02父の家族
翌朝早く、タナカさんに連れられて、ひと組の初老の男女が病室に入ってきた。
背筋の伸びた、品のある二人だった。
タナカさんが静かに言う。
「タクミさんのご両親。つまり、君のおじいちゃんとおばあちゃんだよ」
俺は思わず姿勢を正した。
すると、おばあちゃんが一歩前に出た。
「タクミ……」
小さくそう呟くと、俺のところまで駆け寄ってくる。
そして両手で俺の頬をそっと包み込み、まじまじと顔を見つめた。
目には、いっぱいの涙が溜まっている。
その後ろから、低い声が聞こえた。
「いや……驚いた。タクミにそっくりだ」
おじいちゃんだった。
落ち着いた口調だったが、やはりその目元は涙で潤んでいた。
俺がどう反応していいかわからず戸惑っていると、
「ごめんなさい」
おばあちゃんがハンカチで涙を拭きながら言った。
「タクミに、あまりにもそっくりだったものだから……」
俺は少し照れくさくなりながら頭を下げた。
「いや、いいんだ。ええと……おじいちゃん、おばあちゃん。はじめまして」
そして、改めて言った。
「タカセ・タクミの息子、ハヤトです」
おじいちゃんはゆっくりとうなずいた。
「いい名前だ」
その声は、どこか誇らしげだった。
するとタナカさんが口を開いた。
「では、私は席を外します。ゆっくりお話しされるとよいでしょう」
そう言って、静かに病室を出ていった。
部屋には、俺と、おじいちゃんとおばあちゃんだけが残る。
少しの沈黙のあと、俺は話し始めた。
昨日まで警察の人たちに説明していたのと同じように。
おじいちゃんとおばあちゃんは、俺の言葉を一つも聞き逃すまいとするかのように、真剣な表情で聞き入っていた。
昨日まで話を聞いた、どの「偉い人」よりも真剣な顔だった。
やがて、話し終えると、病室に静かな空気が流れた。
おじいちゃんがゆっくり口を開く。
「ハヤト君」
そして、穏やかな声で言った。
「君の話を、信じるよ」
おばあちゃんも続けた。
「タクミが生きているって聞けただけで……とても幸せな気分よ」
その言葉には、長い年月の重みが滲んでいた。
そして今度は、二人が話してくれた。
父さんがいなくなった、あの日のことを。
突然息子がいなくなったこと。
世界が崩れ落ちたような気持ちになったこと。
夜も眠れない日々が続いたこと。
今日まで一日たりとも、息子のことを忘れた日はないということ。
そして――
突然現れた俺という存在。
その俺から、息子が元気に生きていると知らされたときの喜び。
胸の奥からこみ上げる安堵。
そのすべてを、静かに語ってくれた。
子を持つ親の気持ちが、ひしひしと伝わってきた。
ふと――
父さんや母さんの顔が浮かんだ。
俺が突然いなくなった今、きっと心配しているはずだ。
父さん。
母さん。
ハインツおじいちゃん。
エルザおばあちゃん。
妹のミオ。
そして、大おばあちゃん。
みんなの顔が次々と頭に浮かぶ。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
――俺は、戻れるのだろうか。
どうにかして、元の世界へ戻ることはできないのだろうか。
◇
「これからのことだが……」
おじいちゃんが静かに口を開いた。
「ハヤト君。君は、うちで暮らせばいい」
その言葉を合図にしたかのように、おじいちゃんとおばあちゃんが、堰を切ったように話し始めた。
「タクミが昔使っていた部屋を使えばいいわ!」
「法的に私たちと血縁関係があると認められるには、DNA鑑定だとかいろいろ検査が必要らしい。
すぐというわけにはいかないが、それまでの間、私たちと暮らすことには問題ないそうだ」
「服だって、タクミのが残ってるし。あ、でもせっかくだから、新しいのも買いましょうね」
「君はまだ十五歳だ。学校のことも考えていかなきゃならない」
「ハヤト君。食べ物は何が好き?」
二人は交互に、次々と言葉を重ねる。
どうやら、俺のこれからの身の振り方については、すでにこちらの大人たちの間で話し合われていたらしい。
一時的に「施設」という場所で過ごす案も出たそうだが、最終的には祖父の意向が尊重されたのだという。
その日の夕方、俺は病院を後にした。
そして、おじいちゃんとおばあちゃんの家へ向かうことになった。
タクシーという乗り物に乗り、街の中を走る。
俺は窓に顔を貼りつけるようにして、流れていく外の景色を見つめていた。
きらびやかな街並み。
行き交う無数の人々。
道路を走る、数えきれないほどの車。
ただただ、驚きだった。
父さんの話で、この世界の様子はある程度想像していたつもりだった。
だが――
実際に目にすると、それは想像の何倍もすごかった。
やがて、タクシーは住宅街へと入っていく。
そして一軒の家の前で止まった。
「さあ、着いたわよ」
おばあちゃんが言う。
車を降りて、その家を見上げた俺は、また驚いた。
元の世界で住んでいた牧場の母屋よりも、ずっと小さな一軒家だ。
だが、不思議なほど洗練された雰囲気があった。
余計なものがなく、整っている。
どこか都会的で、上品な感じがする家だった。
中に入ると、さらに驚かされた。
明るく、清潔な室内。
そして、見たこともない機械のようなものが、あちこちに置かれている。
「これは冷蔵庫よ。食べ物を冷やしておくの」
「これはテレビ」
「ここがトイレ。使い方はね――」
おばあちゃんが一つ一つ説明してくれる。
そのたびに、俺は思わず感嘆の声を上げた。
「すごい……」
思わず呟く。
一流の魔道具でも、ここまでのことはできない。
ふと、昔父さんが話していた言葉を思い出した。
「父さんが元いた世界には、魔法がない。そのかわり、科学がある」
当時は半信半疑で聞いていた。
だが――
今なら、はっきりとわかる。
これが、その「科学」というものなのだ。
魔法が存在しない代わりに、人の知恵と技術でここまでのことを実現している。
その事実に感心しながら、ふと、あることに気づいた。
体の奥を、そっと探る。
いつもなら、そこに感じられるはずのもの。
だが――
何もない。
胸の奥にあるはずの魔力の流れが、きれいさっぱり消えている。
まるで、空っぽの井戸のようだった。
「……そういうことか」
小さく呟く。
この世界には、魔法がない。
それはつまり――
この世界では、人は魔力を持つことができない、ということなのだろう。
◇
日が傾きかけたころ。
「こんにちはー」
玄関のほうから声が聞こえた。
やってきたのは、父さんや母さんと同じくらいの年齢に見える男女と、その後ろに立つ、俺と同じくらいの女の子だった。
おばあちゃんが嬉しそうに紹介する。
「娘のアケミよ。あなたのお父さんのお姉さん。
そして、その旦那さんのケンジさん。
この家の近くに住んでいるの」
どうやら、今回の件を聞いて駆けつけてくれたらしい。
アケミさんは、俺の顔をまじまじと見つめた。
「ええと、ハヤト君だったわね」
そして、ふっと微笑む。
「ほんと、タクミに似ているわ」
「こんばんは。ケンジです」
隣の男の人が軽く頭を下げた。
「君の叔父さんにあたるのかな?」
穏やかな口調で、いかにも人の良さそうな人だった。
そして――
二人の後ろに、半分隠れるようにして立っている女の子。
こちらを上目づかいで見ている。
アケミさんが、その子の肩を軽く押して前に出した。
「娘のサクラよ。あなたの従妹ね。年は十五歳。同じ年よ」
「……こんちわ」
サクラは小さく言って、ぺこりと頭を下げた。
どこか人見知りなのか、またすぐに母親の後ろに隠れる。
その仕草を見て、ふと思った。
――ミオに似ている。
妹のミオの顔が、ふっと頭に浮かんだ。
「サクラは今、中学3年生よ」
アケミさんが説明してくれた。
「中学?」
聞き慣れない言葉だった。
するとアケミさんは、少し驚いた顔をしながらも、丁寧に説明してくれた。
「この国にはね、小学校、中学校、高校、大学っていうふうに、段階ごとの学校があるの」
「子供たちはみんな、そういう学校に通って勉強するのよ」
さらに続ける。
「高校までは、ほとんどの人が卒業するわね」
「大学に進む人も、半分以上はいるのよ」
――驚きだった。
ベルクスの街にも、子供が学ぶ場所はある。
主に教会が開いている「教会学校」だ。
子供たちはそこで、読み書きや計算などを学ぶ。
だが、それも十二歳くらいまで。
しかも、通えるのは裕福な商人の子供や、貴族の子供がほとんどだ。
俺やミオも、父さんが通わせてくれた。
今思えば、かなり恵まれていたのだろう。
だが――
この国の教育水準は、それとは比べものにならない。
ほぼ全員が高校を卒業する。
大学まで行く者も、半分以上。
さらに驚いたことに、ほとんどの国民が文字を読めるという。
なるほど。
これほどの科学技術を持つ国になるわけだ。
俺は、改めてこの世界のすごさを実感していた。
◇
やがて、夕食の時間になった。
俺がこの家にやってきた祝いだということで、テーブルには「寿司」という料理が並んでいた。
王国では見たこともない食べ物だ。
白い米という穀物の上に、色とりどりの魚の切り身が載っている。
見た目も華やかで、美しい。
そして――
驚いたことに、この魚は生なのだという。
俺は、赤い身の魚が載った寿司を手に取り、「醤油」という黒い液体につけて口に運んだ。
口の中で、米がほろりとほどける。
そこに、魚の弾力ある食感と、濃厚な旨味が広がった。
「おいしい」
思わず声が漏れる。
これは、うまい。
ベルクスの街は内陸にあるため、魚介類を食べる機会はほとんどなかった。
ましてや、生魚を食べるなどという発想は、これまで一度もなかった。
こんなに新鮮な魚が食べられるということは――
この家は、海の近くにあるのだろうか?
俺は素直にその疑問を口にした。
「いや、海はずっと遠いよ」
おじいちゃんが笑いながら答えた。
「魚はね、海で取ったものを冷凍して保存して、それを運んできているんだ」
「冷凍……」
思わず聞き返す。
「凍らせて保存するんだよ」
おじいちゃんはそう説明してくれた。
この世界では、そんなことができるのか。
驚きだった。
なるほど、凍らせれば魚は長持ちする。
だが――
凍らせたまま運ぶという発想は、これまで考えたこともなかった。
もしこれを王国で実現できたら。
食文化そのものが変わるかもしれない。
そんなことを考えて感心していると、
「あなた、本当に何も知らないのね」
サクラは呆れたようにそう言った。
少し顎を上げ、こちらを見下ろすような目つきだ。
生意気な口ぶりだった。
……そんなところも、ミオに似ている。
そう思うと、思わず苦笑がこぼれた。




