12夏休みと地区大会
俺は、剣道部に入部した。
うちの高校の剣道部は、特別に強豪というわけではないらしい。
だが、部員たちは皆、真面目で、日々の稽古に熱心に取り組んでいる。
放課後になると、武道場に響くのは、
竹刀のぶつかる音と、気合いの声。
――悪くない環境だ。
この世界で、再び剣を振る日々を送れる。
それだけで、十分に楽しい。
だが――
剣道は、俺の知る“剣術”とは、まるで別物だった。
構えは似ている。
振りも、基本は同じ。
しかし、肝心の「勝ち方」が違う。
剣道には、細かなルールがある。
ただ打ち込めばいいわけではない。
当てればいいわけでもない。
気勢。
姿勢。
打突の部位。
そして――残心。
それらが揃って、初めて「一本」と認められる。
――面倒だ。
いや、合理的ではあるのだろうが、
実戦の感覚とは、あまりにもかけ離れている。
その違いに、俺は戸惑っていた。
最初の頃は、特にひどかった。
相手の隙を見て、最短で打ち込む。
当たっている。
手応えもある。
だが――
「今のは一本にならない」
審判役の先輩の声が、あっさりとそれを否定する。
理由は分かる。
打った後、すぐに動きを止めてしまうからだ。
残心がない。
あるいは、気合いが足りない。
形式として「正しくない」。
――理屈は理解できる。
だが、身体がついてこない。
結果、
段取りとなれば、ほとんどの部員に負けていた。
バスケットボールやサッカーのときとは違う。
剣を握っているのに――負ける。
それが、妙に悔しい。
打ち込みの後、もう一歩踏み込む。
声を出す。
構えを崩さない。
頭では分かっている。
だが、いざとなると、どうしても“最短で仕留める動き”が出てしまう。
そのたびに、
「惜しい!」
そんな声が飛ぶ。
そして、
「高瀬はな、剣も速いし、体もできてる」
主将の轟先輩が、竹刀を肩に担ぎながら言った。
「コツさえ掴めば、あっという間に伸びるぞ」
「……ありがとうございます」
短く礼を返すと、胸の奥に、わずかな手応えが残った。
この“剣道”というものも、きっと自分のものにできる。
そう思えた。
◇
昼休み。
「どうだ? 剣道部に入った感想は?」
前の席の山下が、弁当を頬張りながら聞いてきた。
「いや、それが。なかなか難しくて苦慮している」
俺は、率直に答える。
「え、そうなのか? 意外だな」
山下が目を丸くする。
「そりゃそうだろ。剣道なんてややこしいもん、そう簡単にいくかよ」
横から、武田がパンをかじりながらぶっきらぼうに言った。
――気づけば。
あの仕合のあとから、こうして三人で昼飯を食べるのが当たり前になっていた。
「しかし、とても楽しいんだ」
そう付け加えると、
「お前は格闘バカだからな」
武田が肩をすくめる。
「まあ……気持ちは分からんでもないけどよ」
褒めているのか、けなしているのか。
判別しづらい物言いだ。
だが、悪い気はしない。
あの仕合のあと。
サクラに二人並んで説教された帰り道、
武田は、ぽつりとこんなことを言った。
『最初はな、優等生ぶってるお前が気に食わなかった』
そこで一度言葉を切り、
『でも、職員室でのお前の態度……ちょっと見直した』
と。
――なるほど。
しかし、そんなことぐらいで、俺を目の敵にしていたのか?
腑に落ちなかったが、
ふと、先ほどの光景を思い出し、とたんにストンと腹落ちした。
サクラに説教されていたときの、武田の表情。
サクラをじっと見つめていた。
あのときの、妙に熱のこもった眼差し。
――ああ。
そういうことか。
だから、サクラと気さくに話している俺が、
気に入らなかったのだろう。
納得がいった。
だが――
それ以上は、詮索しない。
野暮というものだ。
俺は黙って弁当を口に運んだ。
◇
もうすぐ、夏休みだという。
――理解できない。
なぜ、せっかく学校に通えているのに、これほど長い休みを設けるのか。
この世界は、合理的な制度に満ちている。
だが、時折こうして、妙に非効率なルールが紛れ込んでいる。
――不可解だ。
そんな俺をよそに、
クラスメイトたちは皆、どこか浮き足立っていた。
廊下でも、教室でも、話題は夏休み一色だ。
――まあ、いい。
与えられた時間は、有効に使えばいいだけの話だ。
この機会に、さらに知識を深める。
可能であれば、工場見学などにも足を運んでみたい。
それに――
剣道部の活動は、夏休み中も継続されるらしい。
加えて、大会もあるとのこと。
武術の大会。考えただけでも胸が高鳴る。
◇
夏休みが始まった。
部活の日々。
そして、現代技術の探求の日々。
最近の注力テーマは、タイヤの製造だ。
ゴムの木が見つかったとして、その後、どのような工程で加工し、実用に耐える素材へと仕上げるか。
――課題は多い。
だが、それもまた面白い。
一方、剣道部では、
大会の直前に、部内で選考会が行われた。
入部から約一か月。
剣道の「型」と「勝ち方」を、ある程度は理解できてきた俺は、
地稽古でも安定して一本を取れるようになっていた。
その結果――
団体戦の中堅に抜擢された。
――中堅。
五人の中央。
流れを左右する位置。
重要なポジションだ。
団体戦という仕組みも、興味深い。
王国では、試合といえば個人戦が基本だった。
だが、この国では、個の力を束ねて勝敗を競う。
――和を重んじる、か。
合理的ではないが、意味は理解できる。
◇
大会当日。
会場は、すでに熱気に包まれていた。
剣道の地区大会。
団体戦は、トーナメント形式で行われる。
俺たち、県立坂の上高校の初戦――
相手は、蒼嶺高校。
優勝候補。
会場の空気が、わずかにざわついた。
轟主将でさえ、表情を引き締めている。
――厳しい相手だ。
相手にとって不足なし。だ。
試合が、始まる。
相手の視線。
こちらを値踏みするような目。
――いや。
それ以前に、眼中にない。
そんな空気が、ありありと伝わってくる。
「とっとと片づけてこい」
軽い調子のヤジ。
――なるほど。
完全に格下扱い、か。
先鋒。
一本負け。
次鋒。
これも一本負け。
――二連敗。
空気が重くなる。
観客席からも、どよめきが漏れる。
そして――
俺の番だ。
ここで負ければ、俺たちの敗退は決まる。
あせりが、わずかに胸をよぎる。
だが――
それ以上に、
心が高鳴っていた。
――正式な試合。
剣と剣の勝負。
身体の奥が、自然と熱を帯びる。
面の奥で、相手と対峙する。
静かだ。
だが――
相手から、油断の気配がにじんでいる。
――見える。
それは隙ではない。
“慢心”だ。
「はじめ!」
合図。
――踏み込む。
一気に間合いを詰める。
面。
振り抜く。
当たる。
――だが、一本ではない。
気勢も、残心も、まだ足りない。
だが――
十分だ。
相手の表情が、変わった。
余裕が消える。
わずかに、目が見開かれる。
味方側が、どよめく。
「おお……!」
観客の声。
空気が、わずかに揺らぐ。
相手チームのベンチから、声が飛ぶ。
「気をつけろ!」
「油断するな!」
相手が、反撃に出る。
空気が変わった。
先ほどまでの余裕はない。
全力で、こちらを潰しに来ている。
踏み込みが鋭い。
間合いの詰め方も、無駄がない。
――うまい。
さすがは強豪校の中堅。
打突は正確で、連携も淀みがない。
気づけば、俺は防戦に回っていた。
受ける。
いなす。
下がる。
攻めに転じる隙がない。
――技術では、及ばない。
認めざるを得ない差だ。
ならば――
やることは一つ。
速度と、威力。
それで、こじ開ける。
相手が、上段から振り下ろしてくる。
――ここだ。
俺は踏み込む。
竹刀を、振るう。
渾身。
相手の打突ごと――
弾き飛ばす。
バチンッ!!
乾いた衝撃音が、会場に響いた。
相手の竹刀が、大きく弾かれる。
体勢が、わずかに崩れる。
その一瞬。
逃さない。
踏み込む。
気勢を乗せる。
「メンッ!!」
振り抜く。
確かな手応え。
――だが、止まらない。
そのまま前へ抜ける。
残心。
一歩、二歩。
振り返る。
静寂。
そして――
旗が、上がる。
「一本!」
場内が、どよめいた。
――勝った。
初めての公式戦で、一本を取った。
胸の奥が、静かに熱を帯びた。
◇
しかし、
結果として――
俺たちは、一回戦敗退となった。
副将は、引き分け。
大将戦。
轟主将は、最後まで攻め続けた。
だが――
わずかな隙を突かれ、一本。
勝負は、そこで決まった。
静寂。
そして、遅れて――
拍手が、湧き上がる。
無名校の、予想外の健闘。
会場から送られたそれは、確かに温かかった。
――だが。
足りない。
まったく、足りない。
胸の奥に残るのは、称賛ではなく、
ただ、悔しさだけだ。
拳を握る。
歯を食いしばる。
――負けた。
それが、すべてだ。
だが同時に、
はっきりと分かったことがある。
剣道というものは、
俺が思っていた以上に、深い。
技術。
間合い。
気勢。
そして、心。
すべてが噛み合って、初めて「一本」になる。
――面白い。
だからこそ、
もっと、強くなりたい。
自然と、そう思っていた。




