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燃え残る線香花火

作者: 珠海ゆえ
掲載日:2025/11/18

 ジリジリと燃える。末端が球のように、オレンジ色の火花を散らしながら。今にも落ちてしまいそうにか細く、線香花火が燃えている。


 真っ暗な闇の中。じっと魅入られるように、その小さな光の粒を見つめる。


「この線香花火が燃え尽きてしまったら、どうなるのだろう」


 その時はあっけなく訪れた。ふつ、と粒が落ちる。瞬間、なんとも言い難い苦しみが襲う。


 ——苦しい。息ができない、苦しい……!


「う、わああああ!!」


 絶叫しながら飛び起きて、大きく空気を吸い込む。滴り落ちた脂汗が、ズボンの膝に染みを作った。


「また、ここからか」


 肩で息をする男は、そう独りごちた。


 ——もう、何度目の光景だろうか。


 回数を数えようとしたわけではないが、とっくにわからなくなるほどに、何度もこのシーンを繰り返している。


 その部屋には男が一人。働き盛りの年頃だろうか、中肉中背だが手足の筋はしなやかで、スポーツ経験者であることが伺える。


 彼は憔悴しきった表情で、簡素な寝台から足を下ろした。

 とても狭い部屋だ。行灯部屋のように室内は暗く、小さな窓が高い位置に一つだけ。天井からは裸電球がぶら下がり、ゆらゆらと揺れている。


 ここには、テレビが一つあった。古びてホコリをかぶったブラウン管。真四角のそれは、部屋の隅に鎮座していた。


 ガサガサと耳障りなホワイトノイズに混じって、アナウンサーの軽快な実況が耳に入って来る。

 スクリューボール、と解説者の声。甲子園の中継だ。

 彼は何度も何度も、この部屋で同じ映像を見させられていた。


 閉じ込められた室内で、唯一の出口である扉は、当然のごとく鍵がかかっている。見上げた採光用の窓には、大の大人が脱出できるようなスペースはない。


 いつからここに居るのか、誰に閉じ込められたのか、どうすれば脱出できるのか。


 男は、いろいろなことを試した。大声で助けを求めてみたり、なんとか扉を蹴破れないかと試行錯誤してみたが、扉はびくともしなかった。


 まるで脱出ゲームの主人公にでもなったかのような気分だった。

 謎を解けば出られるかもしれない、と思ったが、彼はすぐにその思いつきを嘲笑った。


「ゲームじゃあるまいし」


 テレビからは、相変わらず中継が垂れ流されている。野球は好きだが、この状況では苛立ちの材料にしかならない。


 男は、教師だ。田舎の高校で野球部の顧問を担当している。学生の時分は彼も高校球児で、甲子園を夢見たものだった。

 その夢は叶わなかったが、野球部の顧問として、生徒達を甲子園に連れて行く。それが、今の彼の夢でもあった。


 ——頭が重い。


 目覚めてしばらく。男は痛む頭を抱えながら、必死に記憶を掘り起こそうと努めた。何か大切なことを忘れている気がしてならないのだ。


 狭く小さな部屋を、ぐるりと見回す。不思議とこの部屋は細長い造りをしているようだ。奥には寝台があり、出入り口の扉側、その隅にブラウン管テレビ。


 目につく手がかりはこれだけか、と肩を落とすと床の不自然な跡が目に入った。

 四角い何かが置かれていたような跡が、左壁を沿って出口付近まで続いている。右壁にも同様の跡が見られた。


「これは、ロッカールーム?」


 改めて、ぐるりと室内を見渡す。なるほど、ロッカールームであるなら、部屋が細長いのも頷ける。


 そして、自分が寝台だと思っていたのは、青いプラスチックのベンチであることに気がついた。


 ふと、部屋の奥まったところに、一つのロッカーが目に留まる。彼はロッカーの前まで進むと、その中を改めようと手を伸ばした。


 しかし、取っ手を掴んだまま、動けなくなった。正確には、開けるのが怖くなったのだ。指先が冷え切っていくのを感じる。


 数分の逡巡の後。彼は思い切って扉を開けた。

 そこにはセーラー服が一式、ハンガーに吊ってあった。


 あっ、と思ったときには、彼は膝から崩れ落ちていた。


 ロッカーの中身は、とある生徒のセーラー服だった。野球部マネージャーの、女子生徒の。


 急速に記憶の断片がフラッシュバックする。


 甲子園を目指して、一丸となって励んでいた、部員生徒の汗にまみれた笑顔。

 マネージャーの、甘えるような上目遣い。

 体育会系特有の、はつらつとした掛け声。苦しい訓練にも、弱音を吐かずに向き合う部員達。

 化粧をして、少し背伸びしたファッションの女子生徒。


 ——ああそうだ、俺は。


 教師として、あるまじき罪を犯してしまったのだ。


 その女子生徒は、明るくてよく機転の効く、優秀な野球部マネージャーだった。

 彼女と男は、不倫関係にあった。生徒達を甲子園に連れて行く。男の新たな夢と心の隙間に、するりと滑り込んできた彼女は、甘え上手で男をよく立てた。


 やがて彼は、マネージャーからの熱烈なアプローチに押し負け、関係を持ってしまった。禁忌であることはわかっていた。だから、別れを切り出した。


 すると彼女は、このまま別れると言うなら学校側へ暴露すると男を脅した。自分との関係を黙っていてほしかったら、お金を工面するようにと要求してきたのだ。それは男の人生を人質にした、狡猾な罠だった。


 男は言われるがまま、彼女に多額の口止め料を貢いだ。しかしそんな隠蔽も長くは続かない。結局、男が生徒と不貞関係を持ち、口止め料を渡していたことが発覚し、学校側への訴えが出たのだ。


 男の人生は、あっけなく崩れ落ちた。教師の職を辞し、愛する妻には別れを告げられ、愛しい一人娘にも会うことは許されなかった。

 彼はすべてに絶望した。自業自得だと、後悔しても遅い。その転落は、男からすべての物を奪い取っていった。


 そして、閉じ込められたこの部屋。ここは彼の最期の場所だった。

 ぷらぷらと揺れる裸電球を見上げる。それは、照明などではなかった。


 ——首を吊った、男の頭だ。


 男は、すべてを理解した。自死を選んだ自分はもう二度と、この部屋から出られることはない。

 後悔と懺悔の残り火が燻り続けるこの場所は、まだ生きたかったという彼自身の執着を絡め取り、魂をここへ縛りつけた。燃え尽きぬ、ささやかな監獄だ。


 まるで線香花火のようだ。じわじわ燃えて、最後はポトリと命を落とした。虚しい、そんな人生。


「ああ、苦しい! 息ができない!」


 男は失神した。そしてまた、地獄が巡ってくる。

 成仏できない魂は、このロッカールームで幾度も火にあぶられて、線香花火のように静かに、堕ちていくのだ。


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