06火球魔法、SNSでバズる
翌日の夕方。
サクラから譲り受けた中学一年の歴史の教科書を、俺は机にかじりつくようにして読んでいた。
ちょうど、日本という国がどのように生まれたのか――という章を読み進めていたときだった。
ばたん、とドアが開いた。
「大変! 大変!」
サクラが飛び込んでくる。
だが、声とは裏腹に、なぜか顔は嬉しそうだった。
「ハヤト! これ見て!」
サクラは右手に握ったスマホを、ぐいっと俺の目の前に突き出した。
画面には、夕焼け空が映っている。
「ふむ。まるで窓から空を覗いているようだ。スマホとは本当に驚くべきものだな」
「そこじゃない!」
サクラが叫ぶ。
その瞬間だった。
スマホに映った夕焼け空に――
一筋の赤い光が、地上から空へ向かって走った。
尾を引く白い線が、空に長く残る。
その直後、
「なにあれ? 隕石?」
動画の中で、誰かの驚いた声が聞こえた。
サクラが興奮した様子で言う。
「これ、昨日偶然撮影された動画なの。SNSにアップされて、目撃情報もどんどん拡散されてて、今すごくバズってるのよ!」
「……ごめん。サクラが何を言っているのか、よく分からない」
「だから!」
サクラが俺を指さした。
「これ、あんたの昨日の火の玉でしょう!」
言われて、ようやく気づいた。
たしかに――
俺が放った火球魔法と、よく似ている。
「それが?」
「みんなに知られちゃったってこと!」
なぜか、サクラはとても嬉しそうだった。
「ほう?」
俺は腕を組んで考え込む。
昨日、魔法は他人には見せないほうがいい、と判断したばかりだ。
しかし、すでに空を飛んでしまった火球は、どうやら多くの人間に目撃されてしまったらしい。
これは、どうしたものか。
俺が思案しているあいだにも、サクラは興奮した様子でまくしたてる。
「ねえハヤト! これを機にYouTube始めなさいよ!」
「インスタでもTikTokでもいいわ!」
「みんな、本物の魔法使いが現れたって驚いて、絶対バズるわよ!」
スマホをぶんぶん振りながら続ける。
「ハヤトが魔法使ってるところ撮影して、それで、それで――」
そこで、サクラは急に言葉を止めた。
「……」
しばらく固まったあと、
「……やっぱり、だめだわ」
今度は、急にしょんぼりし始めた。
「?」
俺の怪訝そうな視線に気づいたのか、サクラはスマホを操作し始めた。
そして、
「これ見て」
再び、画面を俺に向ける。
そこには――
黒い衣装を着た少年が、箒にまたがって空を飛んでいる映像が映っていた。
俺は思わず叫んだ。
「こんな飛行魔法、見たことがない!」
「だいたい、なぜ箒にまたがっているんだ?」
サクラは冷静に言う。
「これはトリックよ。本当に飛んでるわけじゃないわ」
「はあ」
俺は呆れた。
つまり偽物ということだ。
だが――
よくできている。
本当に空を飛んでいるとしか見えない。
「こんなの、今は、いくらでも作れるの」
サクラはしょんぼりした声で言った。
「それはすごい」
俺は素直に感嘆した。
恐るべき世界だ。
だがサクラは構わず続ける。
「だから、いくらあなたの魔法を動画にしても、みんなトリックだと思うだけよ」
「この程度の映像、珍しくもないもの」
なるほど。
確かに、俺の火球よりも、箒で空を飛び回る少年のほうがよほど派手に見える。
いずれにしても――
サクラは、俺の魔法を世間に広める気は失せたようだった。
なによりである。
しかし。
この世界は、なんとも恐ろしい。
本物と偽物の区別すらつかない映像を、誰もが簡単に作れるのだから。
俺は、ぞっとする思いでスマホの画面を見つめていた。
◇
とはいうものの、せっかくサクラが来てくれたのだ。
今日読み始めた中学の歴史教科書について、ふと思った疑問を聞いてみることにした。
まだ少し落ち込んでいる様子のサクラに話しかける。
「ところでサクラ。歴史の教科書で聞きたいことがあるのだが」
「ううん。なあに?」
気の抜けた返事だった。
「小学校のドリルで習った歴史は、大変興味深かった。この国の成り立ちや英雄たちの活躍を知ることができた」
「うん。そうだろうね」
「だが、中学の歴史教科書は情報が細かすぎるというか……」
俺は教科書を指で叩いた。
「この国の学生たちは、これほど膨大な知識を覚えているのだろうか?」
「例えば問題集には、年号を答えさせる問題がある。だが、それは歴史を理解するために必要なのか?」
すると――
「ハヤト。気づいたわね」
サクラが急に顔を上げた。
「中学の勉強の闇に!」
さっきまでの落ち込みはどこへやら、一気に元気を取り戻している。
「というと?」
「そうねえ……」
サクラは立ち上がり、部屋の壁にある照明のスイッチをぱちぱちと押した。
天井の明かりが消え、また点く。
「この照明ね。最初に発明したのは、エジソンって人なの」
「ほう」
「そのエジソンって、“発明王”って呼ばれていて、電球だけじゃなくて、千個くらい発明したのよ」
「大天才ではないか!」
「そう。すごい人だし、ドラマチックよね。後世に伝えるべき逸話もたくさんあるわ」
サクラの目がきらきらと輝く。
「私、子供のころ、そういう昔の偉人の話が大好きで、本でよく読んでたの」
「それは、俺もとても興味があるぞ」
「でもね」
サクラの声が少し落ちた。
「中学の歴史の教科書には、エジソンのこと、一行くらいしか書いてないの」
「電球を実用化し、電気の利用が広がった――それだけ」
「なぜ?」
「それはね……」
サクラは少し考えてから言った。
「中学の歴史って、本来の歴史の面白さを学ぶためのものじゃなくて、受験のための知識競争になっちゃってるからだと思うの」
「高校受験とか、その先の大学受験のためにね」
「なぜ?」
俺はまた同じ言葉を口にしてしまった。
あまりにも衝撃的だったのだ。
「行きたい高校や大学には定員があるから」
サクラは肩をすくめる。
「だから、みんなをふるいにかけないといけないの」
なるほど。
つまり――
学問の目的が、純粋な知識の探求から、競争の道具へと変わってしまっているということか。
以前、この国ではほぼ全員が高校に行くと聞いた。
それゆえに、そこへ向かう過程で求められる知識量がどんどん増え、学びの形そのものが歪んでしまっているのかもしれない。
「では……」
俺はゆっくり言った。
「本当に知りたいことを学ぶには、どうすればよいのだろうか?」
「たぶん」
サクラは少し考えてから答えた。
「大学に行けば、自分のやりたい勉強ができると思う」
「なるほど。それまでは辛抱というわけか」
「でもね」
サクラが続ける。
「今は、パソコンやスマホがあれば、なんでも調べられる時代なの」
「実は、高校や大学に行かなくても、いくらでも学ぶことはできるのよ」
「ほう」
たしかにそうだ。
先日教えてもらった映像授業を思い出し、俺はうなずいた。
俺のいた王国では、学ぶためには学校に集まるしかなかった。
おそらく、この世界も少し前まではそうだったのだろう。
だが――
パソコンやスマホという技術が、その常識を変えつつある。
この世界は、迷いながらも、次の時代へ進もうとしているのかもしれない。
サクラの言葉から、そんなことを感じた。
するとサクラが、少し照れたように言った。
「でもね」
「やっぱり、高校とか大学には行ったほうがいいと思う」
「同じ道を目指す仲間とか、友達とか……そういう人に出会えるから」
その言葉を聞いて、俺は父さんのことを思い浮かべた。
そして、トールさんや、会社のみんなの顔も。
確かに――
何か大きなことを成し遂げるには、仲間が必要だ。
サクラが続ける。
「それに、私、歴史とか割と得意よ。数学と違って、覚えるだけでいいんだもの」
「なるほど」
俺はうなずいた。
「競争の道具である以上、ある程度の割り切りも必要ということか」
しかし――
この俺の従妹は、
いつもはどこかのんきで、のうのうと過ごしているかと思っていたが――
案外、物事を深く考えているのかもしれない。
俺は素直に言った。
「サクラはすごいな」
「なにが?」
サクラはきょとんとした顔をする。
どうやら、もうすっかり、いつものサクラに戻っていた。




