10学業と体育の授業
日々の努力の甲斐もあって、転入後しばらくして行われた期末テストでは、
数学、物理基礎、化学基礎――いずれも、ほぼ満点に近い点数を叩き出した。
日頃の勉強態度も評価されたのだろう。
クラスの中で、「高瀬は頭がいい」という認識が、自然と広まっていった。
――まあ、悪くない。
昼休み。
「高瀬ってさ、なんでそんなに勉強頑張るんだ?」
前の席の山下和樹が、弁当を頬張りながら聞いてきた。
こいつとは席が近い縁もあって、昼はだいたい一緒に食べている。
「そうだな……俺は、車を作りたいんだ」
おばあちゃんが作ってくれた弁当をつつきながら答える。
「なるほどな。自動車メーカー志望ってわけか。
そりゃ、勉強も気合入るよな」
――まあ、中らずといえども遠からずだ。
あえて訂正はしなかった。
高校の勉強自体は順調だった。
苦手な英語や国語も、想定よりは食らいつけている。
及第点、といったところだろう。
◇
だが――
問題は、別にあった。
体育の授業だ。
その日の種目は、バスケットボール。
よく弾む球を床に突きながら走る。
ドリブル、というらしい。
――なんだ、この反発力は。
手に伝わる弾性。
均一な形状。
おそらくゴム系素材……いや、空気圧も関係しているのか?
思わず分析に意識が向く。
しかし、感心している場合ではない。
俺は、この手の球技をまともに扱った経験がない。
ボールを突けば、予測不能な方向へ跳ねる。
強すぎれば暴れ、弱すぎれば止まる。
制御が、できない。
ようやく前に進めたかと思えば、すぐにボールが逸れる。
追いかける。
また逸れる。
――非効率極まりない。
さらに、この球を、あの高い位置にある小さな輪に通すという。
ゴール。
狙って投げる。
――入る気がしない。
そもそも、後ろの板にすら当たらない。
その様子がよほど滑稽なのだろう。
俺がドリブルを試みるたび、
シュートを放つたび、
周囲から、くすくすと笑いが漏れる。
そして――
「おい高瀬! なんだそれ! 盆踊りかよ!」
武田恒一だ。
あの、目つきの悪い男。
ここぞとばかりに、大声で笑っている。
――やけに楽しそうじゃないか。
正直、腹が立つ。
一方で、周囲の生徒たちは違う。
誰もが当たり前のようにボールを操り、
走りながら正確にドリブルを続け、
軽々とシュートを決める。
――大したものだ。
感心せざるを得ない。
日本の生徒は、幼い頃からこうした球技に親しんでいるのだろう。
◇
別の日の体育は、サッカーという競技だった。
サッカーボールなる球を足で蹴り、相手のゴールに入れれば得点。
ルール自体は単純だ。
しかし――
この世界には、このような「ボールを扱う競技」が数多く存在し、
しかも競技ごとに専用のボールが用意されているらしい。
――なんと洗練されているのだろう。
思わず感心する。
だが、
やはり、感心してばかりはいられなかった。
足でボールを扱う。
ドリブル、というらしい。
――難しい。
まず、飛んできたボールを蹴ろうとして――空振りする。
タイミングが合わない。
距離感も掴めない。
ようやく当たったかと思えば、
ボールは明後日の方向へと飛んでいく。
――制御不能。
バスケットボール以上に、扱いが厄介だ。
結果、
俺はまたしても、クラスの笑いものとなった。
「おいおい高瀬! ボール避けてんのか!? 敵じゃねーぞそれ!」
武田が手を叩いて笑う。
やけに生き生きとしている。
「今の見たか? 空振り三連発! 才能なさすぎだろ!」
――こいつ、本当に楽しそうだな。
腹が立つ。
だが、
周囲の生徒たちは違う。
誰もが当たり前のようにボールを足元で操り、
軽やかに相手をかわし、
鋭いシュートをゴールへ突き刺す。
――見事だ。
無駄がない。
動きに淀みがない。
バスケットボールだけではない。
サッカーでも同じだ。
日本の生徒は、こうした多様な競技を、当たり前のようにこなしている。
――大したものだ。
◇
そんなある日のことだった。
その日の体育は――剣道。
日本における剣術らしい。
そういえば、
元の世界では、日々欠かさず剣術の鍛錬をしていた。
だが、こちらの世界に来てからは、日々の生活や勉強に追われ、剣を握ることもなかった。
――久しぶりに、剣を握れる。
胸の奥が、わずかに高鳴る。
武道場に集められ、手渡されたのは竹刀という模擬刀だった。
――これは……
木刀よりも、しなやかで軽い。
弾力があり、打撃の衝撃も分散される構造だ。
なるほど。
鍛錬中の安全性を考慮した道具、というわけか。
――実に合理的だ。
思わず感心する。
教師が素振りの方法を説明する。
動きは――ほぼ同じだ。
あちらの世界でやっていたものと、大差ない。
――これならいける。
周囲の生徒たちが一斉に素振りを始めた。
ぶおん。
ぼおん。
ばらばらの音が、道場に響く。
そして、気づく。
――おや。
誰一人として、まともに振れていない。
力任せに振り回しているだけ。
軌道も定まらず、重心もぶれている。
――なるほど。
日本の生徒は球技には長けているが、
剣術については、そうでもないらしい。
俺は静かに竹刀を握った。
軽い。
だが――この感触。
久しく忘れていた、“剣”の重みが、確かにそこにある。
悪くない。
構える。
自然と、身体が動く。
上段。
呼吸を整える。
息を吸い――
意識を、剣先へと集中させる。
――振り下ろす。
シュッ!
空気を裂く音が、鋭く響いた。
周囲の音が、一瞬止まる。
もう一度。
シュッ!
無駄のない軌道。
最短で、最速の一閃。
気持ちがいい。
身体が、覚えている。
夢中で、何度か振り下ろした。
ふと――気づく。
視線。
全員が、こちらを見ていた。
「すげえ……」
誰かが、ぽつりと呟く。
「高瀬、お前……剣道、やってたのか?」
――まあ、そういうことになるのだろう。
曖昧に頷く。
そのとき、
武田と目が合った。
無言でこちらをにらみつけている。
そして、面白くなさそうに目を逸らした。
やがて、防具の装着に移る。
面、胴、小手、垂。
――これは、随分と重厚だ。
打撃の衝撃を受け止める構造。
これなら、思い切り打ち込んでも大きなケガにはならない。
この世界の「武道」は、実戦ではなく、技術の研鑽に重きを置いているらしい。
簡単な打ち合いの説明があり、
順番に相手を変えながら稽古が始まった。
一人目。
開始と同時に、相手が上段から振り下ろしてくる。
――単調だ。
軌道が読める。
半歩だけ身体をずらし、
すれ違いざまに――
コツン。
竹刀の先で、相手の面を軽く打つ。
「……あ」
間の抜けた声。
二人目、三人目も同様だった。
力任せに振りかかってくる攻撃を、
かわし、いなし、打つ。
――やはり、初心者だ。
日本は平和な国だ。
剣を扱う必要など、日常には存在しないのだろう。
授業の終わり際。
「高瀬」
教師に呼び止められた。
「お前、剣道部に入らないか?」
部活への勧誘。
――悪くない。
日々、剣を振るえる環境。
断る理由はなかった。
「……入ります」
自然と、そう答えていた。
◇
着替えを終え、少し遅れて教室に戻る。
その瞬間――
男子たちに囲まれた。
「高瀬、お前やばいって!」
「あの素振り、なんだよあれ!」
「運動音痴かと思ってたわ!」
口々に飛んでくる賞賛。
さらに、
「なになに? 高瀬くん、剣道すごいの?」
「ハヤト、そんな特技あったのか!」
サクラとハルカも加わり、場は一気に騒がしくなる。
――少し、照れる。
そんな中、
がたんっ!
鋭い音が、教室に響いた。
振り返る。
椅子を倒し、立ち上がっている男。
――武田。
顔は赤く、歯を食いしばっている。
俺を指差すその手が、わずかに震えていた。
そして、
「高瀬……!」
一歩、踏み出す。
「俺と――勝負しろ」
教室の空気が、凍りついた。




