05次の敵は中学生問題集
俺は、毎日昼も夜も一心不乱にドリルを解き続けた。
父さんの机にかじりつき、ページをめくり、ひたすら問題を解く日々だった。
ときおり、サクラが様子を見に来た。
アイスなる氷菓子をかじりながら、じっとドリルと格闘する俺を眺めている。
「ほんと、よくがんばるねー」
呆れたように言う。
「小学生ドリルとは、とても興味深い内容だ。実におもしろい」
そう俺が言うと、
「うへえ。こんなのがおもしろいなんて、ハヤト、あんた相当変わってるねえ」
ますます呆れ顔だ。
そして――
三週間ほどで、小学生ドリルを完遂した。
最後のページに丸をつけたとき、思わず大きく息をついた。
その様子を見ていたサクラが言った。
「よし。じゃあ次は、中学生ドリルね。買いに行きましょう!」
「サクラ先生。よろしくお願いします」
「よろしい。ついてきなさい」
サクラは鼻を膨らませながら、どんと胸を叩いた。
俺たちは、前と同じ本屋へ向かった。
出がけに、おじいちゃんがまたしても言った。
「好きなだけ買いなさい」
そう言って、数枚の一万円札を手渡してくれる。
参考書コーナーに着くと、サクラはさっそく棚を見上げた。
そして迷うことなく、中学生用の問題集を次々と手に取っていく。
「いい? 中学生の勉強は、基本は教科書を読むの」
「それで、問題集で知識を固めるのよ」
小学生ドリルと違い、中学生用の問題集はどれも大きく分厚かった。
かわいらしいイラストもない。
表紙からして、どこか硬い。
見ただけで、もう一段難しくなるのが伝わってくる。
そして――
英語。
「英語は言語だから、耳で聞かないとだめ。このCD付きのにしましょう」
「CD?」
「ああ、CD知らないよね。帰ったら教えてあげる」
サクラはにやりと笑った。
「ハヤト、あんた、またびっくりするわよ」
中学の問題集を詰め込んだリュックを背負い、店を出る。
そして、俺たちは、何の相談もなく同じ方向へ歩いていた。
気づけば、ミスタードーナツの前に立っている。
店に入ると、サクラが慣れた手つきでドーナツを選び始める。
会計の前で、俺は黙ってお札をサクラに渡した。
もはや自然な流れになっていた。
テーブルにドーナツを並べ、一息つく。
サクラはポン・デ・リングをかじりながら、しみじみ言った。
「中学生の勉強は手ごわいわよ? 小学生のとは比べものにならない」
「私だって苦労してるんだから」
「もごもごもご」
「食べてから話しなさい」
サクラが、口いっぱいにオールドファッションを詰め込んだ俺をたしなめる。
俺は慌てて飲み込み、言った。
「サクラが教えてくれないの?」
するとサクラは、少し困ったような顔をした。
「一年生くらいなら教えてあげられるけど……」
「二年生あたりから怪しいわ。特に数学」
肩を落とす。
「誰か教えてくれる人、探した方がいいかもね」
そう言ってから、何か思いついたように顔を上げた。
「あ、そうだ」
「ネットで無料の映像授業とか見られるよ。教えてあげる」
「ネット?」
聞き慣れない言葉だった。
サクラはくすっと笑う。
「ふふ。ハヤト、びっくりしすぎて気を失うかもね」
そう言って、ポン・デ・リングの最後の一口を口に放り込んだ。
◇
翌日。
おじいちゃんが、CDラジカセとパソコンという機械を貸してくれた。
「最近は、CDラジカセがある家庭も少ないそうだぞ」
そう教えてくれる。
CDという銀色の円盤の中に音声が詰まっていることにも驚いたが、
それ以上に驚いたのは――
このCDというものが、すでにこの国では時代遅れになりつつあるということだった。
そして、もう一つ。
パソコン。
「ちょっと古い機種だがな。おじいちゃん、あまり使っていないから、ハヤトが使うといい」
そう言って貸してくれたのだが――
昨日サクラが言っていた
「びっくりしすぎて気を失う」
という言葉は、誇張でも何でもなかった。
サクラが使い方や機能を教えてくれるのだが、
見れば見るほど、聞けば聞くほど、理解が追いつかない。
この箱一つで、世界中の情報に触れられるという。
しかも、このパソコンや、それをさらに小さくした「スマホ」なるものを、
この国の人間はほとんど全員が持っているという。
俺の理解の範囲を、軽く超えていた。
本当に、気を失いかけた。
「まずは、マウスの使い方を教えるね」
サクラが操作を教えてくれているときだった。
ピンポン、と玄関のチャイムが鳴った。
「こんにちわー」
聞き覚えのある声。
警察のタナカさんとサトウさんだった。
「タカセさんのレクサスを運んできました」
「証拠品としての検証が終わりましたので、お返しします」
俺が乗っていたレクサスは、いろいろ調べる必要があるということで警察が預かっていたのだが、
結局、特に変わった点はないという結論になったらしい。
俺がこの世界に来てから、何度か警察に呼ばれ、話を聞かれることもあった。
そのたびに顔を合わせていたので、二人ともすっかり顔なじみだ。
今日も、わざわざ家までレクサスを運んできてくれた。
「ハヤト君。元気かい。がんばりなよ」
そう言って、二人は帰っていった。
「タクミの車が戻ってきて、なんだかほっとしたねえ」
そう言いながら、おじいちゃんとおばあちゃんは家の中へ戻っていく。
だが――
サクラは違った。
駐車スペースに停められたレクサスの周りを、珍しそうにぐるぐる見て回っている。
そして、運転席のドアに残る大きな傷を見つけた。
「ハヤト! このすんごい傷、なに!」
指さして叫ぶ。
「ああ、それはね」
俺は答えた。
「父さんが、はじめて僕たちの王国に来たときに、三つ目狼に引っかかれたんだって」
「三つ目狼って、なに!」
サクラは目を見開いた。
俺は気にせず、おもむろにトランクを開けた。
そこには――
こちらに来るときに積んでいた魔石の山が、そのまま残っていた。
警察の鑑識によると、ただの石ころとのことで、そのまま返されてきたのだ。
だが――
俺はずっと気になっていた。
この世界には魔法が存在しない。
だが、魔石はどうなっているのか。
俺は小さな魔石を一つ手に取った。
魔術師は、魔石から魔力を抽出し、自身の魔力として補うことができる。
幼いころから魔術師の訓練を受けていた俺も、もちろんそれができる。
魔石は、俺の手の中で淡く光った。
ああ――
魔力は、失われていない。
俺は集中し、魔石から魔力を吸い上げる。
体の奥に、力が満ちていく。
久しぶりの感覚だった。
その様子を見ていたサクラが、不思議そうに聞いた。
「ハヤト、なにしてるの?」
「魔石から魔力を吸収してるところだよ」
「これで、魔法が使える」
サクラは一歩下がった。
「ま、魔法なんて、使えるわけないじゃない!」
声を荒げる。
無理もない。
この世界に、魔法は存在しないのだから。
「証拠を見せよう」
俺は右手を空に掲げた。
ほんの少しの魔力を、指先に集中させる。
刹那――
ごうっ!
空気が弾けた。
指先から、拳ほどの炎の玉が飛び出し、
一直線に空へと打ち上がった。
久しぶりの魔力の放出。
気持ちがいい。
「どう?」
振り向くと――
サクラは固まっていた。
「……」
「な、なに、今の? トリック?」
「火球魔法だよ。初歩的な魔法」
「……」
しばらく沈黙が続いた。
やがてサクラが口を開く。
「ねえ、ハヤト」
「別の世界から来たっていうの……本当だったの?」
「うん? そうだよ。最初からそう言ってる」
「あ、あたし……」
サクラは困った顔をした。
「てっきり、あなたのこと、変な妄想に取りつかれてるかわいそうな子だと思ってた……」
ひどい言いようだ。
そんなふうに思われていたとは。
呆れて声も出なかった。
「ねえ、その石見せて」
サクラはおそるおそる魔石をつついた。
「ただの石にしか見えないわね」
だが、すぐに顔を上げる。
「ハヤト、あんた……これ、すごいことよ。わかってる?」
興奮している。
その様子を見て、俺は思った。
――これは、他の人には見せないほうがよさそうだ。




