第1話 殺し屋の女 今日も散歩する
未果は、下町の古い雑居ビルの屋上で、自分で挽いたこだわりのコーヒーを飲んでいた。
ほっ。
ーーとため息をつく。
雲一つない、最高の秋晴れ。
ポカポカした陽気がとても心地いい。
だけど、未果の目は、無意識のうちに、はるか下の交差点を見下ろしていた。
(……あそこの街路樹の枝の隙間。
葉の揺らぎで風向きを見て補正。
今っ!
バシュっ!
よしっ!
信号待ちのおじさんの頭を確実に撃ち抜けた!
……うん、今日もコーヒー美味しい)
ただの雑多な景色が格好の獲物に。
物騒な暗殺経路を頭の中で計算してしまう。
体に染みついた癖。
元殺し屋の職業病。
ふと、スマホの時計を見る。午前十一時五十七分。
未果はハッと目を見開いて、コーヒーカップをテーブルに置いた。
「さてと。散歩の時間!」
……目的地は、商店街アーケードの端にあるお気に入りのパン屋さん。
限定メロンパンの焼き上がりまで、あとちょうど三分。
「行くよっ」
未果はキリッと表情を引き締めた。
「――正面のオフィスビル、警備員さんの視線の死角を突く」
靴のつま先をトントン、と地面につきしっかりと靴を履く。
「散歩ミッションスタート!」
すたすたと足音を消してビルの自動ドアをくぐり抜ける。
受付の女性が書類に視線をふと落とした、コンマ数秒の隙。
しゃがみ込み死角へ。
まるで実体のない影のように音もなく滑り込む。
防犯カメラの位置は把握している。
するりと非常階段のドアへとたどり着いた。
「第二段階、ショートカット」
非常階段のドアをそっと開ける。
キィー……。
ドアの隙間に滑り込む。
非常階段の踊り場。
手すりを乗り越え外壁の錆びついた排水パイプに飛び移る。
パイプ伝いに数メートル降りる。
猫のようにふわりと飛び降りトトン、と音もなく路地裏に着地。
見事に、お目当てのメロンパンが焼き上がるぴったり一分前に、パン屋さんに到着。
自動ドアがヒュンと開く。
「あら、いらっしゃい未果ちゃん。今日も朝からお散歩?駅前混んでたでしょ?」
「いえあの……ちょっと、空を飛んできたので。全然平気です」
まだ小麦のいい香りがふんわりと漂う、焼きたてのメロンパンを一つ受け取った。
メロンパンの袋を両手で大事に抱えホクホク顔になる。
「手……洗いたいな」
近くののどかな公園へ。
手洗い場で手を洗う。
その時だった。
ゾクッ!!!
(っ!? ――ただならぬ殺気)
タタン!と数歩跳び一瞬で遊具の物陰へと滑り込み、身を隠す。
いつでも迎撃できるよう構えをガチッと固める。
冷や汗を流しながら、鋭い目付きでそっと背後を振り返ったその先ーー
「チワワ⁈」
メロンパンを、ウルウルした瞳でじーっと見つめている――
「クゥーン……」
チワワは、ちぎれるほど激しく、しっぽをぶんぶん振っていた。
緊張を解き胸をなでおろす。
「あげないよ」
物陰からすっと立ち上がり、砂をぱっぱっと払う。
「……ふぅ。命拾いしたわね、お互いに」
(でもチワワ…可愛い…)
すたすたとお散歩を再開する。
「コーヒー…飲みたいな」
(……あのチワワ、只者じゃなかったな。次に会ったら警戒レベルMAXだ)
(元殺し屋の女 今日も散歩する 第1話・完)




