東京夜景
不倫の終わり。
背景には綺麗な東京の夜景。
女性の気持ちを、心の声で唱えてみてください。
背景にはもちろん、綺麗なネオンの輝きを・・・
いつか終わるものと分かっているのに私は、何故今日もここに来ているのだろう。
東京の夜景は美しい。
この部屋に週一、二回来る生活ももうすぐ一年経とうとしている。何十回も見たこの窓からの夜景は、いつみてもどこを見てもきらきらと切なそうに、当たり前にどこか淡々と輝いているように見える。そんな風に見えたのは今日が初めてだ。
「何見てるの?」
後ろからの声に降り向くと彼が立っていた。さっきまで仕事に追われていたのだろう。少し疲れている。それに、ネクタイが歪んでいる。毎日きっちりとスーツを着こなす彼のこんな姿は、職場じゃきっと誰もお目にはかかれない。この人油断している、なんて可愛らしいんだろう。言いようのない愛しさがこみ上げる。「ねぇ、大好きよ」と心の中でつぶやいた。
「夜景、見てたの。とても綺麗よ」
「本当だ。とても綺麗だね。今まで気にも留めたことがない、何気なく目に入るだけだったな。君といるといつも何かを教えられてるみたいだ。」
私を後ろから包むようにして抱き込む。この腕の重みが幸せの証で、心の鎖だった。
「本当に私何かを教えてる?」
「ああ、覚えてるかな。初めて二人で過ごした夜に話したこと」
「ロミオとジュリエット?」
「そう、神父はロミオに『若者は目で恋するのか』と言った。するんだね、現実は。君と会ったときに目で恋をした。気づいたのはずっと後になってからだったけどね」
懐かしい空気が流れる。
こんなにも穏やかな時が続けば、私は幸せすぎて溶けてしまうだろう。人でいられない気がする。女であることも人間であることも忘れてしまう。その瞬間、彼とも見つめ合えなくなってしまう。
「そう、でもきっと、今日で最後ね」
「どうして?」渋みのある浅黒い顔に不安の色がさっと広がっていく。私は次の言葉で彼を打ちのめして、私自身をどん底にまで突き落とす。やめるなら今、今なら「大好きよ」と言って彼の胸に飛び込める。そうやって何度も何度も踏みとどまってきた。でも・・・
この部屋の夜景は美しい。
「ただの別れ話じゃないわ」
「ならそんなに寂しいこと言わなくていい。そうだろう?」
「話し合いじゃ決められない。私は泣き出すだろうし、そんな私を見たら貴方は別れなければいいと言うでしょう。だから考える前に、決めたの。貴方と別れるわ」
「どうして・・・」
「そんなこと、聞くの?」
我慢なんてできなかった。知らないうちに涙は頬を伝っていく「ねぇ、大好きよ」。
ずっとずっと苦しかった。彼の指輪と歪まないネクタイがいつも目の前にあった。彼が結婚しているのは知っていたけれど、彼は決して家庭の話はしなかったし、私も聞かなかった。俗に言う不倫。現在の社会ではそれほど珍しくもない。でも誰にも認めてはもらえない。そう、自分にも認めてもらえない。できるなら言葉なんてなしで終わりたかった。私たちの始まりは言葉がなかったから。
仕事中に何度か目が合うようになった。それが恋だとは知らなかった。いつからか見つめ合うようになった。このとき自分が彼に堕ちていることを知った。もう、彼以外は男でなくなっていた。誰にも悟られないうちに消してしまおうと奮闘していたのに、気持ちは沸点のまま彼と抱き合っていた。始まる前から、苦しかった。いくら二人で過ごしても、一人になる時間は呼吸をするのも辛いと感じた。心が呼吸できない。そしてこれからもきっと苦しいままだろう。呼吸困難の女、ならばいっそ息を止めてしまえばいい。
不倫だから終わらせようと思ったんじゃない。相手が彼だから終わりたいと思った。
この部屋の夜景は美しい。
彼のネクタイが歪まないように毎日毎日気を使うことができる女はたった一人。そしてそんな女を彼は見事に見つけた。私はそんな女になれないし、なりたくもない。だけど「ねぇ、大好きよ」。
頬には延々と涙がつたっていく。瞬きも忘れて彼を見ていた。大きくてごつごつとした手がゆっくりと雫をぬぐう。温かい。「ねぇ、大好きよ」と、心の中で何度も何度も呟く。
「やっぱり君といると一つ一つ知らされていく。温もりがこんなにも切ないものだなんて、分からなかった。ありがとう、君子」
君・・・彼は私をそう呼ぶ。それはお前などという意味ではなくて君子の君、私の下の名前。
初めてこの部屋に来たときは正直緊張して彼しか見えなかった。二回目に来たときは有頂天で何も見なかった。この部屋の匂いに慣れたころ、夜景に気づいた。無機質な明かりにも慣れたころ、私はこの部屋を出るの。もう、来ないわ。「ねぇ、・・・・」。
部長さん、明日からあなたは私を、何て呼ぶのかしら。
初めて書いた作品です。
読みにくいかもしれませんが、最後まで読んでくださって、ありがとうございます。