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和那ノ国物語  作者: 今日子
第二部
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第二章

 闇がぞろりと蠢いた。

 しかしその闇は常人の目には欠片も映らない。ソレを目に出来るのは……。

「あぁ、面倒くさいなぁ……」

 ぼやいた青年、いやまだ少年だろうか、無造作に振った右手の手首にあるのは朱玉の連なった組紐だった。

 暗闇の中でその朱玉だけが光を放つ。何処にも光源など存在しないにも関わらず、だ。まるでその玉自体が光を放っているかの様に怪しく光る。

「どうでもいい手順は抜きにしてさ、早く終わらせない?」

「駄目よ。例え貴方の言う通りどうでもいい作業でも、形式美というのは存在するのですからね」

「形式美って言ってもさぁ、僕達以外誰も見ていないんだから、無視しちゃえばいいでしょう?」

「そう言ってたら、いざという時に忘れちゃうんだから。日ごろからやっていない事は襤褸が出るわ」

 凛とした女性の声。しかし同時にどこか柔らかな響きを持つその声は、持ち主の人柄を表している様だった。

 反して、女性と言葉を交わす少年の声は無邪気を装いながらも、奥深くにあるほの暗い毒を隠しきれてはいない。いや、この少年は隠す気さえないのかもしれないが……。

「二人とも、仲が良いのは結構だが、コレの相手を俺一人に任すのは如何なものかと思うぞ」

 ひたすら平行線で不毛な会話を遮ったのは青年の声だった。言葉は抗議の形だが、苦笑を含んだ声音に彼が言葉ほど気分を害していないのが分かる。

 この青年が生真面目でかなりお人よしなのを知っている少年は、青年の言葉を気にする事なく平然と嘯く。

「別に、この中で一番強いのは貴方でしょう?わざわざ僕なんかが手出しする必要は何処にも無いと思うんだけど」

「そういった油断が命取りになる」

「はいはい。いつも言ってるけど、貴方は少し真面目過ぎると思う。どこかで肩の力を抜いたら?」

 少年の冗談にも生真面目に返す青年に、少年は肩を竦めた。

「俺だって時と場合を考えているだけだ。こういった場面で力を抜く輩など、馬鹿だけだろう」

「……何?それって暗に僕が馬鹿だって言いたい訳?」

「俺の言いたい事を正確に読みとってもらえて嬉しいよ」

 青年は先程の少年と女性同様に無駄な会話をしているだけに見える。しかしこの青年、その実力は一族の中でも別格だ。蠢く闇から意識を逸らしているかの様に見えても、先程から身動きが出来ない闇を完璧に押さえ込んでいるのはこの青年だった。

 少年と女性も一族の若手の中では実力者だったが、この青年の緻密な術の操作は真似できない。しかも青年は片手間でそれを成しているのだから尚更だ。

 先程の少年の言葉の通り、この青年の力をもってすればこの様な小物など、一瞬にして消し去る事が可能だ。しかし彼は仲間と行動する時は、余程の事が無い限り手出しをしない。それは少年達に実践を経験させるためであり、謂わば彼の役目はお目付け役なのだ。

 それが分かっているから、いささか面白くの無い少年は皮肉げに青年を揶揄したのだった。

「それより、早く終わらせましょう。夜遅くの外出は私達女性には危険なのよ?」

 女性はそう言って二人を促す。

 内心ではこの女性を普通の女性と一緒に考えてもいいものなのだろうかと悩んだ男二人だったが、余計な事を言って被害を被ってはかなわないとばかりに口にはしなかった。

「そうだな、手早く終わらせるか」

 青年の言葉と共に闇を圧迫していた力が更に増す。

 そして暗闇に横たわる沈黙を切り裂いたのは、蠢く闇の断末魔だった。



 一仕事終えた三人は帰路に着く。彼らにとっては簡単な仕事であったため、歩みは軽やかだった。

「それにしても、最近は仕事が増えて困るわね」

「確かに。今日みたいな雑魚がほとんどだけど、こうも連日だとさすがに嫌気が差すよね」

「仕様の無い事だ。この時世だからな」

 青年の言葉に沈黙が降りた。

 ここ数百年、大地の崩壊は止まる事を知らない。それに加えて起こる災厄は、この世界がそう長くは無い事を人々に思い知らせるには十分だった。

 国を統べるはずの皇統は政務を放棄して国の有力者達と共に怠惰の限りを尽くしている。地方を統べる人間達と‘宮’の‘楔’達が力を尽くしているが、国の崩壊を止める事は叶わない。彼らがやっているのはいつか必ず訪れる崩壊の時をただ少し遅らせているに過ぎなかった。

 彼ら一族が今夜の様に対峙していた闇は、‘鬼’と呼ばれる存在だ。彼らがどうやって生まれたのかは定かではないが、一族の中では人間の心の中にある闇が具現化した物だと考えられている。そしてそれを証明するかの様に、人々の心が荒むにつれ‘鬼’達は活発になっていた。

 ‘鬼’は恐ろしい生き物だ。常人の目には映らず、何処かに現れ、暗闇の中に存在する瘴気を喰らって力をつける。力を持った個体は意識を持つ様になり、そうなると人間の弱った心の中に寄生し、本能のままに暴虐を尽くそうとする。加えて厄介なのは、一度人間に寄生してしまえば、人間の気配に隠れてしまい、彼ら一族の人間であっても見つけるのは容易ではない点だ。

「……光は容易に闇に染まってしまうが、一度闇に染まったものを再び光に戻すのは難しいからな」

「難しいどころか、ほぼ不可能でしょう。一度堕落してしまえば、闇は何とも甘美だというからね」

 少年の皮肉は何に対して言っているのだろうか。‘鬼’に魅入られたものか、愚かな皇統や貴族の人間達にか、それともこの国に対してなのか……。

 彼らはその役目柄、人間の闇に触れる事が多い。そんな彼らだからこそ、止まる兆しの見えない堕落は敏感に感じ取っていた。

「気を引き締めろ。大きい‘力’を一族は感知したそうだ」

 青年の言葉に二人は息を詰める。

「……それはどれくらいなのかしら?」

「少なくともここ数十年は遭遇した事が無い程の大きさだそうだ」

「まさか……」

 少年は笑い飛ばそうとしたが、出来ずに言葉尻は小さくなる。

「どうやって潜んでいたかは定かではないが、その‘鬼’はかなり強大な力を持っていると考えて間違いは無い」

「そうしてそんなになるまでに気配の欠片も分からなかったんだ?そうすればこんな面倒な事態にはならなかったはずだろう?」

「それが分かれば苦労はしない。だが、転換期がくるのかもしれない」

「……それは、良い方への?それとも悪い方への?」

 青年は沈黙をした。それは長かったのか、短かったのか。重苦しい沈黙が続き、青年はふっと苦笑を漏らした。

「それが分かるのは……神くらいのものだろう」

 もっとも、その神はとうの昔にこの地を見捨てているだろうが、と青年は胸中で嘲笑した。

 この愚かで醜い、地上に蔓延っている人間達を神々は嘲笑っているのだろうか。そして今も無駄な足掻きだと見下ろしているのかも知れない。

 青年の中には常に埋めようの無い虚が存在していた。まるで今生きている場所は本来自分がいるべき場所ではないかの様な違和感がいつも付きまとう。

 いつか、この虚が埋まる事があるのだろうか。

 まるで片翼がもがれたかの様な、半身が奪われたかの様な、この途方も無い喪失感。



――あそびましょう

 くすくす。くすくす。

「ふふふ……どうやって遊ぶのかしら?」

――かんたんだよ、すなおになればいいんだよ

「素直……ねぇ、いつも私は素直よ?だから……」

――そうだね、たのしそうだねぇ

「そうねぇ、ふふふ」


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