しい運命を背負うという事なのだろう。かと言って月宵ノ民として生きるには陽穂の血が濃すぎる。

 咲矢は幾分か強ばった表情ながら、微笑んでみせた。

「大丈夫、です。先程も言いましたが、したい事、すべき事はもう分かっています」

 完全に徒人から乖離してしまう前にすべきなのは、決めた事をなすために何をすべきなのか考える事。それ以上でも以下でもない。

「……疲れたなら、ここに来てもいいのですよ?」

「いいえ。俺が陽穂に生まれた、その事に意味があると思うから。普通の人間よりも長寿だと言うのなら、全てを見届けるためにこの生命を使いたいと思います。月宵は自らは動けない、そうでしょう?結末を見届けるのならば陽穂でなくてはならない。それに……」

 貴女の代わりに、と咲矢は呟く。

 自分の同胞の少女、彼女を注視していると見えてくるものがある。華奢な肢体にまとわりつく鎖に、それを大地に繋ぎ止める楔。

 少女は咲矢が見ている物に気付き、僅かな苦笑を返す。

「気付いてしまいましたか。私は他の3人とは違い、月宵に縛られています。私自身がこの地を《異層》において安定させる人柱だからです」

 自身と同様に知識を貪欲に求める性を持ちながらこの地を動けない同胞のためにも全てを記憶にとどめよう、と思う。

「偉そうな口を聞いているが、その期待が裏切られなければいいがな。いくら長寿と言えど私達の様に時を止めた訳でもなし、終わりを見届ける前にお前の命が尽きるやもしれぬ。また、その前に陽穂が滅びるかもしれない。私はあの民に期待する事をとっくの昔に諦めた」

「大丈夫です。望もうと望ままいとじきに全てが動き出す、そんな気がするのです」

 鋭く相手を抉る言葉、しかし彼女の中にある絶望と悲哀にすでに咲矢は気付いてしまった。

 少女は咲矢に鋭い視線を送ると――しかし先程までの様に相手を射殺そうとする程の殺気はない――姿を消した。

「すみません。《南》のも分かってはいるのですが……」

「構いません。それよりも彼女は姫神によく似ていますね」

 咲矢は水晶の中で眠る女性を見つめながら言う。

「それが彼女が陽穂に憎悪を向けずにはいられない理由です。彼女は貴方と同じなのですよ。だから最終的には貴方には強く出られない」

「……俺と同じ?」

「えぇ。彼女はこの方と陽穂の皇子との間に生まれた子供です」

 咲矢は予想外の言葉に声を失った。この目の前で眠り続ける姫神とそれより僅かに年少に見える少女が母娘だと言うのか。

「月宵の統治者――沙樹ノ君と呼ばれていた方々ですが――母から娘にその血と力を継いできました。しかし彼の方々が子を産むのは常に死を覚悟しなくてはならなかったのです。何故なら神の力は人の身体には甚大で、特に妊娠中は自身の力に加えて腹の中の子供の力も背負わなくてはならないからです。加えてこの方より二十代ほど前の姫神の御代から大樹の崩壊が加速し、大地を支える負担をその一身に背負わなくてはならなかったため、代を重ねる度に彼の方々の寿命は短くなっていました。実際に初代の姫神に匹敵すると言わしめたこの方の母君、先代の沙樹ノ君はこの方をお産みになられてすぐに身罷られました」

「《南》のはね、自分の存在に罪悪感があるんだ。君にだから言うけれどね、大樹の崩壊寸前の時期は本当に酷くてね。神々の加護が地上から段々と失われいくから大地は痩せ、陽穂はより多くの土地を求める。彼らは太陽神の民だから私達よりも遥かに好戦的だ、和那ノ国を統一しようとする陽穂と自国を守ろうとする月宵の間に多くの血が流れた。その血で大地は汚れ、大樹は疲弊するという悪循環だ。あの時も月宵を《異層》に移して陽穂を放っておけば良いという人間は多くいたし、中には陽穂ノ民を全て屠って和那ノ国を一から作り直そうと言う者までいた。極端な意見だが、針がどちらかに傾くのを怖れるくらいなら、いっそのこと限界まで針を傾けて安定を保とうというのは合理的だと思う」

「ですがあの方は未来に希望を託す事を願っていました。確かに大樹はあの時失われた――しかしどういう手段を用いたのかは分かりませんが、大樹は再び大地に根をはったのです。しかしそれが原因でこの方は今まで眠りにつかれている」

「《南》のは恐れているんだ。陽穂の血を半分持つ自分が次代の姫神になる資格がなかったから母親は全てを背負わなくてはならなかったのか、と。自分を産んで力が半減した状態で術を行使したから未だ目覚めないのか、ってね。だから余計に自分の体に流れる半分の血を憎む」

 本来生命の誕生は神聖なものだ。しかし自分が生まれた事を責め続ける苦しみは如何程のものか、と思う。

「《南》の自身が信じていないから、私達がいくら言葉を重ねた所で伝わらない。確かに《南》の父親はこの事態を引き起こした陽穂の皇族の人間だったけれど、二人は愛し合って、そして彼女は望まれて生まれてきたんだって、その心には届かないんだ」

 紐解かれた真実は残酷で切なくて、だけれども美しい。

 闇雲に足掻いた結果生まれた未来は絶望ばかりではないと、咲矢は信じている。


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